第81話 ひとつの成果

 都内の高級ホテル。

 ホテルと言ってもそこは宿泊客を泊めるだけの施設ではなく、高級レストランやバーなどもあり宿泊客以外でも訪れる者は多い。

 そしてそういったホテルはホールを催し物などで使われることもある。代表的なのは結婚披露宴などだろう。

 この日もそのホールには多くの人が集まり、催しが始まるのを待っていた。

 皆、品の良さそうな出で立ちで女性の多くが和服を身にまとっており、年齢は30代~60代ほどの人が多いようだ。

 ホールには舞台が作られ、その前には観客席のように椅子が並べられている。

 

 その観客席の一角で、陽斗と穂乃香、詠美の姿があった。

 陽斗は緊張気味に周囲をキョロキョロと見回し、穂乃香はそんな陽斗を見て可笑しそうに笑みを浮かべている。

 一方、詠美はというと、陽斗よりもさらにガチガチに緊張した青白い顔で椅子に腰掛け、小刻みに震えてすらいた。

「水鳥川さん、今からそんなに緊張していては保ちませんわよ」

「はひっ! え、えと、ほ、穂乃香さま」

 穂乃香に声をかけられただけで怯えるようにビクリと肩を震わせる詠美。

 

「三浦さんも太鼓判を押していましたでしょう? それに、失敗してもそれもひとつの経験ですわ。一度の失敗で諦めるわけではないのですから、今回は勉強のつもりでいましょう」

「そ、そう、ですね。でも、私のせいで穂乃香さまや三浦先生に迷惑がかかったらって考えると」

「四条院の家はそんなことで迷惑を被るほど軽くはないから心配いらないよ。むしろ若い才能が花開く瞬間を楽しみにしているくらいだからね」

 不意に背後から会話に割り込まれ、詠美が驚いて振り向いた。

 

「おや、驚かせてしまったね。直接会うのは初めてだったかな? 水鳥川詠美さんだね、穂乃香から話は聞いているよ。穂乃香の父の、四条院明彦です」

「し、四条院家のご当主様! あ、あの、実家がいつもお世話になっています。そ、それに、穂乃香さまにはいつも良くしていただいて……」

 明彦の顔を見た詠美が慌てて立ち上がりペコペコと頭を下げ始めるのを制止して再び椅子に座らせる。

 穏やかな笑顔を浮かべてはいるが少しばかり気まずそうなのは周囲の視線が集まってしまったからだろう。

 

「四条院家は伝統的な工芸や芸能、芸術を支援しているからね。守るだけでなく新しい取り組みをする人たちも応援したいと思っているんだ。だから、成功も失敗もどんどんしていってほしい。まずはチャレンジすることから始まるんだからね」

 周囲に気を使いながら明彦が詠美にそう言うと、ようやく表情から硬さが和らぐ。

 それを見た明彦が次に陽斗に目を向け、陽斗も挨拶しようと口を開きかけたその時、照明が半分ほどに落とされた。

「始まるみたいだね。挨拶は終わってからにしよう」

「は、はい」

 明彦の言葉に陽斗も頷いた。

 

『お待たせいたしました。それでは始めさせていただきます』

 司会のそんな言葉から始まった催しは、派手な演出や謳い文句もない、落ち着いた、それでいてピリッとした緊張感に包まれたものだった。

 今回、陽斗達が訪れたのは和服生地の発表会だ。

 主に染め物の工房が伝統的な生地から意欲的な新作生地などを発表する場として定期的に行われているもので、呉服店や問屋などが主催してプロの服飾デザイナーや和装販売店、着物愛好家などが見に来ている。

 明彦も多くの工房を支援している関係からこうして見に来ることが多いらしい。

 

 発表会といってもファッションショーのような派手さはなく、各工房で染められた生地で作られた和服や反物などが司会者によって紹介され、同時に制作した工房の紹介もおこなっている。

 しかし内容は伝統的な柄だけでなく、洋花や機械、海外の風景がモチーフの生地であったり、それらを使った洋服などがあったりと挑戦的なものも多い。

 業界に共通しているのは和装人口が減り続けていることへの危機感で、伝統技術を次の世代に繋げていくことへの取り組みを積極的に行っている工房が多いのだ。

 

 舞台の上では次々に生地や和装素材が紹介されていき、取材なのだろうか、その都度シャッター音が響く。

 会場は時折感嘆の声や小声で交わされる会話が漏れるくらいで騒々しいといった感じはない。

 穂乃香達も次々に登場する色鮮やかな生地を真剣な目でみている。のだが、詠美が会が進むにつれ肚が座ってきたのか落ち着いた表情になってきていたのと対象的に、陽斗の方はどんどん緊張してきているようだった。

 今も祈るように手を組み合わせながら、どこか泣きそうにも見える顔で舞台を見つめている。

 

 穂乃香はそんな陽斗の力の入りすぎた手にそっと自分の手を重ねる。

「陽斗さんがそんなに緊張してどうするのですか。どんな反応があったとしても必ず水鳥川さんの糧になります。わたくしたちはもし彼女が落ち込んでしまったときに慰めれば良いのです」

