第93話 閑話 後継者というもの
食卓にカトラリーのたてる小さな音だけが微かに響く。
家族4人が揃っているとは思えないほど静かで、そして無機質な晩餐だ。
久しぶりに感じる重苦しい食事に、壮史朗は今にもこぼれそうな溜息をこらえつつ味を感じない料理を黙々と口に運んでいく。
そしてもう一人の若者である兄、京太郎は内心そのままにいかにも不機嫌な表情を隠そうともせずに時折顔を顰めながら一秒でも早くこの場を席を立とうと無作法にがっついている。
普段この天宮家本邸で家族が揃うことは稀だ。
壮史朗は黎星学園の学生寮で生活しているし、兄の京太郎も大学近くで一人暮らしだ。父は事業が忙しく帰らない日も多い。
そんな家族が、冬休みに合わせて帰省した子供達と久しぶりに顔を合わせたというのに穏やかな団欒とはほど遠い。
「壮史朗」
いつも通り感情を一切見せないまま食事を続けていた父、蓮次が珍しく声を掛けてきたことに驚く。
普段は礼儀やマナーに厳しく食事中の私語などは一切しないからよほどのことがあるのかと壮史朗も京太郎も父の方を向く。
「皇の孫と親しくしているらしいな」
「ああ、西蓮寺のことですか。親しいと言えるのか、まぁそれなりに話をしたり昼食を一緒に摂ったりする程度ですが」
「どんな人物だ?」
「見た目もですが、性格は素直で高一とは思えないほど子供っぽいですね。ただ、頭は悪くないし物覚えも良い。それと意外に図太さもあるようです。それが何か?」
「……いや、友人は大切にすると良い」
蓮次はその一言だけでそれ以上は何も言わなかった。余計な事を言って皇家との関係に影響があっては困るとでも思っているのだろう。
代わりに口を開いたのは母である由美子だ。
「皇とは
由美子の言葉に、壮史朗の顔にまたかといううんざりした表情が浮かぶ。
天宮の血を継いでいるのは父ではなく母だ。
蓮次は婿養子の立場であり、事業はともかく、家と財産は由美子が握っている。
とはいえ天宮グループを運営しているのは蓮次であり由美子はまったく関わっていないので双方共に離れるわけにはいかないという事情がある。
夫婦仲はそれほど悪いというわけではないので今のところ問題は起きていないが。
ただ、旧家である天宮の本家令嬢である由美子はその価値観も旧態依然のままだ。
全てにおいて長男である京太郎を優先し、壮史朗はあくまでその予備という認識でしかない。
愛情を向けなかったわけではないが、壮史朗が京太郎よりも能力や人脈で優位に立つということがどうしても許せないらしい。
だから今回のように壮史朗が人脈を築くと必ずそこに京太郎を割り込ませようとするのだ。
「僕と西蓮寺はあくまでクラスメイトとしての関係です。今の段階でそこに無関係な人間を連れて行けば皇の不興を買いかねませんよ。もしこの先彼ともっと親しくなることができたとしたら、そのときに改めて検討した方が良いかと思います」
それに、と。
壮史朗は言おうか迷った上でそれ以上は口をつぐむことにした。
今の陽斗には四条院穂乃香がべったりと貼り付いている。他の友人達も含めて壮史朗が京太郎と引き合わせようとしてもそれなりの理由がなければ警戒して妨害するように動くはずだ。
「何を言うのですか! あなたは京太郎を支える立場。率先して動かないでどうするのです!」
「紹介しないとは言っていません。皇の当主を怒らせたり警戒させたりしないために時期を見てということです。多少親しい程度のクラスメイトが兄弟に会わせたいなんていきなり言っても相手にされませんよ。下手をすれば嫌われるだけです」
壮史朗が憮然として至極まっとうな反論をすると、さすがに由美子もそれ以上は言えなかったのか不機嫌そうに黙り込んだ。
息子達のことは完全に妻に任せているといわんばかりに蓮次が口を挟むことはなかった。
「ごちそうさん」
一層堅くなった雰囲気を割るように京太郎がいささか乱暴に箸を置いて立ち上がった。
「京太郎」
呼び止める由美子の声を無視してダイニングを出ていく。
