第50話 ビンゴゲーム

 半年以上前になる。

 門倉一家は多額の借金を負い困窮を極めていた。

 切っ掛けは下の息子である光輝が小学校を卒業すると同時に知人と立ち上げた事業だ。

 電気機器製造メーカーの製品開発に携わっていた父、光昭は長年付き合いのあった知人に誘われてシステムデザインの会社を立ち上げた。IT特化ではなく、機械設計も含めたシステム構築の会社だ。

 出資と経営は共同で行う形で、光昭が実際の設計やシステム構築を行い、知人は営業と財務を担当した。

 電気機器メーカーの設計やネットワークシステムの構築というキャリアを持つ光昭のスキルは顧客から高く評価され、また、光昭の人柄と人脈もあって創業当初から順調に業績を伸ばしていくことができていた。

 

 だがそれが変わったのは会社を立ち上げて一年が過ぎた頃だった。

 事業そのものは問題ない。順調に顧客は増えていたし、売り上げも右肩上がりで成長していたのだが、何故か利益は逆に減っていった。

 財務を担当していた知人に確認しても「経費が増えている」とか「入金納期の関係が」とか言ってはぐらかされるばかり。

 そして残念なことに光昭は機械やITには強くても財務系の知識が無い。

 だから知人に帳簿などを見せられてもそれが適切なものなのかどうか判断が出来なかった。

 そして、会社を興して2年半が経とうとした昨年の秋、知人が突然失踪する。

 それも、会社の金や顧客から振り出された小切手や手形などの金融資産の全てを持って。

 さらに共同となっていたはずの経営から知人はいつの間にか名前を抜いており、経営の全責任が光昭一人になっていたのである。

 

 すぐに警察と弁護士に連絡し、同時に税理士に依頼して会社の財務状況を調べてもらった。

 そこで分かったのは、創業から半年ほど経った頃から経費と称して利益の大半が知人の口座に移されていたことと、無借金経営のはずが金融機関から多額の融資を受けていたこと、そして失踪が入念に準備した上で行われたことだった。

 当然すぐに被害届を警察に提出し、弁護士を通じて訴えを起こす準備を執った。

 だが、当の知人の行方はようとして知れず、相手が居なければ訴えたところで金の回収はできない。

 会社はすぐに資金繰りに行き詰まることになった。

 方々に頭を下げて金策したものの経営を立て直すことは難しく、結局、抱えていた案件全てを終わらせてから以後の保守作業は外注を担ってくれていた会社に契約変更することで後を託し、会社を畳んだ。

 

 だが日本の会社というものは基本的に経営者に債務の保証を求められている。

 よって光昭が会社を廃業したとしても多額の債務はそのまま残ることになる。しかしその額はあまりに莫大で、とても個人で支払える金額ではない。

 なのでほとんどの場合、経営者は廃業と同時に自己破産を行う。

 しかし、光昭には自己破産をどうしても避けたい理由があった。

 それは長男が銀行に勤めているからだ。

 原則として自己破産の影響が家族に及ぶことはない。だが一部に厳然たる例外が存在する。

 例えば破産者が債務を負っていた金融機関では家族もクレジットなどの審査が通りづらくなる。これは金融機関は信用情報に直接アクセスでき、内部でも顧客情報を照会するからだ。

 同じ理由で金融機関に勤めている息子が社内で不利な立場に立たされる可能性を考えると自己破産にはなかなか踏み切れなかった。

 しかしそうは言っても借金を返すあてがあるわけではないし、より影響の少ない任意整理で片付けられるほど少額でもない。

 

「俺、高校行かないで働くよ。どうせ勉強苦手だし、学費ももったいないからさ」

 いよいよ進退窮し、決断を迫られていたとき、光輝がそんなことを言い出した。

 だがそんなことをさせるわけにはいかない。

 社会の厳しさを知っている光昭は中卒という最終学歴がどれほど不利になるかも弁えている。

 光昭が光輝を必死になって説得していたとき、彼等のところに皇家の使いと名乗る女性が訪ねてきた。

「井上達也という少年を覚えていらっしゃいますか?」

 最初にそう確認した女性、彩音は陽斗が保護された経緯などを簡潔に説明し、祖父である重斗が支援を申し出ていると伝えたのだった。

 

