第107話 大きな後輩

「へ? あ、あの時の小っこい先輩?」

 生徒会室に入ってきた大柄な男子生徒が陽斗を見て一瞬驚いた顔をするも、すぐにフニャッと笑みを浮かべた。

 男子生徒の身長は陽斗はもちろん、生徒会室にいる誰よりも大きく、おそらくは長身の賢弥よりも拳ひとつ分ほどは高いように見える。

 しかも背が高いだけでなく、がっしりとした体型のせいでひときわ大きく感じるが、丸顔に比して小さくて垂れ気味の目が印象を和らげている。


「会長が言ってた、外部入学で生徒会に入ってくれる生徒って」

「あ、いや、まだ入るって決めてないんですけど、とりあえず話を聞こうかなって。あの、俺は1年4組のおおくまいわおっす」

 名は体を表すというのか、身体に恥じない大仰な名前である。

 自己紹介を受けた陽斗は嬉しそうに満面の笑みを浮かべてペコリと頭を下げる。

「ぼ、僕は西蓮寺陽斗です。2年生で、えっと、生徒会の副会長をしてます」

 陽斗の笑顔につられたのか、緊張気味だった巌もニコニコと人好きのする笑みを浮かべて陽斗に応えている。

 熊のような外見の巌と仔犬のごとき陽斗というコントラストはどこかメルヘンチックでほのぼのとした雰囲気を周囲にまき散らしていた。


「大隈君、いらっしゃい。よく来てくれたね」

「あ、ども」

 ふたりのやり取りを穏やかに見守っていた雅刀が声を掛けると、巌が慌てて頭を下げた。

「そんなに気を使わなくても大丈夫だよ。生徒会に入るかどうかもゆっくりと考えてくれれば良い。ただ、そうだね、しばらくの間、生徒会がどんなことをしているのか体験してみないかい?」

 唐突な雅刀の提案に、巌が困ったように頭を掻く。

 

「体験、ですか」

「そう。昨日話したとおり、昨年からの取り組みで外部入学の生徒の中から生徒会役員をお願いして、内部進学の生徒と外部入学の生徒が交流できるように橋渡しをしてもらっているんだ。なんて言っても抽象的過ぎて何をしたら良いのかわからないだろうからね。同じ立場だった西蓮寺君と一緒に活動すればわかりやすいんじゃないかな」

