第150話 学生交流会
黎星学園が修学旅行先として選んだニュージーランドは人口約500万人。南半球に浮かぶ島国である。
国王を国家元首とする立憲君主制の国で、南北二つの大きな島とそれを取り巻く多くの島々からなる、自然豊かな人気観光地だ。
治安が良いことでも知られ、女性でも比較的安全に旅行が楽しめることから、世界的に人気が高い。
陽斗たちを乗せたチャーター機がニュージーランド北島の玄関口、オークランドに到着した時には、街はすでに日が沈み、街は色とりどりの美しい夜景を見せていた。
日本とニュージーランドの時差は+4時間。
午前の早い時間に出発しても、約11時間の移動を加えると到着は夜になってしまう。
なので、この日はオークランドのホテルに直行して宿泊。翌日はオークランド市街の観光が予定されている。
チャーター機を降りると、陽斗のテンションは最高潮に達していた。
終始満面の笑顔で、仔犬のように落ち着きなくソワソワしている姿は国を問わず人を和ませるらしい。
入国審査の係員は恰幅のよい中年女性だったのだが、観光立国で比較的対応が丁寧な係員をして、陽斗と、それに釣られて楽しげにしている生徒たちを見て、顔の皺を深くして愛想よく審査を進めてくれる。
そして、
「|I hope you'll have a great time《楽しんでいってね》」と笑顔で言葉を添えた。
「はい!」
陽斗はそう返事をしつつ手を振ると、手続きをしてくれた女性だけでなく、周囲に居た強面の男性警備員までが微笑んで手を振り返した。
「入国審査官ってあんなに愛想良くなるんだな」
「睨みきかせてる警備員もな」
そんな声が漏れたりもする。
ともかく、その後もかなりスムーズに審査を終え、教員の誘導に従ってバスに乗り込む。
11月はニュージーランドでは春だ。
日が沈むとまだ外はヒンヤリとした風が吹いていて、気温は日本とそれほど変わらない。ただそれでも、どこか瑞々しい温かさを内包しているように感じられる。
陽斗も含め、生徒たちは若さからだけでなく、機内で寝てしまった者が多かったせいか元気いっぱいで、旅行のうかれ気分も加わり、いつになく賑やかである。
ほんの15分ほどでホテルに到着するも、そのテンションは高くなるばかりで、おそらく明日の観光はほとんどの生徒が時差ボケと寝不足で真逆の状況になりそうだ。
修学旅行の日程は、初日の宿泊と二日目の市街観光を終えるとニュージーランド第4の都市ハミルトンに移動。3日目は市内の学校との交流会となっている。
二日目の市街観光はウインターガーデンやファーマーズマーケット、デボンポートでの買い物などを楽しむ。
黎星学園の修学旅行では特にお小遣いの制限などはないので、皆がそれぞれ豪快な買い物風景を披露して陽斗を驚かせた。
陽斗自身も重斗や桜子、光輝や屋敷の使用人たちへのお土産を、穂乃香に相談しながら選んでいった。
ショップの店員も、外国からの観光客に慣れているようで、陽斗が拙い英語力で一生懸命に話すのを微笑ましそうに丁寧に聞き、荷物の発送手続きもしてくれたのだった。
陽斗たちが街を巡っている間、何やら東洋人らしい風貌の厳つい男たちがあちこちに出没していたという話が後から聞こえてきたが、まぁ、観光地だからそういう人も来るのだろうと誰も気にすることはなかったらしい。
そして3日目。
前日にオークランドから120㎞ほど南にあるハミルトンのホテルに移動した黎星学園の生徒たちは、翌朝、市内にある私立のハイスクールに訪れていた。
修学旅行の目的のひとつ。ニュージーランドの学生との交流のためである。
この国は修学旅行先としても人気があり、こうした学生同士の交流も盛んに行われている。ちなみに、さいたま市と姉妹都市であり、官民挙げた交流も活発だ。
到着したのは黎星学園ほどではないものの、かなり大きな敷地を有する学校だ。
