第161話 陽斗の慧眼
コッ、コッ、コン。
コッ、コッ、コン。
「そうそう、上手いじゃねぇか。感触が硬くなったらバーナーで
痩せぎすで神経質そうな老人が、外見に似合わない穏やかさで陽斗の手元を見ながら褒めている。
「あぅぅ、形が歪んじゃった」
「それくれぇならすぐに直せるから大丈夫だ。最初は慎重なくらいで丁度良い。生しが足りないと割れちまうし、叩きすぎて薄くなると直せないからな」
まるで自分の孫を見るかのような優しさで、一つ一つの工程を丁寧に教えていく老人。
その老人の手さばきをキラキラした目とクルクル変わる表情で見つめる陽斗。
そして、少し離れた場所で、面白くなさそうな仏頂面を隠そうともしない重斗。
その様子を、今にも吹き出しそうになりながら穂乃香が何とか堪えている。
「もっと大切に職人の育成をしろと何度言われても『技術は見て覚えるものだ』などと言って耳を貸さなかったのに、
老人の手が止まったタイミングで重斗が嫌みったらしくそう言うと、老人は小馬鹿にしたようにハンッと鼻を鳴らした。
「教えてもらえるのが当然って気位ばかり高いクソ生意気なガキなんざ丁寧に教えたって身にならねぇから心構えから叩き直してるだけだ。その点、この子は素直で職人への敬意もちゃんと弁えてるぜ。目も良いし手先も器用だからしっかり修行すりゃすぐに良い職人になれる。どうだ坊ず、あんな偏屈で口うるさいジジイなんざ放っておいて俺んとこ来ねぇか? 10年もありゃ世界一の職人にしてみせるぜ」
「勝手なことを抜かすな! 誰が可愛い孫を貴様のような生活破綻の職人馬鹿に預けるものか!」
「誰が生活破綻だ! 適当なこと言ってんじゃねぇぞ、クソジジイが」
「貴様は儂よりジジイだろうが!」
口角泡を飛ばしながら罵り合う老人ふたりに、穂乃香だけでなく陽斗までが堪えきれずに笑い出してしまう。
半世紀ちかく年少の子供たちに笑われては、さすがにそれ以上続けるのは恥ずかしいと感じたのか、ふたりは口をつぐんで互いにそっぽを向いた。
黎星祭の振替休日2日目。
前日はあの後もいくつかの施設を見学し、その後は重斗の知人だという経営者数人と会食をしてから都内のホテルに宿泊した陽斗と穂乃香。
そして今日は、重斗が行っている伝統工芸保護の活動を視察するため、都内にある工房を訪れていた。
日本は古来、金や銀、銅を加工する工芸職人が多かったが、東京銀器と呼ばれる銀製品もそのひとつだ。
江戸時代から食器や髪飾り、神輿や神社などの金具を
今でこそ見直されてきてはいるが、職人が手ずから一つ一つ作る工芸品は値段も高いため需要が少なく、多くの職人が廃業したり後継者不足で工房を閉じたりして技術の継承が危ぶまれている。
金属加工に限らず、重斗はそういった伝統的な工芸品を作る職人に資金を提供したり販路を開拓したりという支援を続けている。
伝統工芸の中でも国が指定した重要無形文化財は補助金なども支給されて保護されているので、重斗が支援するのはそれ以外の職人たちに対してだ。
なので、時には自ら購入したり、他の支援者を募ることもあるし、他分野の職人と引き合わせて新しい工芸品を生み出す後押しもしている。この工房もそういった支援先のひとつである。
工房を取り仕切る老人は重斗と旧知の間柄らしく、職人と支援者というより悪友といった感じのやり取りをしてから工房の見学をさせてもらっていた。
地金を炉で溶かして型に流し込んで平らな板にし、用途に合わせた厚みに延ばす。
それから作るものの大きさによって板を切断してから専用の台の上で叩いて成形していく。
使われるのは柔らかすぎず加工のしやすい純度92.5%の銀で、延べ以降はほとんど職人の手作業で作られる。
丸く切り取られた真っ平らな銀の板が、職人の手の中でみるみる形を変えていくのを陽斗は食い入るように見つめていた。
