第152話 星降る夜に

 黎星学園の修学旅行先であるニュージーランドは観光が重要な産業のひとつだ。

 北島も豊かな自然を誇るが、都市や人口が少ない南島は島の大部分が自然保護区に指定され、厳しい環境保全政策が執られている。

 ファームステイを終えた陽斗たちは、5日目の午後に北島のロトルア空港に移動して再びチャーター機に乗り込んだ。

 行き先はニュージーランド南島随一の都市、クライストチャーチだ。


 今回の修学旅行では、時間を有効に使うために移動は夕方から夜に掛けてが多い。

 なので、この日も到着したのは日が傾いた頃で、街の中心部にそびえる朱に染まった美しいクライストチャーチ大聖堂をバスの窓から見ながら歓声を上げているうちにホテルに到着した。

 以前大きな地震の被害に見舞われたクライストチャーチだが、すでにそれを感じさせるものは残っておらず、歴史的な街並みはヴィクトリア朝時代を彷彿とさせる人気の観光地でもある。

 とはいえ、残念ながら市内の観光は予定されていないので、今回は移動しながら窓から眺めるだけとなる。


 もちろん陽斗も観光したいという気持ちはあるが、全ての旅程を全力で楽しんでいるので、すぐに次の予定に胸を躍らせている。

「明日はテカポ湖だよね? 湖畔を散策するって」

「そうですわ。疲れの出てくる旅行後半なのでゆったりと過ごすことになっています」

「トレッキングとか、キウイ見に行ったりもしてみたかったけどねぇ」

 セラの言葉に、陽斗の目が輝く。

「ニュージーランドの国鳥だよね。実物見たことないから僕も見てみたかった」

 動物大好きな陽斗である。

 フルーツの名前の由来となった飛べない鳥に対する興味は強いらしい。


「自然豊かな国ですが、危険な動物はほとんど居ないので森を散策するのも楽しそうですわね。何よりヘビが居ないのが嬉しいですわ」

 穂乃香もそう言って楽しそうに笑う。

 ちなみに、ニュージーランドはヘビが居ない国として知られていて、生態系を守るために、万が一の流出の可能性があるため動物園や研究施設ですら飼育が禁止されている。

 穂乃香は爬虫類全般、特にヘビが苦手らしく、その点でも安心して散策できるということらしい。

 

「修学旅行でそこまでいろいろと見て回るのは難しいから仕方がないさ。長期休みにでもまた来れば良いだろう」

 壮史朗がそう応じるが、そんな台詞をサラリと言えるのはこの学園の生徒くらいなものである。もっとも、あの爺馬鹿が聞いたら嬉々として計画を立てそうではあるが。

 ともあれ、現在進行形の旅程を満喫しつつ、ホテルで休んだ翌日。

 バスに乗った生徒たちは3時間のバス旅に出発した。



「わぁ~!」

 バスの窓からテカポ湖の湖面が見えると陽斗だけでなく複数の生徒から歓声が上がる。

 南島のほぼ中央に位置するテカポ湖は、氷河が岩石を削り、その粒子が溶け込んでいるために白く濁った青色をしている。

 それが光の反射で時間帯によって毎日様々に変化するらしく、透明度が高いコバルトブルーの湖とはまた異なる魅力を持っている場所だ。

 湖の南岸にあるテカポは人口約500人という小さな街だが、サザンアルプスの麓、それも湖畔ということで、初夏にさしかかっているこの時期でも風はかなり涼しく感じられる。


 バスは生徒たちが宿泊するホテルの前に止まり、クラスごとにチェックインして部屋に荷物を運んだ後は自由時間だ。

 到着したのが昼前だったこともあり、陽斗たちもとりあえず食事を摂るために街に行ってみることになった。

 旅行の資料によると、この町の名物はサーモンを使った料理ということで、人気があるというレストランでサーモン丼を注文する。

 驚いたことに日本さながらに漆塗りの丼と味噌汁まで出てきて陽斗が目を丸くする。

 

「外国に来たって感じしなくなるわね」

「美味けりゃ何でも構わん」

 セラは呆れたように、賢弥は気にすることなく。

 他の者達もどことなく違和感はあるものの、美味しそうな丼に舌鼓を打った。

 周囲を見れば店の半分ほどが黎星学園の生徒で埋まっているようで、やはり名物と聞けばそれが和食だろうと気にならないらしい。


 その後は、街中にある『善き羊飼いの教会』を見たり、湖畔に咲き乱れる色とりどりのルピナスの花を見ながら散策したりと、ゆったりとした時間を過ごす。

 この小さな街を出ない限りは特に班行動でなくても良いということで、同級生たちも思い思いに過ごすことにしたらしい。

 セラと壮史朗、賢弥などは千場たちと一緒に、近くにあるスパリゾート施設に行っているが、陽斗と穂乃香は散策や乗馬などをしながらのんびりすることにした。


 何しろここテカポで一番の目的は夜だからだ。

 希望者だけではあるものの、日が沈む頃にすぐ側にあるマウント・ジョンという1000mほどの小さな山に登って星空を見るというイベントがある。

 世界でも有数の美しい星空を見ることができるという有名なスポットで、世界遺産の登録を目指しているほどだという。

 幸運なことに、陽斗たちが到着した日は快晴で、絶好の観賞日和になりそうだ。

 

