第116話 陽斗の脆さ

 GWゴールデンウィークが明けると生徒会は本格的に忙しくなる。その最初の行事が恒例のチャリティーバザーだ。

 今年は6月最初の週末におこなわれることになっていて、すでに会場の手配は済んでいるものの、備品の手配やバザーに出品する物の募集や整理、芸術科生徒による作品の受け渡しや保管などするべきことは山ほどある。

 のだが、陽斗はというと、生徒会役員室のデスクで商品となる物品のリスト作成をおこなっていた。

 といってもそれほど時間のかかる作業というわけでもないので他の事務作業を頼まれるまでは手持ち無沙汰となる。


「そうなんだ。それじゃようやく落ち着いたんだね」

「はい。伯父さんが部屋だけじゃなく家具とか家電とかも全部用意してくれたし、休み中にいろいろな物を買い揃えてくれたんで」

 デスクの椅子で足をプラプラさせながら暇を持て余した陽斗の相手をしているのは巌である。

 勉強や読書のとき以外、ジッとしていられずいつも仔犬のように動き回る陽斗なのだが、過保護な祖父や使用人、周囲の友人たちが「捻挫が完治するまでは絶対におとなしくするように!」と言われ、お目付役として必ず誰かが陽斗のそばに居ることになったのだ。

 というわけで、今はそれを巌が担当している。


「お母さんの体調はどうなの?」

「最近は出歩けるくらい良くなって、一緒に遊びに行けるって妹も喜んでます」

 巌の言葉に陽斗はまるで自分のことのように嬉しそうな笑みを見せる。

 それから少し聞きづらそうに目を伏せながら、

「あの、伯父さんとお祖父さんは?」

「母さんの提案で、伯父さんもしばらくウチで暮らすことになったんですけど、俺から見たら嫌な爺さんでも伯父さんにとっては父親なんで、ちょいちょい様子は見に行くらしいです。本人は意気消沈して引きこもってるって話ですけど」

