第48話 大感謝祭
8月の第3月曜日。
九州中部の地方都市の中心街にある県内随一の高級ホテルの前に続々とタクシーが到着する。
「しゃちょー、マジでこのホテルっすか?」
「俺はそう聞いてるし招待状にもそう書いてあるよ。ってか、タクシーの運転手がちゃんと事前の予約で確認してあるって言ってただろうが」
「ね、ねぇ、アタシ思いっきり普通の服なんだけど、大丈夫かしら?」
「案内にゃ『平服でお越しください』ってあったんだから大丈夫だっつってんだろ! ああっもう! おら! 後ろがつかえてるんだからさっさと行くぞ!」
壮年の男が一緒にタクシーから降りた男女をそんな言葉でせき立てながらさっさとホテルのロビーへと入っていってしまう。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
「置いてかないでくださいって!」
ふたりは慌ててその後を追いかけていった。
ロビーに入るとすぐにベルスタッフが足早に近づいてきたので男が目的を告げる。
すると丁寧な挨拶をした後、先に立って彼等を案内してくれた。
行き先は2階にある大ホール。
結婚式の披露宴でも使われる大きな部屋だ。
ホール入り口に設けられた受付まで案内するとベルスタッフは一礼して立ち去っていった。
「あ~、達、じゃなかった、西蓮寺陽斗君から招待を受けた大沢ですが」
「大沢様ですね。ようこそおいでくださいました。そちらは奥様の静恵様と、大沢新聞販売店の佐野様ですね」
受付をしていた中年の女性は名乗るまでもなく顔を見てそう言うと、すぐ後ろに控えていた若い女に大沢達をホールの中に案内するように指示を出した。
「すでに何人かの方々が到着されていますが、開始までにまだ時間がありますのでどうか軽いものを飲みながらお待ちください」
レディーススーツを着たその女はそう言いながら簡単にこの日の内容などを説明してから戻っていく。
ホテルのスタッフには見えなかったのだが、その口調や表情は彼等を心から歓迎しているようで、大沢達はどうにも居心地が悪い。
「あ、社長! お久しぶりです! 来てくれたんですね!」
そんな戸惑いの表情を浮かべた大沢に駆け寄ってきたのは、どう見ても小学生にしか見えない小柄な少年、陽斗だった。
「お、おお、達坊。なんだ、その、今日は招待してくれてありがとうよ」
「達君、あ、今は陽斗君、だったっけ? 久しぶりねぇ、心配してたのよ。元気だった?」
「達坊! ちょっとでっかくなったか?」
仔犬のように駆け寄って満面の笑顔で大沢達を出迎えた陽斗に照れくさそうに礼を言ったり心配そうに全身を眺めたり、はたまた乱暴に頭をガシガシと撫でたり、三者三様だがその目は親しげだ。
「えっと、始まったら改めて皆さんに言うんだけど、今日は僕がお世話になった人達にお礼がしたいと思って、その、わざわざ来てもらうっていうのは申し訳なかったんだけど、でも、来てくれてありがとうございます!」
そう言って陽斗は深々と頭を下げた。
話はこの年の元旦まで遡る。
皇の屋敷で迎えた初めての正月。
当然ながらそれは陽斗の祖父である重斗にとっても陽斗と過ごす初めての正月であり(正確には陽斗がまだ零歳児であった頃、一緒に過ごしていたが)、テンションが上がりまくった重斗はアホみたいに分厚いご祝儀袋をお年玉として陽斗に渡したのだ。
中身は帯が巻いたままの一万円札が3つ。3百万円である。
もちろん贈与税は重斗が負担するため、このお金はまるまる陽斗へのお年玉だ。
そして、その他にも毎月少なくない金額がお小遣いとして陽斗の口座に振り込まれている。
何故振り込みなのかというと、重斗が渡そうとしても陽斗が遠慮するからであり、どうしてもお小遣いを渡したい重斗としては振り込みに切り替えた。
ちなみに陽斗自身は滅多に自分で買い物をすることがない。というかその必要も機会もほとんど無い。だから当然自分の口座など確認していないのでどのくらいの金額になっているのかを知るのはかなり先になりそうである。
とにかく、そんなとんでもないお年玉をもらった陽斗だが、もちろん困惑した。というか困った。
そして考えた末に彩音に相談したところ、ようやく陽斗にお年玉を渡せる喜びを味わっている重斗の気持ちを尊重して受け取るほうが良いとアドバイスをもらった。
その上で、そのお金を貯めるのではなく使った方が喜ぶとも。
だがそんなことを言われても陽斗にはお金の使い道などわからないし、そもそもすでに陽斗の部屋には必要以上の物が揃っているのでこれ以上欲しい物など思いつかなかった。
そうこうしているうちに受験でそれどころではなくなり一旦棚上げ。
黎星学園に合格が決まってようやく落ち着いてから一生懸命考えた結果、これまでお世話になった人や助けてくれた人にお礼がしたいと思い至ったというわけだ。
