第65話 雅刀の頼みごと
学園再開の初日の放課後。
いつになく落ち着きのない学園で、さらに忙しない一日を送った陽斗と穂乃香だったがまだ終えることはできない。このあと生徒会役員会議が行われることになっているからだ。
今回の会議は急遽決まったことで、当然内容は誘拐未遂事件に関する報告と今後の対策に関することだと事前に連絡があった。
陽斗と穂乃香もホームルームを終えるとすぐに生徒会室に向かう。
というか、それを口実に逃げてきたというのが正しい。
いつもなら余計な荷物などは教室においたままにしておき、生徒会の仕事を終えてから取りに戻るのだが、この日ばかりはすぐに帰ることができるように鞄を持っていくことにした。
「つ、疲れましたわね」
「あ、あはは、うん」
穂乃香の言葉は冗談めかしてはいるもののかなり実感がこもっている。表情にもそれが表れていた。
陽斗も穂乃香が気にしないように明るい笑みを浮かべているが、まぁ似たようなものである。
朝の騒動は担任の筧、副担任の麻莉奈が教室に入ってきたことで一旦終了したが、その後も休憩時間のたびにクラスメイトに囲まれる羽目になってしまった。
良家の子女ばかりといえど、いや良家の子女だからこそか、身近で大きな事件が起こることなどそうそうあるものではない。ましてや全国ニュースにまで取りあげられたらしいのだから好奇心がうずいて仕方がないのだろう。
ニュースは四条院家やその他の学園生徒の保護者の顔色を伺ったのか詳細に関しては実行犯グループに関することばかりで事件の状況に関しては大まかにしか触れられていなかったから尚更なのかもしれない。
さすがに昼食時にまで押しかけてこられることがなかったのはさすがマナー教育が行き届いていると言えるだろうが、それ以外の時間はほぼ事件のことを根掘り葉掘り聞き出そうとするクラスメイトへの対応に苦慮することになったのだった。
「で、でも、一通りのことは話し終えたから明日からは普通に戻るんじゃないかな」
「そうですわね。あまりに続くようなら何らかの対応をしなければなりませんけれど。陽斗さんは大丈夫ですの? まだ怪我が治っていないのに無理しているのではありませんか? 生徒会だって休んでも構いませんのよ?」
言いながら穂乃香は陽斗の顔を心配そうに見つめる。
いまだ怪我の回復途中の身で、よりクラスメイトの標的になっていたのは陽斗だった。
さすがに四条院家の令嬢たる穂乃香には気後れするのか比較的親しい女子生徒に囲まれる程度で、男子生徒やその他の女子生徒は陽斗の方に群がっていたのだ。
陽斗の祖父のことが知られれば真逆になるのかもしれないが。
生徒会室に到着し扉を開けて中に入ると、一瞬室内がザワッとする。
セラの言っていたとおりすでに陽斗達のことは全校に広まっているのだろう、視線が陽斗達に集まったもののクラスの時のように騒がしくなることはなかった。
「西蓮寺君、怪我の具合は大丈夫かい?」
「四条院さん、災難だったね。気持ちは落ち着いた?」
口々に声は掛けられるものの興味本位で訊いてくるような感じではなく、気遣っているような問いかけばかりだ。
とはいえ興味がないというわけではないようで、チラホラと目に好奇の色は見え隠れしてはいるが役員に選ばれているだけあって不躾な質問をしないようにしているのだろう。
この日の会議で事件の詳細が報告される予定であることも理由だろうが。
陽斗達が空いている席に座ってほどなく、奥の部屋から琴乃達執行役員が会議室に入り会議が始まる。
「事前に告知していますが、今回の臨時会議は2週間前に学園前で起こった誘拐未遂事件に関しての状況説明と学園の対策の詳細を執行役員から、それから生徒会としての対応を話し合いたいと思っています」
会長である琴乃がそう言い、その後を雅刀が引き継ぐ。
「まず事件の詳細について僕の方から報告させてもらう。四条院さんと西蓮寺君は思い出したくもないかもしれないが、できるだけ内容には配慮させてもらうので気になることや間違い、補足などがあれば言ってほしい」
そう言って時系列に沿って事件の日、穂乃香が校門を出るところから状況が話された。
陽斗が入院していたときに琴乃と雅刀は見舞いと生徒会を代表して謝罪に訪れており、その時に穂乃香と共に当時の詳細は話をしてあるため、おおむね内容はそのままだ。
ただ、中には陽斗達が知らない話もあり、特に事件が貴臣の指示によって行われたという報告に陽斗は奇妙な叫び声を上げてしまうほど驚いていた。
それについてはさすがに穂乃香の方は知っていたのだが、対応を父親と重斗に一任していたので特に気に留めていなかった。
想いを拗らせた挙げ句拉致まで計画し、にもかかわらず気に留められない貴臣が憐れですらある。
そんなわけで穂乃香は貴臣のことよりも陽斗の怪我が心配でそれどころではなく、重斗や彩音はいちいち陽斗の心を乱しかねないことを話すわけがなく、こうしてようやく雅刀の口から聞いて驚いたというわけだ。
「学園前で起こった事件ということで生徒達も好奇心を刺激されて四条院さん達の心情も考えずに不躾な質問をぶつけることもあるかもしれない。生徒会役員にそのような人達はいないとは思うけど、もし四条院さんや西蓮寺君が困っているのを見かけたら助けてあげて欲しい」
雅刀はそう付け足して説明を終えた。
細部にわたって被害者である穂乃香や陽斗の心情に心を配っているところに雅刀の思慮深さと気遣いが見て取れる。
「改めてお二方には生徒会としての対応が不十分であったこと、お詫びいたします」
