第94話 壮史朗の頼みごと

 黎星学園の始業式翌日。

 公立の高校よりはほんの少し長めの冬休みが終わり、学園のカリキュラムは早速通常モードに戻っている。

 つまりは午前中の授業が終わると昼休みを挟んで午後も通常の授業が行われる。そんな中で、陽斗達もまたいつも通り食堂で昼食を囲んでいた。

 ずいぶんと充実した休日になったようで、陽斗も穂乃香もその余韻を楽しむかのように朗らかに会話を交わしている。

「陽斗さん、口元にソースがついていますわよ。動かないでくださいね」

「あぅ、あ、ありがとう」

 多少は仲も進展しているようで、穂乃香による陽斗への甘やかしがさらに加速しているが。


「で、皇家の別荘ってどうだったの?」

「素晴らしかったですわ。設備もですけれど、なにより働いている方々が本当に良くしてくださいましたから」

「海辺だったのよね? 穂乃香さんは少し焼けてるみたいだけど、陽斗くんは泳がなかったの?」

「えっと、穂乃香さんのお兄さん、晃さんに泳ぎを教わってたよ。あんまり上達はしなかったけど」

 セラに話を振られた陽斗はそのときの光景、自分の運痴っぷりや穂乃香の水着姿が鮮明によみがえって顔を真っ赤にする。

 ちなみにセラの指摘通り、穂乃香は少し日焼けしているが陽斗は休み前とほとんど変わらず色白のままだ。

 どうやら体質の違いらしく、穂乃香もしっかりと対策をしてはいたが南国の日差しの強さにそれなりに焼けてしまったものの、陽斗は肌が真っ赤になっただけですぐに色が抜けてしまった。

