第49話 陽斗の恩人達

 新聞販売店の社長、大沢浩二郎の音頭で乾杯の唱和が響く。

 その直後、ホールの大扉が開かれ、ホテルのスタッフの手によって点在してるいくつものテーブルに料理の数々が並べられる。

 オードブルのような軽食やパスタ、揚げ物料理や焼き物料理、煮込み料理、デザートやフルーツが所狭しと置かれ、ホールの一角にも寿司やステーキ、お酒を含むドリンク類を提供するカウンターもある。

 形式としては半立食で立ったまま食事がしやすい高さのあるちらし卓(小さいテーブル)が要所に置かれ、ホールの一角には落ち着いて座れる椅子とテーブルも準備されている。

 招待客の中には年配の人もそれなりに多いのでその配慮だ。

 

 ホールの中があっという間に食事会場に変わり、来場客から歓声が上がる中、再びマイクで女性の声が聞こえてきた。

「それではしばらくの間、ご自由に食事とご歓談をお楽しみください。本日はテーブルマナーなど気にせず、気軽に過ごしていただきたいと思っております」

「あ、あれ? あの美人って、達坊を迎えに来たって弁護士さんだよな? こんなことまでしてんのか?」

 大沢社長達と合流した他の従業員達の誰かがボソッとそんな言葉を漏らす。

 その言葉通り喜々としてマイクに向かって喋っていたのは皇家の専任弁護士兼不良メイドである彩音だ。

 服装はいつものメイド服ではなくキッチリとしたスーツ姿ながら、以前に見せていた秘書のような堅い雰囲気ではなく、そこらのOLのような気安い雰囲気を振りまいている。

 

 会場の中は老若男女様々な人が居るがやはり多いのは中高年の世代だろうか、それでも少数ながら陽斗と同年代の若者もいる。

「すっごいわよねぇ! お礼のためにここまでする? って感じだけど」

「う、うん。そうだよね。なんだか陽斗君が別の世界にいっちゃったような」

 陽斗の同級生だった宮森若菜と大林里奈の二人が皿を手に料理を選びながらそんな会話を交わす。

 若菜も里奈も未成年ということもあって両親と一緒に招待されており、以前から顔見知りだったその大人達は共に先にお酒を受け取りに行ってしまっている。ちなみに若菜の兄は部活の合宿で参加できなかった。さぞ後から悔しがることだろう。

 陽斗の中学時代の同級生で招待されているのはこの二人だけで、他には上級生に一人女子生徒と教師であった赤石美也。

 

 3年間の中学生活でたった4人しか陽斗にとって恩人と呼べる人がいないというのがある種異様でもある。

 その理由は陽斗が虐待されていてボロボロで薄汚い格好を強いられていたということもあるが、権力者の息子であった藤堂英治に目を付けられたことと、教師達の間にも陽斗を忌避したり蔑んだりする者が居たことだ。

 1年生の頃は同情して優しくしていた教師や同級生、先輩達も居たものの、英治達が執拗に絡んだり教師がきつく当たったりするのを目にしてだんだん距離を置くようになっていった。

 そんな中で若菜は陽斗にずっと優しくしていたし、里奈も親友の若菜の影響で普通に接していた。

 招待されている唯一の先輩も同様で、英治達を嗜めたり陽斗を励ましたりしてくれていたのだ。そして美也は臨時教員として担任になってから親身になって相談を受けていた。

 だから陽斗にとって学校での恩人はその4人しかいないのである。

 

「若菜、その料理はどうだい?」

「あ、うん、すっごく美味しいよ。っていうか、どれも美味しくて選ぶのが大変」

「里奈はまたそんなに欲張って! 太るわよ」

「あ~、聞こえない! こんな機会次にあるかどうかも分かんないんだからそんなこと言わないでよ!」

 二人の家族が合流して賑やかに食事を進める。

「宮森さん! それに大林さんも、来てくれてありがとう!」

「楽しんでもらえているかな?」

 そこに陽斗と重斗が歩み寄ってくる。

 今回の食事会は陽斗が感謝を伝えるためのものだ。だからこうして祖父と連れ立って招待客に声を掛けて回っているのだ。

 

「陽斗君、ううん、きょ、今日は招待してくれてありがとう」

「井上君、じゃなくて今は西蓮寺君、だっけ。ホントありがとうね。私なんか若菜のおこぼれみたいなもんだけど、マジで来てよかったわぁ」

 卒業式の後、陽斗は若菜とメールや手紙でやり取りしていたものの言葉を交わすのは久しぶりだ。

 若菜は若干ドギマギしながら、里奈は明るく陽斗と挨拶を交わす。

 もっともホンワカしているのは子供達だけで、大人達はそうはいかない。

 

