第51話 閑話 それぞれの夏休み 前編

「ええ、はい、分かっています。はい、ありがとうございます。お父様もお気をつけて。はい、それでは」

 長い黒髪をかき上げながら琴乃がスマートフォンを切ってソファーに背を預ける。

「ワフッ」

「クゥ~ン」

 座っている琴乃の膝に前足を乗せて甘えた声を出しているのは2匹の中型犬。

 どちらも鼻の尖ったスピッツタイプで被毛が長いモフ犬である。

 純白の毛の方はアメリカンエスキモードッグ。シルバーグレーの毛並みはキースホンドという犬種だ。どちらも日本では飼育頭数の少ない希少犬種である。

 

「あらあら、甘えん坊さんね」

 琴乃は優しげな笑みを浮かべながら2匹の頭や首筋を撫でる。

 挙げ句耳を引っ張ったり鼻を摘んだり顔を両手でムニッと押して変顔させたりと、些か乱暴な可愛がり方をするが、2匹の方は嬉しげに尻尾をブンブンと振るばかりである。

 まぁこれもペットとのコミュニケーションというべきだろう。いやむしろモフニケーションか。

 いつもの毅然とした表情をだらしなく崩して愛犬たちと戯れていると、リビングの入口から呆れたような声が投げかけられる。

 

「電話は終わったのかい?」

「あら? 雅刀君、来てたのね」

「「ワンッ!」」

 琴乃に撫でられるのに夢中で気がついていなかったらしい番犬失格の2匹は、今度は雅刀の方に勇んで駆け寄り尻尾をフリフリしている。

「こんにちは、シュエ、ルアン」

 どちらの犬種も本来家族以外には距離を取る警戒心の強い気質のはずだが雅刀にはかなり懐いているらしい。

 ちなみに名前の由来はそれぞれ中国語で“雪”“柔らかい”を意味する。

 一瞬で愛犬を奪われてしまった琴乃は不満そうに頬を膨らませた。

 そんな仕草は年相応な女の子のもので、普段の令嬢然とした態度とはかなりのギャップがある。

 

「少し前に来たんだけどね。電話をしているようだったから扉の向こうで待っていたんだよ」

「だったら電話代わってもらいたかったのに。オリエンテーリングの件でうるさいったらなかったわよ。お父様ったら錦小路家の当主なのに小心すぎるんだから」

 ウンザリした表情で愚痴をこぼす琴乃に雅刀は苦笑いだ。

「僕が話しても意味無いでしょう? それに小心なんじゃなくて慎重なんだよ。琴乃さんのことを心配してるんじゃないかな」

 あくまで穏やかに琴乃を嗜める。これではどちらが年上かわからない。

 

 会話の内容から分かるように琴乃が先程電話をしていた相手は父親である。

 国内屈指の資産家であり、由緒正しい名家の現当主だ。

 そして黎星学園の理事の一人でもある。

 多忙なため理事長職は他の者に委ねてはいるが、重斗を除けば学園への影響力は随一だ。

 なので当然陽斗が重斗の孫であることも、普通の学園生活を送らせるためにあえてその関係を伏せていることも承知している。

 

 繰り返すが錦小路家は名門中の名門の家柄であり、資産においても屈指の大富豪だ。

 いかに重斗といえど並程度の資産家や木っ端官僚のように片手間に叩き潰すことはできない。だからこそ錦小路家は皇家とも距離を取っていられるのだ。

 だがそれでもわざわざ虎の尾を踏むような愚行は避けたいというのが本音であり、特にそれが愛娘が関わるなど心配で仕方がない。

 なので生徒会主催のオリエンテーリングで皇家の孫が遭難した生徒を身を挺して救出したと聞いて卒倒しそうになったのだ。

 

 幸い、当事者たる陽斗は自分の行動が感情にまかせた無鉄砲なものだったことを反省していることもあって皇家が何かを言ってくることはなかった。

 一応琴乃が生徒会を代表して謝罪の連絡をしたが、その時にも重斗から非難されることはなく、逆に陽斗の先走った行動に関して謝罪されたほどだ。

 もっとも、名家の子女が利用する施設で安全管理が不十分だったことは確かであり、施設管理責任者は当然責任を問われることになったが、これは仕方がないことだろう。被災した学生がもっと重傷だったらそれどころでは済まないところだ。

