第82話 詠美の両親

 発表会が行われていたホテルにある中華料理のレストラン。

 ホテルの格式に見合った高級そうな内装の個室に、7人の老若男女がテーブルを囲んでいる。

「申し訳ないが、勝手に中華を選んでしまったのだが、良かったかな?」

 テーブルの奥側に座った重斗がそう訊ねると、顔を向けられた夫婦が慌てたように首を左右に振る。

「は、はい、その、私どもがこのような場に呼ばれて良かったのだろうかと不安にすら感じております」

 

 その言葉に重斗は穏やかに微笑む。

「この度は孫の友人への祝いとして招待させていただいた。素晴らしい才能を持っているだけでなく、努力も惜しまないと聞いている。だからこそあれほど素晴らしいものを生み出せたのだろう。ご両親の愛情と教育の賜物でしょうな」

 そう言って重斗が対面の少女に目を向けると、それを受けた詠美は顔を赤くして小さくなってしまう。

 どう見てもかなり高い立場にいそうな重斗に過剰な褒め言葉をかけられ、さりとてそれを謙遜すれば両親の愛情や教育を否定するようで言葉を返すことができなかったのだ。

 

「私共も驚いております。恥ずかしながら娘が宝飾品の勉強をしている事を知らなかったもので」

「多分、家業のことで言い出せなかったのでしょうが、私たちは知らず知らずのうちに娘に余計なプレッシャーを与えていたのかもしれません」

「ち、違うよ! 私は家のことも大好きだし、着物も好きだから! でも……」

 両親の落ち込んだような声音に、詠美が慌てて誤解を解こうとする。

「まぁまぁ、話はゆっくりとしましょう。それに、お嬢さんが家業にも着物にも深い思い入れがあることは今日の作品を見れば十分に伝わっていますよ」

 この場にいるもう一人の大人である四条院明彦が苦笑気味にとりなす。

 

 ここにこうして詠美の両親がいるのは重斗が彼らを連れてきたからだ。

 無論それはこの会食のためではなく、その前に行われていた発表会のためである。

 三浦によって壇上で基本デザインを担当したと紹介された詠美は、あの後も観客から称賛を受け真っ赤になりながら舞台から降りた。

 それを迎えたのは、今も金沢で呉服屋を切り盛りしているはずの両親だった。詠美の両親は観客席の別の場所で発表会を見ていたのだ。

 いまだに詠美がジュエリーデザインの勉強をしていることを告げられずにいたために詠美は大いに慌てたのだったが、両親は優しい笑みで詠美を労ってくれた。

 それから詠美の両親と一緒にその場にいた重斗が詠美たちと陽斗、四条院親子をこのレストランに連れてきた。

 詳しい話はここで、ということなのだろう。

 

 全員が席に着いて少しすると中国茶とともに軽く摘めるような前菜が人数分並べられる。

 中国茶で口を湿らせた後、詠美の父が重斗と明彦に向かって頭を下げた。

「この度は娘の夢を実現させるために骨を折ってくださり、本当にありがとうございました」

 母親の方も立ち上がり深々と頭を下げる。

「いや、礼を言われるようなことは我々はなにもしていないよ。詠美さんの友人である陽斗くんと私の娘が、彼女のデザイン画を見ていたく感心したようで付き合いのあるジュエリー工房の見学できるように少し口添えしただけだからね」

「うむ。儂も明彦君に話を聞いて面白そうだったから今日の主催者にそのことを伝えた以外にはなにもしておらんな。まぁ、せっかくの娘の晴れ舞台を見せたいとお節介は焼いてしまったが、それだけだ」


 明彦と重斗がそう応じるが、もちろんそんな簡単なことではないのは詠美の両親も察している。

 彼らがここにいるのも、和装生地の発表会の主催者から招待を受けたからなのだが、仕事柄そういった発表会や展示会に呼ばれることは多いとはいえ、普通は移動や宿泊は自分達で手配するものだ。

