第164話 約束のワルツ
クリスマスの前日。
多くの学校と同じく、黎星学園もこの日が終業式となる。
ただ、式や各クラスでのホームルームなどが終わってもほとんどの生徒は帰宅することなく学園に残っているのが普通の学校とは異なる点だろう。
その理由は、日没と同時に行われる聖夜祭に参加するためだ。
聖夜祭と言う名称はともかく、クリスマスイブにミサなどを行うミッション系の学校はそれなりにあるが、黎星学園の場合はほとんど宗教色はなく、立食形式の軽食とダンスを楽しむ社交の場という意味合いが強い。
日が沈みクリスマスイブの訪れと同時に始まり、2時間ほどをオーケストラの音楽をBGMにダンスをしたり料理を摘まみつつ談笑したりするという、黎星学園ならではの行事だ。
普通科だけでなく、芸術科の生徒たちも、それほど多くはない他のクラス、学年の生徒との交流を重視しているので大部分が参加する。
それが終わるとその日のうちに、あるいは翌日に実家に帰っていく。
中には自由を満喫するために帰省せずに寮に残る生徒も居るらしいのだが、夏休みとは異なり警備員以外の職員も休暇に入るので食事は各自でなんとかしなければいけないらしいのだが。
ホームルームが終わり、解放された生徒たちは聖夜祭が始まるまで食堂や各クラブの部室など思い思いの場所で時間を潰す。これもまた交流の機会となり、聖夜祭でのダンスをさそうこともあれば顔を広めることに利用する者もいる。
陽斗たち生徒会のメンバーも、聖夜祭準備の最終確認を終えた後は役目から解放され自由に過ごしている。本番は生徒会長が冒頭と最後に挨拶するだけで他に仕事はない。
そうして一部の緊張気味の生徒を除いた大部分がのんびりと過ごしているうちに冬の早い夕暮れとなり、ほんの短い時間で夜の帳が降り始めた。
聖夜祭の会場になっている体育館は床一面に絨毯が敷かれ、壁は天井から複雑な意匠が施された布が床まで垂れ下がりすっかり様変わりしている。
壇上ではプロの楽団による生演奏が始まっており、今はゆったりとした音楽が奏でられていた。
会場は中央部分を広く開け、周囲にいくつも置かれた立食用のテーブルもある。
天井からは煌びやかなシャンデリアが一面に飾り立てられ、ここが普段スポーツが行われている体育館であるとはとても思えないほどの変わり様だ。
外が暗くなる頃にはすでに多くの生徒が会場に入っており、楽しげな笑い声があちこちから響いてきている。
初めのうちは制服姿の生徒たちばかりだったが、開始時間が近づくにつれ華やかなドレス姿の女子生徒も増えてくる。
そうしてほとんどの生徒が会場入りした頃、響めきとも表現できそうな声が入り口からさざ波のように広がっていく。
「あれは、四条院さん? なんて素敵なんでしょう!」
「穂乃香様、綺麗!」
制服姿の陽斗のエスコートで聖夜祭の会場に入ってきた穂乃香は、淡い青色の、やや裾の長いカクテルドレス。
肩を出したノースリーブにレースのショールを掛けていて、大人の色気と少女の清純さが絶妙なバランスで同居している。
元々の知名度もあり、他のドレス姿の生徒よりも注目が集まるようだ。
そうなると当然、その隣に立つ陽斗にも視線が集まる。
「穂乃香さんがドレスを着てエスコートされているってことは……」
「きゃー! それって、やっぱり?!」
「っていうか、今さらかよ」
すでに公認の間柄と認知されている陽斗と穂乃香とはいえ、やきもきしていた生徒は多いようで、目に見える形で進展したのが興味津々という雰囲気になっている。
「あぅぅ、恥ずかしい」
「ふふ、わたくしは嬉しいですわ」
無数の視線に晒されて真っ赤な顔で俯く陽斗に、穂乃香は笑顔を向けている。
