第139話 みんなとバカンス

「お嬢様、もう少しでナリタに到着するようです」

 黒いスーツ姿の男がシートに座る女性にそう声を掛ける。

「はぁ、ようやくね。まったく遠すぎるわよ。14時間も座りっぱなしなんて退屈で仕方ないわ」

 映画が映し出されているモニターから視線を外して男に顔を向けた女、と言うにはまだいとけないと思わせる少女は、ブロンドに近い亜麻色の髪は肩に掛かるくらいのボブで、やや赤みを帯びた白い肌と琥珀色の瞳がやや気の強そうな快活さを表している。


「こんな贅沢なプライベートジェットで愚痴をこぼしてたら俺たちが普段乗ってる定期便のエコノミー席なんてお嬢様には耐えられないでしょうな」

 子供っぽく頬を膨らませながら唇を尖らせる少女の態度に、男は笑いを堪えながら肩をすくめた。

 そんな男の言葉に眉を寄せつつも、その瞳はありありと好奇の色を映し出している。


 男の言うとおり、彼らが今乗っている飛行機はいわゆるビジネスジェットと呼ばれるクラスのものの中でもやや大きめの中型機。内装は豪華でシートも旅客機のファーストクラスと同等以上の広々としたものだ。

 こういった飛行機に乗り慣れていれば大型旅客機のすし詰めエコノミー席など想像するのも難しいだろう。

 とはいえ、逆にそのことが好奇心を刺激しているようだが。


「ニッポンも楽しみだわ。ずっと前から行ってみたいってお願いしてたのに、大学を卒業するまでステイツを出るななんて酷いと思わない?」

「あの国は特殊ですからね。多感な年頃の娘の価値観が狂ったら困ると考えたんじゃないですかね。結局お嬢様は18歳で卒業できたんですから良かったじゃないですか」

パパダッドは今でも嫌そうだったけどね。結局お祖父さんグランパから言われた仕事をするのが条件になったし」

「それも無期限なんだからその合間に楽しめるでしょう」

 男よりも少女のほうが立場が上のようだが、交わされる会話は親しげで良い関係なのが見て取れる。


「でも、スメラギの御曹司ってどんな人物なの? 社交界にも出てないのでしょう?」

「最近になって何度か近しい企業のパーティーなどに出席したとしか聞いてませんね。ただ、まだハイスクールに通っている子供だって話です」

「容姿は? いくらグランパの命令でも好みじゃ無い男と親しくなんてしたくないわよ」

 不服そうに眉を寄せる少女に、男はただ肩をすくめる。

「はぁ~、まぁいいわ。せいぜい楽しませてもらうから」

 少女はそう言って窓の外に見えてきた街の風景に目をこらしたのだった。



 燦々と降り注ぐ太陽とどこまでも続くように思える海原。

 純白の船が進む先に島が見えてくる。

 全体的になだらかな山になっており、結構大きな島だ。


「わぁ~!」

 純白の大型クルーザーの甲板で陽斗が歓声を上げる。

 ライフジャケットを身につけた小柄な身体と幼く見える顔は、表情こそ楽しそうではあるのだがいささか顔色は悪い。

「陽斗さま、大島が見えてきたといっても接岸まではもう少し掛かりますから横になってたほうが良いですよ」

 船体上部のブリッジで操舵を担っている和田が注意深く海面を見ながら言うと、陽斗の横でハラハラした様子の大山がウンウンと頷いている。


「で、でも」

「デッキのソファーからでも外は見えますわよ。まだ船酔いが治まっていないのでしょう?」

 そう、陽斗の顔色が悪いのは単に船酔いになってしまったからである。

 陽斗たちはせっかくの夏休みを友人たちと過ごそうと伊豆大島の別荘に遊びに行くことにした。

 大島には空港もあり、皇家のプライベートジェットでも来ることができるのだが、折角だからと同じく重斗所有の大型クルーザーに乗ることにしたのである。ひとえに重斗が陽斗を喜ばせたいがためなのだが、残念なことに葉山マリーナを出発して外洋に出て波が高くなった途端に三半規管の弱い陽斗が船酔いになってしまったというわけだ。


