第58話 不穏

 黎星学園の2学期は生徒会役員としてはかなり多忙な時期となる。

 他の学校と同じように体育祭や文化祭が予定されているし、黎星学園独特の行事として12月に行われる聖夜祭もある。

 もちろん新学期早々に行われる実力テストや中間、期末とそれぞれの試験もある上に、10月始めには生徒会長の選挙も行われる。

 ちなみに副会長や会計などの生徒会執行役員は会長による指名で選出され、生徒会運営自体を監査する監査役員は教員による指名だ。

 それら全てに生徒会役員はかり出される事になるのだが、さすがに陽斗達平役員の負担は執行役員ほどではない。

 

 始業式の翌日から2日間は1学期の復習と夏休み中の課題が中心の実力テストが行われた。

 陽斗はもちろん夏休み中も毎日ちゃんと勉強していたのでそれほど苦労することなく試験をこなすことができている。

 とはいえ陽斗の周囲の友人達、特に穂乃香と壮史朗は学業においてもかなり優秀であり、陽斗がわからなかった問題も難なく回答していたのを知って『僕ももっと頑張らなきゃ』と決意を新たにしていたりする。

 

「陽斗さんも高等部からの外部入学としてはかなり優秀だと思いますわよ。黎星学園はカリキュラムの進め方が独特だそうですから、外部入学の方は苦労されると聞いていますから。セラさんも優秀ですのに大変そうでしょう?」

「うん、そうなんですけど、僕はセラさんみたいに運動やコミュニケーション能力高くないから、せめて勉強くらい頑張らないと。英語が特にダメだし」

 陽斗の苦手科目は相変わらず英語であり、他の科目より20点近く点数が低い。

 入学前に現在は副担任を務めている麻莉奈に教わってはいたものの、やはり苦手意識はそう簡単に克服できないらしく、どうしても勉強の効率が悪いようだ。

 さらに、2学期からは英語での小論文もカリキュラムに入ってくる。さすがにこのままでは困るのでそろそろ彩音にでも相談してみようと思っているところだ。

 

「あの、陽斗さん、も、もし良かったら、なのですけれど、英語でしたらわ、わたくしがお教えしましょうか?

 もちろん家庭教師などがいらっしゃるならそちらの方が良いのでしょうけれど、いないのでしたら、毎日というわけにはいきませんしちょっとした合間の時間にはなるでしょうが、陽斗さんは基礎はできているようですので多少は得るものがあるのではないでしょうか」

 2日目の実力テストを終え、休み明け最初の生徒会役員会議に出席するための移動中、陽斗は穂乃香と一緒に廊下を歩いていた。

 話題は学生らしくやはり実力テストのことだ。

 穂乃香が優秀なことを知っている陽斗がもっぱらテストの内容に関する質問をしたり覚え方のコツを聞いたりしている。

 そんな中での苦手科目の話である。

 穂乃香が妙に早口で一気に捲し立てたのには戸惑ったが申し出自体は陽斗としても嬉しい。

 友達と勉強を教え合うというシチュエーションも陽斗が憧れる高校生活のひとつなのだ。

 だから陽斗の答えはもちろん恐縮しつつ、かつ穂乃香の時間のあるときという前提の元でよろこんでお願いするということになった。

 

 

「それでは皆さんお疲れ様でした。今学期は様々な行事がありますが、まずは9月24日の体育祭と10月12日の会長選挙までが今期生徒会の任期になりますので、どうかそれまでよろしくお願いいたします」

 科目棟にある生徒会会議室で行われた役員会議はいつもの通り会長である錦小路琴乃の挨拶から始まり、休み期間中に学園内で起こったことや見つかった問題などの報告、2学期前半の行事などの話が中心だった。

 特に時間が割かれたのが行事の役割分担と夏休み最初に行われたオリエンテーリングでの事故に関する報告だった。

 オリエンテーリングでの事故は経緯や被災者の怪我の程度、事故の原因と今後の対策、以後の学外行事に対して生徒会が果たす役割や責任範囲などが琴乃から説明された。

 基本的には生徒会や学園側に落ち度はないが、子女を預かる立場としてより一層の安全確保を行うという方針だということらしい。

 

 そしてその報告の最後に、ついでといった感じで2年生役員だった桐生貴臣がオリエンテーリングの日に穂乃香に暴行を働き、これまでの態度と併せて役員として相応しくないと判断されて生徒会を除名されたことも発表された。

