第157話 成長?
和志と智絵里が茶道部が主催している野点の会場に着くと、目に入ったのは男性が和服姿の茶道部員に対して怒鳴り散らしている光景だった。
男性のほうは仕立ての良さそうなスーツ姿の年配で、茶道部員はどうやら1年生のようで涙目になりながら頭を下げている。その隣では茶道部の部長も一緒に謝罪をしている。
たださすがに男性が怒っている理由まではわからないので、和志はとりあえず割って入ることにした。
「黎星学園生徒会の者です。何か問題がありましたか?」
和志が努めて穏やかに問いかけると、男性のほうは虚を突かれたように一瞬黙り込む。だがすぐにどこか見下したように睨めつけると口を開いた。
「そこの娘に熱いお茶を掛けられ、服も汚された。どうしてくれるつもりだ?」
腹立たしげにそう言って詰め寄る男に、和志が眉を顰めて智絵里に目をやると、彼女は言いたいことを察して小さく頷く。
「貴女も事情を聞かせてくれる? 茶道部の百瀬さんよね?」
優しく声を掛ける智絵里に、百瀬と呼ばれた女子生徒が何かを言おうとするのを男が遮る。
「加害者に話を聞く必要などない! こっちは火傷を負わされたんだぞ!」
「落ち着いてください。見たところ特に赤くなってもいませんし、もし痛みがあるようなら医師も呼びますから」
「目上の人間に対してなんだその態度は! 私を誰だと思っている!」
(名乗られてもいないのに知るわけないって。というか、声がでかい)
「何か言いたいことがあるのか?」
「いえ、とにかく落ち着いてもらえませんか」
思わず本音がこぼれる和志だったが、小声だったので聞こえてはいないようだ。
「あの、別の方にお茶をお出ししようとしたら、身体を触られそうになって、それで御茶碗を……」
和志が男性を抑えている間に、智絵里に促された百瀬が小さな声で打ち明けると、途端に智絵里と茶道部部長の顔が厳しくなる。
「言いがかりだ!」
途端に激高する男。
だがこれには和志も困ったように眉を顰めることしかできない。
言った言わない、やったやってないは明確な証拠がない限り水掛け論に終始してしまう。
まして、男のほうは実際にお茶を掛けられ、スーツの袖口あたりに抹茶の色が付いてしまっている。
「ふん。私もこの学園のOBだが、しばらく来ないうちに随分と質が落ちたものだな。だいたい、目上の者に対する態度がなっておらん。少しばかり家柄が良かろうが、経産省の次期事務次官の私がその気になればいつでも没落させられるのだぞ」
どうやら男は典型的な権威主義らしい。
社会的な地位が高くなるにつれ、こういった輩の割合は増えるが、厄介なことに実際に権力を持っていることが多いのだ。
この学園に在籍する生徒の多くが資産家や企業の経営者の家出身だが、それでも許認可に大きな権限を持つ中央省庁の官僚の機嫌を損ねれば親に迷惑を掛けてしまうことになるだろう。
男はそれを知っていて高飛車な態度を崩さないのだ。が、誰もがそれを唯々諾々と受け入れられるわけではない。
「馬っ鹿みたい。いい歳した大人が高校生の女の子に痴漢しようとした挙げ句、ちょびっとお茶が掛かっただけで大騒ぎして。それで、今度は地位を笠に着て脅し? それが黎星学園のOBなんて、後輩として恥ずかしくて仕方ないわよ」
「お、おい?」
心底軽蔑したように言い返した智絵里を和志が慌てて止める。
黎星祭は招待状の無い人間は入ることができないとはいえ、OB・OGであれば申請さえすれば比較的簡単に招待状を入手できる。まして中央官僚であればなおさらで、この男がそれだけの地位に居るのは間違いないだろう。
智絵里もそれなりの家格だが、それでも官僚に嫌われれば何らかの不利益を被りかねない。
正義感が強く猪突気味な性向がある彼女はそこまで頭が回っていないようだが。
「……君はどこの家の者だ? 後日、省のほうから抗議することにしよう。教育のなっていない子供を持つと親や従業員が苦労するな」
「あ、貴方ねぇ!」
「荒三門本家の荒三門和志です。こちらも学園と家を通して経産省に報告させていただきますが、よろしいですね」
男がニヤリと口元を歪めて言うと智絵里は顔色を変えるが、和志が視線を遮るように身体を割り込ませた。
「荒三門? ああ、物流大手の会社を経営している家か。別に報告など好きにすればいいが、子供の言葉などどこまで信用されるかな? それとも私が生徒の身体を触ろうとした証拠でもあるのか?」
男の言葉に和志は黙ったまま強く睨み返す。
この学園にはいたるところに監視カメラが設置されているし、野点の会場となっているこの庭園にもある。
とはいえ、隣にいた生徒を触ろうとしたかどうかまで判断することはできないだろう。言いがかりと言われてしまえばそれまでだ。
それがわかっているのか、男は余裕の態度を崩さない。
「このことは私の口から学園長に伝えておこう。それと君たちの家にも、ね」
「いい加減にしてもらえませんか」
小馬鹿にするように冷笑しながら踵を返そうとした男は、別の場所から放たれた声に足を止め、うんざりしたようにそちらに顔を向けた。
「「陽斗先輩!」」
和志と智絵里が驚いたような、ホッとしたような声を上げる。
「なんだね、君は」
男は陽斗を訝しげに見返す。
どこか戸惑っているようにも見えるが、なにせ小学生にも思える小柄な少年が、厳しい目を向けて立ちはだかっているのだから無理もない。
