第66話 陽斗の役割

 陽斗が想像もしていなかった執行役員への指名。それも副会長でという雅刀の言葉に素っ頓狂な声をあげて驚く。

 その様子を琴乃と雅刀が可笑しそうに口元を抑えながら笑みを堪えていた。

「陽斗さん、驚きすぎですわ。役員の打診で呼ばれたのにわたくしだけの筈がないでしょう?」

 穂乃香が若干呆れ気味に言う。

 決して陽斗は頭が悪いわけでも察しが悪いわけでもないのだが、自分が評価されるというのが想像できないらしく時折こういった頓珍漢な反応を示すときがある。

 

「西蓮寺君はこれまで生徒会の仕事をとても真面目にこなしてくれている。受け答えも丁寧だし、人の話をしっかりと聞いて適切な対応を取ってくれると各クラスの学級委員やクラブ活動の部長達から評判も良いんだよ。

 書類仕事や雑用も嫌な顔をしないで積極的にしてくれるから生徒会としても助かっているんだ。そういう心遣いをできる人に副会長として僕を補佐して欲しい」

 雅刀が穏やかにそう言うと、陽斗はブンブンと首を横に振った。

「ぼ、僕は知らないことばかりだし、できることも少ないからやれることをやっただけです。も、もちろんこれからも頑張って役員は続けていきたいと思ってますけど、僕に副会長なんてできません! それに、僕なんかが副会長とか、きっと面白くない人が居ると……」

「西蓮寺君!」

 

 必死になって言葉を重ね、どんどん自分を卑下するような言葉になってきたところで雅刀が口調を強めて遮った。

「僕はできない人に無理に役割を押し付けるようなことはしないよ。西蓮寺君にならできると思ったからお願いしたんだ。

 君のこれまでの仕事を周囲の人達も他の役員もきちんと評価しているし、君が責任感が強い真面目な性格なのも知っている。それに君は話した相手に警戒されることなく相手の良いところを引き出すことができるという希有な特質を持っている。

 あと、君が副会長になることに反対する人は多分ほとんど居ないだろう。今回の事件で君は危難にある女性を見過ごさない優しさと、自分より強い人間に立ち向かう勇敢さを全校生徒に証明してみせた。これは誰にでも出来る事じゃないよ。

 もちろん、君がどうしても副会長をするのが嫌だというのなら無理にとは言わない」

 

 いつものように穏やかな口調ながらどこか厳しさも含んでいるかのような雅刀の言葉に、陽斗は何も言えなくなってしまう。

 もちろん雅刀や他の役員達が陽斗のこれまでの働きを評価してくれているのは嬉しい。陽斗としてはこれからも与えられた仕事を懸命に取り組むつもりでいる。

 しかし、自分がただ与えられた仕事ではなく、副会長という責任ある立場を担える自信などまったくないのだ。

 それでもここまで期待してくれている雅刀の頼みを断るのも申し訳なく、すぐには結論を出せずにいた。

 

「西蓮寺さんは何か勘違いをしているようですね」

 不意にそれまで雅刀と陽斗のやり取りを見守っていた琴乃がそんなことを言い出す。

「勘違い、ですか?」

 言われた意味がわからず陽斗が聞き返すと琴乃は聞き分けのない子供に向けるような表情をした。

「副会長という役職、いえ、執行役員が他の役員達より上の立場であると思ってはいませんか?」

「? 違うんですか?」

 考えていることをそのまま言われて少しばかり戸惑ったものの琴乃の言葉に頷いてみせる。

 

「生徒会、いえ、会社などもそうですが、役職というのは単なる役割分担であり、責任範囲の違いでしかありません。例えば副会長という役職は会長を補佐して生徒会を円滑に運営することが役割です。特に会計や書記などの執行役員は業務範囲が明確ですが、副会長という役職は会長の方針を具体化したり他の役員から情報を収集して整理し、運営方針を決めるための材料にするなど、言ってみれば執行役員の雑用係のようなものです。

 確かに他の役員に作業の指示をしたり、問題を指摘して改善を求めたりと、立場が上のように思える部分がありますが、あくまでそれが役割なだけであって他の人よりも偉いわけでも権力があるわけでもありません」