 そんなことがあったというのを初めて知った陽斗は驚いて穂乃香を見るが、穂乃香は心配いらないというように微笑んで小さく頷く。

 それでも結局会議が終わるまでの間、陽斗は穂乃香を心配そうにチラチラと覗き見、穂乃香はそんな陽斗の態度が気に入ったのか嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 貴臣のことに関しては陽斗の頭に無い。

 いくら陽斗がお人好しの部類だといっても、初対面の時から粗暴な態度は陽斗の嫌な記憶を想起させるには充分だったし、本能的なものかどれほど関わりが続いたとしても仲良くできる気がしなかったからだ。

 そんな相手のことより陽斗は穂乃香のことが心配だったし、居なくなったのならそれで良かったのであっさりと意識の中から追い出してしまっていた。

 

「あの、穂乃香さん、僕知らなくて、だ、大丈夫だったの?」

 会議が終わって解散になるとすぐに陽斗が穂乃香に詰め寄る。

 そのあまりの勢いに穂乃香は驚いて仰け反るが、それが穂乃香を心配する故だということは明らかなので嫌な気持ちにはならない。

 だから穂乃香は本当になんでもないと態度と表情で安心させる。

「腕を掴まれて少々痛かったのは確かですが、すぐに鷹司先輩が助けてくれたので大丈夫でしたわ。怪我もありませんでしたし」

 そう言ってもなお心配そうな、あるいは申し訳なさそうな顔をする陽斗に、穂乃香は内心悶えまくる。

 きっと陽斗はその場で自分が穂乃香の盾になれなかったことや今まで穂乃香が危険な目に遭っていたのを知らなかったことに罪悪感をもっているのだろう。

 もちろんそのことは陽斗に責任などあるわけがないし、穂乃香も言わなかったので知らなくて当然なのだ。

 

「なんともなかったのに心配させてしまうのもどうかと思って言わなかったのですが、かえって心配させてしまいましたわね」

 穂乃香がそう言って朗らかな笑みを浮かべると、陽斗もようやく恥ずかしそうにしながら頷いた。

「それなら、良かったです。……僕がその時に一緒に居たとしてもあまり役には立たなかったかもしれないけど」

 ホッと息を吐きながらも自嘲気味に付け足す陽斗に、さすがの穂乃香も咄嗟にフォローの言葉は思い浮かばない。

 どう見ても陽斗が荒事には向いていないのは明らかだ。

「そんなことありませんわ。陽斗さんは陽斗さんの良いところが沢山ありますし、わたくしはとても頼りにしていますよ」

 そう言うのが精一杯である。

 それでも陽斗は嬉しそうに礼を言って、何かを決意するかのように小さな拳を握り締めたりしていた。

 

 会議場を出た陽斗達は一旦教室に鞄を取りに戻ると、そのまま玄関に向かう。

 陽斗達は会議があったために遅くなったが、生徒のほとんどはすでに帰宅するために学園を出たか、あるいは課外活動の場所に移動したのだろう。校舎内に生徒の数は少なく、少し淋しく感じるほどだ。

 玄関で靴を履き替え外に出ると、空調の効いた屋内との温度差に驚く。

「この時間ではまだ暑いですわね」

「うん。でも僕は冬よりも夏の方が好きだから」

 その言葉通り陽斗は暑そうな素振りも見せず、汗もほとんど出ていないようだ。

 逆に穂乃香は暑いのが苦手なのか、いまだに高い日差しを手で遮りながら恨めしそうな顔をしていた。

 

 校門を出ると学園前の道路には生徒達の送迎の車が列をなして停まっている。

 多くの生徒がすでに帰宅しているし、生徒の半数以上は学生寮にバスで帰っているとはいえ、校内にはいまだに多くの生徒が課外活動などで残っている。

 多少遠方から通っている人も多いのでどうしてもこうして路肩で待っている車が多くなってしまうのだ。

 道幅は充分に広く、一方通行なので走行に支障がないとはいえあまり見た目が良い光景とは言えないだろう。

 

