第142話 異国令嬢

 食堂と形容したほうが良いくらい広いダイニング。

 テーブルには綺麗に盛り付けられた料理がこれでもかとばかりに並べられている。

 刺身に煮付け、揚げ物、焼き魚と、魚料理のオンパレードだ。

 どれも午前中に陽斗たちが釣り上げたもので、四条院家と皇家の料理人たちによって高級料亭も顔負けに仕上げられている。

 もちろん最後に釣った? ウツボも丁寧に小骨が処理され、最も美味しいと言われるタタキで盛り付けられている。


「それじゃあいただきましょう」

『いただきます!』

 桜子の合図で陽斗たちが一斉に箸を伸ばす。

 良家の子女たちとは思えない粗雑な仕草だが、これは桜子の提案だ。

『一つの大皿から各自が好きに料理を取って食べる。レストランじゃないんだから普通の子たちが普通にすることを陽斗にも経験させてあげたいの』

 そんなふうに言われれば友人たちも異論はない。

 賢弥も壮史朗も部活の合宿などで経験しているし、行儀よく食べるばかりが食事の楽しみ方でもない。

 なにより、光輝とおかずの取り合いをしたり、会話を弾ませながら嬉しそうに食べる陽斗の姿に、見ている穂乃香たちも頬を緩ませた。


「うわぁ、美味しいわね!」

「ええ、とても。あんな見た目なのにとても上品なお味ですわ」

 女性陣が真っ先に口にしたのはやはりウツボのタタキである。

 良質なタンパク質とコラーゲン、カルシウムが豊富に含まれるウツボは美容に最適だと和田に聞いていた女性陣は令嬢らしくもなく争うように堪能する。

 羨ましげに見守るメイドさんたちの視線も相まって、男性陣は手を伸ばすことができないほどだ。

 釣ったウツボはかなりのサイズだったとはいえ、陽斗たちが食べきれなかった魚介類の残りは使用人たちに振る舞われるとあって女性たちの期待の目が恐い。


「アジの塩焼きも美味いな」

「だな。自分で釣った魚を食べるのも悪くない」

 どこか卑屈に焼き魚をつつく男子ふたりは放っておくとして、ご相伴に与る桜子や晃も穏やかに微笑みながら、桜子はしっかりと自分の分のウツボを確保しつつ、釣りの感想を陽斗や穂乃香から聞いている。

 賑やかで、そして穏やかな食事が進んでいく。


 満足感の高い食事を終え、各自で入浴に行く。

 部屋にも浴室はあるのだが、この別荘には温泉が引かれており旅館のような大浴場も完備されているのだ。

 陽斗は初日こそ光輝たちと一緒に大浴場に行ったのだが、テンションが上がりすぎた光輝に散々イジられたため、ひとりでゆっくりと入ることになった。

 ちなみに、それを聞きつけたメイド数人(両家問わず)が入浴のお世話という名目にもならない理由で突入しようとしているのを比佐子にバレて板張り廊下で3時間の正座説教の刑に処せられたとか。

 本人たちは本気ではなく冗談だったと供述していたようだが、そんなことで許されるわけもない。なお、彩音は別コースがさらに追加された模様。


 そんなわけで、準備を整えて部屋を出た陽斗だったが、何歩も行かないところで穂乃香に呼び止められた。

「穂乃香さん?」

「桜子様が呼んでいるそうですわ。わたくしと陽斗さんに話があるとか」

 その言葉に、陽斗は食事前に比佐子から聞いた、重斗が客を連れてくるという話を思い出す。

「あの、穂乃香さんも一緒に?」

「はい。内容はまだ聞いておりませんが、陽斗さんと一緒に来るようにと。兄も居るそうなので」


 穂乃香は来客のことまでは聞いていないらしく、困惑したように頬に手を当てている。

 陽斗は桜子にあてがわれた部屋に向かいながら比佐子から聞いた話を穂乃香に伝えた。

「そう、ですか……」

 そう言ったきり穂乃香は何かを考え込むかのように口をつぐむ。

 その態度が気になったものの、別に気分を害したというわけではなさそうなので陽斗は問いただそうとはせずに、ほどなく桜子の部屋に到着する。


「桜子叔母さん?」

「ごめんなさいね、急に呼んだりして。穂乃香ちゃんもどうぞ入ってちょうだい」

 陽斗がノックするとすぐにドアが開かれ、桜子が出迎えた。

 部屋の中では晃も真面目くさった顔で待っていて、穂乃香の顔を見るとわずかに頬を緩ませる。


「陽斗には夕食前に比佐ちゃんから伝えたけど、明日、兄、皇重斗が客人を連れてこちらに来ることになったわ」

 先ほど陽斗から聞いていた穂乃香も特に不満を口にすることなく頷く。

「もちろん最初に打診があった時点で四条院彰彦氏には了承をいただいているし、晃くんにも許可はとってある」

「父と兄が了解しているのでしたらわたくしが何かを言うことはありませんわ」

 それは穂乃香の本心であるようで、表情は穏やかなまま次の言葉を促す。


「了承というか、正確に言うと相手が問題でね」

 そちらの事情は晃が説明するらしい。

「来客はひとり。アメリカを代表する投資家一族の孫娘、らしい。年齢はまだ20歳になっていないという話だけど、かなり優秀な人物で、飛び級を重ねてすでに大学の学位は取得しているそうだよ」