 淡々とした話し方ではあるが、琴乃の言葉はどこか優しく嗜めるように聞こえる。

 

「そう、なんですか?」

 陽斗としては役職が上=偉いという図式で理解していたので琴乃の説明にピンとこない。

「そうですわね。陽斗さん、企業でも上司という存在は居ますわよね? 上司は部下に命令をしますけれど、命令できるのは仕事の範囲に関わることだけでしょう? 業務外のことやプライベートに関することまで命令できませんわね」

「う、うん」

 理解しやすく補足した穂乃香の言葉にあっさりと頷く。

「それは上司となっている役職者の仕事として指示や命令をしているだけであって、部下よりも優れているからでも偉いからでもないということでしょう? 本当に部下よりも偉いのであれば仕事など関係無しに命令できるし部下は従わなければならないことになってしまいますわ」

 暴論ではあるが、ある意味わかりやすい例えでもある。

 ただ、それが理解できていない上司というのは結構な割合で実在しているのが現実でもある。

 

「僕はね、西蓮寺君にリーダシップを発揮して欲しいとか率先して人をまとめて欲しいと思っているわけではないんだ。

 君は人の良いところを引き出すことができる。そして人の気持ちを察してやりやすい環境を作ることができる。僕が君に期待しているのはそういう部分だよ。

 それは他の誰にも出来ないことだ。リーダーシップは少しずつ身につけていけばいいし、君が足りない部分は四条院さんや他の役員が助けてくれる。

 二人で僕に力を貸してもらいたい。お願いできないかい?」

 雅刀の真っ直ぐな目を向けられ、陽斗は逡巡しながらふと隣に視線を向ける。

 穂乃香はそんな陽斗の視線を受けてほんの少し口元に笑みを浮かべて小さく頷いた。それはまるで陽斗がどんな結論を出しても応援すると言ってくれているようだ。

 そんな穂乃香の態度に、陽斗は少しだけ俯いて目を瞑る。

 

「あ、あの、ぼ、僕で良いのなら、やってみます。やらせてください」

 数秒して顔を上げた陽斗は、雅刀に向き直ってそう言った。

 断り切れずに渋々と、ではなく、しっかりと自分の意思でという表情を見て雅刀は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 今でも自信はないし不安だらけではあるのだが、それでもこの学園に入学した時に何にでも積極的にチャレンジすると決めていた。

 それに今の陽斗には穂乃香や壮史朗、賢弥、セラといった頼りになる友人達が居る。生徒会の仕事を手伝ってもらうつもりはないが、困ったときは相談に乗ってくれるだろう。

 そのことに力づけられて、頑張ってみようと思い至ったのだ。

 

 そしてなにより、自分にしかできない役割だと言われたのが嬉しかった。

 祖父の元に引き取られるまで、陽斗は自分が価値のない人間なのだと思っていた。もちろん優しくしてくれる人は沢山居たし、褒めてくれる人も居た。

 だから自分に出来る事は一生懸命したし、誰かの役に立ちたいと思って行動してきたつもりだった。

 それでも同級生も含め、陽斗の知る人達は皆、陽斗にはできないことをできていて、陽斗は自分が人より劣っていると感じることが多かった。

 だからこそ人の役に立ちたい、誰かに認めてもらいたいという欲求は強い。

 皇家の人達は誰もが陽斗を大切にしてくれるし、甘やかそうとしてくれる。けれど、それは自分が重斗の孫であるからこそであり、陽斗自身の価値とは言えない。

 そんな中で穂乃香の悩みを聞いたり、穂乃香が掠われるのを防いだりしたことで最近ほんの少しだけ自分に自信が持てるようになってきたところだ。

 本当に雅刀の言葉通り、自分にしかできない、自分だけの能力があって、誰かの役に立てるなら頑張ろうと考えることができたのだ。

 

「ありがとう。

 四条院さんの方はどうだい? 引き受けてくれるかな?」

「もちろんですわ。ご期待に沿えるかわかりませんが、陽斗さんと一緒に精一杯務めさせていただきます」

 雅刀の問いに穂乃香はあっさりと頷いた。

 中等部でも同じような流れで生徒会役員を務めていたこともあり、今回の要請も想定内で断る理由もない。

「具体的なことは、まず僕が生徒会長選挙に当選することができてからになるからもう少し先の話だね。運営の方向性はその前に説明するつもりだけど、今はまだ今期生徒会の行事が残っているからそれを無事にやり遂げよう」

