第114話 家族の形

「陽斗、足が痛むのか?」

 学園から帰宅した陽斗がいつも通り食堂で夕食を摂っていると、対面に座っている重斗が気遣わしげに声をかけた。

 ずいぶんと食事の量が増え、平均的なと同じくらいには食べるようになってきた陽斗だったのだが、今はあまり箸が進んでいないようだ。重斗はその理由を足の捻挫だと思ったらしい。

 ちなみに大叔母である桜子は、地方で個展を開催している関係でここ数日留守にしている。


 保健室で簡単な手当を受けた陽斗は、再び巌の肩に乗せられて送迎用のリムジンまで届けられた。

 穂乃香から事情を聞いていた裕美はそのまま病院へ直行し、レントゲンを撮り専門医の診察と治療を受けたのだが、賢弥の見立て通り症状としては軽い捻挫。

 一応大事を取ってしっかりとテーピングで固定し、痛みがなくなっても最低2週間は走ったりしてはいけないらしい。加えてしばらくは通院をするという、少々過保護な処置となったがそれは仕方がないだろう。

 大変だったのは屋敷に帰り着いてから。

 診察結果は裕美から伝わっているはずなのだが、使用人達が卒倒せんばかりに過剰な心配をし、屋敷内の移動には車椅子を使うことになってしまった。

 もちろんメイドが最低ひとりは片時も離れず介助することに。陽斗の困惑そっちのけである。


 当然重斗もその例に漏れず、愛孫を心配していたのでそんな言葉が出たわけなのだが、陽斗にしてみればこの程度の怪我はすでに頭にはなく、食欲がないのは別の理由である。

「心配させてごめんなさい。でも捻挫はもう痛くないし大丈夫だよ」

 陽斗は困ったように言うが、過保護な祖父がそれで納得するわけもない。

「そうか、だが何か悩みでもあるのではないか? 儂に出来ることがあればどんなことでもしてやるし、陽斗がそれを望まないとしても話すことで頭が整理できるということもあるぞ。それに、これでもそれなりの経験を積んで歳を重ねてきたからな。多少の助言はできるかもしれん」

 

「お祖父ちゃん、ありがとう」

「だが、色恋に関してならば、あまり役には立てんかもしれないなぁ。桜子曰く、儂はかなりの朴念仁らしいからな」

 冗談めかして重斗が肩をすくめると、陽斗はようやく小さく笑みをこぼした。

「あの、お祖父ちゃん、後で少し相談に乗ってくれる?」

 遠慮がちの言葉に、重斗は嬉しそうに頷いた。


 食事を終えると、重斗に促されて陽斗の部屋へ。

 もちろん移動は車椅子である。

 陽斗は知らなかったのだが、この建物には荷物の搬入や急病に対応するためにエレベーターが備えられているらしく、車椅子に乗ったままでも屋敷内のどこにでも移動できる。

 大きさも家具やストレッチャーが入れるほどだったりするので、今更ながらとても個人宅とは思えない。

 そしてその陽斗を押しているのは当主である重斗本人だったりする。

 陽斗付きのメイドである湊が押そうとしていたのを強引に奪ったのが実に大人げない。


「それで、陽斗はなにを悩んでいるんだ?」

 部屋のリビングで向かい合って座り、湊の淹れてくれた紅茶で唇を湿らせてから重斗が水を向ける。

 問われた陽斗は、少し躊躇ってから先日忘れ物を届けに行ったときの大隈家の雰囲気と今日聞いた巌の事情を説明する。

「大隈君も、大隈君のお母さんや妹さんもとても素敵な人達で、でもあの家はすごく居心地が悪そうだった。まだ知り合ったばかりの僕が口を出しちゃいけないのかもしれないんだけど、何か出来ることは無いかなって」


「ふむ。他所さまの家の事情だから、他人が軽々に干渉すべきではないのは確かだな。その陽斗の後輩自身が頼んできたのなら話は別だろうが」

「そう、だよね」

 重斗に頼るまでもなく、陽斗の資産があれば巌とその母妹の状況を改善すること自体は簡単ではある。だが望まれていないのにそれを勝手にするわけにはいかないし、そもそも根本的な解決にはならない。もっとも、陽斗には資産がどうのとかまったく頭にないのだが。

