第92話 陽斗の思い

 その日の晩餐。

 重斗や穂乃香の両親を含めた全員が食堂に集まっている。

 のだが、重斗と彰彦は戸惑った表情で顔を見合わせていた。

 その原因となっているのは二人。

 赤い顔でうつむきながらチマチマと料理を口にする陽斗と、時々ニヘラと年頃の女の子としては残念な感じで表情を崩しながらご機嫌な様子の穂乃香だ。

 

 陽斗の方は時々チラチラと穂乃香の顔を窺いながらも無言であり、穂乃香は時折首元のネックレスを手でもてあそびながら感触を確かめているようだ。

 その二人を見て穂乃香の母である遙香と兄の晃はなんとなしに察したらしく、方や好奇と微笑ましさで笑みを浮かべ、方や複雑そうな表情でむっつりとしている。

 ちなみに壁際に控えている数人のメイド達はニヨニヨと口元を歪めているので、状況がわかっていないのは重斗と彰彦の二人だけである。

 結局、奇妙な雰囲気のまま晩餐は終了し、陽斗がそそくさと席を立ったことで追及することもできず解散となった。

 

「はぁ~」

 入浴を終えて寝室で本を読んでいた陽斗は、目が冴えてしまって眠れそうにないので部屋を出て2階の共用バルコニーに出ていた。

 部屋のある側とは反対にあるそこから海は見えないが、代わりに満天の星空が今にも降り出しそうなほど鮮やかに瞬いている。

 時刻はすでに11時を過ぎ、建物内は静まりかえって怖いほどだったが陽斗は気にならないようで、バルコニーに設置されていたベンチに腰掛けてため息をついた。

 

 別に憂鬱なわけでも悩みがあるわけでもない。

 ただ、自分のした行動に気恥ずかしさと戸惑いがあって落ち着かないだけだ。同時に嬉しさも感じていたりする。

 穂乃香が晩餐の時にしきりに手で触れていたネックレス。

 陽斗が贈ったそれを、早速身につけてくれていたのが照れくさくて嬉しかった。

 ギフトショップで桜子へのお土産を選んでいたときに目に入った、濃い紅色の宝石珊瑚があしらわれた小ぶりなペンダントヘッドにシンプルなゴールドのチェーンのネックレスは明るくて優しく、それでいて凜とした穂乃香によく似合っているように思えた。

 

 贈ったことに後悔はない。

 けれど、日頃のお礼なのは確かだけれど半ば衝動的に穂乃香に押しつけてしまったことに戸惑ってもいる。

 恥ずかしくて嬉しくて、ありがたくて申し訳なくて。

 有り体に言ってしまえば自分の気持ちが整理できずに混乱しているというわけだ。

 

 キィ。

「あれ? 陽斗くん?」

 不意に背後のドアが開いた音がし、声をかけられたことに驚く。

「あ、晃さん?! ど、どうも」

 振り返った陽斗が慌てて頭を下げるが、晃は苦笑いを浮かべながら手を左右に振ってそれを制する。

「邪魔してしまったのは僕の方だからそんなに気を遣わないでくれ。考え事かい?」

「えっと、まだ眠くならなくて」

「そうか、僕もなんだ。というか、普段でもまだまだ起きている時間だしね。ご一緒していいかい?」

 陽斗が座っているベンチを指さしながら訊いてきた晃に、陽斗は頷いて横にずれる。

 

 ベンチは十分な大きさがあるので二人で座っても窮屈にはならないし、このバルコニーにはほかに座る椅子が出ていない。

「おぉ、近くに外灯が無いから星が綺麗に見えるなぁ」

 どっかりと座って空を見上げた晃が感嘆の声を上げ、つられて陽斗もそちらを向く。

「わぁ~!」

 今更の感動である。

 考え事に夢中で今の今まで星空のことなど意識の中に無かったのだ。

 そんな陽斗を見て晃がクスリと笑みをこぼす。

 

「陽斗くんは面白いな。もちろん悪い意味じゃ無くて、自然に周囲を和ませる雰囲気を持ってる。穂乃香も君のそんなところが気に入っているのかもしれないな」

「そ、そうですか? 自分じゃわからないですけど」

「きっと、陽斗くんがまっすぐで優しいからなんだろうね」

 いきなりの褒め言葉に言葉を返すことができずに困ったような顔を見せる。

「穂乃香も、どうしても四条院の令嬢っていう目で見られてしまうんだよ。学校でもそうだろうね。けど君は自然体で接してくれるんだろう? だから穂乃香も君の前では年相応の女の子になってしまうようだ」

 晃はそう言って笑みをこらえるように口元をヒクつかせた。

 おそらく脳裏に浮かんでいるのは昼間の、晃に陽斗を盗られたとへそを曲げていた姿だろう。

 