 なので、学校側はもちろん、主宰した生徒会が責任を問われることはない。

 それが分かっていても娘には一言言わなければ気が済まなかったのだろう。

 もちろん琴乃もそれは理解しているので大人しく父親の小言を聞いていたのだが。

 

「でも肝が冷えたのは確かだわ。大人しい子だと思ってたんだけど」

「彼も男の子だったってことだね。でも頼もしい友人達に囲まれてるから大丈夫じゃないかな」

 ふたりは同時に同じ男の子の顔を思い浮かべてクスリと笑った。

「でもいきなり色々と押し付け過ぎじゃないか? いくらなんでも慣れていないのに学年責任者を任せるなんて、ずいぶんと無理をしてたみたいだよ」

「だって、一生懸命に頑張る姿が可愛いじゃない! ついつい構って、困らせたくなっちゃうのよ」

「また悪い癖が出た。嫌われても知らないよ?」

 眉根を寄せて首を振る雅刀。

 

 陽斗に対して琴乃に含むところはない。

 皇家と距離を取っているといっても別に敵対しているわけではないし、そのような行動をする理由もない。

 単に皇の孫が入学してくると知って興味を持ち、接触してみたら思いの外可愛らしい男の子だったので構いたくなっただけのことである。

 ただ、琴乃の場合、気に入るとつい意地悪をしたくなってしまうという悪癖がある。

 別に虐めるとか追い詰めるという心に傷を負わせるようなものではないのだが、相手が驚いたり困ったりする顔を見るのが好きという、少々子供っぽい倒錯気味な性癖があるのだ。

 なので、バザーで引っ張り回したり、今回のオリエンテーリングの責任者を押し付けたりしたというわけである。

 

「本人は気にしていないみたいだけど、そのうち四条院さんや天宮君が怒ると思うよ」

「穂乃香さんも見ていて楽しいわよねぇ、愛情表現が初々しくて。でもやっぱり陽斗君の可愛さは頭ひとつ抜けてるわ!」

 テンションが上がって陽斗を名前呼びし始めた琴乃に雅刀は困ったような顔をして溜息を吐く。

「あら? あらあら? もしかしてヤキモチを妬いてくれるのかしら?」

「琴乃さんは意地悪だね」

「ふふっ、ごめんなさい。そうそう、来週からお父様の滞在している北海道に行くつもりなのだけど、一緒に来てくれるかしら」

「はいはい、お伴しますよ。御当主様からも来るように言われているからね」

 雅刀はヤレヤレといった感じで肩を竦めると、琴乃の隣に腰を下ろした。

 

 

 

 

 白い砂浜。

 透き通った青い海。

 そしてはしゃぎ回る子供達。

「こらーっ! 準備運動しなさーい!!」

「へへ~ん! や~だね!」

「あー! お兄ちゃんが私の浮き輪盗ったぁ!」

 実に賑やかである。

 

「ふぎゃっ!」

「痛っ!」

 鍛えられた長身の男子がやんちゃな男の子を両腋に抱え上げてパラソルまで戻ってきた。

「ちゃんと準備運動しないと怪我をする。それと、妹を泣かすな」

「「ごめんなさい」」

 賢弥が小学生の弟たちを叱ると、意外にも子供達は素直に謝った。

 

 その様子をニヤニヤしながらセラがからかう。

「相変わらず良いお兄ちゃんしてるわよねぇ」

「おかげでゆっくりすることもできないがな。まったく、悪いな、おふくろの我が儘に付き合わせて」

 賢弥が真面目くさった顔でそう言うとセラは肩を竦める。が、その顔は笑ったままだ。

「別に構わないわよ。海なんて久しぶりだしね」

 

 賢弥とセラがいるここは伊豆諸島にあるリゾート施設だ。

 夏休みともなれば子供達は遊びに連れて行けと大合唱を繰り広げるのは黎星学園に通う子女の家も同じ。

 ましてや小学生の弟妹がいれば尚更だろう。

 武藤家もまた賢弥の弟妹達が海に行きたいと騒ぎだした。といってもこれも毎年のことであり、夏休みは1週間程度どこかの海に行くことが恒例となっている。

 子供が4人もいれば旅行するのも負担がすごいが、武藤家もそれなりに裕福な家なので問題ないようだ。

 ただ今回は母親同士が友人でもある都津葉家も誘い、一緒に来ることになった。

 賢弥とセラは幼馴染みといった間柄ではあるが、実はこうして二家族で旅行というのは初めてのことだったりする。

 というのもセラは中学時代はイギリスに留学していたし、小学生の頃は賢弥の弟妹達はまだ小さくて旅行どころじゃなかったからだ。

 

