第115話 決別

「それでね、せんせいがわらってて」

「こら、こぼれてるぞ。ちゃんとお茶碗持って!」

「あらあら」

 いまどきあまり見かけないようなちゃだいで夕食を摂る3人の男女。

 明梨が楽しそうに学校での出来事を話し、巌はそんな行儀の悪い妹に苦笑しながら食べこぼしを拾う。そしてそれを見ながら優しく笑みを浮かべる母親。

 いつの時代、どこの場所でも繰り返される平和な光景。

 温かな家族の団らんだ。


「あのお兄ちゃんは、こんどいつくるの?」

「あのお兄ちゃん? ひょっとして陽斗先輩のことか?」

 子供の常で急に話題が変わり、巌が眉を上げる。

「うん! あかり、小っちゃいお兄ちゃんとおはなししたい」

 小っちゃいと言ってもさすがに明梨よりは大きいのだが、比較対象が巌なだけにその表現は仕方がない。

 先日、巌の忘れ物を届けに来たときに会って、ほんの少し話をしただけなのだが明梨はすっかり陽斗のことが気に入ったようで、また会いたいらしい。


「う~ん、先輩も忙しいだろうし、この家に呼ぶのもなぁ。あ、6月に生徒会でチャリティーバザーをするらしいからその時なら会えるかもな」

「え~、ダメなの?」

「明梨、無理を言ってはいけないわよ」

 陽斗は巌にいろいろと優しくしてくれているが、まだ知り合って日も浅い先輩である。親しいとまでは言えない関係でそうそう妹に会ってほしいなどと頼めない。

 母親の紗江がたしなめるが明梨は不満そうに唇を尖らせた。その様子に巌は苦笑いだ。

 もっとも、それもすぐに別の話題で忘れてしまうのも子供ならではだろう。


 巌達が食事を摂っているのは親子に割り当てられた離れの部屋だ。

 この屋敷には家人のための食堂もあるのだが、床に伏せることが多かった母親のためにいつも巌が食事をここに運んでいるのだ。

 母親をひとりで食べさせるのは淋しいだろうし、何より巌や明梨にとって食堂は居心地が良い場所ではない。

 食事くらいは楽しく食べたいということもあって、いつもこうして3人で食卓を囲むようにしている。


 話すのは明梨ばかりとはいえ、穏やかな雰囲気のままの食事が終わり、紗江がお茶を淹れる。

 その直後、離れの外からドタドタと足音が近づいてきて、不躾に襖が開かれた。

「紗江!」

「父様……」

 配慮もなにもなく入ってきたのは紗江の父であり大隈家当主の道源どうげんだった。

 血を分けた自分の娘が床に伏せっていても心配するそぶりすら見せず、めったに離れに来ることのなかった老人の姿に、巌は嫌な予感がして腰を浮かす。

 だがそんな孫達に目もくれず、道源はニヤニヤと嫌らしい笑みを貼り付けたまま口を開く。


「喜ぶがいい。お前の縁談が決まった。相手はそれなりの企業の会長で、後添えに是非にとのことだ」

 その言葉に紗江の顔から表情が消える。

 それなりの規模の会長職ともなればどう考えても若くはない。というか、普通は老人と言える年齢だろう。

 二人の子供が居るとはいえ紗江はまだ30代であり、儚げな雰囲気で美しい容姿をしている。そんな娘に持ってくる縁談とはとても思えない。


「……私は再婚をするつもりはありません」

「貴様の意思など聞いておらん! 自分の子供を満足に育てることもできん出来損ないが選べるなどと思うな。儂の言うことに黙って従っていれば良いのだ!」

「巌と明梨はどうするのですか?」

 あまりに独善的な言い様に、それでも感情を露わにすることなく紗江が重ねて訊ねる。

「コブ付きでは先方も嫌がるだろうから、二人はこのまま家に置いてやる。折角黎星学園に入れてやったのだから役に立つ人脈を作らせなければ元が取れんからな。妹の方はまだ先だが、貴様に似れば使い道はあるだろう。なに、再婚相手はいい歳だから先はそれほど長くなかろう。配偶者は遺産の半分を手に入れられる。それを持ってここに帰ってくるがいい」


