第54話 カメラマン、鳳 美風

「コホン、改めて自己紹介するわね。

 私は皇 桜子。陽斗の大叔母にあたるわ。

 仕事の関係で海外にいることが多くて、前に陽斗に会ったのはまだ生まれたばかりだった頃よ。母親の葵ちゃんとは姉妹のように仲良くしていたわ」

 比佐子の説教から解放された桜子は、リビングに場所を変えて改めて陽斗に語りかけた。

「…………」

「比佐ちゃんとは高校からの同級生でね、その時から色々と叱られることが多くて、口うるさいのは全然変わらないのよね」

「桜子さんがあちこちで騒動を起こすからでしょう? どれほど私が方々に頭を下げて回ったことか。旦那様からも桜子さんを甘やかさないようにと言われておりますので」

 珍しく共にリビングのソファーに腰を落ち着けた比佐子が呆れたように溜息を吐きつつ実情を暴露する。

 

「た、確かに学生の頃はすこしだけ迷惑を掛けた記憶があるけど、そこまで言わなくても良いじゃない」

「挙げ句の果てに旦那様の会社のひとつを任されていたというのに突然カメラマンになるとか言ってアフリカに行ったかと思えばろくに連絡も寄越さずに飛び回って。旦那様がどれだけ心配したと思っているんですか」

 比佐子の口から次々に語られる破天荒な行動の数々。

 せっかく説教が終わったというのに再び小さくなる羽目に陥った桜子である。

「わ、わかった、わかったから! 私の大叔母としての威厳が無くなるからそれ以上は言わないで!」

 もはや手遅れと思わないでもないが、仕方なしに比佐子はそれ以上の追及を止めて手ずから淹れた紅茶に口をつける。

 

「あ、あの……」

 陽斗がおずおずと声を上げる。

「あ、ごめんなさいね陽斗。比佐ちゃんとは昔からこんな感じで頭が上がらないのよ。兄さんも私よりも比佐ちゃんの言うこと信じるし」

「えっと、そ、それより、いつまでこうしてれば」

 バツが悪そうに言い訳している桜子に、陽斗は率直な疑問をようやく口にする。

 今の陽斗の状態はというと、何故かソファーに座る桜子の膝の上に座り、後ろから抱きかかえられている。

 見た目は小学生でもれっきとした高校生男子である。

 女盛りにすら見える溌剌とした美しい女性に幼子のように抱きかかえられるというのは思春期の男の子にとっては恥ずかしさしかない。

 ……一部の人にはご褒美かも知れないが。

 

「もうちょっと! 行方不明になってた陽斗にようやく会えたと思ったらこんなに可愛らしい男の子だったんだもの。これまで構えなかった分、たっぷりと堪能したいのよ」

「あぅ……」

 顔を真っ赤にして困っている陽斗を見かねて比佐子が嗜める。

「桜子さん、ここでは陽斗さまの意思が最優先です。これ以上陽斗さまを困らせるなら叩き出しますよ」

「もうっ! 雇い主の身内に対して辛辣過ぎよ」

 不平の声を上げながらも、言葉通り比佐子の言葉には逆らえないのか大人しく陽斗を解放する桜子。

 もっとも、最後にもう一度ギュッと抱きしめるのを忘れなかったが。

 

 桜子の膝を降りた陽斗は対面のソファー、比佐子の隣に座る。

 余程桜子の勢いに押されたのを驚いたのか、こころなしか比佐子に近い位置である。無意識に守ってくれそうな雰囲気を感じていたのかも知れない。

 その様子を見て桜子が年甲斐もなく頬を膨らませる。

 年齢の定義から言えば“初老”と呼ばれる歳のはずだが表情といい見た目といい違和感が無い。

「あ、あの、海外で仕事をされていたんですか?」

 自分の行動で誰かが不機嫌になるというのが苦手な陽斗は、なんとか空気を変えようと桜子に話を振る。

 すると、興味を持たれたのが嬉しかったのか、桜子はパッと表情を明るくした。

 

