第45話 陽斗の人命救助

「いいか? くれぐれも無理はするな。少しでも難しいと感じたらすぐに言え」

「うん。わかった」

 素直に頷く陽斗を疑わしそうな目で見る賢弥。

 いざ難しいと感じたとしてもそうそう諦めないだろうということを察しているからだ。

「武藤、ロープとタオルを集めたぞ」

 賢弥が陽斗に手順と注意事項を話している間に壮史朗が各自に貸し出されていたバッグからクライミング用のロープとタオルを集めて持ってくる。

 オリエンテーリングの参加者にはあらかじめ小型のナップザックに地図やコンパス、懐中電灯、ロープ、タオル、十徳ナイフが貸し出されている。

 実際に使うことは滅多になく、アウトドア気分を味わうための小道具に過ぎないのだが物自体はしっかりとしたものばかりである。

 ロープは太さ10mmの耐荷重2000kg、10mの長さのクライミング用のものだ。

 

 賢弥は陽斗の両足それぞれにタオルを巻き、その上からロープをしっかりと縛り付けた。腰の方はロープ側にタオルを巻き付ける。

 その様子を穂乃香が心配そうに見つめている。

「四条院さん!」

 陽斗の準備を終えたちょうどそのタイミングでセラが数人の生徒会役員を連れて到着した。

 男子が2名、女子が1名だがその中には2年の責任者である桧林もいた。

「桧林先輩、手伝ってください。他の男子もだ」

 見知っていたのか賢弥が桧林にそう声を掛ける。

 人間を吊り上げるのは実際にはかなりの力を必要とする。

 小柄な陽斗でさえ持ち上げるだけなら一人でも大丈夫だがロープで吊り上げるとなると最低でも二人は必要となるだろう。挟まっている生徒の引き上げはその倍は欲しいところだ。

 今ここには賢弥と壮史朗、割れ目に落ちた浩二という生徒と同じ班の男子生徒がふたり、それからたった今合流した桧林ともう一人の男子生徒がいる。

 人数的には揃ったことにはなるが所詮は十代半ばの男子だ。余裕があるわけではない。

 

「俺が割れ目を跨いで真上から吊り下げる。桧林先輩達はロープを手に巻き付けて合図があったらゆっくりと引いてください。四条院とセラは懐中電灯で割れ目の上から中を照らしてくれ。陽斗、いけるか?」

「うん! わわっ!」

 陽斗の返事と共に賢弥は陽斗の腰のロープを持ち上げる。

 慌てた声を上げたものの、陽斗はすぐに手で割れ目との位置を調節しその中に頭を突っ込んだ。

 地表近くは幅が30cm程度だったがその下は少し広くなっており50cm近くはある。だがそれも少しすると徐々にせばまっているようだ。

「どうだ? いけそうか?」

「うん大丈夫! もっと降ろしてくれる?」

 穴の中は割れ目の両端近くから穂乃香とセラが懐中電灯で照らしてくれているので充分見る事ができる。

 

「えっと、浩二くん? 大丈夫ですか?」

「う、うぅぅ……」

 陽斗が声を掛けるも、苦しそうな呻き声を漏らすだけで返事をすることができないようだ。

 意識もはっきりとしていないのか、バンザイするように上に挙げられた手の動きも鈍い。

「賢弥くん! 大丈夫だからもっと早く降ろして!」

 陽斗が降りていく速度が少し速くなる。

 そしてようやく挙げられた腕に届く位置まで下がると手に持っていたロープを手早く手首に巻き付ける。

 当然このまま引っ張れば鬱血するだろうが丁度良い強さで巻けるほど余裕は無いし緩くてすっぽ抜けるよりはマシだろう。

 まず右手にロープを巻き終えると、すぐに次のロープを降ろして貰い左手にも巻く。

 本来ならば手首の脱臼などを防ぐためにも両腋を通して胸にもロープを巻きたいのだが生憎その隙間はなさそうだ。

 

「もう少し降ろして! うん、掴んだ! 引き上げてください!! 僕が先じゃなくて、一度にお願い!!」

 割れ目の奥から響く陽斗の声に賢弥が応える。

「ゆっくりと引いてくれ!」

「速度を合わせろ! せ~の!」

 賢弥の肩に全ての荷重がかかりロープが食い込む。

「ぐっ!」

 賢弥が全てのロープを肩に掛けているのは真上に引き上げるためだ。そうしないと力が分散してしまうし、何より割れ目からでる瞬間に怪我をしかねない。

 だがその分吊り上げようとしている二人分の荷重が賢弥の右肩に掛かる。

 