 完全に娘や孫を道具としか思っていない考えだ。

 しかもそれを一切の罪悪感なく言ってのける道源の態度はもはや異常である。

 だが受け入れられるかと言えばそんなわけがなく、巌は拳を固く握りしめて立ち上がる。その顔は怒りのあまり紅潮し、細めの目は見開かれ鬼のような形相となっていた。

「ふざ、けるな」

 低く、地の底から響いてくるかのような押し殺した声で言いながら巌が道源の前に立つ。

「な、なんだ」

 2m近い身長と分厚い筋肉に覆われた身体で睨みつける巌に、さすがに道源も気圧されて思わず一歩下がる。


「黙って聞いていれば勝手なことばかり。母さんや明梨をなんだと思っているんだ」

 自分に対してはなにを言われても母や妹のためだと思えば我慢できる。しかし母親が道具のように扱われるなど、家族思いの巌にとって許せるわけがない。

 普段は陽斗とセットで生徒会のほのぼのコンビなどと陰で言われている穏やかな雰囲気が、今や家族を守ろうとする熊のごとき迫力で道源を見下ろしている。

「だ、黙れ! 子供が口を出すな! 嫌なら出て行け!」

 反抗され怒りを露わにしながらも、威勢が良いのは言葉だけであり、声音は怯えを含み腰は引けている。それでも巌達に他に頼る相手が居ないことを知っているので高をくくっているのだろう。


「巌、落ち着きなさい」

「母さん!」

「大丈夫だから。ほら、明梨が怯えちゃうわよ」

 今にも道源に掴み掛かりそうな巌を紗江の落ち着いた声が制止する。

 その言葉に、母親の背にしがみついた明梨を見やり大きく息を吐いて少しだけ道源から距離を取った。

「ふ、ふん、ようやくわかったか。路頭に迷いたくなければ儂に逆らうな」

 余裕を取り戻して口汚く言う道源は、紗江の自分に向けられる目が酷く冷めたものであることに気づいていない。


「父様、そのお話、お断りします」

「なんだと?!」

 予想外の返答だったのだろう、きっぱりとした紗江の言葉に目を剥く道源。

「わ、儂の命令に逆らうのか!」

「はい。子供達を守るのは親の責務ですから、二人が幸せになれない選択はあり得ません。それに、私も家のために犠牲になるつもりはありませんから」

 躊躇いない決意のこもった目で言い返され、思わず言葉に詰まる。


「い、良いのか? 儂の言うことが聞けないのならばすぐにこの家を追い出すのだぞ?

