第69話 陽斗の父

 賢弥とセラの誕生会。

 二人とも実際の誕生日は数日過ぎているが、週末ということもあり合同で誕生会を開くことになった。

 そして大量の料理と、陽斗が作ってきたケーキで舌鼓を打ち、楽しく、賑やかに時間が過ぎていく。

 賢弥の母である礼子が長女に手伝ってもらって作った大量の料理は粗方空になり、陽斗のケーキも賢弥の弟妹達が大喜びで食べていた。

 さすがは成長期というべきか、10号サイズのケーキ2種類も7割方子供達の胃袋に消えた後は、大人しくしていることができなくなった弟妹達がまだまだ明るい外に遊びにいってしまいようやく落ち着いた雰囲気となった。

 

 やはり小学生の弟妹が3人居るというのはかなり賑やかになるらしく、居なくなるととても静かになったように感じられる。

 賢弥の妹で長女の美鈴はお目付役として遊びに出かけた弟妹達について行っている。

 広間に残っているのは賢弥とセラの両親、陽斗達である。

 片付けられたテーブルには礼子が淹れてくれた紅茶と、女性陣にはデコレーションケーキやカスタードケーキが、男性陣にはオペラが配られる。

 綺麗に分かれたのは単に希望したケーキがそれだったからだ。

「うん、美味しいねぇ。私好みの味だよ。売り物だったら定期的に買いたいくらいだ」

 賢弥の父、洋介がオペラを口にしながらニコニコしていた。

 作った陽斗ははにかみながら笑みを浮かべて賛辞に対して礼を言う。

 陽斗が自覚している数少ない特技を褒められるのはやはり嬉しいのだ。

 

「さて、陽斗君のお父さん、佑陽ゆうひさんの話だね。

 う~ん、どこから話すのが良いかなぁ。

 私は佑陽さんとは10歳近く離れていたんだよ。彼と最初に会ったときは私はまだ大学生だった。

 その時の佑陽さんは皇さんの秘書のような仕事をしていてね、随分とお世話になったんだ。彼のおかげで皇さんとの知己を得たと言っても良いくらいさ。

 とても穏やかな人だったけど、芯は強かったし、もの凄く優秀だった。

 その優秀さを皇さんに見込まれて、皇さんの出資で投資顧問会社を立ち上げてわずか数年で有数の企業に育て上げたくらいだ。

 だから彼が皇さんの娘さんと結婚するという話を聞いたときも意外とは思わなかったな。まぁ少しばかり年の差があったから驚きはしたけどね」

 

 陽斗が初めて聞く父親の姿。

 とはいえ、重斗は別に父親のことを秘密にしていたというわけではない。母親の葵が持っていた写真は陽斗にも見せていたし、経歴もごく簡単にではあったが説明はしていた。

 ただ、やはり葵の父親としては娘を残して亡くなったことや、陽斗や葵が辛い思いをしていたときに傍にいることができなかった佑陽に対して複雑な感情を拭いきることができていないのだ。

 理性的な部分では佑陽に落ち度があることではないと理解してはいる。だが、それでも娘を必ず幸せにすると重斗に宣言しておきながら結婚していくらも経たないうちに事故で先立ってしまった彼を許すことができずにいる。

 そんな心情を抱えたまま陽斗に父親のことを話せば無用な先入観を持たせてしまうのではないかと考えて話すに話せなかったのである。

 

「僕は何度かしか会ったことはないし話をする機会も少なかったんだけど、とても思いやりのある人だったよ。顧客からの信頼も篤くて、佑陽さんなら安心してお金を預けられると言ってた人が多かった。

 けれど厳しい部分もちゃんと持っていて、身勝手な要求をする顧客に対しては毅然とした対応をしていたな」

 セラの父親である亘も洋介の仲介で紹介され、何度か一緒に仕事をする機会があったらしい。

 生憎プライベートでの付き合いができるほどの関係を築くにはいたらなかったが、その人間性にはとても好感を持っているようだ。

 

「私も一度だけ叱られたことがあったよ。20代で役職付きになったそうそう自分の部署が大きな失敗をしてね、部下の行動を愚痴っていたら『それは部下の失敗ではなく君の失敗だ。責任転嫁してはいけない』とね。

 優しさと厳しさを両立させた、そんな人だったな。ただ、手先は不器用でね、よくネクタイが変な形になってたり、自分の書いた字が読めなくなって困ってたりもしてた」

 陽斗の中の父親にどんどん色と形が描き足されていく。

 悪い話が出ないのは息子である陽斗に気を使っているからなのかもしれないが、それでも彼等が父に好感を持っていることは伝わってくる。

 