 苦笑いを浮かべながら巌がそう言うと、陽斗もなんとも言えない顔で曖昧に頷いた。


 陽斗が巌の伯父、毅と話をした後、彼は問題の根源である当主から家と会社への権限を取り上げることにしたらしい。

 重斗の名を出したことが影響したのか、それとも元から人望が無かったのか、経営権の委譲は役員や株主、取引先からの反対も無くスムーズに決着したそうだ。

 錦小路家に仕掛けた工作についても当主交代という形で謝罪の意を示したことで一応の和解が成立した。

 実害が無かったために賠償等は要求されなかったし、工作資金が無駄になったことで制裁とするということに落ち着いた。

 錦小路グループとの問題が解決したことで当面の危機は回避できたが、前当主が残した問題は多く、毅は連日その対応に追われているようだ。

 その前当主であった道源は、突然立場を失ったのが相当ショックだったのか、今ではあの傲慢さはなりを潜めて生気無くぼんやりとあの古い屋敷にこもって過ごしているという。


「あの、先輩、本当にありがとうございました」

「僕はなにもしてないよ。感謝は伯父さんにしてあげて」

「いえ、先輩のお祖父さんが力を貸してくれたと聞いてます。それに先輩にも厳しい発破をかけられたって」

 繰り返し頭を下げる巌に困った顔で首を振る陽斗。

 だが今に至る状況を伯父から聞いている巌は陽斗と重斗に恩を感じているので止めようとしない。実際、それだけのことをしてもらっているのだから当然だ。

 毅の話では錦小路グループに対する産業スパイと切り崩し工作は未遂で終わったとはいえ、それを支援した企業や個人に対し、徹底的な報復措置が執られていたという。

 大隈家の所有企業でも、すでに取引先が逃げ始めていた段階で、毅は従業員たちの生活を守るために錦小路家へ事業と設備、従業員を引き取ってもらおうとしていたほどだった。

 結果的にそのタイミングで皇家が介入したことで拍子抜けするほどあっさりと当主交代がおこなわれることになったのだ。


 その騒動から数日経っているのだが、いまだにことあるごとに巌がこうして礼をいってくるのである。

 ちなみに、陽斗に対する過保護っぷりは巌にも伝播し、移動しようとするとその大きな肩に乗せられてしまっている。一部で“肩乗りワンコ”などと呼ばれているとか。

 陽斗の認識としては大した怪我ではないので困ってしまうのだが、さりとて拒否することもできずされるがままになっている。


「すっかり仲良しですのね」

 二人の会話に凜としていながら優しげな声が割り込んだ。

「穂乃香さん。芸術科の作品チェックは終わったの?」

「あ、ども」

 陽斗は穂乃香の顔をみてパァっと顔をほころばせ、巌は頭を掻きながら小さく頭を下げる。

 穂乃香は手に持っていたバインダーからリストを取り出して陽斗に渡しつつ、ほんの少し拗ねたように唇を尖らせた。


「まだ知り合ってそれほど経っていないのに打ち解けられるのは、やっぱり同性だからなのかしら。陽斗さんは天宮さんや武藤さんとも気安いですわよね」

「あ、あはは、そう、かな?」

 陽斗も年頃の男の子である。特に穂乃香はもちろん、学園や屋敷の女性は陽斗に対する警戒心が無いのか距離が近いためドギマギしてしまうことが多い。その点同性だと気楽に接することができるのは確かだ。

 距離を詰めたい穂乃香としてはそれが不満なようだが、そこまでは理解していなくても異性と同性で態度に違いがあるのは自覚しているので笑ってごまかすしかない。


 陽斗は受け取ったリストをパソコンで打ち込み始め、穂乃香もそれ以上追求することなく、準備の進捗を他の役員に聞き始めた。

 そうして作業を進めていると、他の役員も生徒会室に戻ってきて、あと少しでこの日の活動が終わるという時間、陽斗のポケットから電子音が響く。

「あ、ごめんなさい!」

 マナーモードにするのを忘れていたようで、慌ててポケットを探る。

「大丈夫だよ。緊急かもしれないから出た方が良いんじゃないかな」

 ワタワタする様子に吹き出しそうになりながら雅刀が促し、陽斗はペコペコと頭を下げてからスマートフォンの通話ボタンをタップする。


「はい、陽斗です。あ、和田さん? どうかした、え? あ、あの……」

「陽斗さん?」

 電話に出た陽斗の様子がおかしいことに穂乃香が気づいて声をかける。

 スマートフォンを耳に当てたまままるで時間が止まったかのように動きを止めた陽斗の顔色はわずかの間に真っ青になっていてただ事ではない様子が見て取れた。

「どうしたのですか?」

 肩を揺すりながらそう訊ねても呆然としたままの陽斗に、穂乃香は眉をひそめるとスマートフォンを取り上げる。

「突然申し訳ありません、四条院穂乃香です。陽斗さんが自失してしまっているので失礼は承知で代わらせていただきました」

 穂乃香は陽斗の代わりに電話に出たことを伝え、和田に状況を訊ねる。


 電話の向こうで躊躇するような沈黙の後、語られたのは陽斗の祖父がある企業との会合中に倒れ、病院に搬送されたということだった。

 詳しい状況はまだわかっておらず、とりあえず陽斗に病院まで来て欲しいという。

「承知しました。陽斗さんが心配なのでわたくしもご一緒させていただいてもよろしいですか? はい、はい、わかりました。お願いします」

 通話を終えた穂乃香は陽斗に向き直り目線を合わせる。

「ほ、穂乃香さん、お祖父ちゃんが……」

 陽斗がうわごとのように呟きながらうつろな目を向ける。

「陽斗さん! しっかりなさって! まだ病院に運ばれたというだけで、危険な状態というわけではありません。意識はあるそうですし、お祖父様は定期的に人間ドックも受けられていたのでしょう? きっと大丈夫です! そんな顔をしていては逆に心配をおかけしてしまいますわ」