 挟まっている生徒が動かないのかロープは一向に手繰り寄せられない。

 桧林達がロープを引くのに合わせて賢弥が腰を落とす。そして、全身の力を使って身体を起こした。

 その瞬間、これまでの抵抗が嘘かと思うほどスルスルとロープが手繰り寄せられ、すぐに陽斗の両足が割れ目からニョキッと出てきた。

 胴体に結びつけたロープを持っていた壮史朗が両足のロープも受け取って支えているうちに二人の男子生徒が走り寄って陽斗の身体を支える。

 そして陽斗が地面に降り立ってからは全員で挟まっていた男子生徒を引き上げた。

 その直後、救急隊員が担架を担いで到着した。

「大丈夫ですか?! 要救護者は?!」

「今救助しました! 搬送をお願いします!」

 桧林が生徒の手首からロープを外しつつ声を張り上げる。

 

 それを聞いた救急隊員が生徒を担架に乗せ、声を掛けながら運んで行く。

 男子生徒は意識こそ朦朧としていたようだが特に目立つ外傷は無さそうに見えた。すぐに病院に運ばれ治療と検査がおこなわれるらしい。

 その後救助に来たものの出番の無かったレスキュー隊員は戻ることなく現場検証を行う。すぐに警察も到着し、遅れて生徒会長の琴乃や雅刀、引率の教師、施設の管理責任者や警備担当者も続々と到着する。

 それをぼんやりと見ながら陽斗は荒い息を吐きながら地面にへたり込んでいた。

「陽斗さん、大丈夫ですか? 怪我などはされていませんか?」

 穂乃香が心配そうに陽斗を覗き込み、頬の小さな擦り傷や泥で汚れた服を払いながらウエットティッシュで汚れを落としてくれる。

 

「だ、大丈夫、です。あの、ありがとう」

 陽斗は慌てて立ち上がろうとして地面に手を着き、わずかに顔を顰めた。

「陽斗さん? っ! 手を見せてください」

 その表情の変化を穂乃香は見逃さず、着いた方の手を見ようとするが陽斗は慌てて両手を後ろに隠して距離を取る。

 が、その手は背後から強い力で持ち上げられてしまった。

「爪が剥がれ掛けてるな。千場せんばを引き上げるときに服を掴んでたな。その時か?」

「け、賢弥くん? こ、このくらいは大丈夫だから」

 掴んだ手を寄せて状態を見た賢弥が眉を顰めると、ワタワタと陽斗がなんでもないアピールをするが当然そんな言葉は聞き入れられることはない。

 

「陽斗さん、とにかく傷口を洗います。それに他にも傷が無いか確認しないといけませんね」

「ロープで縛っていた足首の状態も見た方が良い。武藤か僕が背負った方がよさそうだ」

 陽斗の意見は聞かれることなく、賢弥がヒョイと陽斗を抱え上げる。またもやお姫様抱っこだ。

「あ、あの、僕、歩けるから! 恥ずかしいし」

「喧しい! とにかく治療が先だ。その後は説教だな」

「え? あ、あの」

「そうですわね。こんなに心配させたのですからしっかりと反省していただかないといけませんわ」

 穂乃香の表情もどことなく不機嫌に見える。

「あ~、陽斗くん、仕方ないから大人しく叱られましょう。うん」

 セラにまでトドメをさされて連行されていった。

 

 

 夕方、山の木々の間に太陽が沈みかけた頃、湖畔の広場でバーベキューが始まった。

 結局あれからオリエンテーリングは中止となり、急遽ホテルのホールでのレクリエーションに切り替えられた。

 もともと雨が降ったときのために用意されていたので慌ただしくはあったが特に不満が漏れることもなく終了する。

 生徒が落ちた割れ目は現場検証の結果、地下にある鍾乳洞のような空洞に地面の一部が崩落したことによる陥没らしく、他に同じような場所がないか早急に施設管理の職員によって調べることになったらしい。

