第138話 才能というもの

 小さなトラブルはいくつかあったものの、オリエンテーリングは無事に終了した。

 一応の順位が発表されたし、制限時間内に規定のチェックポイントをクリアできなかったグループもあったのだが、そもそも競技ではないので問題ない。

 主目的であった生徒同士の交流は概ね上手くいき、今は学年やクラスの枠に囚われずあちこちで話をしたりふざけ合ったりしている。


 オリエンテーリングの後は例年どおり湖畔の広場でバーベキューが行われていた。

 高原の水辺は、普段なら夕方近くになれば涼しい風が吹くのだが、今年の暑さは例外らしくムワッとした風が余計に不快に感じるほどだ。

 一般的な学校なら、そのまま行われるであろう行事も、黎星学園の場合は会場に工場などで使われるスポットクーラーや送風機がいくつも運び込まれていて、暑いながらも汗だくにはならない程度に抑えられている。


 開始の挨拶はほどほどで終わり、すぐに生徒たちは屋台風の調理場から思い思いの料理を手にグループを作って食べ始める。

 そんな中、陽斗はひとりであちこちをキョロキョロと見回しながら会場を巡っていた。

 やがて目当てのグループを見つけたらしく、そちらに向かって小走りで近づいていく。


「良かった、ここに居たんだね!」

 3人のグループで、会場の隅に近いテーブルに居た1年生たちに陽斗が笑顔で声を掛ける。オリエンテーリングの時に同じクラスの玲央奈に対してイジメのようなことをしていた3人だ。