「ええそうよ。私はカメラマンをしているの。被写体は小動物や昆虫がメインね。これでも科学誌に写真が使われたり、写真集を出したりしてるそこそこ名前が知られているのよ」

「本当ですよ。陽斗さまの書庫にも写真集があるはずです。名前は本名ではありませんが」

 自慢気に胸を反らす桜子に、陽斗は純粋な賞賛の視線を向ける。

 陽斗は小説も好きだが写真集を見るのも大好きだ。

 行ったことのない風景や、可愛らしい動物、綺麗な生き物の写真をワクワクしながらいつも眺めている。

 

 陽斗が「見てみたいです! 探してきます」と言うのを制止し、比佐子がメイドに指示して持ってこさせる。

 待っている間、ソワソワと落ち着きない仕草を見せる陽斗に、桜子と比佐子がなにやら顔を伏せてプルプルしているが、当然そんなことに気付くはずもない。

「わぁ~! すごく綺麗」

 やがて届けられた数冊の写真集を前に陽斗が感嘆の声を上げる。

 桜子が言った通り、アフリカや中央アジア、南米などに生息する小動物の写真が美麗な印刷で再現されている。

 どれも自然そのままの、それでいて精細な美しい写真。

 これを見ると桜子が相当な写真家であることが察せられる。

 

 眼をキラキラさせながら食い入るように写真を見つめる陽斗の姿に、桜子はどこか恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。

 こうまで純粋に自分の写真を目の前で見られるというのは彼女にしてもやはり照れるらしい。

「どうかしら? 自分ではそれなりに自信のある写真ばかりなのよ」

 放っておけばいつまででも見続けそうな陽斗は、そう声を掛けられてようやく我に返る。

 がその瞳は輝いたままで、まるで楽しさのあまり尻尾をブンブン振る仔犬のように桜子を見返す。

「すごいです! ずっと見ていたいくらいです!!」

 身を乗り出さんばかりに賛辞を贈る陽斗。

 

「ねぇ比佐ちゃん、今夜は陽斗を抱きしめて眠りたいんだけど」

「駄目に決まっているでしょう! 旦那様はもちろん、使用人一同が敵に回りますよ」

「じょ、冗談よ、というか、若いメイドまで射殺しそうな目で睨んで来たんだけど?! どうなってるの? この家」

 陽斗の憧れがこもった目に庇護欲が爆発寸前の桜子が馬鹿な発言をしたばかりに部屋の温度が真夏だというのに凍り付きそうなほど冷え込む。

 慌てて発言を撤回するも桜子を見る目は冷めたままだ。

 

「えっと、この鳳 美風おおとり みかぜっていうのがペンネーム? なんですか?」

 そんな空気も陽斗にだけは伝わっていないようで、表紙に書かれていた聞き慣れない名前について質問する。

「そうよ。ただ、その名前でのパスポートや身分証も持っているわ。皇の家名は一部では有名だし、資産家だとバレると危ないから身を守るための措置として特例で認められているの」

 桜子が写真家として訪れる国の中には治安の良くないところもあるし、そもそも自然物を写真に納めるには人里離れた場所に行く必要がある場合が多い。

 桜子自身はある程度身を守る術を心得てはいるが、それでも資産家であると知られるのはあまりに危険だ。かといって重斗や陽斗のように常に身辺警護の者が側を固めるわけにも行かない。

 だから重斗が省庁に働きかけて別名でのパスポート発行を認めさせたらしい。アメリカの証人保護プログラムと似たようなものだろう。

 もちろんそういった制度があるわけではないのでかなりの力業であることは間違いないだろうが。

 

 2冊目の写真集を見ていた陽斗だったが、その中の一枚の写真が特に気に入ったらしく、そのページを開いたままジッと身動ぎもせずに見つめる。

「どうしたのかしら? なにか気になる?」

「え? あ、いえ、すごく綺麗だったから見とれてて」

 陽斗が見ていたページには、虹色に輝くハチドリの写真が大きく映し出されている。蜜を出す花よりもなお美しいその姿は、確かに目が離せなくなるほど幻想的な魅惑に満ちていた。