あまりに熱心に見るあまり近づきすぎたりもしたのだが、その仕草に邪気がなく、心からの尊敬を宿した目を向けられていた職人は朗らかに笑いながら見やすいように身体の位置を変えたりしてくれていた。
職人としても敬意を持って興味津々に作業を見られるのは気分が良いことなのだろう。様子を見ていた老人が言葉少なに説明を加え始め、気がついたら「やってみるか?」と銀盤と金槌を手渡されて体験教室が始まったというわけである。
素人が見よう見まねでできるほど簡単なものであるわけもなく、それでも真剣な表情で一打ち一打ち丁寧に槌で叩く陽斗は、この頑固そうな老人に大層気に入られたようだ。
手取り足取り丁寧に教えてくれた結果、孫を取られたように気持ちになって嫉妬を爆発させた重斗をなだめるのにしばらく時間が掛かった。
予定していた滞在時間を大幅に超過して工房を出た陽斗たちを職人さんたちが見送ってくれる。
親方の老人の方は何度も陽斗を勧誘していたがそれは重斗が全力で邪魔し、そのふたりの必死さに穂乃香は笑いっぱなしだ。
「重斗様があんなに感情を露わにしたのを初めて見ましたわ。随分とあの方と気安い関係なのですね」
「ふん。奴は大学の工学部を中退して職人なった変わり者だ。職人としては真面目だがそれ以外は酒癖は悪いし生活能力はないし、どうしようもない。付き合いは長いが親しいわけではないぞ」
憤懣やるかたないといった顔で言う重斗だが、人の感情を察するのに長けている陽斗はクスクスと楽しそうに笑っている。
実際、世界屈指の資産家で政財界に強い影響力を持つ重斗に、あそこまでぞんざいな口をきける人物はほとんど居ないだろう。
ある意味貴重な人材であり、重斗が本心で嫌っているとは思えない。
陽斗もそれがわかっているからこそふたりが言い争っていても微笑ましげに見ているだけだったのだ。
「まぁ旦那様と色んな意味で良い勝負の方ですよね。お酒が入ると酷いものです」
「あんな奴と一緒にするな!」
迎えの車で一緒に乗ってきていた彩音が呆れたように暴露するが、ふたりの関係は周知のものらしい。
「え、えぇと、これから行くのってお祖父ちゃんの会社だっけ?」
収拾がつかなくなってきた社内の空気を変えようと、陽斗は次の目的地の話題を振る。
「正確には旦那様がオーナーを務める会社ですね。発行株式の6割を旦那様が所有していますが経営自体は別の者に任せています」
「……炭素繊維素材を開発する会社だ。とある大学の化学系サークルの学生が研究資金をクラウドファンディングで集めようとしていたんだが、専門性が高く賛同を得られていなかったのを儂が資金提供した」
「研究自体は上手くいって実用化も目処が立ったんですけど、学生のグループですからね。起業や経営のノウハウなんてありませんし、本人たちも経営よりも自分達の研究に没頭したいってオタク気質なことを言っていたので法人化して経営は別の者に任せることにしたんです」
重斗の説明を彩音が引き継ぐ。
なんでも、彼女が弁護士資格を取って、重斗の顧問弁護士事務所に勤務してから初めて任された案件だったらしい。
今では経営も安定してそれなりの利益も上げているのだが、それを根こそぎ件の研究者たちが研究に注ぎ込んでしまうので最終的な収支はトントンだそうだ。
それでも赤字になるほどではないし、重斗としては問題ないらしい。
会社の場所は都心から県をまたいだ工業団地の廃工場を改修して使っている。その理由も、経費を抑えてその分を研究に使いたいということで筋金入りだ。
高速道路を利用して移動すること40分ほど。
本当なら途中でゆっくりと昼食を摂るつもりだったが、工房を出るのが遅くなったので簡単に軽食で済ませる。
田畑に囲まれていくつかの工場が建ち並ぶ一角に陽斗たちの乗るリムジンが入っていくと、それほど大きくない建物が二棟ほどある工場に予定より少し前に到着した。
周囲は比較的古い工場が多いようだが、さすが重斗の肝いりというべきか、敷地はきちんとフェンスで囲まれ、建物は真新しい。門には守衛所もあり警備員が来場者の確認を行っている。
