第74話 決別

「えっと、初めまして、僕が西蓮寺佑陽と葵の息子、陽斗です」

「「は?!」」

 陽斗がペコリと頭を下げると、老夫婦は呆気にとられたように口をポカンと開けて陽斗を見る。

「こ、こんな子供が陽斗、だと?」

「まだ小学生じゃない! 私達を馬鹿にするつもり?」

 数瞬後、怒りの声を上げる老夫婦に桜子が馬鹿にしたような言葉を投げつける。

 

「佑陽君や葵ちゃんとよく似てるのに顔を見てもわからないのかしら。貴方達がどう思おうが知ったことじゃないけど、この子は間違いなく陽斗よ。貴方達が会うのはこれで最後でしょうからせいぜいその目に焼き付けておいたら?」

 煽るように言われたことで一瞬老人の表情が怒りに歪むが、それでもなんとか気を取り直して改めて陽斗の顔を見る。

 言われてみれば顔のパーツや優しげな表情など息子である佑陽の印象と被る部分が随所に見られる。

 高校生にしては極端に小さいことを除けば、先程まで陽斗だと思っていた男の子よりも佑陽に似ているだろう。

 

「お前が、陽斗なのか」

 思わず陽斗に伸ばした手は、割り込んできた大柄な生徒によって阻まれて陽斗からは距離を取られる。

「なんだ貴様は! 孫に近づいて何が悪い!」

 相変わらずの沸点の低さでつい声を荒げるが、その勢いは強くない。

 なにしろ立ちはだかっているのは服の上からでもわかるほど鍛え上げられた180センチを超える体躯と鋭い目をした男子生徒、武藤賢弥だ。

「それ以上陽斗に近寄らないでもらえますか」

 いつもの沈着な声音ながらその目に浮かぶ侮蔑の色を隠そうとしていない。

「陽斗、アンタ私達を騙したのかい! それが目上の相手にすることか!」

 賢弥の威圧に怯んだ老人の代わりに老女の方が陽斗を口汚く罵る。

 

「ごめんなさい。貴方達が僕のお父さんの両親、僕のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんなんですね?」

 罵られた陽斗の方はというと、言葉を気にした様子もなく静かに老夫婦に訊ねる。ただ、その表情は硬く、穂乃香達が見たことのない仮面めいたものになっている。

「そ、そうだ。だというのにこの仕打ちはなんだ!」

「そうよ! どうせ皇さんから私達の根も葉もない悪口を言われているんだろう? そんな奴に陽斗を任せるわけにはいかないさ。私達のところにきな!」

 この期に及んでそんなことを口にするふたりに桜子や重斗が呆れた目を向ける。

 だが、次に陽斗が嫌な気持ちになっていないか、その表情を見てギョッとする。

 陽斗の顔からは全ての感情が抜け落ちたかのような無表情となっていて、まるで無機質な人形のように見えたからだ。

 

「僕はまだ赤ん坊の頃に誘拐されたらしいんですけど、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは僕のこと、探してくれましたか?」

 淡々とした口調。

 重斗達だけでなく、穂乃香や壮史朗も驚いて陽斗の様子を見る。

「も、もちろんだとも!」

「探したに決まってるじゃないか! 知らせを聞いてすぐに……」

 常に無い陽斗の態度に気付くわけがないふたりは、それでも少しでも陽斗の心証を良くしようと口を開く。だがそれは桜子の鋭い声が遮った。

 

「いいかげん噓を吐くのは止めたら? みっともない」

 憤りを込めた桜子に続き、重斗も口を開く。

「陽斗が誘拐されたとき、真っ先に疑ったのは貴様等のことだ。佑陽君の遺産を手に入れ損なったことで陽斗を連れ去ることでそれを奪おうとしているのではないかと考えてな。だから真っ先に貴様等を監視させた。だが警察からそのことを聞いても貴様等は気にもせずに遊び呆けるばかりだったようだな。

 探しただと? よくもぬけぬけと言ったものだ。数年ほど監視を続けていたがその間にしたことといえば海外旅行とギャンブル、無駄金を使った豪遊三昧だけ。

 佑陽君が貴様等と縁を切るときに渡した手切れ金の10億を使い果たして金に困っているらしいな。普通に生活していれば20年も経たずに無くなることなど無いだろうに、呆れてものも言えん」

 

「な?!」

 あっさり暴露され、二の句が継げなくなる老夫婦。

 それも、この場にいる半数がまだ高校生であり、そんな老夫婦から見れば年端もいかない若者達から注がれる視線は蔑むようなものばかりだ。

「僕は去年までずっと酷い扱いをされながら生きてきました。助けてくれた人達も沢山いたけど、毎日お腹を空かせて、殴られて、酷い言葉もいっぱい言われました。そんな暮らしから救ってくれたのは重斗お祖父ちゃんで、安心して眠れるようになったのは家の人達のおかげです。