 叱咤を含んだ厳しい口調。

 その言葉にハッとした陽斗の目にようやく力が戻る。

「う、うん。ごめんなさい」

「とにかくすぐに病院へ向かいましょう。わたくしも行きますから」

 陽斗が慌てて立ち上がり、それを見て穂乃香も鞄を手にすると、いつの間に戻ってきていたのか壮史朗が眉を寄せていた。

「とりあえず後で状況を連絡してくれ。僕はここに居る生徒たちに他言無用と言い含めておくから」

 どこか呆れたような言い方に、穂乃香も周囲の状況を考える余裕がなかったことを自覚した。


 陽斗と穂乃香のやりとりで、皇家当主に何かあったことはこの場にいる生徒たちに知られてしまった。

 重斗の影響力を考えれば、健康不安の噂が流れるだけでなにが起こるかわからないのに、陽斗の様子に気を取られていた穂乃香は完全に配慮が欠けていたと言える。

 壮史朗はそれを防ぐため、詳しい状況がはっきりするまで、たとえ家族であっても漏らさないように箝口令を敷くつもりなのだ。

 実際に家の者に伝わることは難しいかもしれないが、皇、四条院、天宮の三家の目が光る中で不用意な行動を起こすことは抑制できるだろう。


「それではすぐに向かいましょう。鷹司会長、申し訳ありませんが」

「大丈夫。今日の作業はほとんど終わっているし、日程にも余裕があるから必要なら数日は二人とも生徒会の仕事は休んでかまわないよ」

「ありがとうございます。大隈さん、陽斗さんをお願いできますか?」

「は、はい」

 雅刀が穏やかに許可を出し、穂乃香が礼を言う。

 穂乃香に励まされ、なんとか気を取り直したものの、陽斗はやはり気が急いているのか今にも駆けだしていきそうな気配だ。

 その機先を制して巌が陽斗を肩に担ぎ上げた。


「先輩、あまり動かないように」

「う、うん」

 後ろを振り返ることなく早歩きで生徒会室を出る巌と陽斗。穂乃香もそれに続く。

 そのまま廊下を歩いていると、普段なら面白そうに声をかけられるのだが今はただならない様子に見えるのかそれはなく、ほどなく送迎用駐車場に到着する。

 そこにはすでに陽斗のリムジンが待っており、近づくとすぐに湊がドアを開けた。

「和田さんから連絡を受けておりますので穂乃香様もお乗りください。四条院家へもその旨お伝えしてあります」

 湊の言葉に穂乃香は小さく頷くと先に乗り込んで陽斗を補助して座席に座らせた。


「大隈さん、ありがとうございました。それと」

「わかってます。黙ってれば良いんすよね」

 承知しているとばかりに大きな身体を屈める巌の姿は本当に聞き分けの良いクマのようで愛嬌がある。今の状況でなければ笑みのひとつでもこぼしてしまいそうだ。

 巌が車から少し離れると湊も乗り込んでドアを閉める。と同時にリムジンが動き出す。

「旦那様が搬送されたのは裕美の勤務する病院です。このまま向かいますので」

 送迎者用の門を通り抜けて道路に出たタイミングで湊からそう伝えられる。

「お、お祖父ちゃんは大丈夫なの?」

「すぐに検査と治療に取りかかられるよう準備は整っているはずですし、旦那様には持病もありませんから大丈夫だと思います」

 どこかすがるような目を向けられ、湊が安心させるように穏やかに言うものの陽斗の顔色は悪いままだ。


「陽斗さん」

 キュッ。

 穂乃香が耐えるように俯いた陽斗の強く握られた拳に手を添えると、まるで幼子のように掌を返して握りしめた。

 陽斗の震えがその手を通して穂乃香にも伝わってくる。

 そしてその顔は、これまでに見たことがないほど不安に彩られ、まるで捨てられた幼子のように見えた。




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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

私事で少しショックなことがあり、もしかしたら更新頻度、は、なんとか維持できるとは思いますが文量は少し少なくなってしまうかも知れません。

できるだけ早めに持ち直しますので我が儘ではありますが、どうかよろしくお願いいたします。


感想やレビューなどもお待ちしております。

それでは、また次週までお待ちくださいませ。

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