第72話 黎星祭のはじまり
黎星学園の文化祭は2日間にわたって行われる。
通称『黎星祭』と呼ばれるこの行事は、学園内で行われる行事で唯一、一般の招待客が敷地内に入ることができるイベントである。
それ以外で生徒や教員以外の者が学園内に入るのは正式な依頼を受けた事業者や講義、指導のための専門家・技術者、面談等で許可を得ている保護者などに限定されており、部外者は立ち入ることができない。
その唯一の例外がこの黎星祭だ。
この行事は生徒や保護者から渡された招待状を持った者が学園内に入ることを認めており、決められた範囲ではあるが自由に見て回ることができる。
とはいえ、招待客が入場できるのは黎星祭の2日目。
初日は生徒のみの開催となっている。
一般的にイメージする文化祭はクラスごとに模擬店をしたり、催し物を行ったりする生徒のお祭りといったものだ。
だが黎星学園においては文字通り『様々な文化に触れる』事を主眼にしており、文化系の部がいくつかの催しを行う他は、美術科の生徒が作成した絵画などの美術品や工芸品を展示したり、音楽科の生徒による演奏会、プロの劇団を招いてのオペラなどを鑑賞したりする。
普通の高校生にとっては退屈とも思える内容が多いが、そこはそれ、黎星学園の生徒は芸術などは幼い頃より親しんでいる者が多いので不満を漏らす生徒はほとんど居ない。
黎星祭も主催は生徒会であり、準備はもちろん、開催中の運営も主体的に行うことになっている。
陽斗もこの日は早い時間から登校して直前の調整と確認に追われていた。
「よし、これで大丈夫、だよね?」
手に持ったバインダーに挟まっているチェックシートを見ながら抜け・漏れがないか確認する。
初日はまだ生徒だけなので多少のミスは挽回できるが、それでも失敗は無い方がいいに決まっている。ここで言うミスとは生徒会としてだけでなく、催しを行う生徒達の準備も含まれている。
陽斗は芸術科の校舎周辺の案内表示や立入禁止場所の表示に間違いや不備がないか見て回っていた。
いくつかの場所で掲示が剥がれていたりしたがすぐに直せるものばかりで大きな問題は無くホッと一安心する。
陽斗が生徒会副会長に就任してから1ヶ月弱が経過している。
黎星祭の準備と料理部の活動の両立は忙しくはあったが、新たに役員となった壮史朗とセラの助けもあり、楽しみながらなんとかこなすことができた。
ちなみに料理部も文化部ということで黎星祭に参加はしているのだが、当日に何かをするというわけではない。
料理部が行ったのは黎星祭期間中に食堂で提供される食事とデザートのメニュー作成だ。
簡易的なコースメニューをひとつのトレーで提供できるようにレシピを作って、それを食堂に委託している。
食事のメニューは肉がメインのものと魚がメインのものの2種類で、デザートは3種類。それを食堂の料理人が作って提供することになっている。
部員全員で意見を出し合い、幾度も試食を作って実際に食堂の料理人達に評価してもらっている。
というわけで、参加はしていても当日は特にすることがあるわけではない。
試食を作った陽斗としては生徒達や招待客からの評価は気になるものの料理部としての仕事は終わってしまっているので気にしても仕方がない。
それよりも今は生徒会の執行役員として黎星祭を問題なく運営しなければならない。改めて小さな拳を握り締めて気合いを入れる。
「あ、いけない、もうこんな時間だ」
腕時計の時刻を見て陽斗は慌てて生徒会室に向かって走り出す。
確認のために早く来ていたのだがすでに他の生徒達も登校し始めており、すれ違う生徒から挨拶の声が投げかけられる。
「おはようございます、西蓮寺さん」
「生徒会役員さん、ごきげんよう」
「あ、はい! おはようございます!」
声を掛けられる度に陽斗は嬉しそうに挨拶を返す。急いでいるからといっておざなりにすることはしない。
陽斗にとって挨拶をしてくれるというだけで幸せを感じることなのだ。慣れているとはいえ、目を逸らされたり顔を合わせるなり挨拶代わりに殴られたりするのが辛いのは陽斗も同じ。だからこそ普通に声を掛けてもらえるのが嬉しくて仕方がない。
そんな想いが相手にも伝わるのだろう、陽斗が挨拶を返すと皆優しげな笑みを浮かべる。
実は朝、陽斗と挨拶を交わすとその日は幸せな気持ちで過ごせると生徒達の間で噂されているのだが、当然陽斗がそんなことは知らない。
そんなこんなで急いでいるのかいないのか、陽斗が生徒会室に戻るとすでに他の役員のほとんどが集まっていた。
「ごめんなさい、遅くなりました!」
「まだ時間はありますから大丈夫ですわ」
穂乃香がそう言い、雅刀も微笑みながら頷いている。
生徒会役員以外の生徒は各々自分のクラスに集合して、担任から注意事項や連絡事項を聞いてから黎星祭を楽しむことになっている。
その間に生徒会役員は準備の最終確認とそれぞれの役割を確認、調整してから持ち場に移動することになる。
なので多少は時間に余裕があり、この場の空気も割と穏やかなままだ。
そもそもこの学園には羽目を外しすぎるような生徒はほとんどいないため、例年大きなトラブルが起きることは滅多にない。
一般招待客が来場する2日目は多少の注意が必要だが、それでも警備員も増員されるし、教職員も運営に加わるために負担はそれほど増えない。
