第151話 モフモフパラダイス

「陽斗さん、狭くありませんか?」

「う、うん、大丈夫」

 ハミルトン・エリオットスクールとの交流会が終わり、再びクラスごとに別れてバスに乗った黎星学園の生徒たち。だったが、そのうちごく一部に、なんとも言いがたい雰囲気が漂っていたりする。

「あ゛~、エスプレッソが飲みたい。砂糖もミルクも抜きで」

「私も、見ているだけで太りそう」

 車内の、陽斗の席、その周辺では、ある生徒はゲンナリとした、またある生徒は顔を赤くして、あえて目を逸らしている。

 

 エリオットスクールとの交流会は特にトラブルが起こることもなく、互いに和気藹々としたまま終了した。

 コミュニケーションはほぼ英語だったので、語学的な面でも得られるものは多かったようだ。

 ただ、エリオットスクール側の学生、リリーの悪ふざけ? で、陽斗が誘惑されたことに穂乃香がヤキモチを焼いた。それはもう盛大に。

 もちろん陽斗はただ戸惑うばかりで、誘いに応じたわけではないのだが、人の感情というものはそうそう割り切れるわけもない。

 だからといって、穂乃香のほうも陽斗に非がないのは理解しているので、当たり散らしたりするほど理不尽なことはしない。


 その結果、どういう心理状態になったのか、嫉妬を解消するために陽斗を過剰なほどに甘やかす行動に出たというわけである。

 エリオットスクールの生徒との昼食会では、一切、陽斗が食器を手に持つ隙を与えず食べさせ、交流会後の移動でバスに乗り込むや、すぐにこうして膝枕をしているのだ。

 以前、陽斗が怪我で入院していたときにもあったが、穂乃香はヤキモチの表し方が少々変わっているらしい。

 問題は、それを、周囲の視線に一切構わず行動するところか。

 おかげでクラスメイトたちは、凜とした普段の彼女とのギャップに戸惑ったり、砂糖を吐きそうに顔をしかめたりしている。

 そんな光景を賢弥は呆れたように、セラはニヤニヤ笑いながら、壮史朗はどこか面白くなさそうに見ているだけだった。


 バスで移動すること数十分。

 ハミルトンを東に移動すると、周囲は牧草が広がるのどかな田園風景となる。

 ニュージーランドは畜産で知られており、人口の5倍近い数の羊がいると言われている。

 当然それに伴う産業も盛んで、そのひとつに、牧場での生活を体験するファームステイを受け入れる施設が豊富にある。

 ファームステイは大きく分けて二種類あり、ひとつはある程度の期間、牧場のホストファミリーの基で仕事を手伝いながら畜産を体験したり交流したりするもの。作業をすることで滞在費用が抑えられたり、場所によっては少額の報酬を得られたりする。

