第60話 桐生家の行く末

「それではごきげんよう。もう合うことはないでしょうけれど、ね」

 ピッ。

 スピーカーから何やら叫ぶような声が聞こえていたが、それに構わず琴乃は通話を切り、傍にあったソファーの上に行儀悪くスマートフォンを放りだして小さく息を吐いた。

「お疲れ様」

 そんな琴乃に雅刀が柔らかく笑みを浮かべながら労いの言葉を掛ける。

 

「まったく、馬鹿だとは思っていたけど、あそこまでとは思わなかったわね。よりによって四条院さんを拉致しようなんて、どう考えても悪手でしかないでしょうに」

「映像を撮って脅迫すれば思い通りにできると考えていたのだろうね。名家の体面を守るためにも公表はできないと。

 四条院さんに対する父親の溺愛ぶりを知っていれば、一時的な恥辱よりも将来的な幸福を優先すると思うけどね」

 心底嫌そうに吐き捨てる琴乃に、雅刀も笑みを消し頷いて同意する。

 女性として貴臣の執ろうとしていた手段には嫌悪感しか無い。貴臣とその父親がこれから辿るであろう道に一欠片も同情する気になれなかった。

 そしてそれは男である雅刀にしても似たようなものだ。そのくらい今回の事件は悪質なのである。

 

「それより、そろそろ時間じゃない?」

 少しして琴乃が落ち着いたのを見計らってから雅刀がそう切り出す。

「……はぁ~、そうね。でも、こんな小娘が同席する必要があるのかしら。お父様が居るのだからお任せしたいのだけど」

 言われた琴乃の方は溜息混じりに恨めしげに雅刀に目を向ける。

「僕に言われてもどうしようもないよ。それに今回被害にあったのはどちらも生徒会の役員だし、加害者は元生徒会役員だからね。会長の君と副会長の僕が経緯を説明しなきゃ」

「そんな正論は聞きたくないわ」

 不満そうにジト目で琴乃が睨むが、雅刀の方は慣れているのか笑みを堪えながら琴乃の肩をポンポンと叩く。

 まるでむくれる子供を宥めているかのようだ。

 

 もう一度大きく溜息を吐き、いかにも渋々といった表情を作りながら部屋を出る。そのすぐ後ろに雅刀も続いた。

 今まで居たのは錦小路家の本邸にある琴乃の自室だ。

 二間続きの琴乃の部屋は洋風の内装になっていたが、本邸自体は和風建築を土台にして洋風の使い勝手と両立させた和風モダンとでも呼ぶような造りになっている。

 建物は平屋で、日本有数の名家に相応しくかなり広い。

 邸宅の奥まったところにある自室から応接室に向かって歩くふたりだったが、普段生徒会長として誰と相対しても凛とした態度を崩すことのない琴乃の顔が少しばかり強張っていることに雅刀が気付く。

 

「君がそれほど緊張するなんて珍しいね」

「私をなんだと思ってるのよ。これから会う人の事を考えれば緊張しないわけがないでしょう? まして、間違いなく機嫌が悪いであろう人に、生徒会の不始末を説明するわけだし」

 いつもと変わらない態度の雅刀を横目で恨めしげに睨みながら琴乃がこぼす。

「僕はお会いするのは初めてになるんだけど、そんなに恐い人なのかい?」

「そう、ね、恐い人であるのは間違いないわよ。普段は理知的で話のわかる人らしいけれどね。私も会ったことがあるとは言ってもほんの数回挨拶をさせてもらっただけよ」

 そんな会話を小声で交わしながら廊下を進むとほどなく応接室に到着する。

 

「失礼します。琴乃です」

「入りなさい」

 扉の前で琴乃が声を掛けるとすぐに返事が返ってくる。

 その声に従い琴乃が扉を開けると、そこには既に客人が到着しており当主である琴乃の父が応対していた。

「遅くなって申し訳ありません」

 言われていた時間にはまだ少しばかりあるはずだが、とりあえずは琴乃がそう謝罪する。それに倣う形で雅刀も琴乃の横に並んで頭を下げた。

 