兄と自分への由美子の態度の違いにもはや失望を感じることはない。
昔から母は兄を過剰なほど甘やかし、逆に弟に対しては厳しく躾けた。
壮史朗に対して愛情がないわけじゃないだろう。幼い頃はそれなりに甘えさせてくれた憶えがあるし、邪険にされることも無視されることもない。
欲しいと言った物はだいたい買ってもらえたし、教育にも十分な費用を掛けてくれている。ただ兄弟で教育方針が異なるだけだ。
それでも以前までは少なからず不満もあったし家族を顧みることなくただ事業のことしか考えていない父も、天宮の家の存続と跡継ぎたる兄ばかり関心を向ける母にも不審、不満、悲しみ、怒りが入り混ざった複雑な感情を持て余していた。
しかしそれもクラスメイトのおかげである程度消化できている。
壮史朗も食事を終えるとすぐに席を立つ。
今度は呼び止める声がかかることもなく自室に戻ることができた。
「こんなものだと割り切ればそれほど辛くもないが、暇を持て余すな」
どうせ居心地が悪いからと、壮史朗が帰ってきたのは大晦日の昼過ぎだ。京太郎に至っては顔を出したのは元旦の昼。
そうしてようやく家族全員が顔を合わせたのが先ほどの晩餐である。
一応滞在は4日までで、4日の午後には実家を発って寮に戻るつもりでいる。
蓮次はどうせ年始であっても3日からは仕事に行くだろうし、実家に居たところでやることがあるわけでもない。ただ気詰まりなだけだ。
それならさっさと寮に戻って本でも読んでいる方が気楽で良い。
部屋に入った壮史朗はデスクからタブレットを取り上げ、ベッドにどっかりと腰を下ろす。
といっても別にすることがあるわけではなく、逆になにもないからだ。
とりあえずブラウザを立ち上げてニュースのトピックをチェックする。
気になる記事を見つけてそのページを開いたところでドアがノックされた。
「はい」
「あ~、オレオレ。入っていいか?」
いつもなら勝手に入ってくる京太郎が珍しく入室に許可を求めたことに奇妙な感覚を覚えたが、別に拒む理由もない。壮史朗は立ち上がって扉を開けた。
「……何かしてたのか?」
「別に、暇つぶしにタブレット開いてただけだ。それで、わざわざノックするなんて、どういう風の吹き回しだ?」
「おいおい、いつもオマエがノックしろってうるさいだろうが。まぁいいや、たまには弟と話がしたいと思ってよ。暇なら付き合えよ」
そう言って京太郎がぶら下げたビニール袋を掲げてみせる。
中にはビールやツマミがたっぷりと入っているらしい。
「未成年に酒を飲ませようとするなよ」
「相変わらず堅っ苦しい奴だな。そう言うと思ってコーラも買ってきてあるよ」
京太郎は袋から缶ビールを一本取りだすと、ずかずかとベッドの前まできて座り込む。
すぐにプシッという音を立てながら開けるとグイッと勢いよく喉に流し込んだ。
その様子に壮史朗は呆れたように肩をすくめ、押しつけられた袋の中のビールやカクテルを部屋の小型冷蔵庫に放り込むとツマミと自分の分のコーラを持って京太郎の対面に座る。
「酒、飲むようになったんだな」
「ん? ああ、実は大学に入ってすぐに飲み始めたんだけどな。二十歳過ぎたからこれからは堂々と飲める」
ニヤッと口元を歪めながら缶に口をつける京太郎はずいぶんと慣れているように見えた。
「こうして話をするのは夏以来だけど、学園生活はどうよ?」
何かを探るように話を切り出した京太郎に苦笑いを返す。
「別になにも変わらない。生徒会の手伝いをするようになったから結構忙しいけど」
「そうか……」
それきり部屋に沈黙が降りる。
ときおりツマミを咀嚼する音と飲み物を飲む音だけが微かに聞こえるだけの、晩餐の時とは異なる居心地の悪さがあった。
ただ壮史朗は重い空気を変えるような話題を出すのは苦手だし、そもそも京太郎の意図が分からず口を開くのを待つしかない。
「はぁ~! あ~、なんだ、実は、な。オレは天宮の家を継ぐのを辞めようと思ってるんだよ」