リムジンが門の前まで進むと、警備員が小走りで近寄ってきて、運転手の顔を見るとすぐにゲートを開けて深々と頭を下げた。
それを横目に、手前側の建物の前まで車を進め、そこで停める。
助手席に乗っていた警備班長の大山が先に降り、ドアを開けてくれたので彩音、重斗、陽斗、穂乃香の順でリムジンから出たところで、慌てた様子の小太りの男性が建物から出てきた。
「皇様、お待たせして申し訳ありません!」
「高坂君。いや、こちらが少し早く到着したのだから気にしないでくれ」
高坂と呼ばれた男は、重斗がそう言いながら笑みを見せると露骨にホッと胸をなで下ろした。
「そちらがお孫様とご学友のお嬢様ですね。ご案内いたしますので中へどうぞ」
「よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」
ニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべて挨拶してくる高坂に、穂乃香と陽斗も頭を下げた。
まず案内されたのは実験室と呼ばれる場所だ。
大きな物から小さな物まで様々な機械が所狭しと置かれている。
部屋の広さは学校の体育館くらいあるようだが、いくつかの区画に仕切られていて、その半分ほどの面積は埃などが入り込まないようにクリーンルームになっているようだ。
数十人の作業服姿の男女が機械を操作したりパソコンの画面と手に持った書類を見比べたりしている。
高坂が呼んだ別の男性が、それぞれどのような作業をしているのかを説明する。
一通り見終わり、一旦外に出て、もう一つの建物に。
先ほどよりも二回りほど小さな建屋だが、入り口は電子キーがついていて部外者は中に入れないようになっている。
「こちらは研究施設となっています。我が社の誇る開発陣が日夜新素材の研究を行っています」
高坂が開発を担当している研究者たちを陽斗に紹介する。
重斗に恩義を感じているのか、陽斗を見る彼らの視線は好意的で、特に陽斗の幼く見える外見のせいか、どことなく微笑ましそうな雰囲気まである。
「あの、ちょっとこの人たちとお話ししても良いですか?」
「え? あの、彼らが何か?」
研究室というプレートの掛かった部屋の前に来たタイミングで唐突に陽斗が高坂に向かって尋ねると、彼は困惑した顔を見せる。
「いえ、その、研究内容も聞きたいですけど、それだけじゃなくて学生時代に何をしてたとか、研究をしたいと思った切っ掛けとかをお話ししたくて」
「ああ、なるほど、高校生でしたっけ? でも参考になる話なんてできるかなぁ」
「僕も大学2年まではけっこうちゃらんぽらんだったし、馬鹿話しかできないかもしれないよ?」
「こんな可愛い男の子からの質問だったら、お姉さん何でも話しちゃうわよ」
返事をする前に、先導していた研究者たちが口々に言い始め、高坂は困ったように眉を寄せる。
「ふむ、本人たちが構わないというなら良いのではないか? 子供たちと会話することで何かヒントが得られるかもしれないし、陽斗たちも刺激になるだろう」
「……皇様がそうおっしゃるなら」
渋々と言ったふうに高坂が頷く。
結局、重斗と彩音、高坂は入り口横の談話スペースで待つことになり、陽斗と穂乃香は研究者たちと一緒に中に入っていった。
「それで、皇さんのお孫ちゃん、えっと、陽斗くんだっけ? なにを聞きたいのかな?」
「さっきも言ったけど、僕らはどっちかというと学生時代から陰キャだったし、あんまりいい話はできないよ」
「特に恋愛関係は壊滅だからね。全員研究オタクだから、多分炭素繊維と結婚する未来しかないよ」
朗らかに訊ねてくる彼らに、陽斗はちょっと考える素振りを見せた。
「わたくしも興味ありますわ。あまり陽斗さんらしくない切り出し方でしたから」
穂乃香も訝しげだ。
陽斗は考えをまとめるようにゆっくりと、言葉を選びながら口を開く。
