第140話 平和な対立

 話はほんの少し戻って、陽斗たちを乗せたクルーザーが大島の姿を水平線に見つけた頃。

 陽斗の大叔母、桜子と、穂乃香の兄、晃は忙しく走り回るメイドたちを眺めていた。

「さすがに皇家のメイドは素晴らしい働きぶりですね」

「そうかしら。四条院の人たちは来客に慣れていて無駄がないわよ。やっぱり教育が行き届いているわね」

 ふたりは互いの家のメイドに賛辞を送り合う。

 実際、今は比佐子と千夏という良家のメイドを指揮していたふたりが陽斗たちを迎えるため港に行っているのだが、そんなことを感じさせないほどキビキビと来客の準備を進めている。


「ああ、皇さんの屋敷は滅多に来客を迎えることは無いそうですね。その点では我が家の者のほうがスキルが高くても当然です」

 晃が言葉にほんの少し優越感を滲ませる。

「へぇ?」

 桜子が片眉を上げて低く呟く。

「確かに来客には慣れているんでしょうけど、格の低い客ばかり相手をしているせいかしら、動きに優雅さが少し足りていないみたいね。まぁ、ウチは比佐ちゃんの指導が厳しいからそのせいかもしれないけど」

 その言葉に今度は晃の頬がかすかに引きつる。


「ははは、桜子様は手厳しいですね。ですが、メイドは家の者や客人を心地よくするのも大事な仕事ですからね。堅苦しいのは本末転倒ですよ。その点彼女たちは実に良く相手の態度をほぐしてリラックスさせてくれますから」

「それは大事なことよね。でもそのせいで相手に侮られちゃ元も子もないわ」

 互いに目で牽制し合う。

 実に大人げない。

 主に、倍ほどの年齢でありながらマウント返しをしている女性だが。

「ははは」

「ふふふ」

 乾いた笑いが広間に虚しく響く。



 未成年組の保護者ふたりが、しょうもない火花を散らすのに飽きた頃、送迎のワゴン車2台に分乗した陽斗たちが別荘に到着した。

「わぁ~!」

「すっげぇ!」

 庶民出身の陽斗と光輝が揃って歓声を上げる。

 実際、建物の規模は皇の迎賓館より大きいくらいで、10人にも満たない少年たちと使用人たちが宿泊しても十分すぎる部屋数がある。

 外観は周囲の景観に配慮した和風で旅館のような佇まいだが、敷地内にはテニスコートやプール、ゴルフ練習場なども完備されている。

 別荘などと言われてもにわかには信じられない設備だ。


「グループ会社の保養所としても使われているので設備はシンプルですけれど、ビーチも目の前ですし楽しんでいただけると思いますわ」

「そんなことより早く中に入らせてくれないか。正直僕も少し休みたい」

「今回ばかりは私も賛成~。車に乗ったら船酔いぶり返したぁ」

 さすがに高級クルーザーとはいえ小型船で2時間の船旅は疲れたらしく壮史朗がぼやき、賢弥の肩を借りて車を降りたセラも弱々しく手を上げている。

 穂乃香は苦笑を浮かべつつ頷くと同時に、別荘から出てきた数人の男性が車から荷物を建物に運んでいく。


「ようこそいらっしゃいました」

 開け放たれていた門の向こう側で四条院家と皇家のメイドやボーイ役の男性、料理人たちが整列して出迎える。

 比佐子と千夏が陽斗たちを先導して彼らの前を通り過ぎる。

 皇の家で多少は慣れているものの、会ったことのない人が半数以上なので陽斗は緊張しつつ比佐子の後ろをついて歩く。


「ちょっと! あの男の子がお嬢様の?」

「え!? 同級生じゃなかったの?」

「か、可愛すぎない?」

 小さな声が左に整列している四条院家の女性たちからこぼれる。

 対して、対面側の皇家のメイドたちはといえば、顎をツンと突き出し誇らしげだったりする。

 それを見て、穂乃香は気づかれないように小さな溜め息をついたのだった。


「こちらが陽斗さまたち殿方の部屋、その隣が穂乃香様とセラ様の部屋です」

「本当に個室じゃ無くてよろしかったのでしょうか」

 比佐子が案内してくれたのは広い座敷が二間続きの部屋だ。

 当然男女は別で、どちらも同じ間取りらしい。

 広さはともかく、部屋数は十分にあるのに使うのは二部屋だけなのは、それを陽斗たちが希望したからだ。


「は、はい。だよね?」

 返事をしてから、自信なさそうに壮史朗と賢也の顔を窺う。

「ああ。どうしても気詰まりになるようならその時に別の部屋を用意してもらえば良いだろう」

「俺も構わん。雑魚寝は合宿でも慣れているからな」

「私も賛成したし。穂乃香さんと夜通し女子トークできて楽しそうだよね」

 壮史朗と賢也、それにセラも異論は無いようだ。


 当初は各自に一部屋を用意すると穂乃香は言っていたのだが、小中学校で一度も学校の宿泊行事に参加できなかった陽斗は、できれば皆と一緒の部屋で過ごしたいと思ったらしい。