 そうなれば貴様の息子は学校を辞めることになるし、娘にもひもじい思いをさせることになるぞ」

 紗江が疎遠にしていた実家を頼ることになったのも子供達の将来を思ってのことだ。

 身体の弱い自分では満足に学校に行かせることが難しく、二人の選択肢を狭めてしまう。せめて明梨が大学を卒業するまでは自分さえ我慢すればと考えていた。

 だが考えるまでもなく、このまま道源の言いなりになっていても子供達は幸せになれない。家のために利用され、道具として使い潰されるだけだろう。

 そのくらいならば、いっそ家を出ていった方がまだマシな生活が送れるはずだ。

 それに、今は別の選択肢もできているのだから。


 そこに別の人物の声が割って入る。

「そうはならないよ」

「なんだと?」

「伯父さん?!」

 驚いたのは道源と巌だ。もっとも、その理由はまったく別だろうが。

 紗江と毅は小さく頷き合うと、巌の腕を引いて道源の前を空けさせた。


「毅、どういう意味だ。まさか貴様が紗江達を援助でもするつもりか?」

 忌ま忌ましげに睨みつけながら言う道源に、毅は呆れたように首を振った。

「父さんが家族をどう思っているのか試したんだが、まさかこうもあっさりと娘を売り飛ばすような真似をするなんてな。残念だよ」

 隠しきれない失望を滲ませた言葉に、道源は眉をひそめる。

「なにが言いたい」

「高輪重工の会長からの縁談、あれは私が頼んででっち上げてもらった話だ。だから本当に紗江を送り出そうとしても受け入れられないだろう。そもそもが高輪会長は今でも亡き奥様を大切に思っていらっしゃるようだからな」

「っ?!」


「知りたかったのは父さんが家族をどう思っているか。これまでの言動からわかってはいたが、それでも多少は情を持っているんじゃないかと期待したんだが、無駄だったな」

 そう言って大きなため息を漏らした毅に、道源は怒りを露わにした。

「儂を欺したのか! 勝手な真似をしおって。貴様等は儂の言うことに従っていれば良いのだ!」

「そうやって家族の言葉に耳を貸さず、好き勝手した結果が今の大隈家の状態だろう。たかが田舎の土地持ち農家が大昔に事業に成功しただけで名家を気取って見栄を張り、身の丈に合わない生活をした挙げ句没落した。先代である祖父が興した会社だけは残っていても父さんが始めた事業はことごとく失敗して、今や古びた屋敷と金にならない山林がわずかばかり」

「き、貴様!」


 容赦なく現実を突きつける毅の言葉に、怒気を強めるものの明確な反論は返せない。事実だから否定しようがないのだ。

「今はまだそれなりの財産が残っているが、このままでは遠からずそれも食い潰してしまうだけだろう。さすがにそれは困る」

「大隈の財産を儂が使うののなにが悪い!」

 道源の言葉に、毅は一層鋭い視線を向けた。


「大隈の家は父さんだけが居るわけじゃない。他の家族を犠牲にする家なんて存在する意味がない。家のために家族が居るんじゃない、家族のために家があるんだ!」

 一息に言い切ると、道源の顔から表情が消える。

「そう、か。どうしても儂に逆らうというのならもうお前など不要だ。この屋敷も会社からも失せるがいい」

 切り札、なのだろう。

 毅のクビを宣告するも、帰ってきたのは呆れたというため息だけだった。


「残念だけどもう父さんにその権限は無いよ。だいたい、実務をすべて俺に丸投げしてるのにクビにしたらどう運営していくつもりだ?」

 毅がそう言いつつ手に持っていたファイルケースから紙の束を取り出して道源の眼前に掲げてみせる。

「メインバンクや主立った株主からの委任状だ。これを元に明日にでも臨時株主総会を開いて父さんを会長職から解任するつもりだ。株式の過半数は押さえているから抵抗しても無駄だよ」

「そ、そんな馬鹿な! 役員や取引先が黙って……」

「もちろん事前に関係者には話をしてあるが、特に反対意見は出なかった」

「…………」

「それから、父さんの持っているOSMの株式を会社で買い上げる。拒否しても良いけど、その場合は新規株を発行してそっちの持ち株比率を下げるから強制買い上げになる」


 毅の口から今後の対応が話されるたび、道源の顔色がどんどん青くなっていく。

「OSM以外の父さん名義になっている資産は、買い上げた資金も合計した上で遺留分に相当する金額を生前贈与してください。残りはご自由に」

 淡々とした口調で今後のことが語られ、口を挟むことができない。

 道源が持つ会社の持ち株は発行株式の1/3だが、新株を発行して他の者が所有することになれば当然比率は下がり、議決権の2/3の賛同があれば強制的に株を買い上げることができる。つまり道源が今後大隈家が所有する会社へ一切の口出しができなくなるのだ。

 道源一人が株式の過半数を持つことに銀行が難色を示していたため特別決議を単独否決できる1/3を確保した上で毅や子飼いの役員の分を合わせれば過半数を確保できるように分散させていたのが仇になった形だ。