「ほ、穂乃香さん」

「西蓮寺くん、心配してくれてありがとう。私は大丈夫だから。こんな機会がもらえたのも穂乃香さまと西蓮寺くんのおかげだから感謝してる。それに、今回のことでもっと宝飾デザインが好きになったし」

「水鳥川さん、うん、わかった」

 そんな会話を交わしている彼女達を明彦が微笑ましげに見つめている。

 

『最後は、今回始めての、しかも別業種からの参加となります、ジュエリー工房”ウェヌス”から和装用ジュエリーのご提案です。

 ご存じの方もいらっしゃるでしょうが”ウェヌス”は宝飾ブランドとして数多くのデザイナーからも注目されています』

 司会の男性が簡潔にそんな説明をした後、舞台に数人の和服姿の男女が登る。

「ううむ、これは……」

「まぁ、素敵ね」

 ジュエリーブランドの出品とあって一層の注目が集まる中、登場したモデルたちの姿に感嘆の声が上がった。

 

 以前にも紹介したが、基本的に洋装と和装では装飾品の役割が異なる。

 和装では装飾品はあくまでワンポイントであり主役は着物そのものであるのに対して、洋装では装飾品は服と並び立つ主役だ。

 つまり、見る相手の視線を誘導し、身につける人の華やかな魅力を引き出すための方法が違う。

 そして、和服で視線を誘導する場所は襟、帯、袖の3箇所。

 今回ジュエリーブランド”ウェヌス”が発表したものは襟につけるチェーン付きブローチのような宝飾品と、袖口につける装飾品だ。

 

 素材はゴールドが主体でイエローの他にホワイトやピンクなどのいくつかの色味を複雑に組み合わせた土台にスピネルやペリドット、ガーネットなどの宝石をあしらったものだ。

 しかし自己主張しすぎず、華やかな柄の着物にも落ち着いた柄の着物にも調和していて、それでいて動きのあるチェーンが自然とそこに視線を引き寄せる。

 袖口の装飾品は、襟のものよりも控えめだが振り袖とそこから見える素肌の手がより美しく見えるデザインになっていた。

 男性用のものはプラチナの土台にオニキスがあしらわれ、どこか軍服を思わせるような威厳を感じさせるデザインだった。

 

 モデル達が入れ替わり立ち替わり舞台の中央で披露してから整列し、続いて舞台に上がったのは工房のチーフデザイナーの三浦だった。

 三浦は舞台上で観客席に向かって一礼し、マイクを手にする。

『今回和装用ジュエリーを提案させていただいた”ウェヌス”のデザイナー、三浦と申します。

 これまで和装の装飾品といえば帯留めや根付、髪飾りが主流でした。

 ですが、もっとジュエリーと着物は調和できるのではないか、そう考えています。

 着物の生地は厚みがあるものが多く、また非常に高価な生地も少なくありませんから生地を傷めないようなデザインになっております。

 皆様の目から見て、どう映りましたでしょうか』

 

 さすがにこういった場でオネェ言葉は封印しているらしく、ごく普通の男性口調でそう挨拶をして観客席を見回す。

 どうやら批判的な視線はほとんどなかったらしく、三浦は柔らかな笑みを浮かべながら頷いて見せる。

『実は今回の和装ジュエリーの基本デザインをしたのは私ではありません』

 続けて三浦が口にした言葉に詠美が驚いた顔で穂乃香を見る。

『洋装と和装は身を包むということは同じでも、魅せる手法に違いがあります。私はかねてより和装のジュエリーを手掛けたいと考えていましたが宝飾と着物を調和させる、互いの魅力をより引き出すデザインを描けないでいました。

 ところが、ある人物は着物とジュエリーを見事に調和させるデザインを私に見せてくれたのです』

 

 三浦がそう言って観客席にいる詠美に目を向ける。

「え? え?」

 事前の話では今回の発表は三浦の名前で出すと聞いていた。

 実際、詠美が三浦に見せたデザインはまだまだ稚拙でとても商品になるようなものではない。

 だから基本的なデザイン、というか身につける場所や雰囲気を詠美が伝え、三浦がデザインしたものを作成しているのだ。

 もちろん途中で何度も詠美と三浦が話し合いをしたし、いくつも試作しては調整をした。最後まで制作に関わったのは確かだ。

 だからある意味では詠美の作品であるとも言えるのだが、目に見える部分のデザインを三浦がしている以上、それを自分の作品だと言うつもりは無かった。

 

「水鳥川さん、三浦さんが待ってますわ。舞台に行ってください」

「で、でも、私……」

 なおも逡巡する詠美の手を取って穂乃香が舞台まで押していく。

 そして三浦も舞台から降りて詠美を迎え、再び壇上に上がった。

 観客たちは突然舞台に登った詠美の姿を見てざわついている。

 話の流れから基本デザインをおこなった人物を呼んだのだろうとは思っても、舞台に登ったのがどう見ても若すぎる女の子だったのだから無理もない。

 

『紹介します。今回の基本デザインを担当してくれた水鳥川詠美さんです。まだ高校生ですが、ご実家が老舗呉服店で幼い頃から和装に接していたことでこのような素晴らしいデザインを考えてくれました』

 三浦がそう言うと、最初はまばらに、そしてすぐに大きな拍手が詠美に向けられた。

 

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