「そちらの家の方々には孫が大変世話になった。命の恩人と言っても良い。

 門倉さんが現在抱えている債務は儂の方ですべて処理させていただいた。ああ、心配しなくてもそれは本来支払うべき者に負ってもらうので問題は無い。すでに身柄も押さえてあるのでな。だからご一家の信用情報にはなんの瑕疵も無いので安心してほしい。

 それから、失礼ながらあなた方のことは調べさせていただいた。事業を営んでいたときの顧客からの評判やその技術に関してもだ。

 そこでどうであろうかな? 儂としては恩人ということを抜きにしても、人間的に信頼でき、スキルも高い者を埋もらせてしまうのは惜しい。儂の所有する会社で働いてみるつもりはないだろうか。

 無論相応の待遇は保証するし、住むところも用意する。些細ではあるが儂に恩返しの機会をもらえないだろうか」

 後日、直接面談した重斗の言葉に、半ば呆然としながら頷いた光昭。

 

 その翌週、皇家の手配した引っ越し業者によって門倉家の荷物は新しい住居であるマンションに運ばれた。

 都心近くにあるタワーマンションの高層階。

 間取りは5LDKだが広さ自体は普通の4LDKマンションの倍はあるだろう。しかも賃貸ではなく分譲で、名義はなんと光輝になっている。

 さらに、新しい職場は中堅ながら堅実な経営と挑戦的な商品開発を行うことで近年名前を知られてきている企業向けシステム開発メーカーの開発部長職。

 あまりの好待遇に恐くなってしまった光昭ではあったが、固辞するのはもっと恐いので及び腰ながら受けることにしたわけだ。

 急激な環境変化があり、しかも住所が変わったことで志望校も変更になったものの光輝は無事に近くの公立高校に入学することもできた。

 

 別の招待客のところに向かった陽斗と重斗の背に深々と頭を下げながら己の幸運を噛みしめる門倉一家。

 

 情けは人のためならず。

 

 たまたま同級生になった子供を、深い考えは無くとも守り支えた息子。

 息子の見せた優しさが嬉しく、また、多少の余裕があるがために不憫な子供に対する同情で少しばかりの支援をした妻。

 同じく息子の希望と妻の意思を尊重してそれを許した光昭。

 そんな小さな情けが幾万倍にもなって一家に戻ってきた。

 それもまた奇跡だろう。

 

 

「さて、宴もたけなわではありますが、ここで少しばかりゲームを行いたいと思います」

 彩音が再びマイクを握ってそんなことを言い出した。

 食事会が始まっておよそ1時間ほど。

 参加者のほとんどはある程度食事を終えてお酒を片手に談笑していたり、デザートを楽しんだりしている。

 中には意気投合しすぎて少々酔いが回っていたり、話が別方向に盛り上がって商談を始めたりしている人もいるが、おおむね会場は和やかで少々賑やかでもある。

 もう少ししたら酔いつぶれたり会場を後にする人も出るかもしれない絶妙なタイミングと言える。

 彩音の言葉に興味津々という目で会場の前に用意された舞台に注目する。

 そこにはいつの間に準備したのか、長机が3つほど並べられ、その上に色々な物が置かれていた。

 

 そしてホテルのスタッフが参加者達に一枚ずつ葉書大のカードを手渡していく。

「ゲームといっても難しいものではありません。こういった懇親会の定番、ビンゴゲームですね。

 念のため説明しますと、これから舞台の上でビンゴマシーンから数字が出てきます。その数字がお手元のカードにあればそこに穴を開けてください。

 その穴が縦・横・斜めで一列になったら『BINGO!』と大声で言って舞台に上がってください。

 とっても豪華な景品がゲットできます!」

 知っている人がほとんどだろうが、それでも小さな子供も居るので丁寧に彩音は説明する。

 

