第135話 芸術科の少年

「はい、これで第4チェックポイントクリアだよ。残りも頑張ってね」

「あ、ありがとうございます」

 森の中の少し開けた場所に設置されたテントで、1年生の女子生徒が差しだした記録用紙に陽斗がクリア証明のスタンプを押す。

 笑顔を向けながら励ましの言葉をかけると、その少女を中心としたグループ全員が嬉しそうな、照れくさそうな顔で頭を下げる。

 そして楽しそうにじゃれ合いながら地図を確認し、次のチェックポイントに向かっていった。


「今のところはトラブルもなさそうで良かったわね」

「そうですね! みんな楽しそうで嬉しいです……あの、なんで撫でるんですか?」

「可愛いから!」

 一緒に居た先輩役員が先に進んでいった後輩たちを見送ってから呟く。

 その言葉に同意した陽斗の頭を、何故か撫でる。しかも止める様子がない。

 困った顔の陽斗だが、2年生になったというのにこういったことが多いので半ば諦め気味である。


「でも今年は暑いから熱中症になる人が居ないと良いんですけど」

「たしかに。でも陽斗副会長が提案していくつも休憩所を作って水分補給できるようにしたから、きっと大丈夫よ」

 そう言って彼女は簡易テーブルの下に置いてあった大きなクーラーボックスから経口補水液のペットボトルを取りだして陽斗に手渡した。

 美味しくないと言われることの多い経口補水液だが、生徒会役員で飲みやすいものを探してたっぷりと用意してある。しかもしっかり冷えているので熱中症対策としては最適だ。


 黎星学園の夏休みが始まってすぐ、今年も恒例のオリエンテーリングが行われた。

 昨年は地面にできた亀裂に生徒が落ちてしまうという事故があり、保護者の中には中止を求める声もあったようだが、施設を管理運営している企業が一層の安全管理を徹底していることと、交流の機会を減らしたくない多くの生徒の要望、また、遭難した生徒自身が保護者の説得に当たり、無事に理解を得ることができた。

 もちろん施設は昨年と同じ場所だ。


 ただ、昨年に比べてかなり暑くなるという予報が出ていたため、熱中症対策は念入りにした方が良いのではないかと陽斗が提案して、急遽、会場の各所に給水と救護のための大型テントが設置されることになった。

 工場などで使われる移動式のクーラーとそれを稼働させる発電機が錦小路グループから寄贈され、大型テントも学園OBの伝手で用意できた。

 後は生徒会の運営予算から十分な量のミネラルウォーターや経口補水液、大量の氷を確保して各救護テントとチェックポイントなどに配置している。

 参加している生徒だけでなく、運営の手伝いをしてくれている施設スタッフや警備スタッフも自由に利用できるようにした。

 

 陽斗の提案は、オリエンテーリングの最終打ち合わせの前日、ブラック企業勤めのサラリーマンが熱中症で倒れたのを救護したことで思いついたらしい。

 ちなみにそのサラリーマンはまだ入院中だが、とりあえず転職が決まりそうだと陽斗は聞いている。


 経口補水液を受け取って陽斗たちも水分を補給する。

 冷たい飲み物はかえって良くないと言われることも多いが、暑さで大量の汗をかいた後はやはりキンキンに冷えたものがありがたい。

 そうこうしていると、また別の生徒がチェックポイントに到着した。

 今回のオリエンテーリングは4~6名でチームを組んで、合計20箇所あるチェックポイントのうち10箇所以上クリアするというものだ。

 制限時間は特にないが、午前9時にスタートして、14時には全てのチェックポイントを終了させるので15時前に終了する予定となっている。


 生徒たちはその間に会場を巡りながら、チームの仲間や、他のチームと協力し合うことで交流を深める。

 陽斗たちの担当するチェックポイントでするのは単純なゲームだ。

 制限時間内に神経衰弱を完了させるというものだが、今回の場合はまったく同じ2組のトランプ、106枚を使う。

 普通の神経衰弱は数字や絵札の同一数字を組み合わせるので、一枚引いても組み合わせる札は残りの3枚の内1枚だ。

 

 この場合、直感力に優れた得意な人は、ひとりでもわずか数分で完成させてしまうので交流という目的を果たせない。

 なので、まったく同じ柄のトランプ2組で、組にできるのは種類も数字も同一のものだけというルールで行う。

 なので、通常の神経衰弱よりもはるかに難易度が高い。

 勘で引き当てるのはほぼ無理だし、何より枚数が多いので位置をひとりで覚えるのも難しい。

 チーム全員で協力して、覚える場所を分ける。

 時間をオーバーするとカードは全てシャッフルされるが、制限時間は少し延びるのでいつかはクリアできるのだ。


「先輩、お疲れさまです」

「西蓮寺先輩!」

「陽斗先輩~! おつかれ~!」

 曲がりくねった林道からひときわ大きな身体がのっそりと姿を現し、そのすぐ後ろから見知った男女が歩いてくる。

 そしてチェックポイントに着くと陽斗に向かって親しげな笑顔を見せた。

「大隈君、和志君と東条さん、お疲れさま。それと、御木本くんと楡沢さんも。喉は渇いてない?」


 生徒会役員の後輩である、学園一の巨漢、大隈おおくまいわおと荒三門家の御曹司、荒三門和志あらみかどかずし、それから東条とうじょう智絵里ちえりの3人と友人の5人グループのようだ。