 僕はあなた達に何もしてもらっていません。何かをしたいとも何かして欲しいとも思いません。あなた達は僕に酷いことをしてきた人達と同じです。自分のことしか考えてなくて、僕をただ利用したいだけ。

 僕はあなた達の所には行きません。もう会いたくもありません。だから、もう、僕のことは放っておいてください」

 陽斗はそう言って頭を深く下げた。

 

 それは謝罪の形をとった決別の宣言。

 本来下げる必要のない頭を下げたのはどういう心境だったのか、単にもはや彼等の姿を目に入れたくなかっただけかもしれない。

 きっぱりと言い切った陽斗の態度に驚いた重斗と桜子だったが、すぐにその表情は喜びに上書きされる。

「陽斗、うん、立派だったわよ」

 桜子がそう言って陽斗を抱き寄せて老夫婦の前からその姿を隠す。まるで陽斗が汚されるのが我慢できないかの態度である。

 重斗も嬉しそうに何度も頷いた後、改めてふたりに向き直った。

 

「聞いての通りだ。今後二度と陽斗に近づかないでもらおう。貴様等が会いたがっているというだけで陽斗のストレスになるからな。騒ぎ立てるのは勝手だが、儂もこれ以上黙っているつもりはない」

「ふざけるな! 祖父母の面倒をみるのは孫の義務だろう! 陽斗は私達の……」

「黙れ」

「っ?!」

 重斗の声に込められた圧力に縫い付けられたように口を噤む。

「貴様等が困るのは自業自得というものだ。なんなら残りの余生を衣食住困らない刑務所で過ごすか? これまでさんざん人に迷惑を掛けたり騙したりしてきたのだ、その証拠もたっぷりと確保してあるが、どうする?」

 さすがに厚顔な老夫婦であっても、その言葉に含まれている本気を感じ取れたらしい。

 悔しげに顔を歪めながらも、それ以上悪態を吐くこともできず踵を返すしかなくなった。

 

「大山、門まで見送ってやりなさい。これ以上学園内にいられても迷惑だからな。それと、せめてもの情けだ、タクシーくらいは呼んでやると良い。最寄り駅までは負担してやろう」

「承知しました」

 陽斗に対しての暴言に怒りが沸点近くまで達して今にも殴りかかってしまいそうなくらい凶悪な面相になっている警備班班長が、そそくさと立ち去っていく老夫婦をさらに追い立てるように睨み付けつつ後に続いていった。

 

「はぁ~~!!」

 ふたりプラス大山の姿が見えなくなると、珍しく陽斗の口から大きな溜息が漏れた。

「あ、あの、ごめんなさい。わっ?!」

 注目されていることに気付いた陽斗が慌てるが、その背を強めの力でバチンとコー君こと光輝が叩き、グイッと肩を抱く。

「たっちゃん、よく言ってやったな! やりゃあできんじゃん!」

 仕草と言い方は乱暴だがその声には親愛の情が込められているのが傍から見ていてもよくわかる。

 

「コー君、ありがとう。せっかく来てくれたのに変なこと頼んじゃってごめんね」

「気にすんなって言ったろ? たっちゃんの叔母さんと祖父ちゃんから頼まれなくたって一言文句言ってやりたかったからな、丁度良かったぜ」

 桜子は陽斗とあの祖父母を会わせるのに際して、警戒させない場所として黎星学園の文化祭を、そして直接的に危害を加えられることを防ぐために陽斗の替え玉を用意することにした。

 だが陽斗の友人達、というか黎星学園の生徒はほとんどが良家の子女ばかりであり、その所作に自然と育ちの良さが滲み出てしまう。

 幼い頃に誘拐された陽斗にそんな仕草はできるはずもなく、それでは相手に気付かれる可能性があった。

 そこで彩音から提案されたのが、夏休み中に行った感謝祭で会った、陽斗の小学校時代の友人兼恩人の少年に頼むことだった。

 知人に裏切られて困窮していた父親を支援した経緯もあって快く了承の返事をもらい、学園長に事情を説明して許可を得てから制服を用意した。

 そうして今回の茶番劇である。

 

「随分と仲がよろしいのですわね。えっと、門倉さん、でしたね」

「門倉でも光輝でもどっちでも良いから呼び捨てで頼むわ。同い年の奴にさん付けとかされるとムズムズするからさ。っつーかさ、たっちゃんよくこんな美人と一緒に居られるよな。他の女子もスッげぇ美人ばっかりだし、男は金持ちそうなイケメンばっか。アニメみたいな学校ってあるもんなんだな」