 帰りの飛行機の中で穂乃香や他の女性使用人達から相当うらやましがられたのだが陽斗としてはどうしようもない。


「あの、天宮くんと賢弥くんは年末年始どう過ごしてたの?」

「うちは相変わらず騒々しかったな。チビ共の相手をしながら大掃除して初詣に行って、だな」

「僕は実家に帰ってたぞ。といっても4日間だけだし、あとは寮で本を読んだり映画を見たりだな」

 別荘云々を除けばごく普通の休み明けの交流風景が続く。

 ただ一人、壮史朗はどこか探るような、わずかに落ち着かなさが態度に出ていたようで、陽斗がそのことを率直に切り出した。


「天宮くん、どうかしたの? 何かあるなら話してくれると嬉しい、かな」

「西蓮寺……ああ、その、気を遣わせて申し訳ない。実は西蓮寺に頼みたいことがある」

 陽斗へ頼み、と聞いて穂乃香が眉を寄せ、賢弥も一瞬目つきを鋭くする。

 しかし周囲の警戒に気づくことのない陽斗は、頼みと聞いて逆に嬉しそうに目を輝かせた。

「ぼ、僕にできることだったら。いつも天宮くんに助けてもらってるし」

 内容を聞くこともせず軽々しく引き受けようとする陽斗に苦笑いの穂乃香と賢弥。

 立場を考えれば良くはないのだが、陽斗としてみれば大切な友人だと思っている相手から頼られるのは単純に嬉しいし、なにより壮史朗が無茶な要求をしないという信頼もある。


「本来こんなことを西蓮寺に頼むのは筋違いだとはわかっているんだが」

 壮史朗はそう前置きして、年始に実家で兄と話した内容を説明する。

「えっと、でも、僕が天宮くんのお兄さんと会っても何かできるわけじゃないと思う、よ?」

「そうですわね。それに、こう言っては失礼かと思いますけれど、天宮家の令息として重圧を背負いたくない、窮屈だなどとは少々甘えているのではありませんの?」

 穂乃香から遠慮の無い言葉が浴びせられる。

「まぁ、そうだろうな。他家の跡取りから見ればそう言われても仕方ないだろう。僕だって最初はそう思った。だが家門や事業を背負う重みは理解できる」


 それは穂乃香も理解している。

 彼女自身が跡取りではないにしても四条院家の令嬢として様々な重圧に晒されているし、後継者として努力を重ねている兄の姿も間近で見てきたのだ。

 もっとも、だからこそ壮史朗の兄の弱音が腹立たしく感じるのだが。

 だが陽斗はまた別の感想を持ったらしい。

「僕が役に立つかはわからないけど、天宮くんがそういうならお兄さんとお話してみるね」

 と、あっさり承諾した。

 陽斗には名家で生まれ育った重圧などわからない。今現在の陽斗も同じような立場なのだが何かを求められたことも無ければプレッシャーを掛けられたこともないからだ。

 それでも陽斗に壮史朗の頼みを断るつもりはなかったし、自分にできることなら力になりたいと思っているので断るわけがない。


「……それでは場所はわたくしがご用意いたしますわ」

 陽斗の態度に、仕方ないと小さく肩をすくめた穂乃香は、それならと手伝いをかってでることにする。それに眉をひそめたのは壮史朗だ。

「別に四条院に頼んでいるわけじゃないぞ」

「お兄さんの後継者としての悩みということであれば、ご当主には話をしていないのでしょう? 陽斗さんとお兄さんをどこで、どうやって会わせるおつもりですか? 警備のことも考えなければなりませんし、皇氏に話を通さないわけにはいきませんわ。わたくしなら直接お願いできますし、条件に合う場所も提供できます。それと当日はわたくしも同席させていただきますわ。友人の家族とはいえ皇の令孫をひとりだけで会わせることはできませんもの」

 穂乃香のもっともな指摘に壮史朗は対案を出せず、甚だ不本意そうにしながらも呑むことしかできなかった。



 翌週の週末。

 陽斗と穂乃香、それから桜子の3人は大山率いる警備班に護られながら都内の高級ホテルの一室にやってきていた。

 壮史朗の頼みを受けた陽斗はその夜、食事の席で重斗と桜子に相談をした。

 陽斗には名家の跡継ぎの悩みなど想像もできないし、何を言えば壮史朗の兄の力になれるのかなどわかるはずもない。

 陽斗など比べること自体意味がないほど様々な経験を積み重ねた二人なら何かアドバイスをもらえるのではないかと考えたのもあるが、実情としては普通に友人に頼まれたことを報告して出かける許可をもらうためである。


「そうか、それなら陽斗が思ったこと、感じたことをそのまま伝えれば良い。儂らから聞いた実感のこもらない言葉など相手には届かん。それよりも、自分がその立場だったらどうするか、どんな言葉をかけてほしいかを考えてみなさい」

 壮史朗の兄に何を話せば良いのかを尋ねた陽斗に、重斗がそうアドバイスを送る。

 実は陽斗から話を聞く前に穂乃香から連絡を受けており、謝罪と共にある程度の事情を聞いている。

 ちなみに謝罪とは天宮家の嫡男を陽斗と会わせることを止められなかったことだが、別に天宮家は皇とそれほど関係が悪いわけではない。つながりは薄いが現当主とは何度か会談したこともあるので陽斗が会うと言った以上そのくらいはかまわない。