「陽斗はどうなるのが望ましいと思っているんだ?」

「僕は、その、大隈君もお母さんや妹さんも笑って過ごせるようになってほしいなって。僕がお祖父ちゃん達に助けてもらえたみたいに、心から笑えるようになれたら」

「一番簡単なのは問題のある者を排除することだが?」

 重斗が陽斗の目をジッと見つめて言うと、その強い視線にたじろぎながらも陽斗は首を振った。


「特定の人をどこかにやったとしても、それだけじゃ変わらないかもしれないし。それに、心から大隈君達を邪魔に思っている人ばかりじゃないと思うから」

 それは陽斗の甘さだろう。

 誰かを救おうとすれば、必ずその掌からこぼれ落ちる者も居る。すべてを救うなど理想論に過ぎず、八方すべてに良い結果などあり得ない。

 だが重斗はその言葉の中に厳しさも感じとる。

 陽斗は排除する人間がいることを否定しなかった。

 世の中には相容れない人や救われベからざる人が居るということをきちんと理解している。

 きれい事だけでは成り立たないということをある意味一番理解しているのは陽斗なのかもしれない。


「ふむ。陽斗、明日少し儂とお出かけすることにしようか」

「え?」

 しばらく考えるそぶりを見せていた重斗の言葉に、陽斗は困惑の声を上げた。



 翌日。

 陽斗は重斗に連れられて都内のホテルに来ていた。

 ちなみに平日なので学園に通うのが大好きな陽斗としては残念なことに休んでしまったのだが。

 ホテルの正面玄関ではなく、裏手にある通用門のようなところから建物に入ると、そこで待っていたのは国内屈指の名家を統べる総領、錦小路正隆だった。

「待たせたかな?」

「いえいえ、お呼びしたのはこちらですから気になさらず」

 正隆は遅れたということは否定せず、朗らかな笑みを見せる。

 そのどこか芝居がかった仕草が胡散臭く思えるが、重斗は苦笑を浮かべるだけで指摘することはしない。

 そんな正隆が、陽斗に目を留めると、先ほどまでのわざとらしい笑顔を消して真剣な眼差しを向け、そして深々と頭を下げた。


「陽斗君、この度は本当にありがとう。君が忠告してくれたおかげで会社は大きな損害を免れることができました。それがなければ錦小路グループは中核企業の機密情報や技術を漏洩され、何万もの従業員達の生活にも影響が出たことでしょう」

「え? あ、あの、僕、別に」

「君は、君自身がどれほどのことをしてくれたのか理解できていないようですが、私は錦小路家と傘下のグループを統括する者としてお礼を言わなければならないのですよ」

 正隆がそう言って、今度こそ心からの笑顔を見せる。

「立場上、表だって礼をすることが出来ないのがもうしわけないですが、私が君にとても感謝していることは伝えさせてください」

「は、はい」

 もう一度頭を下げた正隆につられるように陽斗も頭を下げる。その様子を重斗はニヤニヤとしながら見守っていた。


「さて、先方はすでに到着しておりますからな。案内しましょう」

 重斗を横目に見ていささか不満そうに顔を歪めながら正隆が歩き始める。

「相変わらずひねくれた男だな。さぁ、陽斗」

 誰に聞かせるというわけでなく一言呟いて後に続く。

 案内されたのは上階にあるレストランの個室だ。

 ホテルのスタッフがドアを開けると、中にいた人物が立ち上がって頭を下げる。


「お待たせして申し訳ない」

 言葉とは裏腹に正隆は重斗達に見せていたのとはまた違う、冷徹な声音を相手に投げる。

「いえ、この度はお時間を作っていただき、感謝いたします」

 そう言いながら顔を上げた男性は、部屋に入ってきたのが錦小路家当主だけでないことに気づき、困惑した表情を見せた。

「事後承諾となるが、今回の件はこちらの皇氏にも関係があるのでね。同席してもらうことにした」

 男の肩がビクリと震える。

 顔を見てまさかと思ったが、正隆が口にしたことで相手が錦小路すら超える影響力を持つ男だと知ったのだ。


「す、皇氏が、ですか」

「ええ、今回我がグループに損害を与えようとしていた者を見つけたのは彼らなのだよ。なので、それに協力していた企業への対応にも関わることになる」

 その言葉に、男の顔には一層緊張の色が浮かぶ。そのせいか重斗の隣に居たひときわ小柄な人物に意識がいっていない。

「さて、あまり無駄話をするのは時間がもったいないですからな。……大隈毅さん、要件を伺いましょうか」

 何の感情もうかがわせない口調で正隆がそう促しつつ、対面の椅子に腰掛ける。重斗と陽斗もそれに続いた。


 2対の鋭い視線を受け、男性、巌の伯父である大隈毅はわずかの間目を閉じて静かに息を吐く。

 そしてわずかの沈黙の後、静かに口を開いた。

「……まずはお詫びを。OSM(OHKUMA Science manufacturing)株式会社の会長であり、大隈家当主のおおくまどうげんが錦小路グループに敵対する者を支援し、資金の提供と複数の企業への橋渡しを行っていたことを謝罪します」

「謝罪というのなら当主本人が出向くのが筋というもの。失礼ながら貴方では話になりませんな。それとも他に私を納得させるものがあると?」

 容赦のない言葉が飛ぶ。


「これは大隈家としてではなく、道源の血族としてかの者の妄執を止められなかったことに対する謝罪と考えていただきたい。その上で、我が社の取引先、設備、そして従業員を錦小路グループに委ねたいと考えております」

