第137話 希有な才能

「その子、ひょっとしてじん 玲央奈れおな?」

「人を指差しちゃダメだよ!」

「ん、ごめんなさい」

 自分に顔を向けながら玲央奈を指差した華音を陽斗がたしなめると、思いのほかあっさりと華音は謝罪した。


「え、えっと、大丈夫、です」

 恐縮して目が泳ぐ玲央奈の様子に、華音は不思議そうに首をコテンと傾ける。ちなみに、ここまで華音の表情はピクリとも動いていない。相変わらずである。


「音楽クラスの華音も仁くんのこと知ってるの?」

 陽斗がふと疑問に思って訊ねると、華音は頷いてみせる。

「芸術科の連中は他人に興味が無いのが多いからほとんど交流はない。私が仁玲央奈を知っているのは個人的な理由」

「私も知ってますけどね。去年の春頃、華音ちゃんが珍しく騒いでたから」

「会ったのは今日が初めてだけど」

 華音と一緒に来た女子生徒ふたりが呆れ混じりに会話に加わる。


 もちろん陽斗は彼女たちとも面識がある。

 この超絶マイペースな華音の友人で、同じく音楽科クラスの生徒だ。

 普通とは別のベクトルでコミュ障気味な華音と平然とつき合っていられるだけあって、誰が相手でも物怖じしないらしい。

「えっと、坂下さんと園山さんも? というか、華音が話してたの?」

「ん。私も一方的に知っているだけで会うの、というか話すのは初めて。”ともみん”と”さとち”には一時期いっぱい話した」


 友人たちの名前は、女の子としては長身でボーイッシュなショートカットのほうがさかしたとも、やや丸顔で小柄なポニーテールの娘がそのやまさとだ。

 クラスではそれぞれヴァイオリンとサクソホーンをメインに担当しているそうだ。

 芸術科クラスではクラス替えなどはないので中等部に入学した頃からの付き合いらしい。


 他人にあまり興味がなさそうな華音が、友人たちに玲央奈の話をしているということが意外で、陽斗は好奇心のまま華音を見返すと、彼女はスマホを取りだして何やら操作してから画面をズイッと突きつけた。

「これは、CD?」

「そう。このCDのジャケットを描いたのが、そこの仁玲央奈」

 華音が見せたのは、どこかの通販サイトで売られている音楽CDの画像だった。

 中央にアルバムタイトルとアーティストの名前らしきロゴがあり、その背景には不思議な印象の絵が描かれている。

 一組の男女のシルエットと空をイメージする色彩に、幾何学紋様のような雲。

 シルエットは見る角度や意識する雲の紋様によって、親娘にも恋人にも、友人同士にも見える。


「レコード会社が新人インストバンドのジャケットデザインを公募したんですけど、選ばれたのが仁さんの作品だったらしいんです」

 華音にまともな説明ができないと判断したのか、智美が簡潔に事情を話してくれる。

「絵のことはわからないけど、あのジャケットは曲のイメージを完璧に表現してた。あれほど曲の世界を視覚的にデザインした絵は見たことがない」

「あ、その、ありがとう、ございます」

 無表情でジッと見つめながらの賞賛に、玲央奈が戸惑った顔で礼を言う。


「華音が人を褒めることなんて滅多にないから、素直に喜んで良いと思うよ」

「さとちは失礼。私だってすごいと思えば褒める。すごくない人ばっかりだから褒めないだけ」

「だからそれ、ほとんどが褒めないってことじゃん」

 友人の遠慮のない言葉に唇を尖らせる華音。

 そのやり取りに、陽斗と玲央奈が思わず顔を見合わせてクスリと笑い声を漏らした。


「やっぱり芸術科の人たちはすごい才能を持っているんだね」

「環境や経済力が原因で、才能を伸ばせない人を支援するのが学園の方針だからね。その世界で認められるかは本人の努力と運が大きいけど、チャンスは与えたいっていうのが学園支援者の考えよ。特に皇家と錦小路家、穂乃香さんの四条院家は芸術関係の篤志家として有名よ」

 社会事業や慈善活動を積極的に援助する人のことを篤志家と言うが、資産家と呼ばれる家はそういった活動をすることが多い。

 ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)などと称されることもあるが、本質的に生産性も採算性も低い芸術分野においては、そういった人たちの支援が無ければたち行かないジャンルが少なくないのだ。


「ジャケットを見てから他の作品も探したけど、見つかったのはひとつだけ。そっちも音楽の世界を見事に表現してた。私は音を色で認識する。同じ景色を見てる人は初めて」

「ぼ、僕は音楽を聞くのが好きで、曲を聴いているとイメージが浮かんでくるんです。それを絵に描いて応募したら選んでもらえて」

 手放しの褒め言葉に、玲央奈は恥ずかしそうに頬を掻きながら顔を赤くする。

 

