第158話 告白と……

 顔色が悪くなりすぎてまるで死人のような相貌と化した男は、それでも逃げ出すことができずに全身を引きずるような重い足取りで食堂に向かうのを、和志たちがなんともいえない表情で見送る。

 自分達が対応に苦慮していた相手。

 中央省庁の、それも企業活動に大きな影響力を持つ部署の局長という立場の男が、傍若無人にイキリまくった挙げ句にさらに大きな権力であっさりと叩き潰された。

 仕方がないことだとは理解しつつも内心で忸怩たる思いもある。

 だが、和志のそんな心の動きを小さな身体の先輩が察してくれていたらしい。


「荒三門くん、お疲れさま。頑張ったね」

 本心で言っているのがわかるような笑顔で陽斗が労うと、それだけでモヤモヤしたものが霧散する。

「いえ、先輩が来てくれて助かりました」

「ううん、荒三門くんが間に入ってくれたおかげで大事にならずに済んだし、茶道部の人も被害に遭わなかったんだから」

「そう、ですかね? でも、あのままだったら家や学園に迷惑掛けていたかも知れないので」

 和志がそう言って肩を落とすが、陽斗は笑みを浮かべたまま首を振る。


「そんなことないよ。あの人の態度は沢山の人が見ていたんだし、動画を撮っていた人も居るから、思い通りにはならなかったんじゃないかな」

 そう言って視線をよこにむけると、数人の生徒がスマホを手に親指を立てているのが目に入る。

 複数の生徒の証言と、横暴な態度で脅迫めいた言動が記録された映像を学園に報告すればいくら高級官僚だとしても一方的に粗相をした生徒や止めに入った和志たちを批判などできないだろう。

 男は思い至っていなかったようだが、今や別種の権力とも呼べるSNSという武器に慣れているのは学園生たちのほうだ。

 和志は智絵里と顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。

 もう少し冷静だったら、別の形で反撃することもできたことに気づいて、先ほどとは別の意味で情けなさを感じたようだ。


「それじゃ、僕はお祖父ちゃんのところに行くね。穂乃香さんは……」

「もちろんわたくしもご一緒しますわ。後始末を全て重斗様にお任せするわけにはいきませんし」

 文化祭デートを邪魔される形となった穂乃香は少し残念そうではあったが、少し考えるそぶりを見せた後、和志のほうを見てから意味ありげにクスリと笑みをこぼした。

「?」

 その仕草に、何故陽斗や穂乃香がタイミング良く介入することができたのかを思い出したのだろう。和志の顔が途端に紅潮する。


「荒三門くん、どうかした?」

「い、いや、なんでもない! さ、さぁ、茶道部の人たちも黎星祭にもどりましょう!」

 訝しげに訊ねる智絵里に、慌てて首を振ってからいまだにザワついている茶道部の部員たちに声を掛けた。

「あっ! そうね。皆さん、野点を再開しましょう。荒三門さん、東城さん、対応してくれてありがとう。陽斗くんにはまた改めてお礼を言っておくわね」

 和装姿の茶道部部長がそう言って丁寧に頭を下げてから会場に戻っていった。

 その上品な後ろ姿に和志が思わず見とれていると、心なし低い声で智絵里が声を掛けてきた。


「……こっちはもう大丈夫そうだし、次のところに行くわよ」

「お、おう」

 振り向いた和志に構うことなくさっさと歩き出す智絵里を慌てて追いかける。

「な、なんとかなって良かったよな。結局先輩に頼っちゃったけど」

「そうね。まぁ、もしどうしようもなかったら陽斗先輩と穂乃香様にお願いするつもりだったけど」

「そんなこと考えて言い返してたのかよ」

 ちゃっかりしたものである。

「でも? 荒三門くんは茶道部のお姉様方のために頑張ったみたいだし、悪くなかったんじゃない?」

「ちょ? そ、そんなこと考えてるわけないだろ!」

「じょーだんよ」

 先に立って歩きながら話していた智絵里が、不意に振り向いてニマっと悪戯っぽい笑みを見せると、和志が焦ったように反論する。


 最近になってようやくできるようになった軽口の応酬。それよりもほんの少し距離が近いように感じられる雰囲気に、和志は頑張って良かったなどと思っていたり。

 だが、浮かれる前にするべきことを思い出して足を止める。

「悪い、ちょっと待っててくれるか?」

「ん? 別に良いけど」

 キョトンとした智絵里の言葉を最後まで聞くことなく和志は少し道を戻り、何気ないそぶりで離れようとしていた大柄な男子生徒の肩を掴む。と言っても、身長差がかなりあるので手を引っかけたような姿勢だったが。


「あ、荒三門、な、なんだ?」

「キョドってんじゃないよ。ってか、なんだってお前まで覗いてんだよ! 午前中は家族が来るんじゃなかったのか?」

「いやぁ、母さんと妹はちゃんと来たんだが、伯父さんも一緒だったからな。先輩の様子が面白かったから、つい」

「つい、じゃねぇ! 先輩から聞いたのか?」

「なにがだ?」

「そ、その、俺が、東条のこと……」

「やっぱりそうなのか! うん、結構お似合いだと思うぞ」

「そ、そうか? 本当にそう思うか?……じゃない!」


 野点会場でのトラブルのせいで有耶無耶になっていたが、そもそも和志と智絵里が巡回業務という生徒会の仕事をしているのに、陽斗たちが出歯亀よろしく覗いていたのが気になって仕方がなかったのだ。