 あっけらかんとそんな感想を漏らす光輝に、穂乃香や壮史朗は苦笑いだ。

 良くも悪くもはっきりとものを言う光輝の態度は不快さを感じさせずに距離を詰めてくる。そういったところが小学校時代の陽斗を助けたのだろう。

 

「その“たっちゃん”というのは陽斗さんのことなのですよね?」

 ふと今さらなことが引っかかった穂乃香が光輝に訊ねる。

「あ~、そういえばたっちゃんの今の名前って陽斗っていうんだっけ。昔は井上達也って名乗ってたからそう呼んでたんだよ。って、コレ言って良かったんだよな?」

「うん、昨日のうちに穂乃香さん達には話してあるから大丈夫。だけど、そういえば名前のことは言ってなかったかも」

 今回のことは穂乃香や壮史朗、賢弥、セラにも協力をお願いしている。

 当然その際にこれまで話していなかった陽斗が誘拐された経緯や、その後のことも詳しく話した。

 さすがに驚かれたが、オリエンテーリングの時と誘拐未遂事件の時にある程度の事情は話してあったのであっさりと納得して協力してくれることになったのだ。

 光輝と顔を合わせたのはほんの1時間ほど前であり、詳しく言葉を交わすことはできていない。

 

「陽斗さんは、その、誘拐されていた頃の名前を呼ばれても大丈夫ですの?」

「うん、辛いことも沢山あったけど、僕を助けてくれた人達が呼んでくれていた名前だから気にしないよ。それにコー君に別の呼び方されても変な感じだし」

「なんだか羨ましいですわね。陽斗さんの小学校の頃の姿、わたくしも見てみたかったですわ」

「あ、写真ならいっぱいあるぜ? 家のパソコンに入ってるから今は見せられないけど、親が撮ったのが沢山あったはずだし、なんなら送ろうか?」

「コー君?!」

「是非送って下さいませ! 代金は一枚1000円くらいでよろしいかしら?」

「穂乃香さん?!」


 陽斗と穂乃香達がそんな会話を交わしていると、学園の外まで祖父母が出ていくのを見届けた大山が戻ってきた。

 重斗が小声で何か確認し、やがて頷いて大山が再び出ていった。おそらくは老夫婦が帰ったことで変更していた警備体制を元に戻すのだろう。

 そして重斗が陽斗に向き直る。

「これで奴等が再び陽斗の前に現れることはないだろう。もし来たとしても追い返すように指示してある。だが、陽斗には残念な結果となってしまったなぁ」

「そうね。数少ない親族がアレじゃねぇ。でも大丈夫よ、私達がその分まで愛情を注いであげるから」

 重斗と桜子にそう言われ、陽斗は少し淋しそうに笑みを浮かべる。

 

「うん、僕にはお祖父ちゃんと桜子さんがいるし、湊さん達も優しくしてくれるから大丈夫。それに学校には皆もいてくれるし」

 陽斗の言葉は本心からのものだ。だがそれでも血の繋がった肉親から愛情を向けられるのではなくただの金づると見られて悲しくないわけがない。

 酷い言葉を浴びせられるのも悪意を向けられるのも慣れている。だからあんな祖父母の姿を見ても心が傷つくことはない。

 ただ、肉親と通じ合えなかったことが少し淋しいだけだ。

 

 不意に陽斗の顔が柔らかいもので覆われる。

 と、同時に優しげな声が陽斗の耳朶を震わせた。

「陽斗さん、無理はしなくてもよろしいですわ。祖父母にあのような態度を取られて悲しくないわけがありませんもの。頑張っている陽斗さんは素敵ですけれど、こんな時くらいは甘えても良いんですのよ」

「ほ、穂乃香さん?!」

 陽斗もすぐに自分が穂乃香の胸に抱きしめられているということを理解する。

 慌てて身体を離そうとするものの、優しくでありながら意外な力強さで抱きしめられているからなのか、それとも本能的に離れがたいのかそれは叶わなかった。

 

 そんなふたりを周囲が生暖かく見守る中、光輝が壮史朗に話しかける。

「なぁ、たっちゃんはあのいかにもお嬢様な美人さんと付き合ってたりするのか?」

「いや、今のところそういう関係まではいっていないようだ。四条院の方は好意をもっているのが丸わかりなんだが、西蓮寺の方はよくわからん。まぁ好きにやらせておけばいいさ。……と、ところで、僕も西蓮寺の子供の頃が、いや、今でもあの背の低さだからな、小学生の頃とどう違うのかが見てみたい、んだが、僕の方にも写真を送ってくれないか? あ、か、勘違いするなよ、ちょっとした好奇心だからな」

 妙なテンションでひと息に捲し立てた壮史朗に顔を少々引き攣らせた光輝は小さく溜息を吐いた。

「なんつーか、たっちゃんの周りって濃い奴多すぎねーか?」

 光輝の呟きに答える者はいなかった。

 

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