 

 雅刀がそう言って今回の要件はそれで終わりとなった。

 それを合図に席を立った陽斗と穂乃香だったが、陽斗がなにかを思いだしたようで、雅刀の側に歩み寄った。

「あ、あの、今日のこととは関係ないんですけど」

「ん? いいよ、なんだい?」

 陽斗が体育祭の準備のことで質問を始め、雅刀はそれに丁寧に答えていく。

 その様子を穂乃香と琴乃が部屋の入口付近で見守る。

 

「それで、何のつもりですの?」

「あら? なんのことかしら」

「……陽斗さんに副会長を要請した件です。錦小路会長が勧めたのですよね」

 小声で、陽斗達に聞こえないように詰問する穂乃香に、琴乃は飄々とした態度で応じた。

「勧めた、というか、少し提案しただけですね。決めたのは鷹司君ですよ」

「っ! なんのためにそんなことを? 陽斗さんの性格では負担が大きすぎます!」

「彼が“皇”の人間だから、ですね。彼は自分に自信がなさ過ぎます。普通のご家庭ならそういった謙虚さも周囲のサポートがあれば美点となるのでしょうが、残念なことに彼の家は力が強すぎますから」

 

 琴乃の言葉に穂乃香の表情が険しくなる。

「それは陽斗さんや皇家の方々が考えるべきことでしょう。部外者が余計な手出しをすべきではありませんわ」

「私や鷹司君がしたのは機会を設けることだけですよ? 早いうちに人前に出ることに慣れておいたほうが良いのは確かですし、リーダーシップを学ぶのも大切なことですから」

「それは錦小路家として都合が良いから、ですの?」

「う~ん、皇家が不安定なのは家としては困るというのは確かですね。でも、今回のことはあくまで善意ですよ。それに鷹司君が彼を評価しているのは本当の事ですし。それと」

 琴乃はそこで一旦言葉を切り、穂乃香の耳元に唇を寄せる。

 

「彼には貴女がいるでしょう?」

「っ?!」

 穂乃香の顔が一瞬で赤くなる。

「多分、皇の方達や四条院さんは彼を甘やかそうとするでしょうし、きっとそれも必要なんだと思いますよ。でも、成長にはそれだけでは足りませんから」

「……陽斗さんに何かするつもりなら、わたくしも四条院家も黙っているつもりはありませんわよ」

「まさか! 私も、錦小路家も皇と事を構えるような真似はしませんよ。それに、彼の事は私も気に入っていますからね」

 穂乃香はそれでも疑わしげな視線を琴乃に向けたままだ。

「嫌われてしまったかしら? 今の四条院さんとなら仲良くしたいと思っているんですけどね」

 琴乃は困ったように肩を竦めて自分の頬に人差し指を当てる。どこか芝居じみた仕草だ。

 

「ありがとうございました!」

「いや、また何か聞きたいことができたらいつでも言ってくれればいいよ」

 陽斗と雅刀がやり取りを終える。

「あ、穂乃香さんごめんなさい待たせちゃって!」

 穂乃香が部屋の入口近くで待ってくれていることに気付くと、陽斗は慌てて駆け寄り頭を下げた。

「構いませんわ。それでは帰りましょう。錦小路会長、鷹司先輩、お先に失礼致します」

 穂乃香も表情を一転させて柔らかな笑みを浮かべると、琴乃と雅刀に一礼して陽斗を促して部屋を出た。

 

「陽斗さん、本当に引き受けても良かったのですか? もし無理をしているのなら」

「ううん、頑張ってみたいと思って。自信とかは全然無いんだけど、あの、穂乃香さんには迷惑掛けちゃうかもしれないから、その」

「わたくしはいつでも陽斗さんのお力になりますわ。ですから、無理だけはしないでくださいね」

 穂乃香が請け負ってくれたことで陽斗の顔に安心したような笑みが浮かぶ。

 それから送迎駐車場まで、陽斗と穂乃香は他愛のない話をしながらゆっくりと歩いていった。

 

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