第55話 お出かけと思わぬ再会

「ねぇ陽斗、お出かけしない?」

 8月も半ばを過ぎ、夏休みも後半となったこの日。

 いつものように陽斗は重斗と一緒に朝食を摂っていた。

 そこには1週間ほど前からこの屋敷に滞在するようになった桜子の姿もある。

 初日こそ過剰なスキンシップで陽斗を困惑させた桜子だったが、意外なことに一緒に暮らしてみると陽斗の精神的負担になるような接触は少なく、時折挨拶程度のハグと、言葉を交わしたときに頭を撫でられる程度だ。

 まぁ、高校生の男の子相手だと考えればやり過ぎと思わなくもないが、それでも桜子の距離感は重斗や他のメイド達と比べても絶妙であり、陽斗も接するのにあまり緊張せずに済んでいる。

 

「……どこに連れて行くつもりだ?」

 唐突な申し出に驚いている陽斗に代わり、眉を顰めた重斗が桜子に聞き返す。

 その口調から、その提案にあまり賛成していないのがわかる。

「仕事の打ち合わせで都内に行くから一緒に食事やお買い物をしたいと思ったのよ。せっかくの夏休みなのにずっと屋敷から出ていないみたいだし、たまには外出したらどう? 出かけたくないってわけじゃないんでしょ?」

 桜子は聞き返してきた重斗ではなく、陽斗の方を見ながら言う。

「あ、あの、僕は……」

 陽斗がチラリと重斗の顔色を伺うと、重斗は桜子を睨め付けながら難しい表情をしているのに気付いて言葉を濁す。

 

 そんな陽斗を見て、桜子は今度は重斗に向かって厳しい目を向ける。

「兄さん、陽斗を大事にしてるのはわかるし、あんな事があったんだから心配なのもわかるけど、籠に閉じ込めるようなことは良くないわよ。それじゃあ陽斗は気を遣って行きたいところも言えないわ。

 数日見ていて陽斗がとても優しいことも兄さん達の事を大切に思っていることもわかったけど、だからこそもっと自由にさせてあげないと駄目じゃない。陽斗は愛玩動物じゃないのよ」

「む、むぅ……」

 ピシャリと言い切る桜子に、重斗が言葉を詰まらせる。

 思い当たることがありまくりなのだから当然だ。

 

 重斗とて別に陽斗を閉じ込めておきたいというわけではない。

 当初は休み期間中は陽斗と水入らずで南の島のバカンス、などということも考えていたほどであり、出来るだけ機会を作って一緒に出かけようともしている。

 だが実際には陽斗という重斗の後継者が見つかったということで様々な対応に追われており、なかなか思うように出かけられないでいる。

 それにやはり重斗の目の行き届かない場所に陽斗が出かけるということが心配であった。

 おそらく陽斗はそんな重斗の心情を察したのだろう。この屋敷に来てから陽斗の口からでどこかに出かけたいと言い出すことはほとんど無かった。

 もちろんそれは屋敷が充分に広く、使用人とはいえ多くの人と接することが出来ていることと、読書や料理といった趣味を充分に楽しめているという部分が大きいが。

 

「日本でいきなり銃撃されるなんてことはまずないんだから、護衛が数人いれば大丈夫よ。

 陽斗に格闘技を教えてる女の子、角木って言ったかしら? あの子が陽斗の側で警護して、ふたりくらい後からついてこれば充分守ることが出来るし、陽斗もそれほど気を遣わなくて済むでしょ?

 私が仕事している間は近くを自由に見て回っていればいいし、それが終わったらこの家では食べられないジャンクなご飯にしましょ。

 もちろん嫌なら断っても良いけど、大叔母としては可愛い又甥とお出かけしたいわ。陽斗はどう?」

 悪戯っぽく陽斗にウインクする桜子。

 

 その表情を見ていると、陽斗はちょっとだけ我が儘を言っても良いような気持ちになる。

「お祖父ちゃん、僕、桜子叔母さんと出かけたいんだけど、良い?」

 おずおずといった口調ながら自分の希望を重斗に伝える。

「……むぅ、儂としては少々悔しい気持ちもあるが、陽斗がそうしたいなら良いだろう。

 確かにいくら広いとはいっても家の敷地ばかりでは気詰まりになるだろうからな。

 ただし! ちゃんと護衛は連れて行くんだぞ。それと、比佐子も同行させる。陽斗の服や身の回りで必要な物もあると聞いているからついでに買ってくると良い」

 

 重斗の言葉にパァッと表情を明るくする陽斗とげんなりとした表情を見せた桜子。

「他の者ではお前に押し切られるかも知れんからな。陽斗、桜子がなにか困ったことをしたら比佐子に言いなさい」

「ちょっとぉ、それじゃ私が監視されるみたいじゃない。私だって陽斗と羽を伸ばしたいのに」

「なんなら和田も付けるか?」

「もう、わかったわよ!」

 思惑と違う方向に話が決まったのを不満そうにしながらも、桜子はそれ以上反論はしなかった。

 

 桜子がこの屋敷に住むと言い出した際、条件として使用人達への命令をしないことと和田、比佐子のふたりの指示に従うことを約束している。

 桜子は自由人気質とはいえ他人に理不尽な事を言ったり不当に権力を振りかざしたりしたことはない。

 だが桜子の気まぐれと悪い意味での行動力で周囲を振り回したり家や比佐子に迷惑を掛けたことがあったのは確かなので、桜子は大人しくその条件を約束した。

 元々比佐子達には頭が上がらないということも相まって、比佐子が目を光らせている以上桜子が陽斗を振り回すことはないだろう。

 

