第47話 貴臣の処分

 コンコンコン。

 ホテルの客室のひとつ。

 賢弥に割り当てられた部屋の扉がノックされる。

「天宮か、どうした?」

 扉を開けると壮史朗が片手にビニール袋を持って立っており、賢弥は躊躇うことなく部屋に招き入れる。

 部屋は普通のツインルームで、賢弥ともうひとりのクラスメイトに割り当てられているが同室の男子はどこかに遊びに行っているらしく不在だ。

 

「とりあえずガーゼと包帯、傷薬と湿布を買ってきてもらった」

 そういって壮史朗が差し出した有名ドラッグストアのロゴが入ったビニール袋には言葉通りいくつかの衛生用品が入っている。

「何だこれは?」

「肩、ふたり分の重量が掛かったロープが食い込んだんだ。怪我してるんだろう?」

 壮史朗の言葉に賢弥がピクリと眉を動かす。

 今の賢弥の服装はTシャツにジャージというラフな格好だが、陽斗達を吊り上げたときにロープを掛けていた肩はさすがに見る事ができない。

 

「シャツを脱げよ。素人だが片手でやるよりはマシだろう?」

 確信があるかのような壮史朗に賢弥はひとつ溜息を吐いてTシャツを脱いで椅子に座る。

 鍛え上げられた肩回りの右側、肩峰の内側は赤黒く痣になっており、痣の中央部分は擦り切れて血が滲んだ跡があった。

「随分と無茶をしたな」

「陽斗ほどじゃない。見た目ほど痛みは無いしすぐに治る」

 壮史朗が手早く擦り傷をウエットティッシュで綺麗にすると薬を塗り込みガーゼを貼り付ける。

 包帯は大仰過ぎるということでガーゼをテープで固定しただけだ。

 

「それで? どうしたんだ?」

 手当を終えて新しいTシャツに着替えた賢弥が壮史朗にそう訊ねる。

「……何がだ?」

「俺のところに来たのは何か言いたいことがあったからだろう」

「……言いたいこと、というか、気になったこと、だな。

 西蓮寺が何者か、武藤は知っているんじゃないか?」

 壮史朗から見て陽斗は酷く歪な存在だ。

 底抜けの人の良さと穏やかさ、芯の強さをもっていると思いきや、酷く不安定で今回の様に向こう見ずな部分もある。

 家名である西蓮寺は耳にした記憶はないのだが、迎えの車や護衛の警備員、使用人などを見れば相当な資産家であることは間違いない。

 育ちの良さそうな大らかさの反面、明らかな虐待痕が今もなお身体に刻まれている。

 どうにもちぐはぐで壮史朗としては落ち着かない気持ちが抑えられないのだ。

 

「知っている。が、俺の口から言うことはできん。おそらくそう遠くないうちに陽斗自身が話すだろうさ」

「そう、か。それなら仕方がないな。まぁ、僕は別に西蓮寺がどんな家の人間だろうと気にしていないけどな。ただちょっと気になっただけだ」

 明らかにそれだけではなさそうな表情の壮史朗だったが賢弥はそれ以上踏み込むことはしなかった。

 

 

 

「…………何か御用かしら、桐生先輩?」

 つい先程までの浮き立つような感情が一気に奈落まで落ちたかのように固い声で穂乃香は目の前でニヤついた表情を浮かべる貴臣に応じた。

 一転して不機嫌そうな穂乃香に、貴臣は苛立たしげに小さく舌打ちする。

「いつもくっついてる金魚の糞みてぇなガキは一緒じゃねぇのか?」

 貴臣の言葉にはいつも以上に棘が含まれているようだ。

 以前まで引き連れていた取り巻きのような連中も最近では距離を取っているようで、あからさまに避けたりはしていないまでも最近では貴臣ひとりでいることが多い。

 プライドの高い貴臣としては、そのことが一層苛立つ要因となっているのだった。

 

「陽斗さんをそのように言うのは止めてください。彼とはわたくしが望んで一緒に居るのです」

「あんな頼りない小学生みたいな奴のどこが良いんだよ。聞いたこともない家の、しかも何の取り柄もなさそうなガキじゃねぇか。

 俺は桐生グループの跡取りだぜ? 将来性は抜群だし浮気だってしねぇ」

 確かに貴臣は態度や性格については評判が悪いものの不思議なことに異性関係だけは浮ついた話が流れたことがない。

 これは貴臣が穂乃香に大して本気であるという証左でもあるのだが、だからといってその点だけで穂乃香が惹かれるわけがない。

 

「貴方が浮気しようがどうしようがわたくしには関係ありません。桐生グループの跡取りであることもです。

 それに、陽斗さんはその人柄、精神力、いざというときの決断力や実行力が素晴らしい方ですわ。

 貴方のように立場の弱い人を見下したり横暴な態度を取るような方と比較するだけで陽斗さんに対して失礼です」

 ピシャリと言ってのけた穂乃香の言葉に貴臣が眉を吊り上げる。

「なんだと? 黙って聞いてりゃぁ」

「どこが黙って聞いているのかわかりませんわね。とにかく、わたくしは貴方とお付き合いするつもりはありませんし、これ以上つきまとわれるのは迷惑です」

 

 普段なら穂乃香もここまで直接的な言い方ではなくもう少し相手に配慮した言葉を選ぶだろうが、ただでさえ陽斗達と過ごして気分が良かっただけにどうしても言葉に険がこもる。

