第130話 期末試験

「えっと、いらっしゃい、で良いのかな?」

 皇家の本邸、その玄関前で陽斗がはにかみながら来客を出迎えていた。

「今日はお世話になるわねぇ。というか、話には聞いてたけどスッゴい家よね」

「お前はフランク過ぎだ。悪いな」

 最初に降りて、屋敷を見上げながら言うセラと、招かれた者として年齢を考慮してもいささか無礼な幼なじみの態度を咎めつつ陽斗に一言詫びる賢弥。

 そのやりとりはずいぶん手慣れており、これまでに幾度も繰り返されていることを窺わせる。


「いちいち騒々しい奴だな。皇の邸宅なんだから驚くようなものじゃないだろう」

 助手席から最後に降りてきたのは壮史朗である。

 聞けば、彼が賢弥の家にふたりを迎えに行って乗せてきたらしい。

 ちなみに車は高級そうなセダンタイプのものでリムジンではない。

 天宮家では父親である蓮次も移動は一般的な高級セダンや高級ミニバンらしいので、家の方針なのだろう。

 資産家だからといって皆がリムジンに乗っているわけじゃないのだ。

 

「四条院はもう来ているのか?」

「うん、ついさっき到着して、リビングで待っててもらってる」

 壮史朗の質問にそう答えると、セラが何か言いたげにニヤニヤしはじめ、陽斗は一瞬で顔を赤くしてそっぽを向いた。

 穂乃香とのデート翌日。互いに意識しすぎて学園で不自然な挙動を彼女たちに見とがめられた。

 その際に散々からかわれたのを思い出してしまったのだ。


「いい加減そのネタから解放してやれ」

「え~! ……まぁ、あんまりイジりすぎてふたりがぎこちなくなったりしても嫌だし、仕方ないかぁ」

「おい、暑いんだからいつまでも外で戯れるなよ」

 たしなめる賢弥と不満そうに唇を尖らせるセラ、そして呆れたように肩をすくめる壮史朗。ある意味いつも通りの光景ではある。


「そ、それじゃ中にどうぞ」

 気を取り直して陽斗が3人を家に招き入れる。

 壮史朗が言ったように、梅雨が明けた今は真夏の気温で、ジッとしていても汗が滲んでくるほどだ。

 中に入ると空調の効いたひんやりとした空気が火照った身体を冷やしてくれる。

 3人はまず来客用のリビングに案内され、そこで待っていた穂乃香と合流してからそのまま陽斗の先導で2階に。


「んにゃ~ん!」

 陽斗の部屋の扉を開くと、壮史朗たちを歓迎するかのように猫のレミエがちょこんと座って一声鳴く。

「この猫は……ああ、西蓮寺が入院していたときに病室に居た猫か。お邪魔するよ」

 壮史朗がレミエの前にしゃがみ込んで鹿爪らしく言うと、セラが吹き出した。

「あはは、天宮くんってそういうキャラだったんだ」

「う、うるさい! 猫だろうと西蓮寺の家族みたいなものなんだから挨拶くらいしたっていいだろうが!」

「そうだよねぇ~。んじゃ私も、お邪魔します、陽斗くんを借りるわね」

「にゃう!」


 壮史朗とセラ、賢弥にレミエは一鳴きすると、次に穂乃香に顔を向けてからプイッとそっぽを向く。

「もう、レミー!」

「あらら、穂乃香さんは嫌われてるね」

「そうなんです。わたくしには全然懐いてくれなくて」

 動物好きな穂乃香は残念そうに肩を落とすが、セラは納得したように何度か小さく頷いてみせる。

「あ~、陽斗くんを盗られると思ってヤキモチ焼いてるんじゃないかな……三角関係?」

「もう! セラさんはすぐにそういうことを」

「おい、遊びに来たわけじゃないんだ。いい加減始めないか?」

 穂乃香が文句を言おうとした瞬間、壮史朗が口を挟んで遮った。


「……そうですわね。せっかくこうした機会を作ったのですから」

「だな。そろそろ始めよう」

 賢弥がそう言いながら部屋の中央に置かれた8人掛けテーブルに向かい、穂乃香たちもそれに続いた。


 土曜日の今日、彼らが陽斗の家に来たのは、週明けから始まる期末試験のための勉強をすることになっているからだ。

 2年生に進級し、授業もドンドン難しくなってきている。

 もちろんここに居るメンバーは皆、成績優秀で試験に不安があるわけではないのだが、それでも得手不得手がないわけではない。

 特に陽斗は英語がいまだに苦手であり、穂乃香が放課後教えてくれていてそれなりの成績は維持できているもののほかの教科と比べると少々見劣りしてしまう。