もちろんそれらの人達には重斗がすでに丁寧なお礼状を添えて相手の負担にならない程度のお礼の品を贈ったと聞いている。時には間接的な形で事業や仕事の支援も行ったらしい。
けれど陽斗自身はせいぜい個別に連絡を取ったり手紙を出したりしてお礼を伝えただけだ。
もちろんまだ高校生(その時は中学生)である以上、それが精一杯かつ最上のものなのだが、陽斗にとっては自分が生きてこうして重斗と暮らす事ができたのがかつて助けてくれた人達のおかげだという思いがあったし、言葉で言い尽くせないほどの感謝をしている。
それを彩音や比佐子、和田に相談した。
そして提案されたのが今回の、お世話になった人達を招待してお礼の食事会を開くことだったのだ。
当初陽斗はそんなことでお礼になるとは思えなかったのだが、ではどうすればお礼になるのかというと答えは出ない。
それにそもそもが陽斗を助けてくれた人達は見返りを求めて助けたわけではない。ただ懸命に生きる陽斗に何かしてあげたいという純粋な善意でしてくれたことだ。
陽斗の資産を使えばその人達に十分すぎるほどの金銭をお礼として渡すことだって可能ではある。しかしそれではかえって相手に失礼ではないかと比佐子に諭された。
だからあくまでお礼の機会を作るという名目で、精一杯のおもてなしをして感謝の気持ちを伝えようということになったのである。
ただ、そこまで決まったものの、実現するとなるとそう簡単なことではない。
会場そのものはどうとでもなるとしても、お世話になった人達にはそれぞれの生活もあれば仕事もある。
特に、中学時代にもっとも助けてくれたのは新聞販売店の社長や従業員達だが、新聞販売店の休みというのは基本的にほとんど無い。
もちろん働いている人達は交代で休みを取っているわけだが、全員が休めるのは新聞の休刊日の、朝刊配達後から翌日の夕刊配達前までの時間だけだ。しかもそれは月に一度、平日にしかない。
陽斗は学生だし、関東から九州まで行くとなるとさすがに時間的な制約があるため休刊日と学校の休日が重ならなければならない。
それにお世話になった人は他にも沢山おり、そういった人達の都合も考えると8月半ばのこの時期しかなかったのだ。
実際にスケジュールの確認と調整や会場の手配などを行ったのは彩音や比佐子、それから重斗の指示で陽斗の恩人達に問題が発生したときのために派遣していた調査会社の社員達で、陽斗は実際に日程が決まってから招待状を書いただけだ。
陽斗はしきりに恐縮していたが、そういったことをまだ高校生の陽斗がするのは無理なことだし適材適所というところだろう。
そうして無事にほとんどの恩人達の出席を取り付けることができた。
新聞販売店はこの日が休刊日で翌朝の朝刊はないし、商店街の店を経営している人達も早めに店を閉めてほとんどが翌日を臨時休業にしてしまっている。
その他の家は一般企業に勤めるサラリーマン家庭が多いので丁度お盆休みにあたる。もっとも陽斗にはそんな内幕は知るよしもないが。
「にしても、随分と盛大な食事会になりそうだな」
「あ、うん。色々な人にお世話になったから、みんなにお礼をしたくて」
呆れたように言う大沢に、陽斗も少し苦笑い気味に応じる。
この食事会の参加者はお世話になった人とその家族で100人を超えている。
中にはほんの小さな子供の頃や小学校時代に陽斗を助けてくれてから引っ越しなどで離れてしまった人も居て、そういった人達のために交通費も負担しているし宿泊場所としてこのホテルに部屋も用意している。
さらに食事会ではアルコールも提供されるので参加者の送り迎えは全て皇家が手配したタクシーだ。
実は陽斗は知らないことだが、会場や料理の費用、交通費や宿泊費を全て併せると陽斗がもらったお年玉では足りないため重斗が補填している。
本来ならば陽斗はきちんとチェックしなければならないのだが、この辺りはいずれ教育が必要になるだろう。
「ほら、達坊。他にも挨拶したい人いるんだろう? こっちは良いから行ってこい」
「あ、はい。それじゃあ、また後で!」
陽斗と大沢が話し込んでいる間にも続々と招待客がホールに入ってきている。その全員が陽斗にとっての恩人やその家族達だ。
それがわかっている大沢が陽斗を促してほかの人達へ挨拶に向かわせた。
大沢としても電話で幾度か話はしているとはいえ、久しぶりに会った陽斗の近況や体調など色々と聞きたいことはあったし心配もしている。が、そこはそれ、当初から陽斗は大沢のことを『すごくカッコ良くて頼りがいがある社長』などと言っていたりしたのでここは大人の余裕を見せたというわけである。
まぁ、どうせ後でも話す機会はあるだろうと自分に言いきかせながら。
「お久しぶりですな、大沢社長」
「!! ご、ご無沙汰しております」
陽斗を見送り、喉を潤そうとドリンクを配っているカウンターまで移動しようとした大沢達を別の声が呼び止める。
