第136話 陽斗、叱る
陽斗が小走りで4人分のバッグを抱えた少年に近寄ると、彼は驚いた顔で陽斗の顔を見返した。
「大丈夫?」
「え? あ、はい」
とっさにそう返したものの、森の中で多少は涼しい風が吹いているとはいえ酷暑の中だ。額には玉の汗が浮かび、華奢な身体は見るからに疲労している。
「
そう言いながら陽斗は玲央奈の持っている鞄を全部取り上げると、それをいつの間に近づいていたのか巌がひょいと手に持つ。
「俺が持ちますから先輩はコイツを連れて行ってやってください」
その言葉に笑顔で頷き、玲央奈の手を引いてチェックポイントの椅子まで誘導した。
「ちょ、先輩、なのか? まぁいいや、これは俺たちのゲームなんだから放っておいてもらえません?」
「そうそう、荷物持ちだってソイツが自分でやるって言ったんだし」
「生徒会だからって友人のじゃれ合いまで口出されたくないんですけど?」
無視された残りの3人が不満を口にするが、玲央奈を座らせてから経口補水液を渡した陽斗は、和志たちがこれまで見たことがない冷たい目を彼らに向けた。
「自分でやるって言ったんじゃなくて、言わせたんだよね? 美術クラス1年の川島くんと福田くん、田尾くん」
「な、なんで俺たちの名前知って」
陽斗が自分達の名前を知っていることに驚く川島たちに、陽斗は表情を変えないまま頷いた。
「一応僕も生徒会副会長だから、高等部の人たちの名前は覚えているよ」
「…………」
「それより、どうして仁くんを虐めていたのか聞きたいんだけど」
その言葉に一瞬3人の視線が泳ぐ。
「別に、イジメなんかしてないですよ」
「そう? じゃあ、どうしてこんな暑い日に、仁くんに荷物を全部持たせて、「さっさと歩け」とか「使えない」なんて言葉を浴びせて、汗だくになってフラついているのに心配すらしないの?」
「どこからどう見てもイジメだよな」
「そうよね。どうせまた中等部から内部進学した自分達は、外部入学の仁くんよりも偉いんだから何しても良いなんて勘違いした馬鹿なんだろうけど」
「東条、それ、俺にも突き刺さるから!」
「あぁ、彼は大人しそうだからイジメやすいと思ったのかな? 外部入学でも大隈相手だったらそんなこと言わないだろうし」
「彼相手にイジメができる人がいたら逆にすごいけどね」
和志や智絵里、御木本、楡沢が口々に言うと、さすがに美術クラスの彼らも気まずくなったのか不満そうながらも目を伏せている。
「……んだよ、他人が余計な口出ししてんじゃねぇよ。ポッと出の外部入学者が、ガキの頃から才能を認められた俺たちと同じ土俵に立てるわけねぇだろ」
本人としてはボソリと呟いたつもりだったのだろう。
だが、その声は思いのほか響き、和志たちだけでなく3年生の先輩役員も厳しい目をその言葉を発した川島と呼ばれた生徒に向ける。
「川島くんは、どうして中等部から内部進学した人が優れていて、外部入学者が劣っているって思うのかな?」
冷静な、探るような口調で陽斗が訊ねる。
「っ、だってそうだろ? 俺たちは小学生の頃にコンテストで受賞してこの学園にスカウトされたんだ。コイツだってコンテストに出る機会があったはずなのに選ばれなかった。それだけ才能の差があるってことだろうが!」
周囲から睨まれながらも、責められることに納得がいかないのだろう川島は自分の主張を繰り返した。
「福田くんと田尾くんも同じ考え?」
陽斗が視線を移してそう訊ねると、彼らは曖昧な表情で目を逸らす。
川島と同じほどとまではいかなくても気持ちは似たようなものなのだろう。
それを見て陽斗は悲しそうに溜息を吐いた。