「たっちゃん、良いから横になってなって!」

 ブリッジ下のオープンデッキからは友人の門倉 光輝がニヤニヤと揶揄い過半の笑みを浮かべながら手招きをしている。

「お前が変に揶揄うからだろう」

 そんな光輝をジロリと睨めつけてから壮史朗が小さく溜息を吐いた。

「さぁ、陽斗さん、横になってください」

「あぅぅ、だ、大丈夫だから」

 諦めてデッキに降りてきた陽斗は穂乃香に手を引かれソファーに座る。

 と、同時にさらに引っ張られて頭を膝に乗せられてしまう。


 先ほど壮史朗が口にした揶揄うとは、この膝枕の状態を光輝がイジっていたことである。

 少なからず好意を寄せている少女に膝枕をしてもらうのは嬉しくないわけでは無いが、それを友人たちに見られながらというのはさすがに恥ずかしすぎる。

 船酔いという理由があったとしてもだ。

 ちなみにこの船で酔ってしまっているのは陽斗だけではない。

 船底のキャビンでもうひとり、セラがダウンしていて賢弥が側についているのでこの場にはいないのだ。


「でも、ここまで来ておいてなんだけど、本当に俺も一緒で良いのか?」

「うん。僕もコーくんが一緒だと嬉しいし、天宮くんたちも賛成してくれたから」

 光輝がどことなく居心地悪そうにそう言うと、陽斗は慌てて首を振り、穂乃香のほうを見る。

 そんな彼らに穂乃香は朗らかに笑いながら頷いた。

「今回はわたくしが招待させていただきましたわ。門倉さんは陽斗さんの大切な友人ですもの。陽斗さんの小学校時代の話などもお聞きしたいですし、わたくしたちのことも知っていただきたいですわね」


 実は今回の伊豆大島旅行は穂乃香の提案だ。

 元々昨年末に重斗から南国の別荘に招待された返礼として、四条院家でいくつか所有する別荘を夏休みに提供したいと、穂乃香の父から提案された。

 ただ、今年の夏はかなりの猛暑になるということで、高原よりは海辺、さらには観光客がそれほど多くなく綺麗な海が良いだろうということで伊豆大島の別荘を選んだ。

 会社の行事や取引先への接待にも使われることがあり、友人たちが沢山居てもまったく問題ないくらい広いというのも理由である。


 そこまで決まったところで穂乃香が陽斗に、光輝も誘ってみたらどうかと言ってくれたのだ。

 もちろん陽斗としては願ってもない申し出であり、クラスメイトの別荘ということで躊躇していた光輝をなんとか説得して誘い出したわけである。

 そんなわけで、今回の参加者は主催者の穂乃香、陽斗、壮史朗、セラ、賢弥のいつものメンバーに光輝が加わり、お目付役として穂乃香の兄である晃と、陽斗の大叔母の桜子、のお目付役の比佐子に、クルーザーの操縦は意外なことに1級船舶免許を持っているらしい和田。

 他にも四条院家と皇家からメイドや料理人、警備班などが子供たちの世話のために滞在することになっている。

 期間は1週間ほどで、バカンスというには少々物足りないが、それでも高校2年生の夏休みとしてはこれ以上望めないほどのものだろう。


「そっか、んじゃ折角だし、目一杯楽しませてもらうぜ」

「うん! そうだ! コーくん、僕ちょっとだけ泳げるようになったんだよ」

「おっ、んじゃ競争しようぜ! 天宮と武藤も、負けた奴が罰ゲームな!」

「そ、それは無理だよぉ」

「ふん、面白そうだな。西蓮寺にはハンデをやるから安心しろ」

 いつしか壮史朗も加わり、男子たちがじゃれ合う。


 そうこうしているうちに遠くに見えていた島が間近になる。

 伊豆大島は火山島で、形は標高758mの三原山を中心としてお椀をひっくり返したような姿をしている。

 ときおり噴火を繰り返す活火山だが、周囲は美しい海に囲まれ、関東屈指の観光地でもある。

 和田はクルーザーを島の西側、前浜の桟橋に停泊させる。

 そこにはすでに数人の男女が待っており、大山が係留ロープを投げるとすぐさまそれを係留杭ボラードに括りつけた。そして桟橋とクルーザーの間に板状のボーディングラダーを掛けて固定した。


「到着しましたので、足元に気をつけてお降りください」

 エンジンを切った和田が柔らかな笑みを浮かべながら陽斗たちを促すと、光輝が真っ先に船から飛び出す。

「うひょぉ! すっげぇ綺麗だぜ」

「まったく、騒々しいな。というか、暑すぎるだろ」

 強い日差しに顔をしかめながら壮史朗が続く。


 そして、いささか顔色の悪いセラが賢弥に肩を支えられながら奥の階段から出てくる。

「う゛~、まだ目がぐるぐるする」

「調子に乗ってはしゃぎすぎるからだ。上陸すればすぐに良くなる」

 友人たちの様子に、陽斗と穂乃香は顔を見合わせてクスリと小さな笑い声を上げた。

「さぁ、わたくしたちも行きましょう」

「うん、あんまり待たせると桜子叔母さんに怒られちゃうからね」

 そう言いながら陽斗は桟橋の上に視線を向ける。


「ようこそいらっしゃいました。皆様が安心して楽しめるよう、精一杯おもてなしさせていただきます」

 架け橋の先では四条院家のメイドである瓜生千夏が深く頭を下げながら出迎えてくれていた。その隣には皇家のメイド長の比佐子も同じく頭を下げている。


「あの、よろしくお願いします」

 陽斗は満面の笑顔で千夏に礼を返すと、友人たちの方を向く。

 これから陽斗にとって忘れられないほど楽しいバカンスが始まる。

 それを保証するかのように雲ひとつない空から注ぐ太陽が、その笑顔を一層輝かせていた。

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