 それにこれまで幾度も遠回しに拒絶の意思を伝えていたにも関わらず貴臣は一向に穂乃香に絡むのを止めようとしないという事情もあった。

 結果、これまでになく誤解のしようがないほど明確な拒否をすることになった。

 とはいえ男性相手にここまで強気に言い返すことができるのはここがホテルの中だからだろう。

 一般客は居ないがそれでもいつ他の生徒が通りかかってもおかしくないし、警備の人達も巡回しているはずだ。

 だが当然それに納得できないのが貴臣だ。

 穂乃香に向ける視線に途端に剣呑なものが浮かぶ。

 

「穂乃香、てめぇ、あんま調子に乗るんじゃねぇぞ」

「名前で呼ばないでくださいと何度言ったら理解していただけるのかしら。痛っ!!」

 とうとう感情を抑えきれなくなった貴臣が穂乃香の腕を掴む。

 そしてそのまま引きずっていこうと抵抗する穂乃香の腕を掴んだまま踵を返そうとした。

 その時、背後からの鋭い声が制止する。

 

「何をしている!!」

「?! 鷹司、てめぇか!」

 これまでにも幾度も自身の言動を嗜めてきた雅刀の登場に、貴臣は顔を顰める。

 驚いて力が弛んだ隙に穂乃香は貴臣の手を振り解いて距離を取る。

 すかさず雅刀が貴臣と穂乃香の間に割り込んで貴臣を厳しい目で睨む。

「四条院さんに何をしていた? 桐生、お前は自分の立場をわかっているのか?」

「チッ! たかが雇われ経営者の家が偉そうに。てめぇには関係ねぇ。俺と穂乃香の問題だ。部外者が口を突っ込んでくるんじゃねぇよ」

「どう見ても君が嫌がる四条院さんに乱暴を働こうとしていたとしか思えないな。

 そもそも君は生徒会の役員だろう。

 他の生徒の規範となるべき役員が騒ぎを起こし、他の生徒に暴力を振るうなどもってのほかだ。

 それに、今回のイベントでも最低限の仕事すらしようとはしなかったと報告を受けている」

 

 威圧的な貴臣の口調と対照的に雅刀はあくまで冷静で淡々とした口調で正論をぶつける。

 もともとこのふたりは徹底的に相性が悪い。

 生真面目ながら沈着で穏やかな雅刀と粗野で威圧的な貴臣。

 しかも家柄としては貴臣の方が高いのに雅刀はその威圧に怯むことはなく、実家の権力を振るおうにも琴乃の信頼も篤い雅刀には手を出せない。

 ギリッと音が鳴るほど奥歯を噛みしめて睨む貴臣に、雅刀は大きな溜息を吐く。

「これまでにも注意、指導をしてきたにもかかわらず改善が見られないとなればやむを得ないな。

 桐生、本日付で君を生徒会役員から除名する。

 正式な通知は新学期が始まってからになるが、今後役員として生徒会行事に参加することは禁止だ。明日の役員の仕事もしなくていい」

 

 毅然と言い切った内容に貴臣が愕然とする。

「な?! ふ、ふざけんな! てめぇに何の権限があって!」

「生徒会役員の任免権は会長の専権事項だが、君の処遇に関してはすでに執行役員で協議され、今後問題を引き起こすようなら即時解任することが決定していた。

 これは会長が発議し、決定に関しても承認していることだ。だから会長の裁可を得るまでもなく即時有効となる」

 生徒会役員という役職は特別な意味があるわけではない。

 会長や書記などの執行役員であれば内申や志望校へのPRとして書くこともできるが平役員は言ってみれば学級委員と同程度の意味しか持たない。

 だが黎星学園が経済界に大きな影響力を持つ名家の子女が集まっているという実情を考えると、優秀な生徒の中で一際認められているという一種のステータスになるのは事実だ

 。

 もちろん役員に選ばれなかったからといって劣っているというわけではないし、経歴に傷がつくわけでもない。だから部活との兼ね合いや家の事情などで途中で辞退する生徒もいるわけだ。

 だが、除名となれば話は別となる。

 自ら降りるのではなく、解任されるというのは役員として相応しくないと明言されるのと同じ。

 つまり人の上に立ったり、人をまとめる資格が無いと評価されたということなのだ。

「役員バッジと腕章の返却は新学期になってからでかまわないが、自分で持ってくるように。尚、この事は2学期最初の生徒総会で公表される」

 魂が抜けたように呆然と立ち尽くす貴臣にトドメを刺す雅刀。

 それだけ告げると穂乃香を促してその場を後にした。

 

「鷹司副会長、ありがとうございました。助かりましたわ」

 2階のロビーまで戻ってから穂乃香は鷹司に頭を下げる。

「たまたま通りかかっただけだよ。あのまま放っておいても遠巻きに見ていた生徒が何人もいたし、警備の係員も様子を窺っていたから問題は無かったと思うけどね。

 かなり強く掴まれていたようだけど大丈夫かい?」

 先程までの厳しい表情が嘘のようにいつもの穏やかさを取り戻した雅刀がゆったりと微笑みながら穂乃香を気遣う。

「ええ。すこし赤くなってしまいましたけれどすぐに消えると思いますわ」

 言いながら穂乃香は赤くなった腕をさする。

 今頃になって恐さが出てきたのか、指先が微かに震えている。

 

「西蓮寺くんは一緒じゃなかったんだね?

 彼が居たら四条院さんをしっかりと守ったと思うから残念だったね」

「も、もう! 鷹司先輩までそうやってからかうんですの?

 そ、それに、わたくしは陽斗さんに危ない真似をさせるつもりはありません!」

 凛とした態度はどこへやら、腕以上に頬を赤くした穂乃香をクスクスと笑いながら雅刀は立ち去っていった。

 穂乃香はその後ろ姿に改めて一礼し、大浴場へと足を進めることにした。

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