第64話 学園再開

「陽斗さま、そろそろ到着しますよ」

「あ、う、うん」

 湊に声を掛けられて陽斗が窓の外に目を向ける。

 元々陽斗は車の中でリラックスするようなタイプでは無いが、この日はいつも以上に緊張した面持ちでシートに座っていた。

 その理由のひとつが今陽斗が乗っているこの車だろう。

 

「やっぱり慣れない車は落ち着きませんか?」

「うん、その、ちょっと豪華すぎて。この間までのも凄かったんだけど、この車はもっと凄いから」

 陽斗の言葉からわかるとおり、陽斗の送迎車は穂乃香の誘拐未遂事件の時の物から変更になっている。

 あの時、桜子の指示で犯人達の乗った1BOXに衝突させたことが主な理由だが、重斗にとって何よりも大切な孫が乗る車であり、VIPが乗ることを前提とした高級リムジンだ。

 衝突によって1BOXは前輪部分が大破してとても自走できるような状態ではなかったがリムジンの方はフロント部分が少々破損した程度で、修理すれば問題なく使用することができる。

 

 しかし、重斗としては意図的にとはいえ一度でも事故を起こした車に陽斗を乗せるのは嫌だったらしく急遽別の車が用意されたのだが、ここでも拗らせた爺馬鹿が炸裂した。

 新たに陽斗用に用意したのは某欧州メーカーの要人向プルマンボディ・リムジンで、後部座席には対面で4人が悠々と座れる大型の物だ。

 内装も以前よりさらに高級感溢れる物になっており、陽斗は座るだけで緊張してしまっているのである。

 ちなみに陽斗は知らないことであるが、各国の要人御用達ということで、新しい車は高性能な防弾防爆仕様になっている。いったいどんな状況を想定しているのか不明だし、そもそもこういった特別な仕様の車をわずか2週間程度で準備するのが普通はあり得ないのだが。

 

 ともかく、そんなわけで落ち着かないまま車の中で過ごし、黎星学園のフェンスが見えてくると陽斗にもいつもと雰囲気が違うことが見て取れた。

 これまでなら学園の校門に向かう道に入るとすぐに路肩に停まる送迎車の列が見えるのだが、この日はそういった車はほとんど無く、校門に近い位置に数台の車が見えるだけだ。その車も次々に学園の敷地に入って行っているのが見える。

 それに、歩道と車道を隔てるガードパイプ(ガードレールが鉄板ではなくパイプになっているもの)も胸ほどの位置にまで高くなっており、横に渡された横木ビームは2本から4本に変更されていた。

 20mほどの間隔でガードパイプが途切れている部分もあるが、その場所には路肩にポールが立てられており、その位置に車が横付けできないようになっている。

 これらは車に引き釣り込まれるのを防止するための措置なのだろう。

 学園前の道路は市道なので生徒の被害に関しては直接的な対策をおこなう義務は無いはずだが、そこはそれ、やはり学園に通う生徒の保護者やOB・OGの影響力の発露であるのだろう。

 

「本日から送迎の乗り降りは学園のゲート内、専用の駐車スペースでおこなうことになったそうです」

 湊の説明を聞きながら待っていると、ほどなく陽斗の乗ったリムジンもゲートまで辿り着いた。

 入口のゲートは2箇所あり、それぞれに守衛が常駐する小さな建物が作られていた。ゲートの柵は頑丈そうな物で、車が強引に突っ込もうとしても壊れそうにない。

 その上周囲には数カ所に監視カメラが設置されており、別室で専任の警備員が出入りする車両のナンバーや運転手の顔を確認する事になっているそうだ。

 

 リムジンを運転していた運転手兼警備班の男が入門証らしき物を守衛に提示すると、一拍おいてゲートが上に持ち上がって通れるようになった。

 ゲートをくぐるとその先は真新しいアスファルトに覆われ、ロータリーのように外側を楕円形に周回する通路と、その内側に数十台の駐車スペースが設けられていた。

 今は駐車スペースには車は駐まっておらず、生徒を降ろした車はすぐに出口から出ていっているようだ。ただ、出るときにも守衛のチェックは入るようで、一台一台ゲートが上下している。

 

「陽斗さん、おはようございます!」

「え?! 穂乃香さん?」

 ロータリーで停まったリムジンから陽斗が降りると、そこに穂乃香が待っており声を掛けてきたことに驚く。

「ど、どうしたんですか?」

「もちろん陽斗さんをお待ちしていたのですわ。申し上げましたでしょう? 学園ではわたくしが陽斗さんのお世話をいたしますので」

 笑みを浮かべながら当然のように言った穂乃香の言葉に、陽斗は入院中のことを思い出して顔を赤くする。

 

 入院していたのは1週間だったが、その間穂乃香は過剰なほどに陽斗の世話を焼いてくれていた。

 特に、4日目の壮史朗達の面会以降は、自分だけが陽斗と皇家の関係を知らなかったことが悔しかったようで、その代わりとばかりにより一層陽斗に対して甘やかそうと奮闘していたのだ。

 おかげで膝枕での耳掃除に始まり、食事も陽斗が箸やスプーンを持つことすらさせてもらえなかったほどだ。

 いくら利き手を怪我しているとはいえ、さすがに同い年の、それも憧れを抱いている美少女に全てお任せして世話をされるのは恥ずかしすぎる。

 とはいえ、陽斗も健全な青少年なので嬉しいという気持ちもあるのは確かなのだが。

 