「あの、社長さん、高坂さんってどんな人なんですか?」
「おお、お帰りなさい。何か有意義な話は聞けましたか?」
小一時間ほどして陽斗たちが出てくると、高坂が真っ先に立ち上がって出迎える。
「うん。色々な話が聞けました」
「ええ。
陽斗と穂乃香が互いに目を合わせそう返すと、何かが気になったのか高坂は怪訝そうに目を細める。
そんな彼に構うことなく、二人は立ち上がった重斗のところに行く。
「儂と高坂君はまだ少し打ち合わせることがあるが、陽斗も一緒に来なさい」
「うん」
重斗に促され再度建物を出た陽斗たちは、最初の施設の中にある事務所に入る。
部屋はそれほど広くなく、パソコンが置かれたデスクが四つほどと書架がいくつかあるだけのこぢんまりとしたものだ。
ここの施設では開発と本社機能しか持っていないらしく、量産製造は提携している企業に任せ、営業もいくつかの拠点で行っているということだ。
事務所の奥にあったのが社長室で、重斗は遠慮することなくその扉を開いて中に入る。
部屋の中は絨毯が敷かれ、手前側に応接セット、左側に鍵付きの家具調書庫、奥側に重厚なデスクが設置されていて、いかにも企業の偉い人が居るような内装になっているが、それでも華美ではなく落ち着いた雰囲気にまとめられている。
重斗は応接セットの3人掛けソファーに座り、彩音はその隣に、陽斗と穂乃香はその後ろに立つ。
高坂は一旦デスクまで行って大きなファイルを手に取り、それを重斗に渡して対面側に座る。
「ふむ。少し売り上げが落ちているか」
「は、はい。昨今は炭素系繊維を多くの化学メーカーが開発していますので、競争力という面でいささか苦戦しているようです」
経営状況を報告する書類に目を通しながら言う重斗に、額の汗を拭きながら高坂が答える。
「経費は逆に上がっているようだが?」
「開発陣が湯水のように素材や試薬を使いますのでどうしても。一応彼らにも話はしているのですが、あまり経費の節約はしてくれませんから」
「取引先への再販率は……」
30分ほど重斗の質疑に高坂が応じる。
「なるほど、まぁ素材系は競争が激しいのは確かだからな。ただ、それだけに研究開発に費用を掛けねば技術革新など到底おぼつかん。彼らの才能を存分に発揮させる環境作りが君の仕事だぞ」
「承知しております」
重斗の厳しい質問にもよどみなく答えた高坂が、ホッとしながら頷く。
と、重斗が後ろを振り返って陽斗に声を掛けた。
「陽斗から彼に何か聞いておきたいことはあるか?」
「あ、うん。良いの?」
「せっかくの機会だからな。事前に全ての資料を開示し、質問に答えるように言ってある」
意味ありげな物言いに、陽斗は小さく頷いた。
「あの、高坂さん」
「は、はい。なにか?」
「あそこの書庫には何が入っているんですか?」
「っ?!」
それまで穏やかな笑みを絶やすことなく応じてきた高坂の顔がわずかに引きつったのを見逃すほど重斗は甘くない。
高坂の座ったソファーの右側に並んだ書庫に目をやる。
書庫は扉があり外から中は見えない。
「陽斗、どの棚だ?」
「左側の書庫の、右下のところ」
「渋沢」
「はい。高坂さん、書庫の鍵を貸してください」
「いや、そこは整理されていなくて」
渋った高坂だったが、重斗が促すと仕方なくデスクから鍵を持ってくる。
彩音がその鍵で扉を開けると、確かに様々な書類やファイルが雑然と入れられていた。
「彩音さん、下側のレターケース」
陽斗は高坂の顔から目線を外さずにそう告げると、彩音は短めのスカートがずり上がるのにも構わずしゃがみ込んでプラスチック製の箱を引っ張り出した。
「ここですね。……へぇ、中身を確認しないと、ですね」
そう言って、実に良い笑顔で振り向いた彩音の指は小さなメモリーカードを摘まんでいた。
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