 巌が雅刀の言葉に納得したように頷く。

「そんなわけで、西蓮寺君お願いして良いかな? 四条院さんもサポートしてあげてほしい」

「はい! よろしくね!」

「承知しました」


 陽斗が元気よく、そして穂乃香も頷いて巌に向き直る。

「陽斗さんと同じく、生徒会副会長の四条院穂乃香です。よろしくお願いしますね」

「は、はい、えっと、よろしくお願いします」

 穂乃香が微笑みを浮かべながら挨拶すると、巌は一瞬呆けたように穂乃香の顔を見つめ、すぐに慌てて頭を下げた。

 大きな身体を縮こませ、顔を耳まで赤くした巌は、頭を上げても穂乃香の方を見ようとせずに陽斗に顔を向ける。

「? 大隈君、どうかしたの?」

「い、いえ、なんでもないです」

「わたくしが何か?」

「あ、あの、俺、女の人と話すの得意じゃなくて、でかいから恐がられることが多いから」


 巌の言葉に、穂乃香はクスリと小さく笑う。

「わたくしは恐いとは思いませんわ。人を判断するのに必要なのはどう行動しているかであって外見ではありませんもの」

「大隈君は恐くないよ。力は強そうだけど、優しそうだし! これからよろしくね」

 陽斗もそう言って笑みを深めるが、巌は顔を赤くしたまま小さく頷いただけだった。




 黒塗りのセダンが古びた大きな門の前に止まり、後部座席のドアが開く。

 窮屈そうに身体を畳みながら出たのは高校生としては規格外に大柄な巌だ。

 高級そうな乗用車とはいえ、縦にも横にも大きな身体ではやはり狭かったのだろう。車を降りると大きく体を伸ばす。

 そして何度か腰を捻った後、門柱に設置されているインターホンを押した。

『はい』

「巌です。いま帰りました」

『……ブツン』

 愛想の欠片もなく音が途切れると、小さくカチャリと門の鍵が開いた。


 巌はひとつ小さく息を吐くと、門の扉を押す。

 門も含め、高い塀に囲まれた武家屋敷のような佇まいの家はどこか殺伐とした空気に包まれているようで、歩く巌の表情もどこか固い。

 門から10数mほど歩いて家の扉に手を掛ける。

 そして、引き戸を開けた直後、巌の腰に小さな影が飛び込んできた。


「お兄ちゃん、お帰りなさい!」

 ギュッとしがみついてきた小さな女の子が嬉しそうにそう言うと、巌も固かった表情を緩めてその太い腕で抱き上げる。

「ただいま、明梨。母さんは?」

「お部屋で横になってるけど、今日は少し調子が良いみたいだよ」

 その言葉にホッとすると、抱き上げたまま明梨の足からサンダルを脱がせて三和土に揃えて置くと家の中に入る。


 巌が廊下を歩いて行くと途中で女中姿の使用人とすれ違うが、年嵩の女は口を開くことはせずに小さく頭を下げただけでそのまま通り過ぎていく。いつものことだ。

 居心地の悪い思いを抱えたまま母屋の廊下を右に折れ、離れへと足を向ける。

「母さん、ただいま」

「巌? 入って良いわよ」

 渡り廊下の先にある離れの建物の部屋に着き、巌がそう声を掛けるとすぐに返事が返ってくる。

 襖を開けると、部屋に敷かれた布団に身体を起こした30代後半くらいの女性が微笑みを浮かべながら巌と明梨を迎えた。


「調子はどう?」

「大丈夫よ。食事も食べられてるし、少しずつ良くなってきているから。それより学校はどう? 友達はできそう?」

「うん。金持ちの家の人ばかりだって聞いてたから心配したけど、穏やかで優しい人ばかりだから大丈夫だよ。それに先輩も良い人みたいだし」

 巌がそう言うと、女性はその言葉が本心か見定めるようにジッと見つめ、それから小さく頷いてみせた。


「私のせいで巌と明梨には嫌な思いをさせてしまっているわね。ごめんなさい。でも無理だけはしないでね」

 申し訳なさそうにそう言った女性は、儚げで、白い顔色とほっそりとした身体もあっていまにも消えてしまいそうな危うさがある。

「俺は大丈夫だから。爺さんに何を言われても平気だし、母さんと明梨がちゃんと生活できるなら少しくらい我慢できるから」

「私だって大丈夫だよ! お母さんとお兄ちゃんがいればへっちゃらだもん!」

 巌の腕の中で明梨も力強く言う。


「そう。でも我慢し過ぎちゃダメよ。いざとなったらふたりだけでも」

「母さん!」

「……ごめんなさい」

 巌が強い口調で遮ると、女性は弱々しく笑みを浮かべて首を振った。

「お兄ちゃん、あのね……」

「失礼します。巌さん、大旦那様がお呼びです。書斎に来るようにと」

 暗くなった雰囲気を和らげようとしたのか、明梨が兄に今日あったことを話そうとした途端。別の声が割り込んできた。


「はい、わかりました」

 巌が振り返って返事を返すよりも早く、女中姿の女は、用は済んだとばかりに踵を返して去って行った。

「はぁ~、行ってくるよ。明梨、母さんのこと頼むな」

「うん。お兄ちゃん、後でお話しよ?」

 一瞬淋しそうな表情を見せた妹の頭を、大きな掌で撫でてから立ち上がる。

「巌、父様が何を言っても、嫌だったら断っても良いからね。あなたは自分のことを第一に考えなさい」

「うん、大丈夫。また後で来るよ」

 心配そうに見返す母と妹を安心させるように笑みを見せ、巌は母屋に向かった。


「巌です。呼んでると言われたので」

「入れ」

 母屋の奥に設えられた書斎の前に着くとすぐに中に呼ばれる。

 そこに居たのは60代半ばほどの老人。

 深く刻まれた眉間の皺と鋭い眼光、気難しげに歪められた口元と、人間的な温かみを感じられない冷徹な空気を纏っている。


「黎星学園はどうだ? 良家の者とは知り合えたか?」

 入学したばかりの身内を心配しているとは思えない不躾な質問だ。

 友人、ではなく良家の者という言い草が、彼等の関係性を物語っているようだ。

「まだお互いに自己紹介しただけですから、良家と言われても俺はそういうのあまりわからないので」

「重要な家柄は紙に書いて渡しただろう。その程度は記憶しておけ」

「……それと、生徒会に誘われました。新入生の中から数名が生徒会に入ることになっているらしくて、その中のひとりとして」

「ほう?」


 不機嫌そうな声が巌の言葉で一転する。

「生徒会か。それは良いな。それなら人脈を作る助けになるだろう。役員の名はなんだ?」

「えっと、確か会長が鷹司先輩で、副会長が西蓮寺先輩と四条院? 先輩とか」

 それを聞いて老人が身を乗り出して巌を睨みつける。

「四条院だと? そうか、そういえばあの家の次女が高等部に通っていたな。他の者は聞いたことのない家だが」

「あの?」

「他の連中はどうでも良い。四条院となんとしてでも親しくなれ。貴様の面相では男女の関係になるのは無理だろうが、友人くらいならなれるかもしれん」

「……」


 突然そんなことを言われ、巌の顔に不快感がよぎる。

「なんだその顔は。儂の命令に不満でもあると言うのか?」

「いえ」

「忘れるなよ。貴様等親子を引き取ってやったのは利用価値がある可能性を考えてのことだ。利用されるのが嫌ならいつでも出ていくが良い。病弱な母親と何もできない妹を抱えて生きていけるならな」

「それは……」

 巌が返す言葉もなく顔を伏せる。


「貴様が役に立つなら母親の治療や妹の生活、学費も出してやる。一応は儂の娘と孫だからな。だが、いくら血が繋がっていようが、儂は役立たずに何かしてやるつもりはない」

「わかってます。頑張ります」

「ふん! せいぜい見放されないよう、死に物狂いで努力するのだな。話はそれだけだ、下がれ」

 まるでハエでも追い払うように手を振る老人に、巌は頭を下げて書斎を後にしたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る