 もともと経営自体は毅がおこなっていたため道源が解任されたとしても会社には影響が無いし、メインバンクや取締役、株主が委任状を渡していることからも道源に味方は居ない。


 株式を買い上げればそれなりの金額になるだろうし、他にも多少の資産はあるため余生を過ごすのには十分だろう。

 それに、毅が口にした遺留分相当の生前贈与も法的には従う必要が無い。だがそれは実質的に毅から突きつけられた絶縁状という意味があるのだ。

 大隈家唯一の事業から追放されるということは当主として一切の権限を失うことと同義だ。

 社会的な立場が無ければそれなりの資産を持っていても影響力を行使することはほとんどできない。無論、皇家のように桁違いの資産を持つなら別だが。

 道源がもう少し若ければ手元に残った財産を使って新たな事業を興すことも考えただろうがさすがに老いた身で一から起業するのは難しい。

 結局、彼に残された道は財産を食い潰しながら余生を過ごすことだけだ。


「……何故だ。儂とて常に会社の状況は把握していたし、情報は仕入れていたはずだ。先日までは取引先も役員もまったく変わった様子が無かった。お前はいつの間にこれだけの準備を整えたのだ?」

 そう訊ねる道源の声には先ほどまでの力は無く、半ば呆然とした様子だった。

 問われた毅は、巌をチラリと目を向けると苦笑いを浮かべる。

「力を貸してくださった方がいるので。名前をお借りしただけですがね。ただ、父さんのやり方に着いていけないと考えた役員や、今後の取り引きを見直そうとしている会社が多かったのも確かです」

「そうか……」

 ようやくそれだけを言うと、道源は力なくその場に座り込んだ。


「私も兄さんが用意してくれた部屋に巌と明梨を連れて出ていきます。多分、もうここには帰ってこないでしょう」

 紗江がそう言っても道源が顔を上げることは無かったが、急な展開に驚いたのは巌だった。

「伯父さんが?」

「巌、兄さんはずっと私達にこの家を出るように言っていたの。父様に利用されないように、悪い影響を受ける前にって。だから優しい貴方が気に病まないように冷たく接していたのよ。住むところを用意してくれたり、今後の生活が成り立つように準備もしてくれたわ」

 思わず毅の顔を見るが、気まずそうに目を逸らされてしまった。


 その後すぐ、紗江の指示で簡単に荷物をまとめて屋敷を出ることになった。

 すぐに使う身の回りの物、主に巌と明梨の学用品や着替えと、いくつかの日用品。残りは毅が荷造りして送ってくれることになっているらしい。

 大きめの鞄ふたつに3人の衣類や日用品などを詰め込む。元々それほど荷物は多くないので残っているのは本や季節物の服類くらいなものだ。紗江の分は巌が持っているが明梨は学用品を自分で持つ。

 その間も道源はその場で俯いたままで、巌達に目を向けることは無かった。

 部屋を出るとき、一瞬巌が何かを言いかけるが結局それが言葉になることは無く、紗江もまた、一言「お世話になりました」と口にしただけだった。


 屋敷を出ると、門の前に停まっていた車に荷物を積み、紗江に促されて乗り込む。

 運転席でハンドルを握っているのは毅だ。

「あの、ありがとうございます。えっと、俺、ずっと誤解してて、すみませんでした」

 これまで冷たい態度だった理由を聞かされ、巌が自分の態度を謝ったが、毅は苦笑を浮かべながら首を振った。

「いや、嫌われるような態度を取っていたのはこちらだから気にしないでくれ。今考えればもっと別の方法もあったはずだからな」

「どうして、ここまでしてくれるんですか?」

「俺にとって紗江、妹は家族だからな。その子供である巌と明梨も」

「家族……」

 巌はオウム返しにそう呟きながら遠ざかっていく屋敷に目をやった。

  


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