「わたしも華音に言われて聞いてみたけど、すごくマッチしてて、見た後じゃ他の景色をイメージできなくなったよ」

 智美の言葉に、千里も頷いているので、音楽の専門家からしてすごい絵だったようだ。


「お話も良いけど、貴方たちもオリエンテーリングを進めないとね」

 まだまだ話が続きそうな雰囲気を感じとって、先輩役員がゲームを促した。

「あっ、そうですね、ごめんなさい!」

 すっかり流されていた陽斗も、慌ててカードを準備する。

「神経衰弱かぁ~、わたし苦手なんだけど」

「私もだよぉ。華音は?」

「…………」

 2組のカードが並べられるのを見て智美と千里が難しい顔をし、華音はそっぽを向いて目を合わせようとしない。


 自信なさげな彼女たちは、そのとおり一度目のチャレンジで制限時間内に4分の1すらそろえることができずに撃沈した。

「無理。クリアできる気がしない」

「う~ん、ここは諦めて別のチェックポイントにする?」

 苦手と言っていたふたりは苦笑いをしながら肩を落とす。

 実際、今の様子を見た限り、クリアするには結構な時間が掛かりそうではある。

 同じように難しい顔で何かを考えている様子だった華音が、陽斗に顔を向けた。

 

「私たちだけじゃ無理だから、助っ人を要請する」

「え?」

「助っ人って、陽斗くん? さすがに運営の役員が手伝うのはダメよ」

 唐突な申し出に、陽斗は驚いただけだが、先輩役員は難色を示す。

「違う。陽斗に手伝ってもらうのも魅力的だけど」

 言いながら華音が指差した先には玲央奈の戸惑った顔があった。


「仁くん? でも、それって良いの?」

「う~ん、あくまでオリエンテーリングは人とコミュニケーションをとって交友の輪を広げるのが主目的だから、そこまで厳格にする必要は無いんだけど。仁君の意思確認は必要じゃない?」

 ごもっともである。

「確かに。というわけで、おねーさんに力を貸して」

「え、あ、はい。ぼ、僕は別に、その、良いんですか?」

「お願いしているのはこっち。ダメでも怒ったりしないし、成功したらすごく褒める」

 相変わらずの無表情&淡々とした口調だったが、本気なのは伝わったらしく、玲央奈はおずおずと立ち上がって、ゲームのテーブルまで来たのだった。


 そして再チャレンジ。

 一度目を失敗しているので、今度の制限時間は6分間だ。

 最初の20枚くらいを猛スピードで開いては閉じる。

 当然一組も揃うことはなく、見事なくらい全部違う札が晒される。

「あっ」

 千里がカードをめくった直後、玲央奈が小さな声を上げた。


「さとち、ストップ。組になるカードの場所わかった?」

 華音が訊ねると、玲央奈は頷いた。

「た、多分、ですけど」

「間違っても構わない。どうせ私たちはわからないから」

 その言葉に、他のふたりもウンウンと首を振っている。

 それを見て、玲央奈は自信なさそうに手を伸ばし、右側の一枚をめくった。


「ビンゴ。そのまま続けて」

「は、はい」

 玲央奈が今度は左側の、まだ一度も開かれていないカードをめくる。

 そしてすぐに別のカードを開くと、見事に揃う。

 次も同じようにめくっていき、ドンドン組が揃っていった。

「すごっ!」

「瞬間記憶?」

 何度かは揃わないときもあったが、結局残りのカード全てを玲央奈がそろえ、制限時間内に見事成功させた。


 それから華音たちは休憩を取ることもなく、次のチェックポイントに向かっていった。

 その際に、折角だからと玲央奈も一緒に誘ったのだが、さすがに上級生の女子3人に囲まれてオリエンテーリングを続けるのは気弱な男子にはハードルが高すぎる。

 顔を真っ赤にして首をブンブン振る玲央奈はどことなく陽斗と似た雰囲気があり、珍しく華音が口元をほころばせていた。


「でも仁君すごいわね。一度見たカードは全部覚えてたみたいだし。やっぱり芸術系の才能がある人って特殊な技能を持ってるのかしら」

「えっと、見た景色をそのまま覚えるってわけじゃなくて、なんとなくのイメージで記憶する感じなので」

 玲央奈はそう説明するが、感覚的なものなので聞いても今ひとつ理解は難しい。

 

「凄いなぁ。僕には才能とか無いから、普通の人にできないことができるのって憧れるよ」

「私は絵が描けたり楽器が演奏できるってだけで十分羨ましいわね。練習すればだれでもできるようになるって言われるけど、なかなか上達しなかったらすぐに挫折しそうだし」

「そうですよね」

 上級生の、しかも生徒会役員ふたりに羨望の眼差しを向けられ、玲央奈は照れくさそうに身体を小さくした。


「で、でも、僕なんて全然下手くそで、川島君の描く絵は色使いや立体感がすごいし、福田君が描く動物は今にも飛び出してきそうなくらい躍動感があって、田尾君の光の表現なんかに憧れるけど真似できそうにないくらい」

 ワタワタと手を振りながら同級生を例に出して自分の未熟さをアピールする。

「川島って、さっきの子たちのこと?」

 謙遜の比較対象として玲央奈が出した名に、先輩役員が不思議そうな顔で聞き返す。

「仁くんはあの人たちを嫌いじゃないんだよね?」

 陽斗は驚くことなくそう確認すると、玲央奈は躊躇いがちに頷いた。


「嫌なことはされるし馬鹿にされるけど、嫌いってわけじゃ。それに、僕よりみんな上手い人ばっかりだから」

 玲央奈の顔には諦めと憧憬が入り交じった複雑な色が浮かんでいる。

「僕が絵を描き始めたのは中学で美術部に入ってからで、まだまだ全然技術も無いし、デッサンも下手くそなんです。だから……」

 言外に「仕方ない」と言う玲央奈に、陽斗は先輩と顔を見合わせた。

 

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