「……ジャネット・フォレッドさん、ですか。一族の総資産は皇家の数倍と噂される」

 さすがに顔色を変えた穂乃香が、わずかな情報で正解を選ぶ。


「そういうこと。まぁ、目的なんてわかりきってるわね」

「四条院としてはあまり関係を拗らせたくない相手ではあるかな。と言っても従う理由もないけどね。皇さんからの話でなければ普通に断ってるだろうし」

「あの、もしかして迷惑、でしたか?」

 陽斗が比佐子から「断ってもいい」と言われたのに承諾したことで晃たちに迷惑を掛けたのではないかと不安そうに訊ねるが、晃は笑って首を振る。


「大丈夫だよ。別に関係が悪い相手というわけじゃないし、実際にフォレッド家が投資している企業とも普通に取り引きあるからね。断ると言ったのは、今回は妹が友人たちとのバカンスを楽しんでいるからだから」

「兄さんも断ることはできたわよ。ただ、今回断ったところで向こうは諦めないだろうし、だったら耳目のある中で会わせたほうが対応しやすいから、陽斗の意思を確認して連れてくることにしたんだし」

「あちらとしては皇の後継者が見つかって、その為人ひととなりが気になるんだと思うよ。投資を事業の中心にしている投資家同士、少なからず関わりはあるからね。相手によってはこれまでの方針を変えなきゃならなくなるかもしれないから」

「それだけじゃなく、あわよくば陽斗を籠絡して皇家ごと手に入れたいんでしょ。欲張りなことよ」


 桜子と晃から聞かされた事情に、陽斗は困惑し、穂乃香は眉を顰めた。

「で、でも、その家の人はお祖父ちゃんよりも沢山の資産があるんですよね?」

 資産=権力という図式は社会においてかなりの場面で当てはまる。

 陽斗は重斗を見ていてそれを少しは理解できるようになってきたし、それ以上の資産を持つ家が相手で大丈夫だろうかという不安が大きい。

「総資産は確かにそうだけど、向こうの資産家は一族に資産を分散させることが多いのよ。だから個人資産としては兄さんのほうが多いわね。十分に対抗できるだけの力はあるから陽斗が心配するようなことは何もないわ」


 桜子がそう言うと、陽斗はホッと安心したように息を吐く。

 彼女は都合の悪いことを誤魔化すことをしないと信頼しているのだ。

「それで、重斗様はジャネットさんのことをどう扱うおつもりなのでしょうか」

 穂乃香が最も気になっていることを訊ねると、桜子はなんともいえない表情で肩をすくめる。

「陽斗次第よ。仲良くなりたければ交流の機会を作るし、挨拶だけでこれっきりでも構わないわ」

 陽斗の意思を尊重しながらも、思うところはあるのだろう。

 そしてそれが察せない陽斗ではない。


「僕は、どこにも行かない。この先もずっと、ずっとお祖父ちゃんと桜子叔母さん、それに穂乃香さんたちと一緒に居たいから」

 チラリと穂乃香の顔を覗き見て、頬を染めながらそう言った。

 そんな陽斗の手を穂乃香がそっと握る。

「あ~、暑いな、空調効いてないんじゃないのか」

 ふたりの様子に気恥ずかしくなったのか、晃がわざとらしくシャツをパタパタさせながら苦笑いを見せた。



 翌日。

 陽斗と穂乃香は桜子、晃、和田と共に島の北部にある空港に来ていた。もちろん大山たち護衛班も居るが邪魔にならないように陰に徹している。

 それだけでなく光輝までが「たっちゃんが心配だから」と言いながらついてきた。好奇心に動かされただけなのは明らかだが、陽斗も光輝が一緒なのは心強いのか、どこか嬉しそうである。


 この島の空港はターミナルはこぢんまりとしているし、滑走路は1本だけの小規模なものだが、小型のジェット機も離着陸できる。

 事前に重斗から到着予定時間は伝えられており、天候も安定していたので、陽斗たちが迎えに来てさほど待つことなく皇家所有のジェット機が着陸してきた。

「……かっこいい」

 小規模な空港だけに、ジェット機が滑走路に入ってくるのを間近に見て陽斗の目がキラキラと輝いている。

 何度か乗った飛行機だが、こうして外側から動いているところを見るのは初めてなので改めて感動したようだ。


 そうしてしばらく待っていると、ゆっくりと駐機場に入ってきたジェット機が停止し、扉が上から下に開き、タラップが降ろされる。

 先に数人の護衛が降りて周囲の安全を確認していたのだが、その中に陽斗の見たことのない人物も居て、客人が連れてきた護衛だと思えた。

 護衛が機内に声を掛けると、すぐに重斗が中から姿を現した。その後ろには燃えるような赤毛とややつり目の気の強そうな表情をした美しい女性が見える。

 彼女が件の資産家一族の令嬢なのだろう。

 よくよく見れば見知らぬ護衛の男性たちも大柄な外国人だ。


 タラップを降りた重斗と女性はゆっくりと陽斗たちのところに歩いてくる。

 重斗は穏やかに微笑みながら堂々と、そして女性は気品を感じさせつつも勝ち気な雰囲気を漂わせながら。

「出迎えてくれてありがとう。予定より遅くなってしまったがしばらくはゆっくりとさせてもらうつもりだ。それと、紹介しよう」

 重斗が促すと同時に、女性が一歩前に出る。

「初めまして。ジャネット・フォレッドです。スメラギのプリンスにお会いできて光栄だわ」

 そう言って、ジャネットは挑戦的な笑みを、に向けた。

 

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