 そんなわけで、陽斗と穂乃香は湖畔でのんびり過ごす。

 ときおり花々の前で足を止め、湖面の色が変われば歓声を上げ、飼われている馬や羊と戯れて笑う。

 それはどこからどう見てもバカップルがイチャついているようにしか見えず、すれ違う同級生たちが糖分過多で胸焼けを起こしていたとかいないとか。

 それでも時間は過ぎていくもので、遠くの山肌がオレンジ色に光を放ち始めた頃、集合場所はマウントジョンに向かうバスと、生徒たちで賑わっていた。

 とはいえやはり全員ではなく、修学旅行に参加している生徒のうち半数ほどのようだ。

 比率は女子が多く、男子はホテルで遊んだり、休んだりしている生徒が多いのだろう。


 教師による点呼を終えた陽斗と穂乃香、セラ、壮史朗が割り当てられたバスに乗り込むと、座席には防寒着と地面に敷くマットが用意されていた。

 興味がないと言っていた賢弥は居らず、壮史朗も元々参加するつもりはなかったらしいのだが、こちらはセラが強引に引っ張ってきたようだ。

「ったく、なんで僕が」

「良いじゃない。せっかくだから私も見たいし、陽斗くんは穂乃香さんと一緒だし、ひとりじゃさすがに虚しいわよ。それに……だから、付き合って」

「はぁ~、仕方ない。ひとつ貸しだぞ。って、こ、こら、抱きつくな!」

 言葉の途中でセラは壮史朗の耳元に唇を寄せて何かを囁くと、彼は眉を寄せてからひとつ大きな溜め息を吐いた。

 そんなふたりの様子に、陽斗は首をかしげ、穂乃香は少し頬を染めつつ目を逸らす。

 

 やがて参加者が乗り込んだバスが順に出発していく。

 と言っても展望台のあるマウントジョンの山頂は街からそれほど離れていないので車で走れば10分ほどだ。

 到着したときにはすでに日は沈んでいたもののまだ多少の明るさは残っており、係員からの注意事項を訊いてからそれぞれが好きな場所に移動する。

 すぐ側には天文台もあるのだが、そこには入ることができないらしい。

 他にも外壁の大部分がガラス張りのカフェもあり、そこで寒さをしのぎながら星空を見ることができるが席が限られている。

 なので、陽斗と穂乃香は天文台から少し離れた草地にシートを敷いて座ることにした。


 徐々に空は暗くなり、明るい星ばかりでなく、街中では見られない小さな星までが姿を現していく。

 運が良ければ季節を問わずオーロラが見られるらしいが、さすがにそこまでの幸運には恵まれていなかったようだ。

 それでも雲のほとんどない空は、やがて眩しさを感じるほど無数の星々が視界を覆い尽くしていく。


「ふわぁ~……」

「すごい、ですわね」

 陽斗はただ口をポカンと開け、穂乃香も一言だけ感嘆の声を上げたきり言葉を失う。

 星に手が届きそう、そんなありきたりな形容はよく聞くが、実際、こちらに迫ってくるほどの迫力のある星空など、日本に居てはまず見ることができないだろう。

 北半球では低い位置にしか見ることのできない南十字星は見上げるほど高く、天の川はまるで薄絹のヴェールが目の前ではためくかのように近く見える。


 山からの冷たく乾いた風が吹き、初夏とは思えないほど気温が下がっているのだが、陽斗も穂乃香も、おそらく周囲の多くの生徒たちも寒さや、しわぶきすら忘れてこの天然の芸術に心を奪われている。

 キュッ。

 どのくらい経ったのか、穂乃香は右手を強く握られて我に返る。

 隣に居るのは陽斗しか居ないので、握ってきたのはもちろん彼だ。


「陽斗さん?」

 囁くように穂乃香が問うも、陽斗は意識していないのか星空を見上げたままだ。

 だが、星の光を受けてはっきりと見えるその横顔は、酷く淋しそうで、泣いているようにも見える。

 満天の星は寂寥感を癒やす効果があるという話もあるが、人によっては逆に孤独感を増幅させることがある。

 祖父や大叔母、友人たちからの愛情を受けても尚、埋めることができないほど、あまりに長い時間陽斗を苛んでいた孤独と悲しみ。

 普段は意識すらされない心の奥底に沈んでいた深い傷痕は、癒えたように見えて自覚できないほど根深いそれを、果てのない虚空に吸い込んでいきそうな星空が表に引きずり出したのだろうか。

 普通であれば幾度も命の灯火を消し去っていても不思議ではない傷は、得られなかった幸福を、その幾倍も感じて初めて埋めることができるのかもしれない。


 握りしめている手を、穂乃香は両方の手で包みながら姿勢を変える。

 座っている陽斗の後ろから抱きしめた穂乃香は、言葉ではなく、その身体で暖めていく。

 痣になりそうなほど強く握られた手の力が抜け、かすかに震えていた身体は柔らかさを取り戻していく。

「ほ、穂乃香、さん?」

「寒くなってきてしまいましたから、このままで」

 その横顔に頬を寄せ、そう囁かれた陽斗は、どこか安心したように小さく頷いてから、今度は温かさを感じるようになった星々を見上げた。


(余所でやってくれないかなぁ!)

 図らずも生徒たちの連帯感は高まったようである。

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