第143話 光輝の価値
「初めまして。ジャネット・フォレッドです。スメラギのプリンスにお会いできて光栄だわ」
そう挨拶した若い女性に、光輝が戸惑ったように重斗の顔を見る。
重斗はわずかに考えたそぶりを見せた後、苦笑気味に首を振った。
「あ、あれ? もしかして間違ってしまったのかしら」
自信満々に強気な姿勢で名乗りを上げたのに、その相手の微妙な態度を見て困惑するジャネットから小さな声がこぼれる。
「コホン、戸惑わせてしまったかな。そちらは儂の孫の友人で、門倉光輝君。隣に居るのが孫の陽斗だ」
「そ、そうでしたか。大変失礼しました」
その言葉に慌てて頭を下げる。
先ほどまでの泰然とした様子は欠片も無いが、挨拶の相手を間違えるなど普通に失礼なのでそれも仕方がないだろう。
「ちょっと! スメラギの御曹司があんな小さな子なんて聞いてないわよ」
「痛っ、社交界にほとんど出てないから容姿はわからないって言ったじゃないですか。俺のせいにされても」
申し訳なさそうに眉を曇らせながら、それでもなんとか微笑みを見せるジャネットだが、その右足のヒールを隣の男性の足に突き刺して小声で文句を言っている。
男性も必死に表情を変えないようにしながら言い訳を返しているが、小声の、それも英語とはいえ挨拶を交わす程度の至近距離で、皆が黙りこくった中なので割と聞こえていたりする。
数瞬後に自分に注がれる呆れたように視線に気づいてさらに顔を引きつらせる彼女は、大層な肩書きと優秀な頭脳に加えてポンコツさまでも兼ね備えているらしい。
少なくともそれを装っているようには見えないし、ここで演技する意味もないだろう。
「あの、混乱させてごめんなさい。お祖父ちゃん、皇重斗の孫の西蓮寺陽斗です」
小声で護衛との攻防を続ける少女に、陽斗はペコリと頭を下げる。
「え!? あ、イエ、コチラコソ」
無礼の対価がどうなるか戦々恐々としていたジャネットが、逆に謝られて慌てる。
財力を持つ者が権力闘争に明け暮れていた時代ほどではないものの、政界や財界はわずかな油断や失策が命取りになりかねない世界だ。
今回程度の間違いであればそう致命的なミスとは言えないが、そもそもこちらが頼み込んだ対面で相手を間違うなど怒らせても不思議ではない。
少なくとも今後の付き合いに多少の譲歩を迫られることくらいはあって普通だ。
「心配しなくても、この程度で貸しにしたり何か要求するようなことはせんよ」
「いえ、失礼しました」
ジャネットの心情が手の取るように理解できた重斗が安心させるように笑みを見せ、ようやくホッと胸をなで下ろす。
「言い訳になってしまいますが、お孫さんはハイスクールの2年生だと伺っていたので。その、日本人は特に若く見えてしまいますから」
「まぁ気持ちはわかる。日本人が見ても似たような反応をされるからな」
重斗の慰めに曖昧に頷いて、ジャネットは改めて陽斗の前に立って自己紹介をやり直した。
その後、晃と穂乃香、光輝が自己紹介と挨拶をして、別々の車で別荘に向かうことになった。
ジャネットと護衛の男性の車にはホスト役として重斗と晃が同乗する。他の護衛たちは別に用意されたワゴン車でそのすぐ後ろに続く。
空港から10数分で到着すると、比佐子によってジャネットと護衛たちが部屋に案内された。
陽斗たちの宿泊している部屋とは別フロアで、ジャネットに一部屋、その両脇の部屋を護衛たちが滞在することになっているそうだ。
そうして少しばかり時間をおいて落ち着いた頃、陽斗の友人たちと対面することになった。
「西蓮寺のクラスメイト、天宮壮史朗です」
「同じく武藤賢弥です」
「は~い、都津葉セラ。名字は呼びにくいと思うからセラって呼んでください」
「ジャネット・フォレッドです。皆さん日本の名家や優秀な経営者一族の方たちなのですね」
事前に情報は収集していたのだろう、壮史朗たちと対面したジャネットは余裕のある態度で挨拶を交わした。
「俺は普通のサラリーマン家庭だけどな。外国のお嬢様相手の礼儀とか知らないから失礼があったら遠慮なく指摘してくれよ」
誰が相手であっても態度が変わらないのは光輝の短所と同時に長所でもある。
自分よりも年上の、それも外国とはいえ本来なら雲上人とすら言える相手に、ざっくばらんな態度を取る彼に、ジャネットは思わずといった様子でクスリと笑みを零した。
「確かにアナタは普通の高校生みたいね。でもここに居るってことはプリンスの恩人ってところかしら」
「……調べたのかよ」
「当然でしょ。世界でも有数の資産家であるスメラギの後継者のことよ。将来絶対に影響があるんだから無関心なわけがないじゃない」
あっけらかんと言ってのける。
どうやら出会いでの失敗で取り繕うのは止めて開き直ったようだ。
「それで、レディ・フォレッドは何の目的でここに?」
そう訊ねる壮史朗の表情はやや固い。
おおよそは予想しているが、やはり皇を超える資産家一族が友人に何をするつもりなのか警戒しないわけにいかない。
「そんなの、プリンスの知己を得て親しくなるために決まっているじゃない」
「っ! お嬢!?」
さも、何を今さらといった感じで肩をすくめたジャネットに、護衛の男が慌てる。
「なに慌ててるのよ。その程度とっくに知られているのに隠しても意味がないわ。だいたい、本音を隠して接触してくるような奴を誰が信用するのよ」
実に資産家らしい考えで男を一蹴する。