 招待客はというと、長机に並べられた景品を見て目を剥いている。

 といっても、実際の景品そのものが載っているのはごく一部で、多くは商品が描かれたパネルのようなものだ。

 そこには国産SUV車(オプションフル装備)やコンパクトカー(同じく以下略)、数十万円分の旅行券、システムキッチン(基本リフォーム料込み)、家電商品券10万円分などが印刷されている。

 さらに人気ソフト付のゲーム機や最新パソコン、オーディオ機器などの現物も並べられている。

 しかもその数は参加者人数を明らかに上回るほどだ。実質外れは無いに等しい。

 参加者達の表情は喜びよりも戸惑いの方が大きいかも知れない。

 

「あ~、儂から一言添えさせていただこう。

 知っている方もいるだろうが、儂は各メーカーや財界にも繋がりが多い。

 これらの景品は陽斗が無事に保護された事のお祝いとして送られた物ばかりでな。せっかくの厚意を無碍にはできないし、かといって使う機会も無い。

 それに、陽斗が無事に儂の元に帰ってきてくれたのはここにいる皆様のおかげなのだから、それを分け合いたいと考えたわけだ。

 だから遠慮せずに景品としてゲームを楽しんでもらいたい」

 ここにいる人達のほとんどは、もしこれらの物をお礼と言って渡されたら固辞したことだろう。場合によっては怒ることもあるかも知れない。

 だから重斗がそう言い添えることでそういった気持ちを払拭し、純粋に景品を喜んでもらいたいと思ったのだ。

 

「それから、本日この場に来られなかったご家族の分もカードがありますので、代わりにやってあげてください。同着で希望の景品が被った場合はじゃんけんで決めてくださいねぇ。

 カードを受け取っていない人はいらっしゃいませんか? いないですね?

 それでは始めます! 最初は……7番!!」

 番号が呼び進められる度に歓声や溜息が会場のあちこちから漏れる。

 どうやら無事にゲームを楽しむ気になってくれたらしい。

 陽斗も重斗も笑みを浮かべながらその様子を眺めていた。

 

「よしっ! BINGO!!」

 真っ先に声を上げたのは大沢新聞販売店の従業員、お調子者の佐野だ。

「おめでとうございます! どうぞ舞台の上へ。

 ご希望の景品を選んでください」

 注目される中で舞台に上がった佐野は少し照れくさそうに頭を掻く。

「えっと、んじゃあ、司会のお姉さんで!」

 会社の懇親会などでたまにいるよな、こういう人。というボケは彩音にサラリと躱される。

「ごめんなさいねぇ。私の好みは身長143cmで可愛らしい男の子なの」

「それ達坊じゃん! ちくしょう! あ、んじゃ、この車で! 色って選べるの? やった!」

 ある意味トップバッターとしては適任だったかも知れない。

 軽い調子で遠慮のない佐野の態度で、いまだ躊躇いのあった招待客も積極的になったようだ。

 

 それからは数字を読み上げる度に「BINGO!」の声が響く。

 中学時代の同級生、若菜は家電量販店の商品券を、里奈は音楽ギフト券をそれぞれもらった。

 参加できなかった若菜の兄の分は欲しがっていたゲーム機を選ぶ。

 両親もミニバンとシステムキッチンの目録を受け取りホクホク顔だ。

 車椅子に乗った隆は高級ロードバイク(自転車)を満面の笑顔で選んでいた。きっと健康になったらそれに乗ることを夢見て辛い手術を乗り越えるのだろう。

 結局ビンゴゲームは全ての招待客が上がるまで続けられた。

 一部で希望の景品が無くなってしまい他の人にトレードを叫んでいた酔っぱらいもいたようだが、それでも皆笑顔で食事会を終えることができた。

 

「みなさん、本当に、ありがとうございました!

 僕、今はちょっと遠いところに住んでるけど、絶対にまた遊びに来ます」

 最後は陽斗の言葉で締めくくり、笑顔の食事会は終わりを告げた。

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