「いや、私の方が予定よりも早く到着してしまったのでな。気を使わせて申し訳ない」

 客人が鷹揚にそういって言葉を返す。

「お見えになったのはつい先程だ。琴乃と雅刀君も座りなさい」

 父である正隆に促され、ふたりは正隆の右側のソファーに並んで腰掛けた。

 客人である男性の隣には秘書風の若い女性が座っており、正隆が向き直ると小さく頷いた。全員揃ったということだろう。

 

「改めて、ようこそおいで下さいました、皇さん」

「うむ、錦小路の御当主も壮健そうで何よりだ。活躍ぶりは日頃から良く耳にしている。無論良い意味でだ。

 ご令嬢も久しぶりだな。今のご時世あまり女性を褒めそやすのも良くないだろうが、ますます綺麗に成長されたようだ。聞けば学園でも評判の才媛だとか。

 それと、そちらの青年が鷹司君だね? 孫が随分と世話になったと聞いている。遅ればせながら礼を言わせていただきたい」

 そう重斗が穏やかな笑みを浮かべながら挨拶の文言を送った。

 

「恐縮です。僕の方こそ、西蓮寺君が生徒会の仕事を頑張ってくれるおかげで助けられています」

(この人が皇家の当主。なるほど凄い風格だ。見据えられるだけで圧倒される)

 見た目は穏やかそうに思えるのだが、すべてを見通すかのような重斗の眼光を受けて雅刀の背中に冷たい汗が流れる。

 重斗の正面に座りながらいつもと変わらず平然としている正隆を改めて尊敬する。少しばかり表情は硬いながらも同じくゆったりとした笑みを浮かべ続ける琴乃もだ。

「できればもう少しばかり雑談を楽しみたいところだが、まずはすべきことをしなければ落ち着かん。皇の顧問弁護士の渋沢から儂の提案を説明させる」

 重斗がそう言って隣の彩音を促すと、彩音は数枚の書類を正隆に手渡した。

 

「……なるほど、徹底的に桐生グループを追い詰めて解体させるということですな」

 正隆が渡された書類に目を通して唸る。

 この日、重斗が錦小路家を訪れたのは桐生家の力の源泉である所有企業の処遇について協力を求めるためである。

 桐生家当主とその跡取りが逮捕されたとはいえ、有罪になったとしても数年で社会復帰することになる。貴臣にいたっては未成年であるため少年院に入っても最長2年程度で出てくることになる。

 とはいえ重斗としては大切な孫の、大切な友人に危害を加えようとした上にその愛孫に怪我を負わせた桐生家の者を法的処罰だけで済ませるつもりは毛頭ない。

 さすがに陽斗を誘拐して長年虐待してきた者達にしたような超法規的措置まではするつもりはないが、存分に地獄を味わってもらわなければ溜飲が下がることはないのだ。

 

 とはいえ、桐生グループは重工業を中心に複数の分野の企業を傘下に抱える複合企業であり、傘下企業の株式は51%を中核企業である桐生重工が、その桐生重工の株式の51%を桐生家当主の桐生宗臣が握っているため株式買収などで切り崩すのは困難だ。

 そこで桐生グループと取引のある企業や組織全てに対し、取引を停止するように促した。当然そう簡単にできることではないが、元々桐生グループは取引先企業からは悪評が叫ばれており、さらに今回の事件で反社会的な組織との繋がりが明らかになった。

 そうなればそんな企業と取引を継続すれば風評被害にある可能性が高く、会社存続のためには距離を置くしかない。だがそうすれば取引先企業にとっても損害は洒落にならないものになるだろう。

 そこで、取引を止めることで資金繰りが悪化する企業に関しては皇家が当面の資金援助を行うという約束をした。

 

 それから桐生グループで働いている従業員達の問題もある。

 強引な手法や違法すれすれの取引など、何かと悪い評判がつきまとうとはいえ、桐生グループは国内でも有数の大企業だ。グループ企業の正規従業員だけでも数万人が働いている。

 そんな会社が前触れもなく倒産すれば社会に与える影響は無視できないものになる。

 そしてそれら従業員は大半が日々の業務に黙々とこなす善良な一市民に過ぎないのだ。

 悪評に寄与してきたであろう経営陣や一定以上の権限を持つ管理職はともかく、それ以外の従業員を路頭に迷わせるわけにはいかない。

 