 ちなみに、出歯亀とは明治時代に実在するのぞきの常習犯のあだ名が由来なので本来あまり良い意味ではない。

 閑話休題。


「ねぇ、なに話してるの?」

 男子ふたりがコソコソと話しているのが気になったのだろう。

 いつの間にか近づいてきていた智絵里がふたりの間に割り込むと、途端に真っ赤にかる和志。

「うわっ、なにその慌て方。もしかして学園に相応しくない話?」

 名門たる黎星学園に相応しくない話というのはいわゆる隠語。つまりはエロ話というものなのだが、当然そんな不名誉な誤解はすぐに否定する。

「ち、違うって!」

「あ~、それじゃ、俺はそろそろ生徒会室に行かなきゃいけないから」

「あっ、おい、大隈!」

 これ幸いと、意外な素早さで巨体を翻して巌はサッサと逃げてしまう。

 残されたのは微妙に気まずい雰囲気の和志と智絵里。

 心なしか恥ずかしそうに顔を背ける智絵里の態度に、和志の顔が引きつる。


「違うからな! 別に変な話なんてしてないから!」

「わ、わかったってば。そんなにムキならなくても大丈夫だから(というか、少し聞こえてたし)」

 智絵里の言葉の後半は小声だったために和志の耳に届くことはなかったようだ。

「と、とにかく、残りを早く回っちゃおうぜ」

「そ、そうね」

 どこかぎこちなく頷き合うと、次の巡回場所に足を向ける。


「「あのさ!」」

 次の巡回先である講堂に向かってしばらく続く無言に耐えきれずに掛けた言葉が見事にカブる。

 典型的なラブコメ展開に、和志と智絵里が顔を見合わせ、プッと吹き出した。

「なんか、調子狂うな」

「そだねー。けど、これも良い思い出になるかもよ。さっきの馬鹿官僚のことも含めて」

「アレは思い出したくねぇな。ムカつくし」

「まぁまぁ。私はある意味楽しかったよ。それに、荒三門くんの騎士ナイトっぷりも見れたしね」

「揶揄うなよ。結局先輩が来てくれたから解決したんだから威張れねぇよ」

「そんなことないよ。結構、その、格好よかったからね」

「!?」


 サラリと言われて和志が思わず絶句する。

 智絵里の表情は特に変わったところはなかったが、どことなく笑っているように思えた。

 コクリと小さく喉を鳴らし、和志は足を止める。

「と、東条、あのさ……」




 肩を落としてトボトボと食堂を出て行く中年男の背中を、陽斗は困ったように苦笑しながら見送る。

 ほんの数十分前まで見せていた自信に満ちた高圧的な顔つきは、わずかな間に10歳も年を取ったような草臥れたものに変わり、背すらも縮んだように思える。

「やれやれ、だな。省庁にも優秀な若手は多いのだが、どうにも上の立場になると尊大になる。まぁ、他山の石とせねばならんがな」

 溜め息を吐きながらそうこぼす重斗に、陽斗は頷きながら礼を言う。

「お祖父ちゃん、ありがとう。我が儘言ってごめんなさい」


 その言葉を聞いた途端、だらしなく顔が緩む重斗より速く、隣に座っていた桜子が声を上げる。

「学園内とはいえ、相手が無駄に社会的地位が高いんだから陽斗の行動は正しいわよ。頼るタイミングも悪くないわ」

「儂の台詞を盗るな! まぁ、あの手の輩をあしらうのはまだ難しいだろうからな。これからも遠慮なく頼りなさい」

 重斗の言葉に陽斗もホッとした様子を見せる。


 野点の会場で騒ぎを起こした男性、どこぞの省庁の高級官僚は、大人しく指定された食堂で待っていた。

 そして、その少し後に到着した重斗と桜子に、今回の言動を厳しく叱責されたのだが、いってみればそれだけしかしていない。

 権力を笠に着て横暴に振る舞っていたのは確かだが、実害そのものはほとんどなかったし、そもそも処分を下す権限があるわけでもない。

 ただ、それでも、経済界のみならず政界にも太すぎるほどのパイプを持ち、言葉一つで経済を左右できるほどの相手に目を付けられたとなれば手を下すまでもなく周囲が過剰に反応する。

 今回の件では重斗はこれ以上口を出すつもりはないし、経産省にもいうつもりは無いが、そのことを知らない本人は生きた心地はしないことだろう。


「それにしても、陽斗さんが躊躇せずに重斗様を頼ったのには驚きましたわ」

 穂乃香がそう言うと、桜子がニンマリとした笑みを浮かべる。

「陽斗に一番足りていないのが人の力を使うという部分よ。良い傾向だわ」

「うむ。自分ひとりにできることなどたかがしれている。どれほど金があってもな。少しずつでもそれを学んでほしいと思っている」

 いまだに重斗の後を継ぐということの意味をしっかりと理解しているとは言えない陽斗だが、重斗の年齢や信頼できる親族の少なさを考えればそれほど時間を掛けている余裕はない。

 その、重斗や桜子の危機感にも似た気持ちをなんとはなしに感じている陽斗は、真剣にふたりの言葉を聞いている。


「それでだ、そろそろ陽斗を連れて行きたいところがあるのだが、穂乃香さんも一緒にいかがかな?」

「わ、わたくしも、ですか?」

「そうね。そのほうが良いと私も思うわ」

 何か含みのありそうな表情の重斗たちの態度に、陽斗と穂乃香は顔を見合わせた。


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