「っ?!」

「皇、先輩……」

「な、なんで……」

 陽斗の顔を見た男子たちの顔が引きつる。


「……説教の続きですか?」

「お、おい、ヤバいって!」

「す、すいません、コイツちょっと機嫌悪くて、ほ、本気じゃないんで」

 仏頂面で返す川島の態度を焦ったように止める福田と、青い顔をして謝罪する田尾。

 どうやら陽斗のことを誰かから聞いたようで、機嫌を損ねたら大変なことになるとでも思っているらしい。

 そんな彼らに、陽斗は笑って首を振った。


「さっきはごめんね。必要だと思ったからあんなことを言ったけど、ちょっと言い過ぎたと思う。仁くんから君たちのことを聞いて、話がしたくなったから探したんだ」

 その言葉に川島たちは戸惑った顔で互いを見返す。

「……どうせアイツから俺たちがいつもヒドいことしてるとでも聞いているんじゃないですか? 別にどうでもいいっすよ。学校に報告でも何でもしてください」

「やめろって!」

 やさぐれ気味の川島だが、反抗的というよりは諦めのような表情をしていて、それを田尾がなだめているような感じだ。

「う~ん、そのことはもう僕から何も言うつもり無いよ。もちろんこの先も同じことをしたらそのときはもっと注意するつもりだけど」

 陽斗の顔には彼らを責めるような色はなく、終始笑みを浮かべたままだ。

 それを見て田尾と福田はホッと小さく息を吐く。


「そ、それで、俺たちに話って?」

 福田が伺うように訊ねると、陽斗は嬉しそうに笑みを深くする。

 同性の彼らですら思わず顔が熱くなる気がしたようで、川島までが直視しないように目を逸らす。

「仁くんから川島くんたちの絵がスゴいって聞いて、どんな絵なのか見てみたくなって。それに、美術科クラスってどんなことするのかなって」

「別に、普通の絵ですよ。俺は水彩のガッシュがメインだけどデジタルでも描きますし」

「俺は、水彩色鉛筆です。動物画を専門にしてます」

「……時代遅れの油絵っすよ」


 田尾と福田、川島が順に答えていく。

「へぇ~、みんな賞とか取れるくらい上手なんだよね? 見てみたいなぁ」

 邪気のない顔で感心したように言う陽斗の態度に、固かった雰囲気が少し弛緩する。相変わらず川島は皮肉気に自虐的な台詞を吐くが、それでも多少は緊張が緩んだようだ。

「あの、写真を撮ったのだったらありますけど、見ます?」

「見せてくれるの? うん、見たい!」

「は、はぁ、って、近っ!」

 無警戒に近づいてスマホを覗き込む陽斗に福田がのけぞる。


 そんな彼に構うことなく、陽斗はスマホに表示された絵を見て歓声を上げた。

「スゴい! 今にも動きそう! 写真みたいだね」

 手放しの賛辞に、作品を描いた福田が照れくさそうに頬を掻く。

「こ、こっちが田尾の描いたやつです。肉筆とデジタル画。それからこの風景画が川島」

「ふわぁ~! みんなスゴい! やっぱり美術科クラスの人って上手いんだね」

 そんな陽斗の言葉に、川島がフンッと鼻を鳴らす。


「毎日描けば誰だってある程度は上手く描ける。それで食っていけるのは一握りの才能がある奴だけだ」

 吐き捨てるような声に、どことなく諦めが混ざっているように感じた陽斗は川島の顔をジッと見つめる。

「な、なんすか? どうせ俺は仁みたいに人を感動させるような絵は描けないっすよ。あんな技術も無くて適当に描いてる奴に、ガキの頃から毎日毎日手が動かなくなるくらい練習してきた俺が!」


 嫉妬。

 オリエンテーリングの時に陽斗が指摘した言葉。

 奇しくもそれが当たっていたかのように自嘲と矜持が複雑に混ざった感情を吐露する川島に向ける陽斗の目に非難の色はない。

 玲央奈自身が言っていたように、技術面では彼らに遠く及ばない彼の絵を、並々ならない努力を続けてきた彼らは認められないのだろう。

 それなのに、ローカルな展覧会などではなく、商用の、それも大手レコード会社に所属するバンドのGDジャケットに採用される。

 それだけでなく、才能を認められたごく一部の者しか入学が認められない黎星学園の芸術科にスカウトされ、評価されている。

 確かに嫉妬の対象となっても不思議ではない。


「絵って色々な種類があるよね? 川島くんたちと仁くんはまったく違う絵だから、比べなくても良いんじゃないの?」

「下手くそなのにアイツは認められて、技術なら美大生にだって負けてない俺たちより評価されてるのが納得できねぇんだよ! 確かにアイツは才能があるんだろうさ。けど……」

 そこまで言って言葉を切る川島。見れば田尾と福田も似たような表情をして黙り込んでいる。

 一緒になって玲央奈をイジメていただけに、同じような気持ちなのだろう。


「川島くん、それに田尾くんと福田くんに聞きたいんだけど、才能って何?」

 不意に予想外のことを問われ、3人は陽斗を見返す。

 陽斗の顔は穏やかに微笑み声音も穏やかなもので、不思議とスルリと彼らの胸に入り込んでくる。

「えっと、教わってないのにセンスが良いとか、人より短期間で上手くなるとか」

「人を感動させることができる奴、だと思う」

 田尾が、それに川島が続き、福田も同意するように頷く。


「さっき川島くんは毎日描けば誰でも上手くなれるって言ってたよね? それに、教わってなくても描ける人と、教わって描ける人、差は時間だけってことじゃないの?」

「「「…………」」」

「あと、人を感動させる、かな? 僕は川島くんの風景画も福田くんの描いた動物も、田尾くんの女の人の絵も、どれもスゴく綺麗で感動したよ? ピカソの絵なんか僕には全然理解できなくて感動しないし、もし誰かが僕のために絵を描いてくれたら、きっとそれが上手くなくても感動すると思う。だったら、才能ってなんだろうね」

 その言葉に困惑する3人。


「僕にはどんな絵が評価されるかとか、沢山の人に買ってもらえるかなんてわからない。商業的価値って絶対的なものじゃないし、どれほど上手くても評価されずに諦めてしまう人も沢山居ると思う」

「それは、そうです」

「うん」

「はい」

 ゆっくりとした口調に、川島たちも素直に頷く。


「仁くんは君たちの絵をスゴいって言ってた。自分には描けないって。そんなことを言われる人が才能に劣るのかな?」

 その言葉に3人が驚いた顔をする。

 虐げていた相手がまさか自分達をそんな風に評価しているとは思っていなかったのだろう。

「才能って、その人がどのくらい自分のしていることを好きになるかじゃないのかな? 好きだから頑張れるし、努力もできる。きっと、だからこそ結果に繋がったり評価されるんだと思う。僕は自分に何かの才能があるなんて想像もできないけど、もし夢中になれるくらい好きなことができたら、誰かに負けたくないと思うんじゃないかな。だから、川島くんも田尾くんも福田くんも、沢山の才能を持ってるよ。だって、絵が好きなんでしょ?」