声を掛けたのは白髪交じりの初老の男、つまり重斗である。
今回は陽斗自身が世話になった人達にお礼を言うための食事会ではあるが、当然重斗も保護者として礼を言うためにこの場にいる。
陽斗と同じく最初からホールの中で到着した招待客にこうして挨拶に回っていたのだ。
大沢とは陽斗が引き取られていって一月ほど経った頃に礼を言うために販売店を訪れ、その時に顔を合わせている。
もっとも、その時は重斗がどのような立場の人間かを知らず、随分と失礼な口を叩いた。もちろん陽斗が重斗の元で虐げられるようなことがないようにとちょっと釘を刺したという程度ではあるのだが、その後知人に少し調べてもらって、その資産や影響力などを耳にして大いに冷や汗をかいたのだった。
「改めてお礼を言わせてもらいたい。本日はよく来てくださった」
「い、いえ、こちらこそお招き頂きありがとうございます。そ、それに、うちに新聞の新規契約が増えたのはそちらのお力添えがあったのでしょう。ありがとうございました」
2月頃から突然新聞の大口新規契約が次々に舞い込み、加えて普段なら滅多に来ない配達員まで何人も応募が来た。
あまりに不自然であり、重斗のことを知れば理由は考えるまでもない。
「さて、なんのことだかわからんが、まぁ、なんにせよ孫が昨年末まで生きていられたのは大沢社長やその他の助けてくれた人達のおかげですからな。少々のことでは恩は返しきれませんよ」
重斗の表情は穏やかな笑みを浮かべたままであり、その言葉からも恩を着せるつもりなどないことがわかる。
もっともしがない地方新聞販売店の経営者など利用価値があるとは思えないが。
「おっと、そろそろ時間ですな。ゲストの方々も揃ったようなのでまた後ほど話をさせていただこう」
重斗はそう言って大沢に一礼し、ホールの前の方に歩いていった。
「なんか、すっげぇ迫力のある爺さんだったっすね。ただ者じゃない感が」
「ああ、本来なら俺みたいな零細経営者が会えるような人間じゃねぇよ」
ようやく肩から力を抜いた大沢が従業員の佐野に苦笑いしながら溢す。
と、ホールに若い女性の声が響いた。
「お待たせ致しました。皆様到着されましたので食事会を始めたいと思います。
その前に、一言、主催者からご挨拶させていただきます」
見るとホールの前スペースに台が置かれており、そこに陽斗がよいしょっと登っていた。
「えっと、きょ、今日は来てくださってありがとうございます!
その、ぼ、僕がこっちで暮らしているときに皆さんが沢山助けてくれたおかげで、僕はお祖父ちゃんと会うことができました。
それで、僕はお礼をしたくて、でも、何をしたらいいのかわからなくて、えっと、家の人に相談して食事会をすることにしました。
す、少しでも楽しんでいってくれると嬉しいです。
あの、本当にありがとうございました!!」
パチ、パチパチ、パチパチパチパチ……
最初は呆気にとられたような顔で陽斗を見ていた招待客達も、すぐに我に返って手を叩きはじめ、すぐに会場中が拍手に包まれた。
そして次に重斗が壇上にあがると次第にそれも治まる。
と同時に、飲み物が載ったトレーを持ったスタッフが会場を回って招待客に手渡していく。
「陽斗、こちらでは井上達也と呼ばれていたこの子の祖父、皇重斗と申します。
すでにこの中の幾人かには直接話をさせていただいておりますが、改めて孫を助けてくださったことにお礼を申し上げる。
今日は孫が皆さんのためにと考えた行いですので、どうか楽しんでいただきたい。
それでは、突然で申し訳ないが、大沢新聞販売店社長の大沢浩二郎殿に乾杯の挨拶をお願いしたいのだが、いかがだろうか」
「うぇ?! あ、えっと、俺、いや、私が、ですか……
あ~、急に振られたから何を言えばいいんだか。
と、とにかく、他の人もそうだと思うが、私達は別に見返りが欲しくて達、陽斗君に世話を焼いたわけじゃない。
陽斗君はどんな辛い思いをしていても一生懸命で、真面目で、そして人に対する思いやりを忘れなかった。だからこそ周りが何かしてやりたいと思ったんだろう。
それがようやく大切にしてくれる家族と暮らす事ができるようになったと聞いて心から安心している。
これからも辛いことや大変なことは沢山あるだろうが、あんだけ辛いことがあっても折れたり曲がったりしなかった陽斗君なら大丈夫だと、そう信じている。
けどな、どうしても辛かったり悲しかったりしたら遠慮なんてしないで帰ってこい。
……あ~、長くなったな、と、とにかく、陽斗君を見守ってきた同志と一堂に会することができたのと、陽斗君の幸せを願って、乾杯!!」
『乾杯!!』
ホールに声が響いた。
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