それを受けて、俯いているのは彼女に失礼だと思ったのだろう、陽斗は赤い顔のまま口を引き結び、精一杯胸を張って見せた。それを見て穂乃香の笑みも深くなる。
学園に入学してからずいぶん背が伸びたとはいえ、それでもまだまだ陽斗の方が小さいのだが、少しでも堂々として見えるように背筋を伸ばし、穂乃香の手を取って会場の中央に向かって歩みを進める。
『黎星学園高等部の皆さん、聖夜祭へようこそ。2学期、そして一年の最後にこうして無事に締めくくりの集まりを執り行えることを嬉しく思います。受験や進路、プライベードなど沢山の苦労や喜びがあったことでしょうが、今夜は存分に楽しみ、交流を深めていってほしい』
生徒会長の壮史朗が挨拶し、聖夜祭が始まる。
最初は歓談の時間。
オーケストラの奏でる曲がテンポの良い明るいものに変わり、そこここで飲み物で口を潤したり、言葉を交わし合う。とはいえそれほど長い時間ではない。
「えっと、あの、ほ、穂乃香さん、僕と、ふぁ、ファーストダンスを踊ってもらえますか?」
返事がわかりきっていてもやはり緊張するのか、陽斗が噛み噛みになりつつ差しのばした手に、穂乃香も恥ずかしげに、それでいて嬉しそうに自らの手を重ねる。
「光栄ですわ。よろしくお願いします」
ホッとした顔の陽斗が小さく頷き、ダンスエリアに向かうと、周囲の生徒たちから歓声と、どういうわけか拍手まで沸き起こる。
他にも数組が進み出ると、流れている曲が変わった。
ソシアルダンスに使われるワルツの中でも最も有名な曲のひとつ「美しく青きドナウ」。
ドイツの作曲家ヨハン・シュトラウス2世の名曲の、明るく軽やかな旋律に合わせて陽斗と穂乃香はステップを踏み始めた。
穂乃香の手を握る陽斗の掌は汗でややしっとりとして、背中に添えた手もガチガチに固くなっている。
目線は穂乃香の顔と足元を忙しなく行き来していて、ぎこちなくとすら思えるだろう。
それでも彼女が陽斗を見つめる目は優しく、心からの喜びに満ちている。
「陽斗さん、慌てず、音楽に身を任せて楽しみましょう」
「う、うん」
聖夜祭でダンスに使われる曲はおよそ2分。
陽斗の動きに合わせながら、穂乃香はこの夢のような時間の始まりを思い出していた。
陽斗が壮史朗から聖夜祭のことで詰め寄られていた時間。
奇しくも、というか、当然というか、穂乃香もセラから同じ内容で揶揄われていた。その場にはセラだけでなく、他のクラスメイト数人までもが加わって、あたかも尋問でも受けているようだ。
挙動不審な態度を見せる陽斗の様子に、聖夜祭のことを考えて意識しているのは容易に察することができるので、穂乃香との仲が進展しているのではないかと考えたらしい。
二人の気持ちなど、当人よりも端から見ていた方がわかりやすく、年頃の娘たちとしては最大の関心事でもあるのだ。放っておくわけがない。
穂乃香としては友人に自分の気持ちを知られていること自体は恥ずかしいものの、それで誤魔化したりするほど軽いものではないし、たとえ口先だけでも想いを否定したくない。
なので、言葉を選びつつ肝心な部分は避けて質問に答えていたのだが、穂乃香の経験が不足しているためか、それとも色恋話に飢える少女たちの執念のたまものか、結局根掘り葉掘り聞き出されてしまった。
当然の帰結として、散々煽られた穂乃香までもが変に意識してしまい、さらには昼休みの終わりに陽斗から放課後に話がしたいと電話があったために、午後はチラチラと陽斗の方を覗き見て授業の内容はまるで頭に入ってこなかったのだった。
ホームルームが終わり、陽斗たちが鞄を持って席を立つと、クラスメイトの視線が一斉に二人に向く。
昼休み明けからずっと微妙な空気をまとっている彼らの動向に野次馬めいた好奇心を刺激されているのだろう。
当然それに気づいている陽斗たちは目配せすることもなく足早に教室を出るのだった。