「あなた方のご令嬢には孫がとても世話になった。いや、救われたと言っても良い。改めて礼を述べさせていただく。とても素晴らしいお子さんをお持ちだ。

 今後儂が力になれることがあればいつでも連絡していただきたい」

 そう言って自身が代表を務める資産管理会社の名刺を渡す重斗。

 二人の保護者達はガチガチになりながら震える手でそれを受け取った。

 里奈の父は会社員だが皇の名は聞いたことがあったし、中小とはいえ会社経営者である若菜の父は重斗の影響力の強さも知っている。

「い、いえ、む、娘が陽斗君にしたことなど些細なことです。そ、それに、皇様のおかげで仕事も増えて、逆にこちらがお礼を申し上げなければならないと」

「わ、私の娘にいたっては友人に同調しただけですし、その」

「いやいや、儂は何もしておりませんし、あれほど劣悪な学校で陽斗に優しくするのはとても勇気のいることでしょう。娘さんをどうか誇ってやってください」

 重斗は重ねてそう言って頭を下げた。

 実は重斗は滅多に名刺を人に渡すことはない。だからこそ名刺を持っているということは重斗から一定以上の信任を得ていると見なされていて、この先この名刺が大いに2つの家族の助けになるのだが、それはまた別の話。

 

「あ、あの、陽斗君、また連絡するね? あと、今度はいま陽斗君が住んでる街に行ってみたりしても良い、かな?」

「うん。案内、は、考えてみたら僕はあんまり外に出てないからできないかも知れないけど、その時は是非うちに寄ってね」

「あ~、西蓮寺君って、ひょっとして無自覚なのかなぁ。罪な子ねぇ」

 思い切って切り出した若菜の言葉に、無邪気な笑みで答える陽斗。

 それを見ていた里奈が親友の恋路を思って溜息を吐いた。

 

 

 次に陽斗達が向かった先に居たのは中年の夫婦と車椅子に乗った少年のところだ。

 陽斗を助けてくれたのは女性の方で、新聞販売店で働いていた頃に陽斗から契約をしてくれて、それ以後も何かと差し入れをくれたり気遣ってくれたのだ。

 車椅子の少年は夫婦の子供で、先天性の心臓疾患を患っていたのだがこの春に手術を受け順調に回復している。まだあと数回は手術を行わなければならないのだが一番難しい山は越えているらしく、来年からは学校に通うこともできそうだとのことだった。

 陽斗が例のごとく声を掛けてお礼を言うと、夫婦、香田夫妻は逆に深々と頭を下げた。

 彩音がスケジュールの調整のためにこの夫妻に連絡を入れた時、夫は初めて妻がアレコレと気づかっていた少年の保護者が皇家の者だと聞き、会社の上司や知人に聞いて回って重斗の事を知ったのだ。

 そのことで自分の会社での昇進や息子が突然好条件で治療が受けられるようになった理由を理解した。

 だから彼等にしてみれば陽斗にした些細な気遣いなどとは比較にならない程の恩を受けたと思っている。なにしろ息子の命の恩人と言っても過言ではないのだ。

 

「こちらこそ、皇様と西蓮寺君のおかげで隆、息子が手術を受ける事ができました。なんとお礼を言ったら良いのか」

「あの、僕からも、えっと、ありがとうございました! 今は家にも帰れたし、ご飯もたくさん食べれるようになった、です。それにもう少ししたら学校にも行けるようになる、あ、なります。えっと……」

「いやいや、儂はほんの少し口添えをしたに過ぎません。それに孫は奥方の優しさに随分と慰められ力づけられたらしい。その恩が少しでも返せたというのなら嬉しく思いますよ」

 父親と息子が礼を言うと、重斗は穏やかな笑みを浮かべてそう返した。

 今は疲れたりしないように車椅子に座っているが、普段は少しくらいなら動き回ることができるようになっているらしく、その手の皿には唐揚げやお寿司が乗っていて食欲もあるようだ。

「達也君、あ、今は陽斗君ね、あれから会えなくて心配していたけれど元気そうで安心したわ。いつか健康になった隆を連れてお礼に伺わせてね」

 妻の百合も陽斗にそう言って涙ぐみながら何度も頭を下げるのであった。

 

「お祖父ちゃん、ありがとうね」

 陽斗は何もできない自分に代わって重斗が恩人達にお礼をしてくれていたことを感謝する。

 重斗は陽斗の頭を撫でて優しく笑みを浮かべることで応じた。

 重斗からすれば、陽斗がこれまで生きてこられたのは奇跡に近い。今ここにいる恩人達が居なければ間違いなく途中で陽斗の命は潰えていただろう。

 陽斗が助かるならば全ての財産を失っても惜しくないとまで思っている重斗にとって、彼等に割の良い仕事を回すように働きかけをしたり、治療を優先するように口利きをする程度は労力のうちに入らないのだ。