「ああ、紹介が遅れてごめんなさい。この男は私の護衛兼秘書、それからお目付役、かしら? グランパの命令でサポートしてくれているアルバート・ロックよ」
「チッ! バラすなよ」
ただの護衛として振る舞うつもりがジャネットに暴露され、アルバートが天を仰ぐ。
「ふむ。いろいろと興味深い話が聞けそうですけど、まずは昼食にしませんか?」
異国の主従のやり取りに口が挟めなかった陽斗たちだったが、さすがは四条院家の次期当主。晃が穏やかに口を挟む。
その言葉にジャネットがニッコリと笑みを浮かべて頷いたことで場所を変えることになった。
食堂に移動すると、すでにほとんどの用意が調っており、メイドたちがそれぞれに着席を促す。
アルバートの分まで席が用意されていたのを見ると、最初から彼の立場も把握されていたのは明らかだ。
ジャネットが「ほらね」と言わんばかりに片目をつむってみせ、それを見たアルバートは盛大に溜息を吐く。
昼食は昨日陽斗たちが釣り上げた魚の料理だ。
前日とはいえ適切に捌かれて保存されているので鮮度はまったく問題ない。
陽斗としては別荘に滞在中にまた釣りをして、改めて重斗に食べてもらいたいと考えていたのだが、爺馬鹿の重斗としては孫の初めての釣果を口にできないなどとても我慢できなかったらしい。
アメリカ人のふたりも和食は好物ということで、刺身や天ぷら、焼き物などを喜んで食べている。
「フォレッド嬢はこの後どうするつもりかな?」
「そう、ですね。皆さんとの交流を楽しみたいのは本音ですけど、せっかくだから観光もしたいですから、車を一台貸していただけると助かります」
重斗が訊ねると、ジャネットは少し考えてから要望を口にした。
「それでは護衛の方の分も含め、2台用意しましょう。ここに滞在中は自由に使っていただいてかまいません」
晃がそう言うと、彼女は嬉しそうに破顔する。
「あの、すごく日本語が上手なんですね」
自分が目的だと言いながら特に話しかけてくることもなく自然体のジャネットの様子に、陽斗も少し落ち着いたのか気になっていたことを訊ねてみた。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。発音、変じゃないかしら」
「そんなことないですよ。正直、電話とかなら日本人だと思われるんじゃないかな」
会話のキャッチボールに不安のある陽斗を援護するようにセラも会話に加わる。
「私は日本のサブカルチャーや歴史文化が大好きなの。いつかゆっくりと観光したいと思ってたから勉強したのよ」
意外に俗な理由だったことに、陽斗たちは小さな笑い声を上げた。
それからしばらくの間、当たり障りのない内容の会話を続け、そして出かける準備をするといってジャネットとアルバートはあてがわれた部屋に戻っていった。
「グランパに連絡しておいて。親しくなる相手を変更するわ」
部屋に入るなりそう言ったジャネットに、アルバートが眉を顰める。
「おいおい、お嬢さん。勝手にそんなことして良いのかよ。ってか、誰を狙うつもりだ?」
呆れたように応じる彼に、ジャネットは大げさに肩をすくめて見せた。
「あのね、さすがに私があの、ハルトって子に言い寄ったりしたら体面が悪すぎるわよ。ただでさえ私のほうが年上なのに、完全に見た目が子供じゃない。ステイツで一緒に歩いていたらあっという間にポリスに捕まるかメディアに狙われるわよ」
「そりゃ、まぁ、確かにそうだけどよ」
否定できずに言葉を濁す。
いくら大資本家の命令とはいえ、日本とは比べものにならないほど児童保護の意識が高い米国で、実年齢はともかく見た目が幼すぎる少年との恋愛などどう考えても醜聞にしかならない。
「それに、隣に居た令嬢、シジョウイン・ホノカはすでにプリンスとかなり親しい様子だったわ。そう簡単に間に入り込めるとは思えないわね。知ってる? この国だと人の恋路を邪魔すると馬に蹴られて死ぬらしいわよ」
「随分とおっかねぇ国だな」
冗談めかした口調ながら目は笑っていない。
「んで? だからって標的変えてマスターが納得するのか?」
「グランパはスメラギとのパイプを強くしたいだけ。リスクが大きすぎて乗っ取ることもできないんだからそれ以外に手の出しようがないでしょ。だったら、プリンスに影響を与えることができる相手なら文句はないはずよ」
ジャネットの言い分に、アルバートが顎に手を当てて考え込む。
「お嬢の考えはわかったが、だったらあのボーヤの友人ってことか? けどなぁ、お嬢とはちょっと不釣り合いにならないか? アマミヤってのならギリギリかもしれんが」
「違うわよ。相手は、空港で私がプリンスと間違えた子。コーキって名乗ってたでしょ」
「……本気か? 確か家はただの雇われ労働者だろ?」
陽斗の容姿については情報不足だったようだが、さすがに交友関係は調べていたらしい。
目を剥くアルバートに、ジャネットはニンマリとした悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「見た目も私の好みだし、なによりあの目が良いわ。意志が強そうで、信頼した相手を絶対に裏切らない律儀さもあるみたいよ」
「個人的な趣味じゃねぇか! マスターが納得するわけが……」
「あら? グランパなら気づくはずよ。彼にそれだけの価値があるってこと」
彼女は笑みを深めた。
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