「……小さい頃に才能豊かで神童と呼ばれていた人が、大人になったらごく普通のサラリーマンになったり、中学校までは目立たなかったけど成長してすごい才能を開花させたりするのはよく聞く話だよ。それに、普通科もそうだけど、芸術科も外部入学は中等部よりも厳しい基準で入学が許可される。理由は、中等部から学園のカリキュラムに慣れている生徒と高等部で合流したときに着いていけなくなってしまうから」
優しげにすら聞こえる声音で、言い聞かせるように言う陽斗の言葉を、先輩役員が補足する。
「具体的には、外部入学が認められるのは普通科なら内部進学者の平均より高い資産と社会的地位があり、学力レベルが内部進学者と比較して上位20%以上であることや素行や人間性が優れていると認められること。芸術科の場合は、人間性に加えて内部進学者よりも高い技術と伸びしろがあることね。それを徹底的に調べるから、芸術科はスカウトされること自体が稀よ」
外部入学者である陽斗が生徒会役員に選ばれてから、前生徒会長の
学園に提案して、それまで公表されていなかった高等部の入学選考基準の一部が学園に在籍している生徒に限り告知された。
琴乃の後、雅刀が会長を引き継いでからは中等部とも交流の機会を増やし、そのての勘違いをことあるごとに訂正してきた。
その甲斐あって普通科ではかなり改善されてきたのだが、芸術科の場合はまた少し事情が異なるようだ。
美術科クラス、音楽科クラスの半数近くはスカウトで集められた生徒たちだ。一般受験の生徒も、入試の課題で才能ありと認められている。
だからなのだろう、総じてそれぞれの分野でプライドが高い。もちろんそれ自体は悪いことではなく、芸術家としては不可欠なものだ。
ただ、それだけに同じ分野の者を評価し、認めることができない生徒も居るのだろう。
陽斗が諭そうとしている川島たち3人も、自分達以外の生徒を認めることができず、その発露が、外部入学者というわかりやすい特徴をもつ生徒を虐げるという行動なのだ。
実際の理由など何でも構わない。
虐げる口実があり、相手が自分達に反撃する恐れがない。イジメなどというものはそんなものだ。
たまに「いじめられる方にも問題がある」などと言う人がいるが、その問題とやらは単にイジメのターゲットになりやすい特徴というだけであり、それが無ければ別の人間が標的になるだけのことだ。
そのことを陽斗は身をもって知っている。
「君たちはただ自分の不満を他人にぶつけることで誤魔化しているだけだよ。でもね、君たちが彼を虐めているところを見た人はどう考えると思う? 他人を理不尽に暴言を浴びせたり脅迫したり、暴力を振るう、自分の感情もコントロールできない子供っぽくて性格の悪い男子、そうとしか思われないよ」
「っ!」
容赦ない言葉に、川島たちは言葉を返すことができず、けれど不満をありありと表情に浮かべて陽斗を睨む。
だがそれに怯むことなく言葉は続く。
「そんな人の近くには同じような人しか寄ってこないよ。気がついたときには努力もせずに他人の批判ばかりする、そんな人に囲まれて、自分達もそうなってしまう」
陽斗の言葉は静かで、川島たちを責めるような色はない。
ただ、反論を許さないだけの実感がこめられていて、鬱陶しい先輩からの説教と聞き流すことができなかった。
「川島くんたちがどう考えているかに関係なく、仁くんを虐めるというのは自分が彼に敵わない、嫉妬して、排除しようとしている。僕にはそう見えるよ。それでいいの?」
「…………」
言い終えた陽斗にまっすぐ見つめられ、3人は一瞬目を合わせるもすぐに逸らす。
いまさら先ほどまでの行動がただの悪ふざけや冗談だったと言い訳しても意味がない。陽斗に通用するとは思えないし、何よりそれが違うことは自分達が一番理解している。
「あ~、全部陽斗くんに言われちゃったけど、とにかく一度頭を冷やして考えてみなさい。仁君はここで休ませるから、オリエンテーリングを中止して戻っても良いし、彼抜きで続けるのでも構わないわ。今回のことはまだ学校には報告しないけど、また同じようなことがあれば相応の処分も検討します。良いわね?」