さすがにいくら興味があっても育ちの良い子女たちである。
外まで追いかけてくることはなく、先に穂乃香が、それを追うように陽斗が校舎を出て庭園に足を向ける。
晩秋と冬の境目ということもあって早くも日は西の空に大きく傾いて薄暗さを伴い、風は冷たくなっている。そんな時期に好き好んで庭園で駄弁っている生徒の姿はなく、陽斗と穂乃香は設置されているガゼボ前で落ち合ってベンチに腰掛けた。
早足で歩いてきたし、コートも羽織っているのでそれほど寒いとは感じていないようで、わずかに上気する顔を見合わせてクスリと笑みを交わした。
しばらく沈黙が続く。
最初の緊張した空気は和らいだものの、穂乃香を呼び出した陽斗が何かを話そうと口を開きかけ、躊躇って止めるというのを繰り返しているからだ。
それでも穂乃香は急かせることなく落ち着きなく視線を彷徨わせながら言葉を待つ。
直後、不意に強い風が吹き付け、その冷たさに穂乃香がコートの襟を寄せて身を縮こまらせる。
それを見てようやく陽斗の腹が据わったらしい。
大きく息を吸って、穂乃香と目を合わせる。
「あの、ほ、穂乃香さん、聖夜祭で僕とファーストダンスを踊ってください!」
穂乃香がすでに誰かと約束していないかを確認することもなく、ただ愚直なだけの願い。
もちろんその言葉を穂乃香がはねつけることなどあるわけもなく、感極まった彼女は深々と下がった陽斗の頭を愛おしそうに抱きしめながら返事をする。
「はい。喜んでお相手させていただきます」
「え、あの、あ、ありがとう。その……」
申し出を受けてもらえた安心感とコート越しに感じる穂乃香の温かさと柔らかさに心地よさを感じながらも、そのままで居たい誘惑を振り切って身体を離そうとする陽斗だったのだが穂乃香がそれを許さない。
理由はちょっとお見せできないお顔になってしまっているからだったり。
しばらくしてようやく腕の中から解放された陽斗は改めて穂乃香と向かい合う。
「えっと、そ、それじゃあよろしくお願いします」
「ふふ、はい。こちらこそ。もしかしたら来年までお預けかと思っていましたので嬉しいですわ。もちろん、その、ラストダンスも踊ってくださるのですよね?」
最初は軽く、そして続いた言葉は恥ずかしそうに頬を染めながら返され、陽斗の顔がますます赤くなる。血圧が心配になるレベルだ。
「あ、ああ、あの、はい、えっと」
聖夜祭のファーストダンスは愛の告白、そしてラストダンスはそれを受け入れた証しというのは学園内での常識だ。
つまり、聖夜祭でふたつのダンスパートナーを務めるというのはその相手と正式に交際していると表明することと同じ。
昔の家同士の繋がりが重視されていた時代と異なり、今は名家といえども基本的に伴侶選びは自由恋愛だ。
ただ、そうは言ってもやはり一般的な家の者よりも相手選びや付き合い方には慎重になるよう教育をされる。
いくら自由でもあまり奔放だったりろくでもない相手だったりすればスキャンダルとして家にまで迷惑を掛けることになる。
現に学園の生徒同士で交際するのは珍しいことではないが、聖夜祭でふたつのダンスを踊る生徒は多くない。交際だけでなく、その公表にはさらに慎重さが求められているからだ。
そしてそれは陽斗と穂乃香の二人にも当然当てはまる。
普通ならたかが高校生同士の男女交際。上手くいくかどうかは未知数で、むしろ圧倒的に途中で破局することが多いだろう。
成長し、進学や就職などで世界が広がっていくにつれ相手に感じていた魅力が薄れ、感情がぶつかり、他の人に心奪われるなど珍しくもない。
だが、国内屈指の資産家の子女同士となれば周囲はそう悠長に見てくれない。
ましてや国内有数の名家出身の子女が揃う黎星学園の行事で公表したとなれば、実質的に婚約者とみなされることになる。