 オリエンテーリングでも他の人と一緒の部屋をことのほか楽しんでいた様子に、壮史朗たちもそれを快諾。

 誘ったときにそれを告げられた光輝も、折角なら賑やかなほうが楽しいと後押ししたのだ。

 もっとも、穂乃香だけはオリエンテーリングでのセラのセクハラじみたスキンシップを思い出して少しばかり顔を引きつらせていたが。


 ともかく、問題ないということで部屋の中に。

 真新しいイ草の香りに、品の良い調度品。開かれた障子の向こうには海が見える。

 窓辺にはソファーやテーブルも置かれていて、まるで高級旅館のような部屋だ。

 荷物を置くと、壮史朗は大きく息を吐きながらソファーに身体を沈め、賢也は強ばった身体をほぐすように伸びをする。

「とりあえず昼食まではゆっくりしよう」

「そうだね。ビーチ、楽しみだね」

「たっちゃん、あとでビーチバレーしようぜ」

 落ち着いている、というかいささか年齢にそぐわないふたりを余所に、陽斗と光輝が楽しげに言い合う。

 それを見て賢也の口元がわずかに緩んでいた。


 一方その頃、別荘の広間では四条院家と皇家のメイドたちが、こちらはやや緊迫した言い合いを繰り広げていた。

「折角当家の別荘にお招きしたのですから、私どもに接待はお任せください」

「それには及びません。むしろ場所を提供していただいた上に、陽斗さまたちのお世話まで甘えるわけにはいきません」

 表情は穏やかな笑みをたたえつつ、それでいて目は射貫くように鋭い。


 何のことかといえば、招待客の対応や給仕などをどちらの家が主体で行うかを争っているわけだ。

 より具体的には、陽斗の世話を、である。

 ここ数ヶ月、四条院家、家族のみならず使用人の間ですら話題が出ない日がほとんどないほど陽斗は注目の的となっている。

 四条院本家の末娘にして、容姿に優れているだけでなく努力家で人に対する思いやりにも溢れている穂乃香は、関係者全員から可愛がられる存在だ。


 そんな穂乃香が好意を持っている相手、それも桐生貴臣の魔の手から彼女を必死に守り、家柄も十分すぎるほどの優良物件となれば興味を持つのは当たり前。

 幾度か遠目に姿を見る機会のあった使用人は数人居たものの、ほとんどの者は話でしか知らない相手である。まして会話を交わしたことのあるのは穂乃香付きのメイドである千夏だけだ。

 陽斗を迎えると聞いたメイドや料理人、警備の者達の間でなかなか熾烈な選抜戦が繰り広げられたという。

 そんな中で登場した陽斗は、幼く見える外見に屈託のない笑顔、恥ずかしげに赤くなる姿など、一目でその小動物じみた可愛らしさで魅了したわけだ。


 対する皇家の面々は、自分達の大切な存在である陽斗の世話を余所の家に任せたくないという思いは当然ある。だがそれ以上に甘酸っぱい想いを育んでいる最中の穂乃香は当然として、大恩人ではあるものの、少々粗野な面もある光輝が軽んじられるようなことは絶対に避けたい。