 ポタッ、ポタッ……

「あ、あれ?」

 膝に置いた手の甲に伝わった感触に陽斗は視線を下げる。

 そこには透明な雫が落ちた跡があり、それが自分の顔から落ちたものであることに気付く。

「陽斗さん……」

「だ、大丈夫です」

 心配そうな穂乃香の声に、陽斗はあわてて涙を拭う。

 

「あの、辛いとか悲しいとかじゃなくて、えっと、なんだか嬉しいんです。その、お父さんが、立派な人で、そんな人がお母さんと結婚して、僕が生まれたんだなって」

 そう言って言葉通り笑顔を見せる。

 無理は、しているのだろう。ただ、言葉に嘘があるわけではなく、誇らしさや憧れ、会いたかったという気持ち、会うことのできない寂しさなどが複雑に絡み合って言い表すことができないのだ。

 

 そんな陽斗を見る友人達の目は優しい。

 本来なら陽斗の家庭環境に関わることであり、友人といえど立ち入ったり聞くべき事ではないだろう。賢弥達も興味本位で聞くつもりはないと席を外そうとしていた。

 それでも彼等が同席しているのは陽斗がそれを望んだからだ。

 陽斗としては大切な友人に秘密にしようとは思わなかったし、おそらくは深層心理で父親のことを聞くのが怖いという意識もあったのだろう。心の許せる友人がそばにいてくれれば安心できると。

 

「佑陽さんと葵さんは歳は少し離れてはいたけどね、とても仲睦まじいご夫婦だったよ。お酒が入るといつも葵さんの自慢をしていたくらいだ。

 彼はあまり家庭環境に恵まれなかったらしくて、高校時代に皇さんの所有する企業でアルバイトをしていて、その縁で皇さんに目をかけられるようになったそうだ。大学の学費や生活費などを皇さんが支援したと聞いているよ。卒業後は恩返しのためにということで秘書になったらしい。

 葵さんともそれで出会ったんだろうね。結婚が決まったときはしばらくの間、皇さんが不機嫌になってたのを覚えているよ」

「ああ、そうだったですね。あの時期は皇さんが怖くて近寄れませんでした」

 

「とにかく、君が生まれてくるのを佑陽さんはとても楽しみにしていたよ。事故で亡くなってしまったときはさぞ無念だっただろうと思う」

 沈痛そうにそう語った洋介に、陽斗は深々と頭を下げた。

「ありがとう、ございます。お話が聞けてよかったです」

 そう言った陽斗の顔は明るく、思い悩むような影は見えなかった。

 ある意味、この時にようやく陽斗は自分の立つ地面を実感として得ることができたのかもしれない。

 

 人間誰しもが両親の愛情を求めている。少なくとも愛されていたという記憶は何にも代え難い輝きを持つものだろう。

 特に陽斗は肉親の愛情というものに触れることなく過ごしてきた。

 皇家に引き取られてからは祖父の愛情は過剰なほどに注がれているが、それでもやはり親の愛情を求めてしまうのは無理のないことだろう。

 それが、人伝とはいえ、間接的にでも自身が父から愛されていた、人から尊敬され、好意を持たれるような人物が陽斗の誕生を待ちわびてくれていた。

 それを知ることができたのは陽斗にとってとても大きかったのだ。

 ようやく陽斗は心から『お父さん』と呼べる。そんな気がしていた。

 

 

 

 皇家の邸宅には重斗や陽斗が生活している本邸とは別に、私的に賓客を招いたり泊めたりできる迎賓館がある。だが重斗が邸宅に人を招くことは滅多にないために実際に使われることは少ない。

 使用人も迎賓館専属の者はおらず、持ち回りで清掃や設備の管理を行い、客が滞在するときだけ本邸から人が回されることになっている。

 そして、陽斗が賢弥とセラの誕生日会に招かれているこの日、その滅多にないという来客が迎賓館の応接室に通されていた。

 

 応接室の扉が開かれ重斗が姿を現すと、ソファーに座っていた男女が立ち上がって出迎える。

 重斗と、それに続き桜子と彩音が部屋に入り、男女の座っていた対面に重斗と桜子が、右隣のソファーに彩音が座り、立ち上がっていた二人にも座るよう促した。

「お待たせして申し訳なかったな。事前に連絡をいただければ準備もできたのだが」

 口調こそ穏やかなものだったが重斗の言葉には棘が込められている。

 