「おそらく桐生家やグループの経営陣は取引先企業から相次いで訴訟を起こされるでしょう。反社会的組織との繋がりだけでなく優越的立場を利用しての強要や不当廉売、所得隠しなども次々に明るみに出ますので言い逃れはできません」

 彩音の言葉に正隆が頷いて返す。

 無論それを仕掛けるのが皇家であることは承知しているのだ。

 わざわざ罪をでっち上げる必要も無く、外部に知られれば充分に致命的なことを桐生グループはしてきている。

 訴訟を起こされれば勝ち目はなく、莫大な損害賠償と慰謝料を支払うことになるだろう。経営を維持できなくなるほどに。

 株式を桐生宗臣が握っている以上買収はできないが、倒産してしまえば株式比率など何の意味もない。宗臣が対応することができないために裁判所が破産管財人を選出して債権の処理を行うことになるだろう。

 当然グループが持つすべての資産は売却されて債権者への弁済に充てられる。


「市場や責任のない従業員への混乱を最小限にするためにグループの株式の過半を所有する桐生重工のみを破綻させる予定となっております」

 彩音の説明に正隆が頷く。 

「どの程度までお引き受けすればよろしいですかな?」

「素材系とメカトロニクス部門は四条院家に任せるつもりだ。近年になって桐生が買収した小規模で新しい企業だが、あちらが今後力を入れようとしている分野だからな。今回の事件では直接の被害者という立場だし、その程度のメリットは必要だろう」

「ということはそれ以外ですか。解体した上で従業員と一部の設備を吸収するという形でも?」

「経営に関与していない従業員の雇用が確保されるのであれば構わない。無論、害になりそうな者は排除しても仕方あるまい」

「そういうことならばお引き受けしましょう。それと、引き受ける事業の取引先に関しては錦小路家が資金援助や取引の継続を行います」

 

 重斗と正隆の間で交わされる言葉。

 文字通り、破綻した桐生グループを四条院家と錦小路家で吸収するという内容。

 負担が少なく旨味の多い部門は被害者である四条院家が、規模は大きいが問題も多そうなその他の部門を錦小路家が。

 問題が多いことが予想されるとはいえ、大きな利益が見込める事業を優秀な社員込みで吸収できるなら正隆としても悪い話ではない。

 そんなことが、もはや覆されることのない未来として、桐生家の当事者が居ない中で決められていく。

 桐生宗臣が出所してきても、もはや桐生家には何一つ残っていないだろう。

 手にするのは前科者というレッテルとこれまで虐げていた者達からの恨みだけだ。

 グループが解体され買収されても、実質破綻した企業にはほとんど値が付くはずもなく、そのわずかな買収費用ですら訴訟の賠償金に充てられる。まさしく身ぐるみ剥がされた無一文状態だ。

 だが、


「皇さんは桐生親子の処罰を司直の手に委ねられるのですかな?」

 正孝が探るような、あるいはどこか揶揄を含んだような声音で重斗に訊ねる。

 まるで『それだけではないのだろう?』と言わんばかりだ。

 正孝の知る皇重斗という人物は国内外に大きな影響力を持ち、寛大で話の分かる優れた人物である反面、敵対する者に対して容赦のない苛烈な部分を持っている。

 ましてや今回の事件は直接敵対したわけではないものの、目の中に入れても痛くないほど溺愛している孫が巻き込まれているのだ。加えて皇家と良好な関係である四条院家の令嬢が被害者でもある。

 その気になれば刑務所内で忙殺することすら不可能ではない。

「……すべてを失うのだ、軽い罰ではなかろうよ。それに陽斗の怪我も深刻なものではなかったのでな。……まぁ、桐生の当主が収監される場所には奴のせいで身を持ち崩した者がいるかもしれんから多少は辛い思いをする可能性はあるがな」