 穂乃香と壮史朗はまんべんなく高い成績だが、セラは数学、賢弥は古文や歴史を苦手にしている。

 それでも1年生の頃はまだ上位の成績をキープできていたのだが、そろそろ外部の大学受験を視野に入れている同級生たちが頑張り始めているのでうかうかしていられない。


 そんな話を学園でしていたとき、陽斗が勉強会を提案したのである。

 陽斗にとって、友人たちとする勉強会というのも憧れのひとつ。

 仲良くなったクラスメイトを自分の部屋に招いておしゃべりしながら楽しく勉強! という下心がなかったわけではもちろんないが、期末試験が不安なのは事実だったりする。

 ひとりで勉強していると生来の心配性が暴れてしまうのもあり、昼休みに勇気を出したというわけだ。

 そしてそれに誰も反対することはなく、こうして集まったのだ。


 書斎はひとり用の机しかないため、リビングに置かれていたソファーセットは隅に移動され、その場所に全員が座れる大きな机と人数分の椅子が用意されている。

 陽斗たちが席に着くと、メイドの湊がコーヒーを淹れてくれてから退出していった。

 それを見送り、早速勉強道具を机に広げる。

「陽斗さんはやはり英語からなのですね」

「うん。仮定法と直説法の使い分けとか不定詞がまだよく分かってなくて。なんとなくで問題解いちゃってるから」

「あ~、私はパターンで覚えちゃってるから説明は自信ない」

「問題集で文法中心に勉強するとそうなるな。都津葉もそうだろうが、実践会話だとあまり意識しないだろう」

 なんとなしに全員が陽斗の教科に合わせて勉強を始めることになったようだ。


 それからは主に穂乃香が陽斗に教え、周囲の者達が補足したり、問題を出したりして進めていく。

 逆に別の教科になれば、陽斗がたどたどしく教えたりもする。

 成績に余裕がある者ばかりなのでそれほど切羽詰まった雰囲気にはならず、昼食や適度に休憩を挟みながら一通りの教科を終えると、すでに時刻は夜にさしかかろうかという時間になっていた。

「今日はこの辺にしておこう」

「そうだねぇ。さすがにちょっと疲れたし、分からないところはだいたい聞けたから明日はひとりでも大丈夫そう」

「ああ。もう遅いし、そろそろおいとまさせてもらおう」

「え?!」


 壮史朗とセラ、賢弥の言葉に驚く陽斗。

「あ、あの、もし良かったら晩ご飯食べていって」

 相手にも都合があるだろうし、家でも用意しているだろうことは理解しつつそんなことを言ってみる。

 陽斗の精一杯の我が儘だ。


「いや、さすがに迷惑だろう。急に準備もできないだろう……」

「失礼します。お食事の用意ができていますが、いかがなさいますか?」

 賢弥が断ろうとしたそのタイミングで湊がそう告げに来た。もしかして覗いていたりしたのだろうか?

 不安そうに賢弥たちを見る陽斗の表情に、互いに顔を見合わせてから小さく笑みを浮かべた。

「……家に電話をする」

「まぁ、たまには良いか。この家の食事にも興味あるしな」

「そうしよう、そうしよう! 合宿みたいで楽しいし」

 男子ふたりは仕方がないという感じで、セラはカラカラと快活な笑い声を上げながら延長戦が決定した。

 もちろん陽斗は花が咲いたように満面の笑みである。

「わたくしもご相伴に与りますわ」

 穂乃香はというと、最初からこうなることが分かっていたように優しい笑みを浮かべていたのだった。




 キ~ン、コ~ン、カ~ン、コ~ン。

「そこまで! 解答用紙を後ろから集めてください」

 学校ものでお馴染みのウエストミンスターの鐘が鳴り響き、静まりかえっていた教室がにわかに騒がしくなる。

 あちこちでうめき声や伸びをする声、悲鳴などがこぼれるが、この日の試験終了、それも期末試験最終日となれば当然のことだ。


「試験はいかがでしたか?」

 陽斗もホッとした表情をしながら両手を上に上げて大きく伸びをする。と、穂乃香が近寄ってきて訊ねた。

「えっと、多分これまでで一番できた、かも」

 自信満々に、とはいかないがそれでも満足そうに陽斗は笑みを見せる。

「穂乃香さんやみんなのおかげです」

「陽斗さんの日頃の努力があってこそですわ」

「あ、ありがとう」

 穂乃香が陽斗の手をそっと取り、包み込みながらはにかむ。

 お互いの顔は真っ赤だ。

 