「いつものことですけれど、この送迎の列はなんとかしてほしいものですわね」

 ただでさえ暑いのに、校門を出てからさらに家の車を探しながら歩かなければならないのがウンザリといった様子の穂乃香。

 一方、陽斗はあまりピンときていないようだ。

 陽斗にとってこの程度の距離を歩くのは苦にならないので特に不便を感じていない。

 それに、どことなくもうしばらく友人と一緒に歩けるのが嬉しいようにも見える。

 

 なまじ広い敷地を持つ学園だけに車の列も長い。

「まだ見えないわね。もう少し先かしら……」

 歩みを緩めて先に目を凝らしていた穂乃香がそうつぶやいた直後、不意にすぐ脇に停まっていた1BOXの車のスライドドアが開く。

 ドアの音に穂乃香がそちらを見ようと振り返るより先に、背後から太い腕に抱きすくめられ、同時に口も塞がれてしまう。

「んむぅ?!」

 

 

 

 少し時間が巻き戻る。

 皇邸の玄関。

 車止めポーチに停められた白いリムジンに、陽斗を迎えに行くため専属メイドである相葉裕美が乗り込もうとすると、呼び止める声がした。

「待って待って! 私も行くわ」

 裕美が振り返るとノースリーブのTシャツに薄手のカーディガン、7分丈のデニムというラフな格好の桜子が慌てた様子で駆けだしてくる。

「桜子様?」

「陽斗の迎えでしょ? 私も連れてってほしいの。新しい写真集の見本誌が届いたから早く見せたいのよ。ついでに陽斗が通ってる学校も見ておこうと思って。私は黎星学園って行ったことないから」

 

 桜子の申し出に戸惑う裕美。

 勝手に承諾するわけにもいかず傍にいた比佐子の顔色を窺うと、ヤレヤレといった感じで肩を竦めてから頷いたので同行を認めることになった。

 そしてようやくリムジンのドアを開けて乗り込むのだが、

「あっ?! こ、こら、レミエちゃん!」

 いつの間に出てきていたのか、いつもは大人しく陽斗の部屋で待っている白猫のレミエが開いたドアからスルリとリムジンに入ってしまう。

「ダメよ。降りて頂戴ね。陽斗さまはすぐに帰ってくるから、いつもどおり部屋で待ってて」

「うにゃうぅ、シャー!」

 慌てて裕美がレミエを捕まえようと車内に乗り込むが、レミエはヒラリとその手を躱すとまるで叱りつけるかのように鳴く。

 

「まぁ良いんじゃない? 賢い子みたいだし、陽斗を迎えに行くだけなんだから連れて行ったって構わないわよ。でも勝手に車の外に出ちゃ駄目だからね」

「にゃう!」

 裕美とレミエのやり取りを見ていた桜子があっさりとそう提案する。

 レミエもその通りと言わんばかりに一鳴き。

 出掛けに時間をとられたせいで陽斗の下校時刻が迫ってきていることもあり、結局そのまま桜子とレミエという常に無い同行者を乗せて黎星学園に向かうことになったのだった。

 

「へぇ~、ここが黎星学園なのね。結構広いわね」

 学園の門に通じる一方通行の道に入ると、すでに道路の隣側は学園の敷地だ。

 3mほどの白壁とその上にはさらに2mほどのフェンスでできた壁が歩道に沿ってずっと続いている。直線距離にして数百mはありそうだ。

 車道の路肩には送迎の車が何台も並んでいるが、リムジンは速度を落としながらもそのまま門の方に向かって進む。

 できるだけ門から近い場所に停めるつもりなのだろう。

 

「そろそろ陽斗さまも生徒会が終わっているとは思うのですが」

「それじゃ、もしかしたら歩いてくるかもしれないわね」

 裕美の言葉に桜子はリムジンの窓を開けて半ば乗り出すように外に顔を出した。いい歳をした良家の女性とは思えない振る舞いだが、幸い比佐子が居ないので咎められることもない。

 そして桜子が窓から首を伸ばしていると、遠くに見覚えのある顔が微かに見えた。

 路肩の車が邪魔で顔がようやく見える程度だが間違いなく穂乃香の姿だ。

 そしてその横にも誰かの頭が少しだけ見え隠れしている。

「あ、穂乃香ちゃんと、多分陽斗も居るみたいね。って、わっ?!」

 穂乃香達の姿を確認した桜子が手を上げて声を掛けようとした直後、大人しくシートで丸くなっていたはずのレミエが開いた窓と桜子の隙間から外に飛び出していった。

 

 

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