 職人などは主催者側で用意したりするが、詠美の両親はあくまで販売する側であり、発表会は商談の一環であり仕事だ。

 だが今回は主催者からの招待であり、東京までの飛行機チケットやホテルの宿泊まで全て手配されていた。しかもホテルは一流ホテルの広々としたツインルームが3日間も用意されている。

 それもこれも、詠美が夢を実現させる場面を見せようとしてくれたからなのは間違いない。

 しかし四条院家と皇家の両当主が揃って「礼は不要」と言っているために、それ以上そのことを蒸し返すことはせずに、恩として記憶に刻むことにする。

 

「今回の和装ジュエリー、本当に素敵でしたわ。三浦さんも仕上がりにかなり満足していたようですし、詠美さんのデザインを褒めてましたわよ。できればこれから本格的に勉強して工房に来てほしいと言っていたほどです。

 それに、今回のような和装ジュエリーが注目されるようになれば和服の新しい魅力が広まるかもしれませんわね。お家の事業にとってもプラスになるのではなくて?」

 穂乃香がそう水を向けると、詠美ははにかんだ笑みを浮かべてひとしきり照れた後、なにかを決意したように真剣な表情を両親に向ける。

「これまで黙っていてごめんなさい。私、呉服屋の仕事を小さいときから見てきたし、着物も大好きなのは本当なの。一人っ子だし、いつかは家を継ぐんだって思ってた。ううん、それは今も変わらない。でも、ジュエリーのことも好きで、もっと勉強したいって思ってる。そしてできれば着物に合う、着物をもっと素敵にするジュエリーを作りたい。

 もっと、いっぱいいっぱい努力する。たくさん勉強する。絶対に両立してみせるから、だから、私がジュエリーの勉強をすることを許してほしいの」

 

 詠美が一息にそう言うと、詠美の両親は困ったように顔を見合わせた。

「その、なんだ、私も詠美がジュエリーの勉強をしていると知ったばかりで驚いているよ。詠美は家にいる時にそんな話をしたことがなかったからね」

「でもそうね、小学校の頃、宝石の図鑑やアクセサリーの本を楽しそうに、飽きもせず何度も何度も読んでいたのは覚えているわ」

 詠美の両親はそう言って優しく微笑む。

「詠美、私たちはね、詠美に幸せになって欲しい。親として望んでいるのはそれだけだよ。だから詠美が好きな道に進むのを止めるつもりはないし、家のことだって心配はいらない。無理にあとを継がなければなんて考えなくてもいいんだ。店だって続けるだけなら親戚に任せたって良いんだからね」

「確かに昔、詠美に継いでほしいって言ったことはあるけど、詠美に家の犠牲になって欲しいわけじゃないのよ。だから、本当にジュエリーの勉強をしたいなら思いっきりやってみなさい」

 両親の、愛情のこもった言葉に、詠美の目から涙が溢れる。

 

 重斗も明彦も、陽斗たちも口を挟むこと無くその温かな光景を見守る。

 陽斗にいたっては自分のことのように嬉しげに笑みを浮かべつつ、しっかりともらい泣きをしていたりするが。

「話の続きは食事をしながらにしよう」

 母親に頭を撫でられていた詠美が泣き止んだタイミングで重斗が個室の入口に控えていたスタッフに合図すると、すぐに料理が運ばれてくる。

 

 基本的に中華は大皿料理だ。

 大きな円テーブルの上に二周りほど小さな回転する台が置かれており、そこに次々に色とりどりの料理が並べられていく。

「わぁ~……」

 思わず口からこぼれ出た感嘆の声に、穂乃香と詠美の視線が集まり陽斗が恥ずかしそうに顔を赤くする。

「フフ、中華料理は華やかで目を引きますものね。陽斗さんは中華料理がお好きなんですか?」

 陽斗の様子に小さく笑うと、穂乃香がフォローの言葉を添えてくれ、陽斗は頷く。

 学園の食堂を除けばあまり外食する機会がない陽斗だが、中華料理は初めて綾音に会ったときに連れて行ってもらった。

 その日を境に陽斗の生活は一変することになった、陽斗にとって特別な料理と言える。その時食べた味は今でもはっきりと思い出せるほどだ。

 