 そして、ひとつ咳払いをすると、表情を真剣なものにして陽斗の方に向き直った。

「穂乃香からすれば余計なお節介だろうけど、僕にとっては大切な妹だからね。人を見る目はあるんだがまだ高校生になったばかり、家族としては心配なんだよ。

 だから訊いておかなきゃならない。

 陽斗くん、君は穂乃香のことをどう思っているんだい? 単なる友人なのか、それとも恋愛感情があるのか」

「え、あの、ぼ、僕は……」

 嘘も誤魔化しも許さないという決意を込めたまっすぐな目を向けられ、陽斗は慌てる。

 

「あの、穂乃香さんはすごく優しくて、素敵だし、いつも僕のことを気遣ってくれて、それで……」

 そこまで口にして言葉に詰まる陽斗。

 なにかを言おうと唇が開きかけるがすぐに思い直したように閉じてしまう。

 そんなことを何度か繰り返すばかりだったが、晃は無理に促すことなく陽斗を見つめたままだ。

 やがて陽斗は大きく息を吸い、吐き出した。

 そしてもう一度。

 

「……僕は、まだ自分に自信がないんです。お祖父ちゃんに引き取られるまでは毎日をだた無我夢中なだけだったし、学園に入ってからは周りは凄い人ばかりで。僕は穂乃香さんや雨宮くん達に助けてもらうだけで」

「君は皇の後継者だろう? 十分じゃないか?」

「それはお祖父ちゃんが凄いだけです。僕は何の力もないし、なにもできていない。でも、いつかはお祖父ちゃんや穂乃香さんに認めてもらえるくらいになりたいと思ってて」

「穂乃香に対しての気持ちはどうなんだい?」

 晃はもう一度訊く。

 

「その、僕は女の子を好きになったとか、そういうのがこれまでなくて、だから正直に言うとよくわからない、です。でも、穂乃香さんと一緒にいたり話をするとすごく楽しくて、ときどき恥ずかしくなることもあるけど、穂乃香さんの笑った顔をみると嬉しくて、その……」

 訥々と語る陽斗。

 そこまで自覚しておきながら、と途中から呆れた目で陽斗を見る晃。

 はっきり言ってどこから見ても好意はありまくりである。

 

「あ~、うん、わかったわかった!」

 あまりに初々しくて逆に恥ずかしくなってしまった晃がそれ以上の言葉を遮る。

「と、とにかく、僕や両親は穂乃香のことをとても大切にしているということだけは覚えておいてほしい。僕らは彼女の泣き顔を見たくないからね」

 その言葉に陽斗は少し考え、そしてしっかりと頷いた。

 晃の言いたいことはそれだけ。だから立ち上がろうとしたとき、陽斗が遠慮がちに口を開いた。

 

「晃さんは、その、穂乃香さんの家の跡取り、なんですよね?」

「うん? そう、だね」

「四条院さんの家って、たくさんの会社を経営したりしてるんですよね? えっと、日本でも有数の名家だって聞きました」

「そうだよ」

 答えながら晃は警戒するように陽斗を見返す。

 こういった質問はこれまでに幾度もされてきた。

 そのほとんど全てが四条院の権力や財力に引き寄せられた者達からのものだ。

 

「あの、どうすれば晃さんみたいになれますか?」

「……はい?」

 思わず口をついて出る間の抜けた声。

「凄く重い家名を継ぐって、きっとプレッシャーとかたくさんあって、でも晃さんは堂々としてて、格好良くて、でも家族思いだし僕にも優しくしてくれて、穂乃香さんの話だと頭も凄く良いって。きっと人の上に立つ人って晃さんみたいなんだろうなって思って」

 あまりにまっすぐに賞賛の言葉を並べられ、晃の顔が熱くなる。

 

「いや、僕だって父と比べたらまだまだ全然だよ。成績だって僕より上の人なんて何人もいるし」

「でも晃さんはまだ学生なんですよね? それなのに将来のことをしっかりと見据えて努力してるし、絶対に自分が後を継ぐんだって自信に満ちてるように見えるから。凄いなって」

 褒め殺し、というわけではなく、陽斗は本心から言っているというのは目を見れば明らかだ。

 

 四条院の家に生まれ、経済的な面で苦労したことは無い。だが、人間関係ばかりは普通の人に比べて決して恵まれているというわけではない

 穂乃香もそうだが、どうしても四条院の名は晃という人間と切り離すことはできない。

 多かれ少なかれ、周囲の人間へその家名は影響を与えていて、晃個人のみを見られることはまず無いのだ。

 ところが陽斗は”四条院家の晃”としてではなく、”四条院家を背負おうと努力している晃という個人”を評価した。

 これは初めての経験だった。

 

「き、君にそんなに褒められるのは照れくさいんだが」

 そう返しながらも口元がほころんでしまう。

 そして、晃の言葉を待っている様子の陽斗を見る。

 純粋な憧れの存在を見るような目。

(ああ、うん、いまなら穂乃香の気持ち、少しは分かるかも。コイツ、めっちゃ可愛いわ)

 晃はなんだか色々と考えていたのが馬鹿馬鹿しくなってきていた。

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