「ああ、その写真ね。コスタリカの森の中で撮ったんだけど、なかなか納得いかなくて2週間も掛かったのよ。10日分の食料しかなかったから本当にギリギリだったわ」

 写真家の苦労話も陽斗は興味深げに聞く。

 

「写真集だと見開きだから真ん中で切れてるでしょ? 元データは私が持ってるから、良かったらちゃんとしたのプリントしてあげるわよ」

「良いんですか!? ほ、欲しいです!」

 苦労して撮った自慢の写真を、又甥が絶賛するのが嬉しくないわけがない。

 最高画質のポスターサイズでプリントしようと内心で決めながら笑みを浮かべる。

 その後も陽斗は時折桜子の解説を聞きながら夕食までゆっくりと写真集を楽しんだのだった。

 

 

 

「まったく、帰ってくるなら連絡ぐらい寄越さんか」

 夕食を終えて陽斗は浴室へ、桜子は食事前に帰宅した重斗と話をするために彼の部屋に移動する。

「手紙を整理したら比佐ちゃんから何通も来てたのに気付いたのよ。そしたら陽斗が見つかったって書いてあったから慌てて戻ってきたってわけ。

 すでに散々比佐ちゃんに叱られたんだからこれ以上は言わないで」

 さすがに反省したのか、桜子は些かげんなりとした表情で項垂れる。

 

「当然だ。比佐子もお前に言いたいことが山ほどあるだろうからな。甘んじて受け入れるがいい」

 フンッと鼻を鳴らしながら言い放つ重斗。

 この場には桜子と重斗だけでなく、比佐子と和田も居るので桜子としては反論も出来ない。

 資産家の令嬢として育った割には自由人気質が強い桜子ではあるが、比佐子は友人であると同時に姉のような存在であり、和田はもう一人の兄のような存在だ。

 実の兄である重斗とは年が離れており、両親が他界してから兄は忙しく仕事をしていたので、むしろこの二人のほうが桜子にとっては家族に近いと言える。

 

「今だから言うけど、私自身も葵が亡くなったのがショックだったし、兄さんを見ているのも辛かったのよ。我ながら情けないわね。兄さんは諦めずにずっと陽斗を捜していたというのに」

 懺悔するかのように語る桜子に、重斗は沈黙で応える。

「手紙では陽斗が見つかって保護されたってことしか書いてなかったけど、詳しく聞かせてもらえるのかしら?」

 手紙というのはあまり秘匿性が高くない。

 皇ほどの資産家絡みとなれば迂闊な事は書けないため比佐子もごく簡単に結果だけしか書いていなかったのだ。

 重斗も妹に隠すつもりはなかったので順を追って陽斗が見つかった経緯や、保護されるまでどんな生活をしていたかなどを説明する。

 もちろん、陽斗の心身を考えたうえでどのような扱いをしているかも含めてだ。

 

 話を聞くにつれ、桜子の表情はどんどん強張っていき、和田と医師が確認した傷痕のくだりに到るとまるで般若のごとき形相になる。

「……兄さん、そいつ等、まだ生きてるの?」

「さてな。二度とこの国の土を踏めないのだけは確かだが」

「今からでも良いからそいつ等を私に頂戴。手足を縛ってアマゾン川のカンディルの生息地に放り込んでくるから」

 アグレッシブな大叔母は発想まで過激である。

 

「奴等には相応の報いをくれている。重要なのはそんなゴミのことではなく、陽斗のケアだ。

 幸い少しずつ身体も心も回復してきているようだからな。儂等としてはこれまで苦労した分、存分に甘やかしてやるべきだと考えている」

「屋敷の体制は十分整っておりますし、陽斗さまに付けているメイドもカウンセラーや看護師の資格を持つ者ですよ」

「そうでなくても今では使用人全てが陽斗さまを可愛がっておりますからな」

 重斗と比佐子、和田の言葉を聞いて気持ちを落ち着けたのか、桜子の表情に笑みが戻る。

 そして、少し考える素振りを見せた後、唐突に切り出した。

「それじゃあ、私もこの屋敷に住むことにするわ!」


  

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