バスごと門を通り、校舎の前で降りると、数十人の生徒が出迎えてくれる。
「Welcome to Hamilton Elliott School.(ようこそハミルトン・エリオットスクールへ)We welcome everyone from Reisei School.(黎星学園の皆さんを歓迎します)」
黎星学園の生徒たちが整列すると、出迎えたエリオットスクールの生徒たちの中から、一人の女性が歩み出てそう言うと、ニコリと微笑んだ。
それに対し、黎星学園側からは生徒会長を務める壮史朗が前に出る。
「Thank you very much for your warm welcome(温かな歓迎を感謝します).I was looking forward to interacting with you.(あなた方との交流を楽しみにしていました)」
そう返して手を差し出すと、互いに握手を交わす。
その後、エリオットスクールの教師から今回の学生交流についての説明がなされた。
それによると、この日の学校は休日で、ここには交流のために生徒たちが自主的に集まってくれているらしい。
評価や単位のためではなく、他国の学生と交流する機会はとても貴重で、自らの成長に繋がるという考えからだそうだ。
この後はレクリエーションや特定のテーマに関するディスカッション、自由な交流時間が設けられている。
これらは全て英語で話されたため、陽斗は理解するのにかなり苦労していたのだが、穂乃香がその都度補足してくれていた。
要領の良い生徒はスマートフォンの翻訳機能を使っていたようで、芸術科の生徒も多くがそれを真似しているようだ。
説明が終わると、クラスごとに10人程度の班を作り、それぞれにエリオットスクールの生徒が3人案内役を務めることになった。
陽斗はもちろん穂乃香や壮史朗たち、それに
班分けが終わると、陽斗たちの班のところに3人の男女がやって来た。
「
「ボクはノア、キョウは楽しんでよね」
「リリーよ。よろしく」
交流相手として彼女たちは日本語で挨拶してくれる。
全員が日本に関心を持っていて、多少は日本語もできるそうだ。
自主的に参加しているだけあって、皆が積極的に好意を示してくれている。
陽斗たちもひとりずつ挨拶と自己紹介を英語ですると、すぐに体育館のような場所に移動する。
まずはコミュニケーションを円滑にするためのレクリエーションだ。
『これはマオリの伝統的な遊びで、ティー・ラーカウというものです』
最初にエリオットスクールの教師がゆっくりとした口調で説明した。
ティー・ラーカウというのはひとり二本のスティックを両手に持ち、向かい合って歌いながら地面を叩いたり投げ合ってスティックを交換する遊びだ。
日本の遊びで例えるならスティックを使う「アルプス一万尺」みたいなものだと言えばわかりやすいだろうか。
歌のリズムに合わせたり、ひたすら速くしたりして遊ぶものらしい。
体育館をいっぱいに使って各班で広がり、案内役の生徒が実演しながら遊び方を説明する。
陽斗たちの班はマイラとノアが手本を見せる。
『えっと、最初にスティックを地面にトンと突いて、次に反対側もトン』
『そしたら、両方を放り投げて半回転させて、これを右、真ん中、左、真ん中と繰り返します』
最初はゆっくりと、徐々に速度を上げてリズミカルな音が響く。
それから互いに片方のスティックを投げ、次は両方のスティックを。
覚えてしまえば動作は単純だが、まるで音楽を奏でるようにスティックが鳴る。
実演が終わると、黎星学園の生徒たちにもスティックが配られる。
紙でできた芯をマオリの伝統的な柄の布で包んだ長さ40㎝ほどのスティックは、エリオットスクールの生徒が作ってくれたものらしい。
本来は木でできていてもっと長く、狩猟のための訓練道具が今では子供の遊びになっているということだった。