 決然とした毅の言葉に、さすがに予想外だったのか正隆と重斗が顔を見合わせた。

「……それを御当主は承知しているのかな?」

 重斗がそう口を挟むと、毅は苦笑を浮かべながら首を振った。

「当主の道源は知りませんし、彼は絶対に承知しないでしょう。ですが、OSMは私が実質的に運営しており代表権も持っておりますので問題ありません。それに会社自体はそのままですので」


「会社が残っても取引先も設備も従業員さえ居なければ意味があるまい。何故そのようなことを?」

「すでに一部の取引先は大隈家が錦小路グループに手を出して失敗したという情報が流れています。ですので遠からず一斉に我が社から手を引くことになりますが、そうなってからでは社員達の生活が立ちゆかなくなります。会長の罪を従業員に押しつけることは出来ません。そのくらいならば、まるごと錦小路グループに引き取っていただければ取引先が流出することも社員が路頭に迷うこともありませんから」

 淡々とした口調にはいささかの躊躇いも含まれていないように聞こえる。


「ふむ。私としては実際に損害は未然に防ぐことができましたので御当主に責任を取っていただけるなら構わないとしたいところですが」

 正隆が隣の重斗に意味ありげな視線を送る。

 先ほど皇家が今回の策謀を暴いたと口にしたことと合わせ、処分を主導しているのが重斗だと印象づけたいようだ。

 これには重斗も苦笑いするしかない。

「……さて、陽斗は何か聞きたいことはあるか?」

「え?!」

 唐突に矛先を向けられた陽斗が驚きの声を上げ、そこでようやく毅はこの場にいるもう一人に意識が向いた。


「! 君は……」

 毅が何かを言いかけ、しかし口をつぐむ。

 もちろん陽斗も大隈家の屋敷で帰り際に会った毅の顔は覚えており、見てすぐにわかった。だから、今の会話が大隈家に大きな影響を与えるものであることは理解できる。

 重斗がこの場に陽斗を連れてきたのも、昨夜巌について相談したからだろう。

 この日に巌の伯父と面会する予定だったのは偶然だろうが、ある意味必然とも言えるのかもしれない。

 だから陽斗は重斗の顔を窺い、頷かれたので思い切って訊ねてみることにした。

「あの、大隈君、巌君や妹さん達はどうなるんですか?」

「……大隈家には巌などという者はおりません。私には一応血のつながった妹はおりますが、とうに縁を切っていますので大隈家とは関係ありません。人づてに息子と娘が居るとは聞いていますが」

 見え透いた嘘。

 それだけで、彼が巌達親子を巻き込むまいとしていることがわかる。


「毅さん、は、どうするんですか?」

 重ねられた質問に、毅はフッと柔らかい笑みを一瞬だけ見せ、覚悟の決まった目で正隆と重斗を見た。

「誰かが責任を取らなければなりませんし、当主にその意思がないのであればそれは後継者である私の役目でしょう」

「どうして」

「え?」

「どうして勝手に決めるんですか?」


 毅は自分に向けられた視線に思わずたじろぐ。

 まっすぐですべてを見透かすかのような澄んだ瞳が陽斗から注がれ、とっさに言葉を返すことができない。

「大隈君も、彼のお母さんも、毅さんが責任を負うのを望んでいないんじゃないですか?」

「それは……」

「家族、なんですよね? 相手のことを思って巻き込まないようにするくらい大切な家族なんですよね? だったらちゃんと話し合って、他の方法も考えて、みんなで支えなきゃ駄目なんじゃないですか?」

 青臭い理想論。そう切り捨てることができないほど陽斗の言葉は毅の胸に突き刺さる。


「家族の形はいろいろとある」

 重斗が陽斗の背をそっと撫で、後を継ぐように口を開いた。

「とても一言で表すことなどできようも無いし、他人が口を挟むことでもないだろうが、儂の孫にとっては巌君は大切な後輩のようでな。その彼が悲しむことは容認できんらしい」

「…………」

「そして儂は孫の望みはすべて叶えてやりたいのでな。貴様の提案は却下させてもらおう。取引先には儂の名前を出すがいい。時間稼ぎくらいはできるだろう」

 つまりはその間に家族の問題を片付けろということだ。

 重斗がそう言って正隆を見ると、迷うそぶりすら見せず頷いた。

 実際、錦小路にしてみれば大隈家の会社程度手に入れたところで大した旨味はないし、報復の見せしめにするにも他にいくらでもアテはある。


「それでは失礼するとしよう。陽斗、帰ろうか」

「うん。あの、生意気なことを言ってごめんなさい。でも、巌君や明梨ちゃんには笑っていてほしいから」

 席を立った重斗の後に続きながら陽斗はそう言ってペコリと頭を下げる。

 困惑しながらこの状況を受け止めるしかできなかった毅は、大きくため息を漏らす。

「楽な方法は許されない、か」

「年長者がしないで誰が子供らを守るというのだ。最善を尽くすのは大人の義務だろう」

 重斗の言葉にわずかに苦いものを感じ、それまでとは異なる、新たな覚悟を固めざるを得なかった。

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