「はぁ?! 兄さん、本気で言ってるのか?」
壮史朗からすればその言葉は青天の霹靂だ。そもそも両親が許すとは思えない。
「親父は多分なにも言わないだろうよ。実際俺よりも壮史朗の方が真面目に努力してるし能力だって不足は無いんだからな。不真面目でやる気のない俺なんかが会社を継ぐより良いんじゃねぇか?」
京太郎の言い草に壮史朗も言葉に詰まる。
才能はともかく、兄が大学に入ってから自由気ままに過ごしすぎてたびたび父が小言をいっていたのは知っているし、そもそも蓮次は会社が上手くいくのなら兄弟のどちらでも気にしないような節がある。
「お袋は、まぁ体面を気にするし、頭が固いからな。反対だろうよ。けど俺が家を出ちまえば関係ないだろ? 滅茶苦茶怒られるとは思うけどな」
「……理由は?」
「窮屈なんだよ。生まれたときから将来が決められて、やることなすこと天宮の家に相応しい行動を、なんて言われてさ。確かに裕福な暮らしをさせてもらってるしバイトする必要ないくらい金は貰えてるけど、やりたいこともできない、付き合う奴だって自由に選べない。それどころか集ってくるのは天宮の権力や財力目当ての連中ばかりだ。やってらんねぇよ」
壮史朗が呆れたように溜息を漏らすと、京太郎は気まずそうに頭を掻きながら言葉を続ける。
「甘えてるって言いたいんだろ? わかってんだよ。オレが何不自由なく生活できるのもこんな気楽な大学生活送れるのも家のおかげだってことくらいは。恩恵を受けてるんだからそれに伴った責任があるってこともな」
「それを理解していても後継者になりたくないと?」
壮史朗がそう返すと、京太郎は立ち上がって冷蔵庫から新しいビールを取り出して一気に飲み干す。
そしてさらにもう一本を手に再びどっかりと腰を下ろした。
「考えてみろよ。天宮の家、いや親父の事業を引き継ぐってことはそこで働いている何万人もの従業員の生活を預かるってことだぜ? オレにはそんな才覚ねぇよ。確かに昔は何でもある程度のことは努力しないでもできたし、大した勉強しないでも成績はよかったけど、そんなのは社会に出たら何の意味もねぇ。笑うか? 笑うよなぁ。けどオレはそんな責任負いたくないんだよ」
酔いが回っているのだろう。
京太郎の顔は赤くなり、強がることも飾ることもせずに内心を吐露している。
確かに他人から見れば大企業の創業家の御曹司が家を継ぎたくないなど甘えでしかないだろう。
だが壮史朗にも兄の気持ちは理解できないでもない。
父親もまだまだ現役で、実際にその地位を引き継ぐのは早くても10年以上も先の話だ。
それでも後継者である以上は父に万が一のことでもあればすぐに全ての責任がその双肩にかかることは間違いない。
歴史ある家柄と十万人を超える従業員を抱える大企業を己の手腕一つで守らなければならない。
たとえ優秀な部下がいたとしてもその重圧たるや生半可な覚悟で背負えるものではないだろう。
壮史朗とて将来天宮の家と事業を支えるべく努力しているがあくまで兄の補佐という立場でのことであり後継者としての覚悟をもっているわけではないのだ。
どう言葉を掛けるべきか。
京太郎が家を継ぐ継がないは兄自身が決めるべきことで壮史朗が口を出すことではない。
どのみち覚悟が伴わなければ後継者になどなれるわけがないのだ。
重要なのは将来をどう見定め、それに向かっていけるか。逃げるだけでは何の解決にもならないのだから。
愚痴を吐き出したのが気まずかったのか、壮史朗から目をそらしてチビチビとビールを飲んでいる兄を見ていて、不意にクラスメイトの顔が脳裏に浮かんだ。
京太郎や壮史朗の苦悩など鼻で笑われてしまうような地獄に居てなお曲がることなく努力し続けた子供にしか見えない友人。
「兄さん、僕の友人、皇の孫に会ってみないか?」
気がついたときにはそんな言葉が壮史朗の口をついて出ていたのだった。
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