 もう一つがレジャー目的でのファームステイで、観光農園に短期間滞在して牧場を見学したり、搾乳や毛刈りを体験できるものだ。もちろんただのんびりと過ごしても構わない。


 今回の修学旅行でも2日間のファームステイが予定されているが、それはレジャー目的のほうである。

 二泊三日の期間、いくつかの施設に分散した生徒たちは牧場内で自由に過ごすことになっている。

 宿泊先も小規模なホテルかペンションのような施設で、陽斗たちは2クラス合同で滞在することになる。

 到着したのはすでに薄暗くなった頃なので、この日はラム肉を中心とした夕食を摂り就寝だ。

 皆、交流会で疲れていたらしく、割と早い時間に横になったのだった。


 そして翌日。

 係員の案内で施設を一通り巡った後は基本的に自由行動なのだが、観光施設とは言っても牧場なので、遊ぶ場所があるわけではない。

 だからほとんどの生徒はいくつかのコースに別れて就業体験に参加することになった。

 もちろん陽斗たちも事前に申し込んだ作業を見学するために、施設近くの厩舎に案内されていた。

 この牧場では羊や牛だけでなくアルパカや山羊なども飼育されているが、今回陽斗が参加したのは羊の就業体験だ。


『この中にいるのはメリノ種の羊たちです。毛が細くて柔らかいので、主に洋服などにつかわれている品種ですね。食肉には向かないので安心してください』

 係の人が笑いながら英語で説明してくれる。

 やはり昨夜たっぷりとラム肉を食べていた生徒たちに配慮しているのだろう。

 可愛らしい羊たちを見るとどうしても食べたりするのに抵抗感が出てしまう人が多い。


 厩舎の扉が開かれると、中はかなり広く、天井も高い。

 思ったほど匂いは強くないのは沢山ある窓が開かれていて、風通しが良いからだろう。それに、羊毛が汚れたりしないようにかなり清潔に保たれているのも理由だろうか。

 内部は幅2mほどの通路の両側にいくつもの仕切りがあり、その一つ一つに数頭の羊が入っている。

 厩舎の外にも羊が居たが、そちらは毛刈りされたすっきりとした姿で、見た目は山羊に似ているのだが、中に居るのはまだモコモコとした毛で覆われている。


『羊の毛刈りはロムニー種は年に2回。ここに居るメリノ種は年1回です。シーズンもそろそろ終わりなのであと数日でここの子たちもみんな衣替えですね』

 係の人がそう言うが、多分修学旅行生のために少し残していたのだろう。昼間の気候ではこれだけ分厚いウール姿は暑そうである。

 その後、大柄で髭面の飼育員がバリカンを使って毛刈りを実演してくれる。

『ほーら、スッキリしようなぁ。そうそう、良い子だ。気持ちいいだろう?』

 見た目は厳ついが、羊に優しく言葉を掛けながら手際よく毛を刈っていく。

 そしてわずか10分ほどで綺麗にツルリとした姿になった羊は生徒たちの前を横切って厩舎の外に歩いていった。

 観光牧場だからなのか、見られていることを気にする様子もなく、むしろどこか誇らしそうにすら見える。


 後に残された刈り取られた毛は一枚の絨毯のように広がっていて、継ぎ目を縫い合わせればそのまま羊の形になりそうだ。

『それじゃあ、毛刈りをしてみましょうか。ベテランの職人でも普通一頭20分くらい掛かるので、ゆっくりで良いですよ。ちなみに、世界記録は30秒です』

 冗談交じりの言葉に生徒たちから笑いがこぼれる。

 陽斗はというと、間近にした羊たちを見て目を輝かせ、触りたそうにウズウズしているのが見るだけでわかるほど。


 5~6人ずつに分かれそれぞれに飼育員が二人ずつ指導役につく。

 陽斗たちには、先ほど実演してくれたひげ面の人と、女性としてはかなり大柄な人がついてくれた。

『俺はジョーゼフ、こっちはアイシャだ。これから羊の毛を刈ってもらう。ちゃんとした職人が刈ると1頭あたりだいたい5㎏の羊毛が採れる。セーター10枚分くらいだな』

『刈った毛は別料金でセーターやマフラーにするサービスもあるからね。羊を傷つけたりしなければ失敗なんて気にしないで大丈夫だよ。頑張りな!』

 見た目と違い以外に穏やかそうな口調のジョーゼフと豪快な感じのする女性アイシャ。

 どちらも話しかけやすい気さくな印象だった。


「わぁ~! 可愛い!」

 柵を開けて中に入ると数頭の羊が興味深げに近寄ってきて陽斗が歓声を上げる。

「わっ、くすぐったいよ! あ、こら」

(なんだ、この可愛い生き物)

 あっという間に羊たちに揉みくちゃにされて笑いながら悲鳴を上げる陽斗を見て、壮史朗たちとジョーゼフたちの心はひとつになった、かもしれない。


『と、とにかく、毛刈りのやり方を教えるから見ておくように』

『そ、そうだね。羊が動くと怪我をさせたり、根元から刈れなくなるから、バリカンよりていのほうが大事だよ』

 ジョーゼフが実演し、アイシャが説明をする。

 まず羊の背中側から両前足の付け根を摑んで、自分の足にもたれさせるようにしながら仰向けにひっくり返す。

 すると、まるで固定されているかのように羊の動きが止まり、大人しくなった。

『少しだけ自分の足を広げて、羊を挟むようにすると暴れないからね。動かなくなったらバリカンで喉の下からお腹まで一直線に刈っていく。その後は少しずつ横にずらしながら、剥がすように刈っていくんだよ』