男の問いに陽斗は直接は答えず、スマートフォンを持った手をスッと上げて画面を男のほうに向ける。
「? 何を……」
『ほう? どこぞの省庁の次期事務次官とか言っていたのは君か。確か通商政策局長だったかな? 事務次官の人事は内閣の承認と大臣の任命が必要なはずだが、いつ、誰がそれを決めたのか興味がある。なにしろ儂は何も聞いていないのでね』
「あ、貴方は……」
『いまさら名乗る必要はあるまい。子供たち相手にずいぶんと大人げないことをしているようだな。ちょうどもう少しで儂も学園に到着するところでね。せっかくの機会だから孫と語らいながら黎星祭を楽しむ予定だったのだが、そうもいかんようだ。実に残念だよ』
「い、いえ、私は何も!」
『電話越しに長々と話してこれ以上孫の余計な時間を浪費させるのは申し訳ないのでな。詳しいことは到着してからにしよう。すまないが学園の食堂で待っていてもらえないかね? いや、忙しいのならば無理にとは言わないが』
「は、はい」
先ほどまでの強気の態度は一変し、男の顔は真っ青を通り越して白くなっていた。
時間は少し巻き戻る。
和志たちが走り出したのを見て後を追いかけた陽斗だったが、そのまま介入することなく人垣に隠れるようにして様子を窺っていた。
元々それほど足が速いわけではないのですぐに穂乃香と巌も追いついたが、陽斗が行こうとしていないのでふたりもその場で足を止める。
「陽斗さん、どうしたのですか?」
「えっと、荒三門くんと東城さんが頑張ってるから、もう少し様子を見るよ」
人も面倒見も良い陽斗の意外な言葉に穂乃香と巌が顔を見合わせる。
「相手の男性はずいぶん怒ってらっしゃるようですけれど、助けに行かないのですか?」
たとえ相手がどれほど怖そうでも陽斗が後輩を守るのを躊躇うとは思えない。
穂乃香は陽斗の真意を探るように微笑みを浮かべたままジッと見つめる。
「うん。桜子叔母さんに、人の成長を妨げちゃダメだった言われてて、それに暴力まではいかなそうだから」
陽斗はいずれ重斗から莫大すぎる資産を受け継ぐことになる。
金銭的なものは相続税の関係ですでに計画的な生前贈与を始めているらしいのだが、受け継ぐのはそれだけではない。
所有しているいくつもの企業や出資している企業、研究所、大学やその関係先。
当然それら全てをひとりの人間が掌握できるはずがなく、大部分を信頼できる人間や企業に運営、監督を任せている。
それらの人たちは重斗と同年代が多く、そのまま引き継ぐのではなく陽斗自身が一から人間関係を築き、育てていかなければならない。
生い立ちからして仕方がないとはいえ、陽斗は人に頼るのが苦手だし、人を使うのはもっと経験が無い。
基本的に自分が率先して、というか全部自分でしようとするきらいがあるので、まずは自分ができることでも人に任せることに慣れなければならない。
陽斗自身、まだ重斗の後継者としての自覚は無いのだが、それでも大切にしてくれる祖父や大叔母の期待に応えたいという気持ちは強い。
なので、桜子の言葉を何度も心の中で反芻しつつ実践しようとしている。
巌はさすがに目立つので万が一暴力沙汰に発展してしまったときのために和志たちの近くに行ってもらい、しばらく様子を見守る。
すると、怒声を上げていた男が何やら脅しめいたことを言い始め、穂乃香が眉を顰める。
周囲からも「次期事務次官って」というヒソヒソとした声が聞こえてきた。
「中央官僚を名乗られると東城さんや荒三門さんでは分が悪いですわね」
「そうなの?」
陽斗が怪訝そうに聞き返す。
黎星学園の生徒の多くは資産家の子女であり、相応の財産なり権力なりを持っている。陽斗からしてみれば資産家も政治家も官僚も権力者であることに変わりは無い。
「企業活動で様々な許認可をするのは自治体や省庁ですわ。各家に直接何かをする権限はありませんが、関係を悪くすれば嫌がらせを受けることもありますし、手続きを遅らせたりされれば企業活動にも影響がありますから。わたくしの父も省庁との関係には苦労させられています」
中央省庁、特に財務省や経済産業省は強い権限を持っているが、それでも気に入らないからといって民間人や民間企業をどうこうすることはできない。それは警察庁や法務省も同じだ。民主主義国家でそのような強権が許されるわけが無い。
だがそれでも民間に対する嫌がらせの手段などいくらでもあるのも事実だ。
法に触れない範囲で許認可を遅らせたり、重箱の隅をつつくように書類の不備を指摘したりなどの嫌がらせをされれば企業としては少なくないダメージを負いかねない。
だからこそ多くの企業が官僚の天下りを受け入れることでパイプを作ろうとするのだ。
穂乃香の説明を聞いた陽斗は、少し考えた末にスマートフォンを取りだして電話を掛ける。
『もしもし、陽斗か? もう少しで到着する予定だが何かあったか?』
「うん。お祖父ちゃんごめんなさい。我が儘言っても良い?」
電話に向かって放った陽斗の言葉に、穂乃香が驚いた顔をする。
これまでにも巌の家のことや、限界社畜の黒木六郎などで重斗の力を借りたことはあったが、積極的に権力を行使してもらおうとまではしていない。
「でも、結局
驚きつつも納得した穂乃香は、クスリと笑みをこぼす。そしてスマートフォンを持ったまま和志たちに向かって歩き始めた陽斗の後に続いた。
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