 退院してからはさすがに穂乃香も陽斗の自宅まで押しかけることはしなかったものの、学園生活に関してはお世話する気満々のようで、陽斗としてはどうすれば良いのか分からず戸惑ってしまう。

「あの、手以外はもう大丈夫ですから、そんなに手伝ってもらわなくても」

「利き手がまだ完全に治っていないのですから陽斗さん一人ではいろいろと不自由でしょう? あの、それともご迷惑ですか?」

 恥ずかしいのと申し訳ないだけで迷惑なわけではない。

 なので、穂乃香にそう言われてしまえば陽斗に拒否することはできなかった。

 それに、さすがに利き手が使えない状況ではどうしても人の手を借りなければならないこともそれなりにあるのも事実だ。

 

「では、行きましょうか。鞄はお持ちしますわ」

 穂乃香がそう言って湊が差し出していた鞄に手を伸ばそうとしたので、陽斗は慌てて左手で鞄を掴んだ。

「そ、そのくらいは大丈夫ですから! あの、下駄箱を開けるときだけ手伝ってもらえますか?」

 陽斗とて一応は男の子である。

 同級生の女の子に荷物を持たせて自分は手ぶらというのは良心が許さないのだ。

 男の子だからだ。

 

 せっかく世話を焼くために陽斗の登校を待っていた穂乃香は少しばかり残念そうではあるが、それでも陽斗の考えていることは理解できるので大人しく引き下がった。

「教室に行く前に校長室に向かいますわ。わたくしと陽斗さんが呼ばれておりますの。おそらく事件のことに関する話だと思いますが」

「は、はい、わかりました」

 穂乃香の言葉に途端に表情が硬くなる陽斗。

 事件のことなら叱られるというわけではないだろうが、それでも一生徒の立場からすれば校長室に呼び出されるなど緊張するのが当然だ。

 そんな陽斗の様子に、穂乃香はクスクスと笑いながら安心させるようにそっと陽斗の鞄を持つ手に自分の手を添えた。

 

 

 

 校長室を出た陽斗と穂乃香が、自分達のクラスである1年4組の教室まで来ると、いつになく騒然とした気配が廊下にまで漏れ出ていた。

 いつもなら始業前のこの時間でも多少の騒がしさはあれど、良家の子女が集まっているだけあって騒々しくは感じないのだが、今日は明らかに騒がしいと思えるほどのざわめきが教室中を満たしているようだ。

 校長室での話は穂乃香の予想通り、誘拐未遂事件で学園側の不備に関する謝罪と陽斗が身を挺して穂乃香を庇ったことに対する感謝を校長や教頭だけでなく理事長まで深々と頭を下げて終わった。

 時間としては大したものではなかったので始業時間まではまだ多少の余裕がある。

 陽斗と穂乃香は顔を見合わせて首を捻ると、恐る恐る教室の引き戸を開けた。

 

 カラカラカラ。

「あ、来た! 四条院さんと西蓮寺君だ!」

 誰かの声が響き、教室に入ろうとした陽斗達に視線が集中する。

 と、その直後、歓声に似た声が爆発する。

「え? え? あの?」

「な、なんですの?!」

 驚いてその場に固まる陽斗と穂乃香。

 そんなふたりにセラが近づいてきて事情を説明する。

 

「穂乃香さんが掠われそうになって、それを陽斗くんが阻止した時の事を見ていた人が結構居たみたいなの。送迎の車に向かっていた生徒とか、車で待っていた運転手とかね。

 学園側からは誘拐未遂事件があったとだけしか言われてないけど、その目撃した人達から伝わったみたい。SNSのグループとかでも拡散してるらしいから、もう学園中の生徒が知ってるんじゃないかな」

 セラの言葉に顔を見合わせる陽斗と穂乃香。その顔はどちらも盛大に引き攣っている。

 

「西蓮寺、凄いじゃないか! ちっこくて大人しそうに見えるのにやるときはやるんだな!」

「陽斗さん、素晴らしいですわ! 女性のために自らを省みず立ち向かわれるなんて!」

「可愛いだけでなく、勇敢でもあるのですね! 是非我が家にいらして頂きたいです!」

「こっちで詳しく話を聞かせてくれよ!」

 あっという間にセラまで押しのけられ、陽斗は教室の中に引っ張り込まれてしまった。

 良家の子女達でなければ揉みくちゃにされているだろう勢いだ。なにしろ言葉の端々に感嘆符が付きまくっているくらいである。

 

「え、あ、あの?」

 咄嗟のことに陽斗はなされるがまま。それでも怪我をしているのは気遣ってくれているらしく右手に触れるようなことはしていないが。

 思わず助けを求めて周囲を見回すが、壮史朗には目を逸らされ、賢弥は肩を竦め、押しのけられたセラは腰に手を当ててプリプリと怒ったような仕草をするばかり。

 穂乃香はというと、別の女子生徒達に囲まれて質問攻めにあっている。

 結局、誰の助けも得られないまま、陽斗は始業のチャイムが鳴るまでクラスメイトの好奇心にしどろもどろになりながら孤軍奮闘する羽目になったのだった。

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