子供の遊びと聞いて恥ずかしそうにしていた男子生徒も居たが、これも文化交流。やっているうちに楽しそうな笑い声が響くようになってくる。
何度か練習してスムーズにできるようになったのを見計らって、教師の合図で全員がふたり一組に向かい合う。
陽斗と組になったのはエリオットスクールのリリーと名乗った女の子だ。
「がんばりましょうね」
「う、うん。よろしくお願いします」
フレンドリーに言われ、ドギマギしながら頷く陽斗の反応に、リリーが悪戯っぽく笑みを浮かべる。
『ねぇ、一応確認するんだけど、私たちと同じ年齢なのよね?』
『う、うん。子供っぽく見えるかもしれないけど』
見えるかも、ではなく、見えるのだが。
「……
どうやら万国共通の何かがあるらしい。
リリーがさらに何かを言おうと口を開きかけたところで教師の声が響き、彼女は残念そうに肩を落とす。
『マオリの伝統音楽を歌いながらやってみましょう。E Papa waiariっていう歌よ』
エリオットスクールの生徒たちが手拍子を始めて、歌い出す。
伝統的な子守歌に合わせてスティックの音が響く。
ときおりスティックを落とした生徒から悲鳴が上がったり、笑い声が漏れたりもしたが、多くの生徒は十分に楽しんだようだ。
その後も何度か組を入れ替えながらティー・ラーカウを楽しんでいると、さすがに汗ばんでくる。
『んふふ、暑くなってきたわね』
この後は教室に移動してのディスカッションを行うため、歩いて廊下を移動していると、リリーがニンマリとしながら陽斗に話しかけた。
『えっと、そう、だね』
反射的にリリーのほうを向いた陽斗だったが、その姿が目に入った直後、慌てて目を逸らす。
『どうしたの?』
「い、いや、その」
動揺しすぎて日本語しか出てこない陽斗。
リリーが目線を合わせようと陽斗の顔のほうに動くと、陽斗は上を向いてみせる。
『えぇ~、私と目も合わせてくれないの?』
「だ、だって、あの、リリーさんの服が……」
黎星学園の生徒と違い、エリオットスクールの生徒は私服だ。
そして、今のリリーはというと、暑くなったと言いながら上着を脱ぎ、肩と胸元を大きく露出した格好になってしまっているのである。
もちろん彼女もそれが男性からどう見えるかなどわかりきってやっているのは、その表情を見れば明らかだ。
『ねぇ』
「うひゃぁ?」
煮え切らない陽斗の態度に焦れたのか、リリーが陽斗の腕に手を回してその胸を押しつける。
その感触に驚いた陽斗は思わず素っ頓狂な声を上げた。
『自由交流の時間になったら街を案内してあげるわ。ホントは学校から出ちゃダメだけど、少しくらいなら……』
耳元に口を寄せてそんなことを言い始めたリリーだったが、言葉の途中で、ゴツンッと盛大な音が鳴り、陽斗の腕を離して蹲った。
『リリー、あなた何をしているのかな? な?』
『マ、マイラ? い、いえ、あんまり可愛かったから、ちょっとからかってみただけで』
涙目で見上げたリリーの目に映るのは笑顔のまま鬼の形相というなんとも形容しがたい表情で彼女を見下ろすクラスメイト。
『今は何をするべきで、あなたは何をしてるのか、きちんと説明してもらうわ』
『ちょ、ちょっと待って、もうふざけるのは止めるから! 痛い痛い、痛いってば!』
あれよあれよという間に耳を引っ張られて行ってしまうふたりの姿を、どこかホッとした顔で陽斗は見送る。
「あれ? ああいうの、どこかで見たような」
屋敷で厳しいメイド長に引きずられていく不良メイドの姿を幻視しながら、小さく息を吐く。
が、その安堵も、次に掛けられた声ですぐに崩れてしまう。
「……陽斗さん」
「ひゃぁ! ほ、穂乃香、さん?」
振り返った陽斗の前に居たのは、いつもの穏やかな笑みと、いつになく恐い空気をまとった穂乃香だった。
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