「お気遣いには感謝いたします。ですが、わたくしは今回の件に生徒会の落ち度があったとは考えておりません。これ以上の謝罪はご遠慮くださいませ」
「あ、あの、僕も、生徒会の人達が悪いなんて思ってないです。それに、病室でも謝られて、その、逆に困ってしまうというか」
改めて神妙な様子で頭を下げた執行役員達を穂乃香と陽斗が制止する。
琴乃は予めふたりの態度を予想していたのだろう、フッと笑みを浮かべて頷いた。そして穂乃香と目だけで合図を交わす。
ある意味形式を整えるための予定調和ということなのかもしれない。
琴乃は陽斗達から役員達に視線を戻し、議題を進める。
「わかりました。それでは生徒会として再発防止と生徒の安全対策の方に注力することにしましょう。まず学園側の対策として……」
「西蓮寺君と四条院さんは少し時間をもらいたいんだけど、良いかい?」
会議を終え、席を立とうとしていた陽斗達を雅刀が呼び止める。
そのことに陽斗と穂乃香が顔を見合わせて首を捻る。
ふたりだけが呼ばれるとなれば要件で考えられるのは事件のことだが、会議でもこれ以上言及することはしないとなったはず。
なので思い当たる節がない。
「なんでしょう? わたくしたちに何か?」
「生徒会としてというか、僕の方からふたりに頼みたいことがあってね。それほど時間は取らせないから」
雅刀にそう言われればふたりとしても否やはない。要領を得ないながらも頷いて了承する。
そして雅刀に促されて会議室奥にある役員室に移動した。
一緒に居るのは琴乃と雅刀、陽斗と穂乃香の4人だけである。
役員室に入るのが初めての陽斗が物珍しげに部屋の中を見回す。
中は小規模な会社のオフィスと大会社の社長室を混ぜ合わせたような印象で、落ち着いた色の絨毯に高級そうな書庫、執行役員のデスク、円卓などが置かれている。
壁には様々な賞状や感謝状なども飾られており、まさにアニメの世界でイメージするような生徒会室そのものだ。
陽斗と穂乃香が示された席に座るとその対面に琴乃と雅刀も座る。
「すまないね。あまり引き留めるのは申し訳ないからさっそく本題に入らせてもらうよ。現生徒会役員の任期が来月いっぱいとなっているのは知っているね?」
雅刀の確認に陽斗と穂乃香は頷く。
休み明け初日の生徒会でも話されていたことだし、学園の生徒なら誰でも知っている事だ。
来月初旬には生徒会長を選出する選挙が予定されているために、今はまだ執行役員以外は仕事は無いがもう少しすれば平役員である陽斗達も準備作業が割り振られることになっている。
「生徒会長選挙の後に執行役員の信任投票が行われて、引き継ぎが終わるのが10月末と聞いております。中等部と同じですわね」
「そう、それで私の後任として鷹司副会長を指名する予定なの」
琴乃の言葉にも異論はない。
慣例として退任する生徒会長が後任を指名し、会長選挙は事実上の信任投票になることがほとんどだ。極稀に対立候補が立つこともあるが、実績などの点から指名された生徒が落選することはほとんどないらしい。
「鷹司君をライバル視していた桐生のバ、いえ、桐生君がいれば対抗して立候補したかもしれないですが、今のところ他に会長選に出馬する予定の方はいませんのでおそらくそのまま信任されると思います」
これにも陽斗達は納得する。
慣例云々は考えないでも、雅刀の人柄を批判する生徒はほとんど居ないし、実際にカリスマ性は琴乃に及ばないものの、統率力、実行力、人望など会長として充分な能力があると多くの生徒が認めるだろう。
陽斗もいろいろな面で助言をもらったり手助けをしてもらっているし、穂乃香はオリエンテーリングの折りに貴臣から助けてもらったこともある。
役員を続けるにしろ任期で終えるにしろふたりとも雅刀が会長に就任することに反対する理由はない。
だがそのことが自分にどう関係するのかがわからない。それは穂乃香も同じで、琴乃と雅刀の意図がわからず戸惑うばかりだ。
「それで、わたくしたちは何を求められているのでしょうか?」
穂乃香が訊ねると、雅刀は小さく頷いて話を続ける。
「四条院さんも知っているように会長と監査役以外の執行役員は新しい会長が指名することになっているんだ」
「えっと、指名された執行役員は会長選挙の翌週に行われる投票で信任されるんですよね」
入院中の雑談の中で穂乃香から聞いていたので陽斗も知っている。
「そう。それで、当然なんだけど指名する執行役員は事前に会長候補が打診するというわけなんだ。選挙の後だと間に合わないからね」
ここまで言われれば穂乃香にも呼ばれた理由を察することができる。
そして陽斗も同じ考えに至る。
「わぁ、穂乃香さんが執行役員になるんですね!」
陽斗から見ても穂乃香が生徒会の執行役員になるのは当然のように思えたし、純粋な気持ちで喜んでいた。が、その直後、首を傾げる。
自分まで呼ばれた理由がわからないからだ。
そんな陽斗を穂乃香はちょっと呆れたように、雅刀は吹き出しそうになるのを堪えるように口元を抑えながら見ている。
「四条院さんと西蓮寺君のふたりに副会長をしてもらいたいと考えているんだ。引き受けてもらえるかい?」
「やはりそういうことでしたか」
納得したような穂乃香。
対して陽斗の方はというと、キョトンとして何を言われたのかまったくわかっていない様子だった。
そして数瞬後、
「………………え? あ、あの、はふぇぇぇ?!」
小さな身体に不釣り合いなほどの大きさで、素っ頓狂な声が響いた。
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