穂乃香がそのことを知らないわけがなく、にもかかわらず陽斗の申し出を受けたと言うことに思い至り、陽斗の顔が、いやもはや全身が心配になるくらい真っ赤っかだ。
「わたくしはこれから先もずっと陽斗さんの隣に居たい。陽斗さんが何を考え、何をするとしてもずっと支えたい。心からそう思っています」
陽斗が皇の後継者だからではなく、穂乃香が四条院の娘だからでなく、どれほど辛い思いをしても、家族と信じていた人にどれほど傷つけられ、他人から虐げられてきても、人を思いやり優しさを失わず勇気を枯らすことなく真っ直ぐに立つことのできる陽斗を尊敬し、愛おしく思っている。
穂乃香の目がそれを余すことなく陽斗に告げている。
「僕は、まだ全然力も知識も無くて、穂乃香さんを守る力も支える自信もないけど、でも、僕はこれからも穂乃香さんと一緒に居たい。僕と、お付き合いしてくれますか?」
「もう離れませんよ?」
「嬉しいです」
「それと、その、もしかしたらわたくし、結構ヤキモチを焼くかもしれません」
「その、が、頑張ります」
「……暑いですわね」
「……うん」
周囲はすっかり暗くなり、身を切るような冷たい風が吹き抜ける庭園の中に異様な一角が誕生していた。
長いようで短い曲が終わり、陽斗はホッとした顔で、穂乃香はどこか夢見心地といった様子でダンスエリアから出てくる。
「お疲れさん」
「陽斗くん上手だったよぉ」
壮史朗とセラがふたりにジュースの入ったグラスを手渡しながら労う。どこか苦笑を堪えながらといった表情ではあるが。
「穂乃香さん、ドレス用意してたんだね」
「これは、桜子様が贈ってくださったんです。その、陽斗さんが聖夜祭のことを報告したら、喜んでいただけて」
淡い青色のドレスをしげしげ見ながら訊ねたセラに、穂乃香がそう答えた。
陽斗の申し入れを受けたその日のうちに桜子から穂乃香に直接連絡が入り、お祝いに聖夜祭で着るドレスを贈りたいと提案されたのだ。
もちろん遠慮したのだがどうしてもと押し切られ、そのわずか数日後に送られてきたのがこのドレスだ。
まるでこうなることがわかりきっていたかのように、オーダーメイドと思われる、サイズもぴったりだったので半ば呆れてしまった。
最初から桜子の掌の上で転がされ、逃げ道を塞がれているような気もするが、そうであっても穂乃香に不満などない。
まぁ、この後で父と兄に報告しなければならないのが少々気が重くはあるが。
「しかし、これから大変になるな」
「そうだよねぇ。今までだってほとんど付き合ってるようなものだけど」
聖夜祭での様子は生徒たちを通じてそれぞれの親に、そして経済界に広まるだろう。
少なからず話題になるのは間違いない。
壮史朗たちに指摘され、陽斗と穂乃香は顔を見合わせて苦笑する。
そんなふたりの手はしっかりと繋がれたままだった。
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というわけで、ようやく進展しました。
……小学生か?
次回は、どうしようかな?
再びの南国リゾートでイチャイチャ三昧、かも?
さて、今週も最後まで読んでくださりありがとうございます!
感想やレビューをくださる読者様、そして、ギフトまで贈ってくださる心優しい方々に心から感謝しています。
現在新作のハイファンタジー(転移転生召喚異世界人勇者魔王etc皆無)を執筆中で、もう少ししたら投稿開始できるかも?
そんなわけで、今後も頑張りますので応援よろしくお願いしますm(_ _)m
それではまた次週までお待ちください
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