「申し訳なかったですなぁ。なにしろ急いで確認しなければならない噂を耳にしたもので。

 ところで、そちらの方々はどなたですかな? できれば関係のない方には席を外してもらいたいのですが」

 重斗に男の方が言葉を返す。

 男は歳は重斗よりも上だろうか、薄くなった頭頂部と痩せぎすの身体、それでいて妙に目つきが鋭い。

 女の方は男よりは幾分若いようだが、それでも60歳は超えているだろうにケバケバしいと思えるほど化粧が厚い。

 

「関係者だから問題ないわね。こっちは皇の顧問弁護士の一人よ」

 桜子が男の言葉を鼻で笑って傲然と返すと、男は今にも舌打ちせんばかりに顔を歪める。

「あら? ご不満のようね。その様子じゃ私の顔を忘れているみたいだけど、もう一度部屋から蹴り出されれば思い出すかしら?」

「っ! お前はあの時の!」

「ボケてなくて何よりね。佑陽君の葬儀以来だから16年ぶりかしら」

「桜子」

 年甲斐もなく喧嘩腰の桜子を重斗が制し、改めて男達に向き直る。

 

「それで、何の用かな? 儂は君達とは違って忙しい身でな、要件は手短に頼みたいものだ」

 あくまで淡々とした物言い。

 その態度に男が一瞬苛立った表情を見せるも、すぐに取り繕ったようにニヤニヤとした笑みを浮かべる。

「恍けられては困りますな。当然私共の孫の話ですよ。何故教えてくれなかったのですか?」

「そうです! 私達がどれほど心を痛めていたか、すぐに会わせてください」

 男女が口々に言うのを、重斗は無表情のまま受ける。

 

「よくもまぁ、ぬけぬけと言ってのけたものだ。貴様達が佑陽君の葬儀で何を言っていたのか、まさか忘れたとでも?」

「あの時は私達も動揺して心にもないことを口走ってしまっただけですよ。考えてみてください、自分の息子が・・・突然亡くなってしまえば冷静でいられるはずがないでしょう」

「そうです。その上、せっかく葬儀に行ってみれば、心ない言葉を浴びせられて訳がわからなくなってしまったんですよ」

 男達の反論に、重斗の視線が鋭くなる。が、先程とは逆に桜子によって制されることになった。

 

「そう、その心ない言葉とやらを口にしたのは誰かしら? 夫を亡くして悲しみに暮れる妊婦に向かって遺産を全て寄越せと怒鳴り散らした男かしら? それとも息子のものは親のものだと言いながら家にあった装飾品を盗もうとした女?」

「何だと!」

「し、失礼ね!」

 桜子の言葉に激高して立ち上がる老夫婦。

 特に男の方は今にも掴みかからんばかりに身を乗り出して睨み付けている。

 老人でありながら、荒事に慣れてでもいるのかとても堅気の人間には見えない。

 だが桜子はそれにも怯む様子は無く、小馬鹿にしたような笑みを浮かべたままソファーにふんぞり返っている。

 

「佑陽君は生前に貴方達とは縁を切っているし、彼の子供を会わせる義理はないわ。当然、彼の遺産も貴方達と無関係よ。彩音ちゃん、そうよね?」

 桜子が話を振ると、彩音は頷いて同意した。

「はい、記録を調べましたが20年前に佑陽氏ご自身で両親の相続排除の申請が行われ、同年に家庭裁判所から認められています」

 弁護士である彩音の言葉に、男は忌々しそうな顔をしたものの、そのこと自体は理解しているのか反論はなかった。

 そもそも配偶者と子供(まだ生まれていない場合でも生まれたものと見なされて相続する)がいたので親には原則相続権はないのだ。

 

「……そんなことを今さら蒸し返すつもりはない。私達はただ孫に会いたいだけだ」

「そうです! 孫に、孫に会わせてください!」

 虫のいい言い種に、重斗の顔が不快そうに歪む。

「あの子は長い間心身共に辛い思いをしながら過ごしてきた。今はその傷をゆっくりと癒している最中だ。儂が保護してまだ一年にも満たないから、今の状況で会わせることはできん」

「そこをなんとか頼みたい! 私達ももう歳だ。いつお迎えが来るかも分からないのだから、元気なうちにせめて孫にあって、ゆっくりと話をしたいんだ!」

「どうか、どうかお願いします!」

 老夫婦はそう言って深々と頭を下げ続けた。

 


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書籍が発売されて2週間弱。


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