 苦笑交じりの返答に、正隆はさもありなんとばかりに頷いた。


「息子のほうはどうなさるので?」

「愚かとはいえ、まだ未成年だ。幸い取り返しのつかないことになるのは未然に防がれたのだから手を出すことはしない。学校を退学になり家もすべての財産を失う。父親は塀の中だ。将来の不安もあるだろう。懲りて更生する可能性もある。暴発しないように当面監視はするが」

 重斗の言葉は正隆の予想したものだった。

 あとは桐生が使っていた暴力団関係だが、こちらは考えるまでもないだろう。すでに誰に喧嘩を売ったのかを知った上の組織が切り捨てて一斉に逮捕されている。特に実行犯を務めた半グレ集団は誘拐未遂に加えて殺人未遂の容疑までかけられて一人残らず塀の中に入ることが確定している。


 桐生グループの処理についての話が終わると、重斗は今度は琴乃と雅刀に向き直った。

 その視線を受けてふたりが立ち上がり深々と頭を下げる。

「この度は元生徒会役員である桐生貴臣が起こした事件によってご令孫が怪我を負われたこと、生徒会を代表してお詫び申し上げます。

 当人に問題があったことで役員を解任したのがきっかけとなったかもしれません。私達の配慮が足りませんでした」

「彼の動向には注意をしていましたが、人を使うことまでは想定しておらず、四条院さんや西連寺君への注意喚起が不十分だったと思います。申し訳ありませんでした」

 謝罪を口にするふたりに、重斗は首を振る。

「謝罪には及ばないよ。以前その生徒が陽斗に対して危害を加えようとしたと報告を受けていた。だから儂も十分に注意していたつもりだった。それでもさすがにあれほど馬鹿なことを考えるなど想定していなかったのだからね。君達に責任はない」

 そう言った重斗の表情は言葉通り琴乃達を責める色はなく、先ほどまでの威圧するような気配も残っていなかった。


「陽斗から、ふたりのこともよく聞かされている。とても素晴らしい先輩だと言っていたよ。生徒会の仕事も楽しんでいるようで、今も陽斗は『皆さんに迷惑をかけてしまった』と言っているくらいだ。

 病院へも何度か見舞いに来てくれていると聞いている。合わせられなくて申し訳なかったが、数日して今回の事に目途がついたらまた見舞ってやってほしい」

 重斗の口調は穏やかで、むしろ親しげですらあった。

 その事にようやく琴乃の肩から力が抜ける。

「そう聞いて安心しました。私たちこそ陽斗さんにいつも一生懸命に役目をこなしてもらって感謝しています。それに、陽斗さんは他の役員からも大人気なので、居てくれるだけでも和やかにしてくれます。皇様の縁者でなければ私の弟に是非欲しいと思ったくらいです」

「こ、琴乃さん?!」

「お、おい、琴乃!」

 肩の力が抜けただけでない軽口にギョッとする雅刀と慌てる正隆。

 しかし重斗の方は琴乃の言葉に楽し気な笑い声をあげた。


「そうかそうか、うむ。陽斗が楽しい学園生活を送れているようで安心した。錦小路さん、なかなか将来が楽しみなご令嬢のようだな。

 琴乃さん、それから鷹司くんも、これからもどうか孫のこと、よろしくお願いするよ。

 それでは今日はこれで失礼させていただこう。片付いたら改めて四条院の当主と会食の席を設けさせていただきたいものだ」

 そう言って重斗は立ち上がった。当然彩音もだ。

 そうしえ重斗達は見送られながら錦小路家を後にしたのだった。

 

「次はどうなさいますか? 四条院家に向かいます?」

 車に乗り込んですぐに彩音が訊ねる。が、重斗は首を振った。

「それはまた後日でよかろう。とにかく陽斗の顔が見たい。向かってくれ」

「行ったところでどうせまた四条院のお嬢さんが居ると思いますよ。そのうち馬に蹴られますけど、その時は私を巻き込まないでくださいね」

 いつも以上に愛想のない返答に、重斗が眉を顰める。

「随分と機嫌が悪そうだが、何かあったか?」

「だって、最近私の台詞が全然ないじゃないですか! 今回だって久々の弁護士モードの見せ場だったのに!!」

「何を訳のわからんことを言っておるのだ貴様は!」 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る