 上手に刈ると毛がばらけることなく一枚の皮のようにツルリと剥けるらしい。

 やはり足の周囲などを綺麗に刈るのは難しいので、無理をせずに胴体部分だけ刈るようにと言われた。

 あっという間に二回りほど小さくなった羊ができあがり、刈った羊毛をアイシャが一塊にしてセラに手渡す。

「わっ、結構重い! でもフカフカ!」

「急に渡すな! しかし、確かになかなかの質感だな」

「癖になりそうな手触りですわね。暖かそうです」

 壮史朗、穂乃香もそのウールの塊を持ったり触ったりして感触を確かめる。

 陽斗はそれよりもまだ刈る前の羊を撫でたり抱きしめたりして、こちらも堪能中だ。


『ひとりずつやってみよう』

『時間はたっぷりあるからね。失敗しても構わないから落ち着いてするんだよ』

 ジョーゼフとアイシャがそう言いながらまた羊を連れてくる。

「う、ちょっと、動くな。あっ!」

 トップバッターの壮史朗が羊をひっくり返すも、保定が十分でなかったのかバリカンを当てた瞬間に動かれてしまい、根元どころか毛の表面を薄く削ってしまう。

 その後も羊が動くたびに狙いが逸れていくつもの羊毛の細切れができあがってしまった。それを見てセラが大笑いをしている。


「ふん! 都津葉もやってみろ。今度は僕が笑ってやる」

「ふっふ~ん。天宮君の失敗はしっかり教訓にしたからねぇ。私は完璧だよ! って、ちょ、どこ行くのよぉ」

 自信満々のセラだったが、抱えてひっくり返そうとした途端、羊はクルリと身体を反転させて何事もなかったかのようにスタスタと遠ざかってしまった。

 これには壮史朗も吹き出しそうに口を歪めて肩を震わせる。

「こうなったら、賢弥、出番よ!」

「俺を巻き込むな」

 ムキーっと柳眉を逆立てるセラに、呆れて溜め息を吐く賢弥。

 年相応の明るいやり取りに、ジョーゼフとアイシャも笑っている。


 ちなみに、賢弥の毛刈りだが、彼が一頭の羊を見つめると、その羊はビクリと震えた後、項垂れて屈服したかのように大人しくなった。完全に貫禄勝ちである。仕上がりは、少し虎刈り気味ではあったが、なんとか及第点という評価だった。

 そしていよいよ陽斗の番となった。

「えっと、よろしくね」

「ンメェ~~!」

 アイシャが連れてきた少し小柄な羊に陽斗が声を掛けると、任せろとばかりに一鳴きして顔を擦り付けた。


「よいしょ、こうかな? キミも手伝ってくれるんだね。ありがとう」

「ンメェ」

 陽斗が羊の前足を持ち上げると、羊のほうは抵抗することなく、むしろ協力するように後ろ足で立ち上がると陽斗の足に背中を預けて仰向けになる。

「さすが陽斗さんですわね。羊にまで好かれているみたい」

「種族さえ問わないのか、西蓮寺は」

「まぁ、陽斗くんだし」

 周囲の人たちが何やら言っているが、陽斗は真剣なので耳に入らない。


「危ないから動かないでね」

 声を掛けながらバリカンを当てても羊は身じろぎひとつしない。

 いろいろと足りないところの多い陽斗だが、手先は器用なので初めての毛刈りなのにその動きは危なげない。

 ゆっくりと喉の下側からお腹の下までバリカンを滑らせ、その後は丁寧に剥がすように刈っていく。

『上手いな』

『ちょっと遅いけど、無駄なく綺麗ね』

 ベテラン飼育員のふたりも陽斗の仕事ぶりに感心した目を向ける。


「ごめんね、ちょっと横向いてね」

「ンメ!」

 お腹側の右を刈り終え、足の位置をずらすと羊はまるで分かっているかのように身体の向きを変える。

 そして『こっちもやって』とばかりに足を伸ばしてきたので、ジョーゼフがしていたことを思い出しながら足の毛も刈っていく。

 再び胴体部分に戻ると、羊は気持ちよさそうに目を瞑って大人しくしていた。

 そうして数十分。

 職人とは比べるべくもないほど時間を掛けてだが、仕上がりだけは遜色ないほど綺麗に刈り終えた羊は陽斗の頬をペロペロと舐めて感謝を表している。


『いや、大したもんだ。羊の毛刈りは初めてなんだろう? 文句なしで満点だよ!』

『ねぇ、いっそのこと日本になんか帰らないでこのままここで働かない?』

「え、えっと? あの……」

 興奮気味の早口で英語をまくし立てられ、ほとんど聞き取ることができなかった陽斗が戸惑う。

『申し訳ありませんが、陽斗さんはまだ学生ですわ。日本には帰りを待っている家族も居ます』

 スッと穂乃香がジョーゼフたちと陽斗の間に身体を割り込ませ、キッパリと言い切ったことで彼らも状況を思い出したようだ。


『あ、ああ。すまん』

『ごめんなさい。彼の手際と羊と戯れる可愛さに我を忘れてしまったわ』

 ファームの飼育員ふたりが頭を下げる。ただ、アイシャの言い訳に陽斗は微妙な顔で苦笑いを浮かべているが。

『とにかく、初めてとは思えないほど上手く毛を刈ったのに驚いた。特に羊の扱いが熟練の飼育員のようだったぞ』

「えっと、すごく良い子だったから」

「ンメェ~!」

 ドヤ顔の羊も可愛らしい。


『これなら十分売り物になるから希望するならこちらで買い取るけど、どうする?』

『あの、セーターにしてください。男性用をひとつと女性用をふたつ、それと僕の分も。残りはマフラーにしてもらったら天宮君たちの分もあるかな』

 セーターは重斗と桜子の分、それと穂乃香をチラリと見ていたところから彼女の分もだろう。

 そのことを察した穂乃香の顔は嬉しそうだ。

『もちろんOKだ。それじゃあ、最後はキミだな』

『カレシの後じゃやりづらいかもしれないけど、頑張ってね!』

『は、陽斗さんとはまだそんな関係では……』

「いまさらぁ?」

「四条院は自分がどう見られているか気づいていないのか?」

「煩いですわ!」

 落ち着くまで数分かかった。


 そして、

「が、頑張りますわ」

 穂乃香が緊張のあまり顔を強ばらせ、バリカンを持っている手が震えているのを見た羊たちが逃げ惑い、毛刈りどころではなくなったのだった。

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