 と、いう名目で接待を独占したがっていたりする。

 要するに、しょうもない主導権争いを、この土壇場になってしているのだ。


「四条院家は多くのお客様、時にはご家族連れの方の接待も経験豊富ですのでご心配に及びません」

「今回は特別な方々ですから、以前から幾度ももてなしている私たちのほうが彼らも落ち着けると思いますよ」

「いえいえ」

「いえいえ」

 なかなかの美人揃いのメイドたちが、口元に笑みをたたえつつメンチを切り合う光景は、人によっては妙な倒錯感があるかもしれないが。


 とはいえ、それが長く続くことはない。

「何をしているのですか!」

 両家の使用人たちによる緊迫感は、数段上の緊迫感によって簡単に上書きされた。

「ひ、比佐子さん、い、いえ、別に」

「も、申し訳ありません、久代さん」

 慌てて姿勢を正すメイドさんたちを厳しい目で睨みつける、皇家が誇る女性使用人。

 時には雇用主である重斗すら叱り飛ばす女傑の視線は、皇も四条院も関係なく背筋に冷たい汗を流させる。


「あなた方は、誰の指示で、誰のために、誰をおもてなししなければならないか、本当に理解していますか?」

「は、はい!」

「し、承知しております!」

 大きくはないのに、圧力すら感じさせる声に、まるで上官に叱られる兵士のように直立不動で返事をする。


「では、自分たちが、今なにをしなければならないか、わかりますね?」

 そう口にした後、比佐子がその場に居るメイドたちひとりひとりの顔をしっかりと見つめ、優しげに笑みを浮かべた。

 それを見た者達がビクリと肩を震わせる。

「穂乃香様や陽斗様方は少し休まれた後に昼食。それから浜辺で楽しまれるそうです。いいですね?」

『はい!』

 所属など関係なく、訓練されたかのように声を揃え、そして蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていったのだった。



「おぉ~! キレイだけど眩しいな!」

 昼食を終え、少しばかりの食休みを挟んでビーチに出ると、ゴミひとつ落ちていない真っ白な砂浜に焼けるような日差しが降り注いでいる。

「陽斗さん、日焼けには気をつけてくださいね」

「うわぁ、日焼け止め塗ってても灼けそうねぇ」

 ダッシュで波打ち際まですっ飛んでいった光輝に目を丸くしている陽斗に穂乃香が気遣い、セラも離島の日差しに驚いたような声を上げる。


 ビーチにはあらかじめ大きなタープ型のテントが設置してあり、飲み物の準備もあるし、人数分のビーチチェアまで設置されていた。

 陽斗たちはとりあえずそこまで行くと、羽織っていたパーカーやTシャツを脱ぐ。

「じゃーん! 新しく買った水着、どうよ!」

「せ、セラさん、はしたないですわ」

「え~、ここなら変なナンパ男もいないし、知り合いだけなんだから良いじゃない。穂乃香さんも折角の絶品バディーなんだから、陽斗くんに見てもらわなきゃ!」

「ちょ、脱がそうとしないでください!」


 じゃれ合うセラと穂乃香を見て陽斗は顔を真っ赤に染めて恥ずかしそうに俯いているが、いつの間にか戻ってきた光輝が脇腹を突っつきながらニヤニヤ顔をしてみせる。

「たっちゃんの周りって美人ばっかだよな。あのセラって娘もすっげえレベル高いし」

「ふんっ、仲間内でそういった容姿をあげつらうのは礼儀がないな」

 光輝の言葉に、賢弥は薄く笑って肩をすくめただけだが、壮史朗は眉間にしわを寄せて面白くなさそうに言う。

 船に乗っていたときからどうも壮史朗の光輝に対する態度に若干の棘があるように見える。

 光輝の陽斗に対して遠慮のない態度や言葉遣いが面白くないようで、妙に突っかかるようなことを言う。


「悪いな、俺はお坊ちゃんと違って育ちが良くないからさ。まぁ? 口だけ達者で、自分で何もできないよりはよっぽとマシじゃね?」

  その光輝はというと、ムッとするどころか逆に挑発的に応戦する構えを見せている。

「……僕が口だけだとでも言いたいのか?」

「いいやぁ? 俺とたっちゃんは親友だし? ポッと出の奴には負けられねぇかなって」

「……」

「……」


「コーくん? 天宮くん? あのっ」

 突然にらみ合いを始めたふたりに陽斗が慌てて間に入ろうとするが、その肩を賢弥が掴んで引き離す。

「賢弥くん?」

「放っておけ。すぐに治まる」

 不思議そうに聞き返す陽斗に、賢弥はどこか面白そうに笑みを浮かべながら首を振った。


「なんなら、勝負すっか? といってもこんなところで喧嘩するのはつまんねぇし、ここは海だからな。あそこの岩まで、どうよ」

「ふん、体力馬鹿の考えそうなことだな。だが、良いだろう、乗ってやる」

 光輝が、浜から数百mのところで海面から突き出ている岩を指差すと、普段なら挑発に乗りそうにない壮史朗までがそれに応じる。


「ちょ、コーくん!」

「たっちゃん、ちょっとアイツに思い知らせてくるから、待っててくれよ」

 不安そうにことの成り行きを見ていた陽斗に、かっこつけて親指を立ててみせる光輝。

「だが良いのか? 天宮はとっくに向かっているが」

「え゛っ? ゲッ! ちょ、汚ぇ!」

 賢弥の言葉に慌てて走り出す。


「あ~ぁ、男の子って、変なの」

「うふふ、変にこじれるより発散したほうが良いですわ」

 女性陣が苦笑しつつ見送り、陽斗は心配そうに壮史朗と光輝の泳ぎを見守っていた。

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