 

 朝食を終え、重斗は出かけていった。

 陽斗と桜子も外出の準備を整える。

 その間に和田の指示で護衛の人選と警護方法の調整を行い、桜子の提案通り杏子が陽斗のすぐ側で、警備班班長の大山と他数名が別の車で後に続くことになった。

 そして準備が整い、9時半を過ぎた頃リムジンに乗り込んで出発したのだった。

 

 向かったのは都心にある美術館が敷地内に複数立ち並ぶ場所だ。

 桜子が言うにはそこで写真展を開催することになっているらしい。

 元々その準備のために日本に戻る用意をしていたときに比佐子から送られていた手紙に気付いたということだった。

 そのため当初の予定を早めて帰日し、顔を出すつもりもなかった重斗の屋敷まで突撃したというわけだ。

 そして元々予定されていた写真展の打ち合わせがこの日に行われるという。

 

「それじゃ、私は打ち合わせに行くから。前もってある程度はメールでやり取りしてるから多分1時間くらいで終わると思うけど、それより掛かるようなら連絡するわ」

「私は桜子さんに付き添います。杏子さん、陽斗様をお願いしますね」

「まったく、子供じゃ無いんだから少しは信用して欲しいものだわ」

 広い公園のような敷地にある建物のひとつに辿り着くと、ここで一旦分かれることになった。

 桜子と比佐子は打ち合わせのために建物の中に、陽斗と杏子はその間近くを散策することにした。

 

「陽斗さま、美術館にでも入ります? それとも公園でのんびりしますか?」

 職務とはいえ、思いがけず陽斗と一緒に行動することになった杏子はご機嫌である。

 もちろん少し離れたところには皇家の警備班が数人陽斗と周囲を注視しているのでふたりきりというわけではないのだが、使用人達から愛されている陽斗といるだけでテンションが上がりまくっている杏子にとって些細なことだ。

 一人っ子だった杏子にとって可愛らしい弟は憧れであり、夏前に巻き起こった『お姉ちゃん』騒動でも一際エキサイトしていたひとりでもある。

 日々の鍛錬でかなり打ち解けていることもあって、陽斗が無防備な笑顔を向けることも多いせいで皇家甘やかし部隊副隊長を自称している。

 

 そんな杏子の盛り上がりはさておき、陽斗は少し考えてから美術館を見て回ることにした。

 公園でのんびりというのも良いのかもしれないが、元々陽斗はゆったり過ごすという事が苦手である。

 勉強や本を読んでいるときは別だが、それ以外はコマネズミのようにちょこちょこ動き回ってしまう貧乏性なのだ。

「美術館を見てみたいんだけど、大丈夫かな?」

「無理に桜子様の打ち合わせ終了に合わせる必要ないって言ってましたし、そこまで広いわけじゃないですから多分問題ないですよ。

 えっと、今は何を展示してるんですかね?」

 

 建物に近づくと、入口に『現代日本画展』という看板が出ていた。

 陽斗は日本画と聞いてもどんなものかイメージがつかなかったが、綺麗な画集などを見るのは好きだったので一層好奇心が湧いてくる。

 と、不意に背後から声が掛けられて驚いて振り向く。

「あら? 陽斗さん、ですの?」

「え? あ、穂乃香さん!」

 そこにいたのは同級生の四条院穂乃香と、20代半ばくらいの女性だった。

 陽斗が返事をすると、穂乃香は嬉しそうに笑みを浮かべながら足早に近づいてくる。

 

「奇遇ですわね。陽斗さんもこの展示を見に来られたのですの?」

 陽斗を守るように前に回った杏子の態度に気を悪くした素振りも見せず、穂乃香が陽斗に問いかける。

「あ、えっと、叔母さんと一緒に来たんだけど、時間潰しに見てみようと思って。

 あっ、この人は護衛をしてくれている杏子さん。

 杏子さん、こちらは黎星学園でいつも良くしてくれているクラスメイトの穂乃香さんです」

 陽斗から紹介された杏子は穂乃香に軽く一礼すると無言のまま一歩下がる。

 どうやら他人の前では護衛としての立場で対応することにしているようだ。

 

 穂乃香の方も一緒に居る女性を簡単に紹介してから改めて陽斗に尋ねる。

「ここの展示に四条院家が支援している日本画家も含まれていますの。なのでわたくしも見に来たのですわ。

 あ、あの、よろしければ陽斗さんも一緒に見て回りませんか?」

「ぼ、僕、日本画とか全然知らないんですけど、良いんですか?」

 穂乃香の申し出に、遠慮がちに聞き返す陽斗だったがその言葉を聞いた穂乃香は笑顔で頷く。

「堅苦しく考える必要はありませんわよ。少しくらいならわたくしが説明することも出来ますし、何より、美術品というのは知識や値段ではなく、どう感じたかですから。単純に好きか嫌いかで良いんですよ」

 穂乃香の言葉で少しばかり身構えていた気持ちが楽になる。

 

「そ、それじゃお願いします」

「はい。行きましょう」

 こうして陽斗は思いがけず尊敬する穂乃香と学校外で再会し、しばしの間共に美術館を巡ることになったのだった。

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