 とはいえ友人である弟が同席するとはいえ兄の方が何を口にするのかわからない。なので桜子が目付役として同席することになったのだ。


 穂乃香が重斗と話し合って用意したのはホテルのエグゼクティブスイートの部屋だ。

 海外の賓客が滞在することもある場所で、当然警備体制もしっかりとしている。

 約束の時間より少し前に到着していた陽斗達は部屋の中で壮史朗達がくるのを待っていた。

 そして約束の時間の2分前、ホテルのスタッフに案内されて壮史朗と京太郎のふたりが部屋に入ってきた。2分前というところが生真面目な壮史朗らしい。


「すまない、待たせたか?」

「ううん、僕たちが早めに来ただけだから」

 陽斗と壮史朗が挨拶を交わし、リビングルームのソファーに誘導する。

 が、京太郎が壮史朗の腕を引っ張って顔を寄せた。

「お、おい、ひょっとして皇の孫ってあのちっちゃい子供か?」

 京太郎的には小声のつもりだったのだろうが、屋内であり距離だってそれほど離れていないのでその言葉はしっかりと陽斗と穂乃香の耳にも届いている。

 陽斗としては言われ慣れているし別に気にもしないのだが、穂乃香の方が目をつり上げてしまっていた。


「ずいぶんと礼儀をわきまえない方ですのね」

 穂乃香の一言に京太郎が気まずそうな顔で目をそらす。

「あぁ、いや、申し訳ない、です。壮史朗の同級生だっていうから、その、想像と違ったので」

「穂乃香さん、大丈夫だよ。僕の見た目がちっちゃいのは本当のことだし、気にしてないから。それにお兄さんの方が年上なんだからかしこまられても困るし」

「あなたたち、とにかく座ったら? このままじゃ全然話が進まないわよ。っと、自己紹介がまだだったわね。私は皇重斗の妹、皇桜子よ。陽斗の大叔母にあたるわね。穂乃香ちゃんは面識があるのかしら?」

「す、皇?! し、失礼しました。俺、あ、いや、私は天宮京太郎と申します。彼に対して失礼なことを言ってしまって申し訳ありませんでした。四条院家のお嬢様も」

 そう言って京太郎が頭を下げ、改めてソファーに促されて腰を下ろした。


「私のことは気にしないでちょうだい。一応陽斗が変なことを言ったりしないかを心配してついてきただけの世話焼きオバサンだから。聞かれたくない話もあるでしょうけど、誰にも内容は話さないから安心して。もちろん兄にもね」

「いや、はい、しかし」

 京太郎は桜子や穂乃香、陽斗の顔をチラチラと見て小さな溜め息を吐くと首を振る。

「……ご足労いただいて申し訳ないですが、やはりもう少し自分で考えてみることにします」

 そう言って腰を浮かす。

 おそらくは予想外の二人の存在と、それにもましてあまりに子供っぽい陽斗の外見で相談する気が失せてしまったのだろう。


「兄さん、何を考えたのかは大体わかってるが、西蓮寺をあまり見くびらない方がいい。少なくとも僕や兄さんには想像もできないほどの経験をしてきてるし、彼も皇の後継者だ。兄さんの悩みが解決できるわけじゃないだろうけど、それでも何か掴めるものがあるはずだ」

 壮史朗がそうたしなめるが京太郎は躊躇ったままだ。

 そんな彼に桜子が穏やかに話しかける。

「京太郎さん、貴方は陽斗が保護された経緯はご存じかしら?」

「え? い、いえ、10年以上行方不明だったとは聞きましたけど」

「陽斗はね、1歳の頃に誘拐されたの。幸い、と言っていいのかはわからないけれど、殺されることなく誘拐した女と一緒に暮らしていたのよ」

「は?!」

 絶句する京太郎。


「壮史朗君が言ったのはそのことよ。もっとも、そんな育ち方をしたものだから知識や経験が少し歪になってしまってるけどね。でも、だからこそ話をしてみなさい。貴方の周囲に居る人とは根っこが違うからもしかしたら見る目が変わるかもしれないわよ。逆に陽斗にとっても貴方と話をすることはいい経験になるの。協力してくれないかしら」

 自分よりもずっと年上の、それも皇当主の妹からそう言われては京太郎に拒否はできない。

 なにより、見るからに明るく人が良さそうに思えた少年が、それほど壮絶な生い立ちでなおそんな態度がとれることにも興味を持った。


「はぁ、わかりました。っていっても俺の悩みなんて、えっと、陽斗くん、だっけ、君の経験に比べたらクソみたいなものだろうけどな」

 溜め息交じりにそう前置きして、以前に壮史朗に愚痴った内容を話す。

「ま、よくあるボンボンのわがままってやつだよ。俺には天宮グループを背負うだけの覚悟は持てないし自由もほしい。幸い弟は優秀だから全部丸投げして楽になりたいって感じだ」

 冗談めかした京太郎の言葉に、穂乃香が眉をひそめる。

 穂乃香も四条院の令嬢として跡取りである兄の姿を間近で見てきたし、彼女自身四条院の娘として恥ずかしくない態度を自らに課してきた。だからこそ京太郎の言い草に不快感を持ったようだ。

 しかし、京太郎の言葉に、陽斗は全く別のことを口にした。


「あの、もし生意気に聞こえたらごめんなさい。その、京太郎さんってすごく真面目で責任感が強いんですね」

「はぁ?!」

 予想外のことを言われた京太郎が素っ頓狂な声を上げた。


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