 食事が始まると、重斗と明彦、詠美の両親で穏やかに会話を交わしている。元々明彦と詠美の実家は古い付き合いがあるし、重斗も伝統工芸を広く支援しており造詣が深い。

 すぐに幅広い分野で意見交換する場となったようだった。

 そして、陽斗ら若者たちはというと、やはり詠美のデザインした和装ジュエリーの話となる。

「今回のことで三浦さんは和装ジュエリーのシリーズを本格的に始めるつもりだということですわ。ですから定期的に詠美さんと打ち合わせをしたいと言っていましたわ。多分、明日にでも連絡があるのではないかしら」

「僕もあのジュエリーはすごく素敵だと思った。男性用も格好良くて、お祖父ちゃんにプレゼントしたいなって」

 穂乃香と陽斗の言葉に照れながらも誇らしげな詠美。

 

「ありがとうございます! でも、三浦さんのデザインを最初から間近に見て、やっぱりまだまだだなって。私がなんとなくのイメージを伝えただけなのに三浦さんは素材の色合いとか材料の種類もすぐにデザインに組み込んでて、今回のも私ができたのなんか最初のほんのちょっとだけだったから」

 これは詠美の本音だ。

 基本デザインなどと言っても、詠美が関わることができたのはいわばアイデアの部分と三浦のデザインに少しばかり意見を言ったことくらいで、デザイン自体はほぼ全て三浦のものだ。

 だからこそ、詠美は発表会の場で呼ばれるなど想像もしていなかったのだ。

 

「そんなことはありませんわ。ジュエリーは基本となるデザインを考えるのが一番難しいそうです。三浦さんが和装のジュエリーに興味を持っていても踏み出せなかったのはそのせいだそうです。ですから今回のことは三浦さんもとても喜んでいましたわ。それと、自分で良ければ時間の合うときなら水鳥川さんにデザインを教えてもいいとも言っていました」

「ほ、本当ですか?!」

 思いがけない申し出に、詠美は驚き、喜ぶ。

 と、詠美は表情を改めて、穂乃香に向き直る。

 

「あの、穂乃香さまはどうして私にここまでしてくださったんですか? その、それまであまり話す機会もなくて、親しいというわけじゃないのに」

 詠美としては当然の疑問だろう。

 ジュエリーデザインの勉強をしたいと思ってはいたが、実際に工房を見学させてくれて、チャンスまでもらえた。さらにはずっと言い出せずにいた両親に打ち明ける機会まで作ってくれたのだ。自分ひとりではこう上手くいくとはとても思えなかった。

 だが穂乃香はなんでもないように首を振ると、陽斗に目を向ける。

「それは、陽斗さんが水鳥川さんが夢を諦めてほしくないとおっしゃったからです。夢を諦めるのはとてもつらいことだから、と」

 

「西蓮寺くんが?」

「あ、あの、僕がそう思ったっていうことを穂乃香さんに話しちゃっただけで、水鳥川さんのことを色々考えて行動したのは穂乃香さんだから」

「皇様が協力してくださったのも陽斗さんの頼みだからですわ。ですからわたくしがしたのは陽斗さんのため、ということですの。がっかりさせてしまったかしら」

 詠美のためではなく陽斗のため。

 そう言われたところで詠美が恩恵を受けたことには変わりない。

 詠美は首を左右に振ると、改めて穂乃香と陽斗に頭を下げた。

「西蓮寺くん、穂乃香さま、本当にありがとうございました。お二人が与えてくれたチャンスを無駄にしないように頑張ります。そして、いつか私がデザインしたジュエリーを、必ず贈らせてください」

 

 顔を上げた詠美は、どこか芯の通った、いわゆる一皮剥けたような表情をしていた。

 陽斗と穂乃香は顔を見合わせると嬉しそうな笑みを浮かべて頷く。

「うん」

「楽しみにしておりますわ」

 


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