 陽斗の言葉はとりとめて特別な内容ではない。

 どこかで聞いたような、通り一遍の薄っぺらいものでしかないだろう。

 ただ、説得しようとか慰めようとかいう打算的なものではない純粋な想いを、憧憬を込めた真っ直ぐな目とともに彼らに向けただけだ。

 川島たちはこれまで聞こえの良い褒め言葉や賞賛を幾度も聞かされ、両親もそんな彼らを誇らしげに自慢してきた。

 それはもちろん嬉しく思っていたし、自尊心を満足させてくれたのだが、はたしてそれは本当に彼らに向けられたものだったのだろうか。


 他人からの賞賛には嫉妬や打算、劣っている部分への蔑みが少なからず含まれていたように思えるし、両親ですら自己の虚栄心を満たす道具という感情があったように感じる。

 ましてや黎星学園には全国から将来性を見込まれた生徒たちが集められているのだ。切磋琢磨といえば聞こえは良いが、幼い頃から積み上げてきた自信はとうに消え失せ、落ちこぼれたくないと焦りばかりが募る。

 そのはけ口として玲央奈をターゲットにした行き過ぎた行動に出てしまっていた。

 だから、陽斗の言葉と視線は、彼らが幼い頃、純粋に楽しんで描いた絵を友達や両親が喜んでくれた時以来のものだった。


「素人が偉そうに言ってごめんね。でも、僕はみんなを凄いと思っているし、もっともっと作品を見たいと思う。だから、もっと楽しんでほしいな。仲良く、は、無理かもしれないけど、絵が好きな人同士、きっとプラスになる気がするから」

 陽斗はそこまで言って優しい笑みを見せると、「食事の邪魔しちゃったね」と頭を下げて歩き去った。



「陽斗さん」

「え? あ、穂乃香さん」

 陽斗が生徒会役員に割り当てられている場所に戻る途中、穂乃香から声が掛けられて立ち止まる。

 振り返ると、穂乃香がすこしばかりばつが悪そうにしながら歩き寄ってきていた。


「あ、えっと、もしかして見てたの?」

「ええ、ごめんなさい。陽斗さんの姿が見えなかったので探していたら。話はほとんど聞こえませんでしたけれど」

 実際のところはわからないが、穂乃香の言葉に陽斗はホッと小さく息を吐く。

 聞かれて困ることはないが、やはり後輩相手に偉そうなことを言ってしまったと思っているので、自分よりもずっと立派だと思っている穂乃香に聞かれるのは恥ずかしい。


「……みんな、スゴい人たちばかりなのに満足できないんだね」

 主語のない脈絡のない言葉だが、穂乃香にはそれでも言っていることがわかったらしい。

 陽斗に向かって微笑むと、小さく首を左右に振る。

「満足しないというのも才能ですわ。今の自分に不満を感じて、優れた人に嫉妬して、悔しさを糧に努力をする。それができるから成長するのですから」

「そう、なのかな?」

 納得できるようなできないような。

 そんな曖昧な表情で穂乃香を見返す。


「わたくしだってそうですわ。琴乃さんに嫉妬して、目一杯背伸びしてましたから。今だって、置いて行かれないように必死に頑張っていますよ」

「そっか。あ、でもそれで言ったら満足してないのは僕も、なのかな? もっと頑張らなきゃって思ってるし」

 ウンウンと頷きながらそう返した陽斗だったが、ふと穂乃香の言葉に引っかかりを覚えた。

「あの、置いて行かれるって、誰……わっ、引っ張らないで」

「さぁ! 早く戻らないと料理が無くなってしまいますわよ」

 疑問を口にした直後、穂乃香が陽斗の手を握って先に進んだために答えを聞くことはできなかった。


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