 レスキューが到着する前に陽斗が割れ目に潜って救助したことについては少々の注意をされただけでお咎めはなかった。

 というのも落ちた生徒は狭い隙間に胸部が挟まり肺が圧迫されていたらしく、救助が遅れれば呼吸困難で危なかった可能性があったらしい。

 幸い生徒も全身に擦過傷と顔に打撲傷があった程度で大きな怪我は無かったそうだ。念のため大事を取って一日入院することになったらしい。

 

 というわけで、夕食を兼ねたバーベキューは実施されることになり、治療を受けながら賢弥と壮史朗、穂乃香の説教を受けていた陽斗も無事に参加することができた。

 といっても特にすることがあるわけではなく、片足も少し痛めていた陽斗は用意された椅子に座って料理が届けられるのを待っているだけだ。

 普通ならバーベキューといえば参加者が肉や野菜を焼いて賑やかに食べたりするものだが、そこそはそれ黎星学園の行事である。

 万が一にも食中毒を起こしたり火傷などの事故があってはならないので、調理するのはプロの料理人であり、広場に設置されたオープンキッチンの鉄板で焼かれた肉や野菜、パスタ料理やピッツァ、にぎり寿司やデザートなどを各自が取りにいくスタイルになっている。

 屋外であることを除けばビュッフェとさほど変わらない。

 

 ちなみに待っている陽斗のそばには穂乃香が片時も目を離さないとばかりに座っている。

「お待たせ~! いっぱい持ってきたよ」

 やがてセラと賢弥、壮史朗がトレーいっぱいに料理を載せて戻ってきた。

 肉や野菜はバーベキューらしく串に刺されて皿に山盛りである。

 とても5人分とは思えないが賢弥や壮史朗がいるので大丈夫なのだろう。

「あ、ありがとうございます」

「陽斗は身体が小さすぎる。たくさん食え」

 賢弥がぶっきらぼうにそう言うと陽斗はクスリと小さく笑う。

 愛想のない言葉に陽斗に対する優しさが感じられて嬉しかったからだ。

 

 陽斗はホッコリした気持ちで皿に盛られた串に手を伸ばす。

 と、スイッと皿が遠ざけられてしまった。

「え?」

「その手ではちゃんと食べられません。わたくしが食べさせて差し上げます」

 穂乃香がいまだにどこかムスッとした態度で言う。

 実際、今の陽斗は両手の指先がテーピングで巻かれた状態である。

 男子生徒を引き上げる際に服の脇の下の部分を強く握っていたせいで爪が剥がれ掛けたためだ。幸い酷い状態ではないので保護しておけば数日で治るだろうが。

 とはいえ陽斗にとっては怪我のうちにはいらない程度でしかなく、言われるまで気にもしていなかった。

「これくらいなら大丈夫です。痛みもほとんどありませんし。その、食べさせてもらうのは恥ずかしいですし」

「駄目です! 陽斗さんは自分が傷つくのに無頓着のようですから、これは罰です。少しは恥ずかしい思いをして反省してください」

「あぅぅ……はい」

 

 陽斗が大人しく両手を下げるとようやく穂乃香は満足そうな笑みを浮かべた。

「やはり最初はお肉ですか? このまま食べられそうです?」

 そう言って穂乃香が串を手に取り陽斗の口元に差し出すと、陽斗は顔を赤くしながら小さな口でハムっと一番先端に刺さっていた肉に噛みつき、その動きに合わせて穂乃香が串を引っ張った。

「美味しいですか?」

「はい……」

 そんなやり取りを同じテーブルの、少し離れた席から冷めた目で見つめる3人。

「なんかさぁ、四条院さんは陽斗くんの罰とか言ってたけど、自分も見られてるって自覚あるのかなぁ」

「無いだろうな。傍から見るとバカップルがイチャついてるようにしか見えない」

「陽斗は充分恥ずかしそうだがな。まぁ、反省はしてもらわないと困る」

 すぐ側でそんな会話が交わされているとはつゆ知らず、楽しそうな穂乃香と恥ずかしそうな陽斗という奇妙なコントラスト。

 それは不意に掛けられた声によって一時中断することになった。

 

「お食事中ごめんなさい。少しだけよろしいですか?」

 周囲のざわめきと共にやってきたのは生徒会長である琴乃と副会長の雅刀だった。

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