陽斗の言葉にしばしの沈黙が降りたのを見かねて、先輩役員がそう話を切り上げた。
さすがに今の状態でこれ以上反発する気はないのだろう、3人は大人しく頭を下げて林道を戻っていった。
「……陽斗くんがあんなに厳しい態度を取ったのは初めて見たわね」
「私は見たことありますよ」
「だから、俺の傷を抉るなって!」
「先輩っぽかったです!」
「いや、一応僕、先輩なんだけど?」
川島たちが見えなくなると、陽斗の表情は元の柔らかさを取り戻し、先輩や、口を挟むことなく成り行きを見守っていた智絵里たちもホッと肩の力を抜いた。
「あの、ありがとうございました」
ここまで黙って顔を伏せていた玲央奈が立ち上がって陽斗たちに礼を言う。だがそれは安心したというにはほど遠い弱々しさだ。
それも当然だろう。
虐められていたとしても庇われたのはその場しのぎにしからならない。下手をすれば逆恨みでエスカレートすることすらあるのだから。
彼のそんな心配を察した陽斗は安心させるように笑顔を向ける。
「大丈夫だよ。あの人たちもさすがにこれ以上イジメをするのは危ないってわかったはずだから。それに、何かあったらすぐに言ってね」
「あ、はい」
とはいえ、すぐに安心できるはずもないが、それでも生徒会役員からそう言われれば多少は気が楽になるのか、玲央奈ははにかんだ笑みを見せた。
「んじゃ、俺たちもそろそろ再開するか」
「そうだね。あ、もし良かったら仁君も一緒に回る?」
和志たちも立ち上がって空になったペットボトルをバッグにしまう。。
そして智絵里が思いついたように玲央奈を誘うと、驚いた表情で首をブンブンと振った。
「あの、大丈夫、です」
小柄で気弱そうな外見に違わず、人見知りの傾向もあるのか注目が集まった途端に縮こまってしまう。
「でもひとりでオリエンテーリングできないでしょ? 大丈夫なの?」
「無理強いは良くない。それにまだ体力が回復していないだろう」
面倒見が良い智絵里はそれでも心配そうに言うが、それは巌が制止する。
「仁くんは僕と先輩に任せてよ。だから和志くんたちはオリエンテーリングを楽しんでね」
「う~、わかりました。えっと、仁君、こんな形だけど、折角知り合ったんだから、何かあったら気軽に声を掛けてね」
「そうそう、俺や大隈君もいるからな。女子には相談しにくいだろうし、いつでも呼んでくれよ」
智絵里と和志の言葉に、他のメンバーも同意しながら頷く。
「あの、ありがとう」
再び頭を下げた玲央奈に手を振りながら、和志たちは次のチェックポイントを目指して歩いていった。
「さて、それじゃあもう少し座っててね。同じクラスの人が来て、合流できそうだったらすれば良いし、戻りたくなったら人を呼ぶからね」
先輩がそう言うと、小さく頷いて玲央奈は椅子に腰を戻した。
「やほ、陽斗」
「うひゃぁっ?!」
玲央奈の大丈夫そうな様子を見て、自分も仕事に戻ろうと振り返った瞬間、わずか十数cm先に見慣れた少女の顔があって飛び上がる陽斗。
「ちっ、もうちょっとで陽斗とちゅーできそうだったのに、失敗」
「か、
「脅かすつもりはない。ちょっとビックリさせようとしただけ」
同じである。
この音楽クラスの同級生は、相変わらずの口調で陽斗を揶揄いに来たらしい。
陽斗が視線を上げると、華音の後ろにはふたりの少女が呆れたように肩をすくめながら歩いてきていた。
「それより、陽斗、その子、ひょっとして仁 玲央奈?」
華音が玲央奈を指差しながら陽斗に聞いてきたのだった。
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