 

 

「たっちゃん!」

「え? あ、もしかして、コー君?!」

 不意に声を掛けられて陽斗が振り向くと、そこに高校生くらいの気の強そうな男の子が立っていた。

 その顔を見て、すぐに記憶の中の小学生と一致する。

「たっちゃん、変わってねぇなぁ! 元気そうじゃんか!」

 男の子が陽斗に駆け寄り、背中をバンバンと乱暴に叩きながら肩を抱く。

「コー君はすっごく大きくなったね。口調は相変わらずだけど」

 陽斗の方も背中を叩かれたときは少しばかり顔を顰めたがそれでも嬉しそうに応じる。

「まぁな! 178センチになったぜ。たっちゃんはあんま変わんねぇな。すぐわかったよ。あっ!」

 

 コー君と呼ばれた男の子がようやく陽斗の隣にいて呆気にとられた表情の重斗に気付き、小さく声を上げる。

「す、すいません、その、俺……」

「門倉 光輝君、だね? 元気がよくて少々面食らったが、小学校の頃に陽斗と仲良くしてくれていたらしいね。儂は陽斗の祖父の皇重斗という」

「よ、よろしくお願いします。あ、えっと、さっきのは別に乱暴したわけじゃなくて」

 懐かしさのあまり少々荒っぽい挨拶になった自覚があったので陽斗の身内がすぐ近くに居たことに慌てる。

 だが、この少年と陽斗の関係を調べている重斗なので怒るようなことはしない。

 

 陽斗の中学校時代に一番支えてくれたのは大沢社長とその家族、従業員達だが、小学校時代に陽斗が命を繋いでいられたのは間違いなく彼のおかげだ。

 井上達也と名乗っていた当時、小学校入学時からやはり陽斗は周囲から浮いていた。

 なにしろ新入生だというのにランドセルも買ってもらえず、適当な布袋に教科書や学校で使う道具を入れ、どこかで拾ってきたような小汚い服を着ていたのだ。

 当然すぐにクラスのイジメ対象となったのだが、その時に同じクラスだった光輝がそれを止めさせた。

 ガキ大将気質であった光輝は他の誰かが陽斗をイジメようとすると力ずくでそれを止めて、陽斗を連れ回した。

 何故だか光輝はしょっちゅう陽斗にちょっかいを出し、その都度振り回されたのだが、そのおかげで陽斗はそれ以上イジメられること無く過ごす事ができた。

 その上、光輝は自分の家に陽斗を連れて行き、親に色々と陽斗から聞いた家の事情を暴露した。

 その結果、光輝の両親は陽斗に同情して毎日のように食事を食べさせたり、今では社会人となっている光輝の兄のお古を渡したりした。古いランドセルもだ。

 

 その付き合いは陽斗達が小学校を卒業するまで続き、光輝一家が仕事の都合で引っ越していってからは連絡を取る手段もなかったためにそれきりになってしまっていたのだ。

 おかげで教師や同級生が遠巻きにする中、それでも何とか無事に小学校生活を過ごす事ができた。

 ちなみに、小学校低学年で家事を押し付けられた陽斗に、家事や料理を教えたのは光輝の母である。

 それがなければ陽斗の傷はもっと増えていたであろうととは間違いない。

 期間や重要性を考えれば今日の招待客で最も大切な恩人と言えるだろう。

 

「光輝! 皇さんに失礼な真似をするんじゃない!」

 直後、光輝の両親が慌てた様子で駆け寄ってくる。

 そして光輝の頭を押さえつけて重斗に対して下げさせる。

「うちのバカ息子が申し訳ありません! あとできつく言って聞かせますので!」

「いや、16歳の男の子なのだからこれくらいの元気があった方が良い。それに彼は陽斗の恩人だ。無礼などとは思わぬよ」

 穏やかに応じる重斗に、両親はますます恐縮した様子で頭を下げた。

 

「それより、新しい家と職場はどうかね? 何か困ったことはないか?」

「は、はい。問題が無いどころか、あんな良い家と好待遇な仕事、なんとお礼を申し上げたらいいか」

「あの時も言ったが、陽斗が今こうしていられるのは間違いなく光輝君と君達夫婦のおかげだ。あの程度では到底恩を返したことにはならんよ」

 重斗はそう言ったがそれで門倉夫婦の気が済むわけもない。

「確かに陽斗君に同情して多少のことはしましたが、知人に騙されて困窮していた私達の恩人は皇様です。

 これから親子ともども精一杯恩返しをさせていただきますので」

 頑なな門倉夫婦に重斗は困ったように苦笑いを浮かべたのだった。

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