「ふふ~ん、どうよ、私の水着姿は!」

 賢弥がパラソルの下で弟妹達に目を光らせつつサンオイルを塗り始めると、セラは羽織っていたパーカーを脱ぎ捨ててポーズを取ってみせる。

 堂々とした態度に相応しく、なかなかのプロポーションである。

 まだ多少の子供っぽさはあれど充分女らしい体つきと整った容姿は、ここが本州の海水浴場であれば瞬く間にナンパ男共に囲まれたことだろう。

 だがこの沈着な幼馴染みには通用しないようだ。

 健康的な肢体を見せつけるビキニ姿に片眉を上げて息をつく。

 

「ぶーっ! 反応が薄いわよ!」

「いまさらセラの水着見たところでどうしろと?」

 賢弥の言葉通り、ふたりの付き合いはほんの幼子の頃からだ。家族ぐるみの関係であり、ほとんど兄姉のように育ったのだ。

 実際、小学校低学年までは一緒に風呂に入ったこともあったし、セラの両親が仕事で忙しかったこともあり、武藤家に泊まることも多かった。

 互いに知りすぎていていまさら恋愛感情を持つような間柄ではない。

 賢弥の反応に膨れて見せてはいてもセラの方も次の瞬間にはあっけらかんと笑っている。

 

「肩の方は大丈夫なの?」

「なんともない。元々少し擦り傷と痣ができただけで大した怪我じゃないからな。普段の稽古で師匠に殴られたときの方がダメージがあるくらいだ。それにその日のうちに天宮が傷薬を持ってきてくれた」

 セラが賢弥の右肩に視線を向けるが、賢弥の言うとおり微かにかさぶたのようになっているだけで痣も残っていない。

 もっとも肩の負傷に気付いたのは壮史朗とセラだけのようで、陽斗も穂乃香もそのことを知らないのだが。

 

「天宮君も雰囲気変わったわよね。入学当初だったら賢弥にそんな気遣いしたりしなかったんじゃないのかな」

 壮史朗が賢弥を思いやったのが意外だったのか、その話を聞いてセラが感心したように言う。

「あいつは言葉はキツイが元々性格は悪くない。だから陽斗に懐かれて地が出てきてるんだろうさ」

「それは賢弥も同じじゃない。最初は『助けるつもりはない』なんて言ってたくせに」

 セラが混ぜっかえすと賢弥は珍しく誤魔化すようにそっぽを向く。

 

「まぁでも気持ちは分かるけどね。陽斗君可愛いわよね。一生懸命だし」

「……一生懸命なのは確かだが、アイツは危なっかしすぎる」

「? 別に無茶な事するわけじゃないし、普通に良い子じゃない」

 憮然とした言葉にセラは首を捻る。が、賢弥は首を振った。

「人が良すぎる。それにあまりに自分の痛みに鈍感だ。ああいう奴は壊れるまで無自覚に無理をするぞ。無理をしてる認識がないからな」

「…………」

 賢弥の懸念の理由はセラにも想像がついた。

 つい先日のオリエンテーリングで陽斗から中学時代までの生活を聞いたばかりであり、そのあまりの壮絶さに言葉を失ったものだ。

 

「皇の爺さんのことだから充分に対策はしてるだろうが、学園の中までは目が行き届かないだろうからな。

 頼まれたのはどうでもいいとしても、知り合ったからには多少は手助けしてやるさ」

「うわっ、素直じゃないわね。

 まぁ、なんにしても今は夏休みだし私達に出来ることはないわね、って、冷たっ?!」

 言葉の途中でセラの頭上から思いっきり水が掛けられる。

 驚いて振り返ると、バケツを持った賢弥の弟たちが大笑いしていた。

 

「こらぁっ! アンタ達、やってくれたわねぇ! 待ちなさーい!!」

「うわっ、来た!」

「逃げろぉ!」

 やんちゃ盛りの弟たちを追いかけていくセラを肩を竦めつつ見送る賢弥。

「……人の世話ばかり焼いてる場合じゃないか」

 そう独りごちるとオロオロしている妹を慰めるべく足を踏み出した。

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