 もちろん今はまだ教室の中に同級生たちが沢山居る。

 というか、ホームルームが終わっていないので全員がこの光景を見ているのだが、誰もそれを冷やかしたり揶揄ったりすることはなく、生温かい目で見ていたりする。

 数日前から陽斗と穂乃香の距離がぐっと縮まったのは本人たちよりもむしろ端で見ている同級生たちのほうがよくわかっていた。

 そもそもが黎星祭以降、お互い意識しているのは明らかであり、ここにきて距離が近くなれば何かあったのは誰が見てもわかるというものだ。

 幸いなことに、この学園の生徒たちは初々しいカップルを揶揄ったりするような子供っぽさはないし、そもそも力関係から言ってもできるはずもない。

 なので、離れたところからニヨニヨしているというわけだ。

 ……一部そうではない人も居たようではあるが。


 そんな同級生たちの態度に気づくことなく、ふたりの会話は続く。

「今日は生徒会、無いんだよね?」

「ええ。明日のテスト休みがオリエンテーリングの最終確認ですね。せっかくのお休みが潰れてしまいますけれど」

「僕は全然平気だよ。生徒会活動は楽しいし、その、穂乃香さんも一緒だから」

 恥ずかしそうに頬を染めて言われ、穂乃香も耳まで赤くなっている。


(甘酸っぺぇ!)

 教室の中に声にならない絶叫が響いたとか。



 ホームルームが終わり、穂乃香と一緒に送迎用駐車場まで行き、そこで別れる。

 試験が終わったとはいえ、真面目な気質のふたりである。開放感に浸るのは試験の自己採点と間違った箇所の復習が終わってかららしい。

 陽斗も穂乃香も、学園で昼食を取ることなく帰宅することにした。

「お疲れさまでした。試験はどうでしたか?」

 陽斗がリムジンに乗り込むと、裕美が迎えてくれる。

「どうしても解けなかったのがあったけど、多分他は大丈夫だと思う。あ、でも、帰る途中で本屋さんに寄りたいんだけど」


 試験で間違えた箇所を中心に復習するため、問題集を買いたいと言うと、あっさりと許可が出る。

 警備体制がある程度確立したことで、少しばかりの寄り道なら問題なくなっているのだ。もちろん近くで待機しているバックアップ班が居るからこそなのだが。

 なので、同乗している警備班の男がすぐにどこかに電話をかけ、ほんの数分で準備が整ったらしくリムジンが動き出した。


 寄り道先の本屋は普段の通学ルートを少しだけ外れた市街地にある大型書店だ。

 といっても、それほど遠回りというわけではなく、10分程度余分に時間がかかるくらいである。

 本好きな陽斗は、これまでにも何度か立ち寄ったことのある店で、どの店員さんもすごく親切なので気に入っている。


 毎日ではないにしろ、何度も通っている道を陽斗は飽きもせず楽しそうに窓から眺める。

 重斗に引き取られてからすでに1年半以上が経過しているが、その一日一日が陽斗にとって全て刺激的で、幸福に満ちている。

 日々生きるのに精一杯だった過去と比べるようなことはしないが、気持ちに余裕ができただけ目に映る全てがかけがえのないものだと実感していた。


 と、交差点の信号が赤に変わり、陽斗の乗った車が停止した時、左側の歩道に立っている男性が目に留まった。

 横断歩道を渡ろうとしているようだが、どこかフラフラして足許がおぼつかないように見える。

(あの人、具合悪そうだけど、大丈夫かなぁ。今日は暑いし、熱中症とか?)

 陽斗がそんなことを考えつつ心配そうに見つめていると、男性は交差点に一歩踏み出した直後、糸が切れたようにバタンと倒れてしまった。


「!! 裕美さん、男の人が倒れた! 僕と一緒に救護をお願い!」

「わ、分かりました。警備班は周囲の人払いと交通整理、それと救急車の手配を!」

 

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