「え、俺たちの名前」

「うん、知ってるよ。大隈君が困ったときにいつも助けてくれる友達だって聞いてるから。良かったら僕とも仲良くしてね」

「は、はい、あの、光栄です」

「と、尊い……あ、いえ、よ、よろしくお願いします!」

 陽斗の笑顔に女子生徒の方は何やら顔を赤くして両手を組んだりしていたが、ともかくルールを説明してゲームを始める。


「制限時間は5分よ。じゃあ、スタート!」

 先輩の合図に、和志と智絵里のふたりが左右に分かれて一枚目をめくる。続いてもう一枚。さすがに会うことは無く、すぐに裏返す。

 間髪入れずに再チャレンジ。

「あ、さっき出た?」

「さっきのはスペード、合わないよ」

「うげ! これマジでクリアできるのかよ!」

 次々に捲っては戻すを繰り返すが、なかなか揃わない。

 数字だけなら同じものは出るのだが、絵柄も数字もとなると簡単にはいかないのだ。

 実際、これまで10グループ以上がこのチェックポイントでチャレンジしているが、一度でクリアしたチームはなかったほどだ。


「あっ、和志くん、それとこっちが合うと思うぞ」

「そうか? おっ! ホントだ!」

「東条さん、今のは右側の、そこのやつと」

「わぁ! ナイス、御木本君!」

「ここと、ここが同じね」

 開始から2分。

 ほとんどの札が一度は表を出した頃、それまでジッと見ていた巌と御木本、楡沢が加わる。


「これは……」

「こっちにあるわよ」

「よし! 揃った」

 見る見るうちに組になっていく札の数々。

 巌と御木本も健闘するが、楡沢の記憶力がすごかった。

「ここまで来れば俺だってわかるぞ」

「っと、これで最後!」

 4枚の残り札を、和志と智絵里がそれぞれ捲り、全ての札が組になる。

 その直後、5人の顔が一斉に陽斗たちの方を向いた。


「タイムは……4分49秒! クリアです」

「よっしゃぁ!」

「やったー!」

 和志と智絵里が歓声を上げ、御木本と楡沢が笑顔でハイタッチ、巌は口元がニマニマするのを隠しつつ、拳を握って小さなガッツポーズをしていた。

「すごいね! 今日一番だよ!」

 陽斗がぴょんぴょん跳びはねながら祝福する。

 

「陽斗くん、喜びすぎ」

「ぐふっ、尊い」

「先輩、可愛すぎです」

 女性陣3人が堪えきれず陽斗の頭をわしゃわしゃと撫で始め、陽斗は慌てて巌の後ろに隠れた。


「えっと、それじゃクリアだね」

 リーダー役の和志が差しだした記録用紙にスタンプを押す。

「もう7箇所目って、早いわね。無理しちゃダメよ」

 先輩が彼らにも冷えた経口補水液を渡して注意する。

「そう、ですね。ちょっとハイペースだったかも」

「あ~、うん、そろそろ休憩した方が良いかな?」

「俺は結構楽しかったから気にならないけど」

「私は、ちょっと疲れたかも。なんか、みんなでワイワイやってるとあっという間だよね」

 無言の巌は体力的には余裕そうだが、楡沢の言葉には頷いていた。

 普段はクラスも違うのであまり交流は無いようだが、結構相性が良いのだろう、楽しんでオリエンテーリングに参加できているようだ。


「クーラーのある休憩所はもう少し先にあるし、ここで良かったら椅子に座っててもいいよ」

 陽斗がそう提案すると、和志たちはこの場で休憩することにした。

 配られたペットボトルを片手に、椅子や地面に座って会話を楽しむ。

 ときおり陽斗の方を見たり、会話に名前が登場したりするようだが、当の本人は別のチームが到着したので気づくことはなかった。


 和志たちの後に2チームがクリアし、そろそろ休憩を終えてオリエンテーリングを再開しようと立ち上がった直後、林道の向こうから声が聞こえてきた。

 どうやらまた別のチームがこのチェックポイントに到着したらしい。

 だが、その声を聞いた途端、陽斗が眉を寄せて不安そうな顔をする。


「あっ、あったぜ、そこだ」

「ふぃ~、やっとかよ。おい、さっさと歩けよ」

「この程度でフラついてんじゃねぇよ。ったく、使えねぇな」

 そんな会話と共に林道から現れたのは1年生と思われる男子4人だ。

 ただ、3人は手ぶらで、ひとりが4人分のバッグを両肩に提げている。

 軽装で良いとはいえ、地図やコンパス、水筒、昼食用の弁当などが入ったバッグが4つとなれば結構な重さがあるだろう。

 もしかしたらずっと持たされていたのだろうか、最後尾を歩いてくるその男子の顔は俯いて見えないが、足元は少々フラついているように見えた。


「アイツら、たしか芸術科の1年じゃなかったか?」

「そうね、美術科クラスで見た気がするわ。というか、バッグ持たされてるの、外部入学の、じんとかいう子じゃない?」

 和志たちも彼らを見て眉を顰める。

 その会話が聞こえたのか、陽斗はチラリと和志たちの方を見た後、近づいてくる1年生たちのほうに小走りで向かった。

 そして、先の3人を素通りし、バッグをもった男子の側に行く。


「大丈夫?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る