そうしてひと息ついた後、各自が持ち場に移動し、黎星祭が始まった。
ソワソワ、ソワソワ……
黎星祭の開催を知らせる放送が流れてから数十分。
執行役員は生徒会室で待機し、他の役員達が各催し物の場所に行っている。
壮史朗は依頼した劇団のところに、セラは茶道部主催の
執行役員は何か問題が発生したり、応援要請があったときに対応にあたるため残っているのだ。
そんな中、ひとり、陽斗は落ち着かない様子でソワソワしていた。
性格的に落ち着いていられないというのもあるのだが、やはり黎星祭が気になってしまっているのだろう。
生徒会役員も一応は交代で祭りに参加することになっているのだが、それはまだ先のことだ。
そんな陽斗の様子を見た他の生徒達はクスクス笑ったりホッコリしていたりする。
「少し早いですが、四条院さんと西蓮寺くんで巡回にまわってください」
「え?!」
雅刀の指示に驚く陽斗。
確かに開始してしばらくしてから執行役員が数人、会場を巡回することにはなっている。
だがそれはもう少し時間が経ってからだし、ひとりずつの予定だったのだ。
「時間はただの目安だったので問題ないよ。それに、まだ四条院さんひとりだと事件の事を聞き出そうとする生徒もいるかもしれないからね。男子生徒が一緒に居たらそういうのも防ぐことができるだろう?」
いまさら四条院家の令嬢に誘拐未遂事件の事を不躾に聞くような生徒などそうそういないだろうし、そもそも陽斗が防波堤となれるかは甚だ疑問だ。
どこかからかうような笑みを浮かべた雅刀の言葉は誰が聞いても単なる口実でしかない。
のだが、陽斗は言葉通り受け取ったらしく、「が、頑張ります!」と拳を握り締める。
「か、可愛い」
「シッ! 聞かれたら恥ずかしがって見られなくなるでしょ」
コソコソと囁く声は、幸い陽斗に届かなかったようだ。
「……それでは行きましょうか、陽斗さん」
「うん!」
ほんのり頬を染めた穂乃香が雅刀を軽く睨む。が、別に文句があるわけではなくからかわれたのが恥ずかしいだけだ。
穂乃香が声を掛けると、陽斗は嬉しそうに頷いて足取り軽く入口に向かっていった。
生徒会室を出た陽斗達が校庭に出ると、楽しげな喧噪があたりに満ちていた。
他校の文化祭や大学の学祭のように出店が出ているわけではないが、それでもあちこちに催し物の案内があり、美術科の生徒達の展示物も飾られている。
中庭では茶道部が茶会を開き、音楽科の生徒による野外演奏も行われていた。
生徒達は思い思いに足を止め、興味の引かれた場所に向かう。
お祭りの騒々しさとは少し異なるが、それでも非日常的な活気がある。
それらを巡りながら催しの生徒に声を掛けたりする。
「まだ時間が早いですからそれほど乱れてはいないようですわね」
「そう、なのかな? でもみんな楽しそうだね」
穂乃香に答えながらも色々と気になるのか陽斗はあちこちをキョロキョロ見回す。
「フフッ、あまり急いでも意味がありませんから、少しくらいなら……」
「あ、西蓮寺くん! こっち見ていってぇ!」
「え? 陽斗くんがいるの? ホントだ! 私達の演奏聴いてってよ!」
穂乃香が言い終わらないうちに、陽斗を呼び止める声が複数掛かる。
生徒会役員として色々な人と接しているし、事件の時に穂乃香を守ったことで今や陽斗のことを学園内で知らない生徒はいない。同時にその容姿や人柄で密かに人気があったりもする。
ひとりが陽斗に声を掛けると、それに釣られるようにあちこちから声が掛かっていった。
そしてその多くが女子生徒から、となればやはり穂乃香としては面白くない。
「陽斗さん、他にも回らなければいけないところが沢山あります。次は講堂の方に向かいましょう」
「え? あ、はい」
急に硬質な声色になった穂乃香に戸惑いつつも陽斗は素直に頷く。ちょびっと怖いと感じたのは秘密だ。
通りすぎるたびに手を振ってくれる女子生徒達に笑顔で手を振り返しながら講堂に到着する。
入口を入ると、そこに舞台の方を見ている壮史朗がいた。
「天宮君!」
「ん? 巡回か? 随分早いな」
振り向いた壮史朗が首を捻るが、それに穂乃香が答える。
「陽斗さんが黎星祭の様子を気にしていたので会長が変な気を回したようですわ」
「……随分機嫌が悪そうだが、いちいち僕にあたらないでくれ。おおかた西蓮寺が他の女子生徒に声を掛けられるのが気に入らないのだろうが」
「っ! それは、申し訳ありませんでしたわ。ですが、わたくしは別に陽斗さんとお付き合いしているわけではありませんから、そのようなことは関係ありません」
ツンと顎を逸らしながらそっぽを向く穂乃香に、壮史朗は呆れたような目を向ける。
「ふん、難儀なことだ。連中は西蓮寺をマスコットみたいに思っているだけだろう。それに、そんなに不安ならさっさとくっつけば良いだろう。皇と四条院なら家格もそう不釣り合いでもなさそうだしな」
壮史朗の言葉に込められた意味を理解して穂乃香の顔が朱に染まる。
「? 穂乃香さん、どうかしたの?」
「な、なんでもありませんわ! 次の場所に行きましょう! 天宮さん、ここはお願い致しますわね!」
「わわっ、引っ張らなくても」
賑やかなひととき。
それでも穏やかに時は過ぎ、無事に黎星祭一日目は終わったのだった。
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