第44話 オリエンテーリング

 ホテルから徒歩で20分ほど離れた湖畔。

 湖と道路を挟んだ山側にある公園の広場に500名以上の学生が集まっている。

 これからこの先にある整備されたコースでオリエンテーリングが行われるからだ。

 競技の内容を考えれば人数が過剰すぎるのだが、あくまでオリエンテーリングの形を借りた交流会なのでコースに人が溢れていようが問題ない。

 むしろ事故や遭難の可能性が低くなるので警備担当の心配も少なくなることだろう。その分体力は使うだろうが。

 コース自体も初心者向けのもので面積もかなり広く、危険な箇所も少ない。

 生徒一人ひとりにGPSを持たせているし、コースを外れそうになれば各所に待機している警備担当者が即座に止めることになっている。

 もちろん万が一の事態に備えて救急車も3台待機しているし、コース入口の詰め所には医師と看護師が配置されているという念の入れようである。

 

 オリエンテーリングの内容は公式競技のものではなく、このイベント用にアレンジされたものだ。

 5~6人でチームを作り、コース内に設定された20箇所のチェックポイントに置かれているポスト(競技に使われる3角柱状の布製フラッグ)に書かれているアルファベットと数字を所定の解答用紙に記入し、ついでにその場所で待っている係員に出された課題をクリアするというものだ。

 中には他のチームと協力しないとクリアできないものも多く、そのことからも順位を競うのではなく交流を進めることが目的なのがわかる。

 所用時間は3時間以上5時間以内で、各自に渡されている弁当を途中で摂ることになっている。もちろん他のチームと一緒に食べても問題ない。

 ただし、チームのメンバーはトイレ以外は必ず一緒に行動しなければならず、トラブルを起こした場合は即座にそのチームは失格&錦小路家令嬢(琴乃)によるお説教が待っている。家柄的にも立場的にも絶対に逆らえない人からの説教は誰しもが避けたいだろう。

 

「さ、西蓮寺は大丈夫、か?」

「……天宮さんこそどうかなさったのですか? 昨夜から何か様子がおかしいですが」

 琴乃による注意事項の伝達とオリエンテーリング開始の合図で生徒達が移動を始める。

 このオリエンテーリングに関しては1年生役員は特に役割を割り振られておらず、他の生徒と同じように参加することになっている。

 チェックポイントで課題を出す役目は2、3年生役員が受け持ち、1年生は交流に参加するためだ。

 1年で役員になると進級してもそのまま役員を務めることが多く、そうなればイベントに参加する機会がなくなってしまうかららしい。

 

 そんなわけで陽斗も穂乃香もオリエンテーリングに参加するわけであるが、当然チームを組むのは陽斗、穂乃香、壮史朗、賢弥、セラの5人だ。

 元々クラス内であれば自由にチームを決めて良いという決まりになっていたこともあり悩む必要も無くいつものメンバーでチームを組むことになった。

 そして壮史朗の態度である

 前日に大浴場で陽斗の傷痕を見てしまった壮史朗と賢弥、雅刀の3人だったが、ある程度の事情を把握していて驚きはしてもすぐに状況を理解した賢弥と、一瞬驚きに目を見開いただけで態度の変わらなかった雅刀だった。

 だが壮史朗はそのあまりに痛々しい傷と火傷に、思わず理由を問いただしてしまった。

 

 なので、陽斗は迷ったものの以前暮らしていた家で虐待を受けていたことと、昨年末に祖父に引き取られたことを話した。

 元々彩音からは信頼できる相手にはある程度話してもかまわないと言われていたし、そもそも傷痕を見られた以上、誤魔化そうとすれば壮史朗との関係まで壊れてしまいかねない。

 陽斗自身が虐待を受けていた過去をそれほど気に病んでいないこともあり、誘拐されていたことと重斗のこと以外はほぼ全て告白したのだ。

 それからしばらく何事かを考え込んでいた壮史朗であったが、夕食の時から陽斗の距離を測りかねているかのように口ごもることが多くなった。

 ただ、避けようとするような様子は無いし、何かを言いたそうな素振りを見せているので単に陽斗のことを気遣うあまり過剰に言葉を選んでいるのだろう。

 いつもの皮肉っぽいツンデレも今のところ鳴りを潜めている。

 

 事情を知らずに訝る穂乃香に、陽斗はお風呂場での一幕を説明する。

 元々壮史朗達に話したからには穂乃香やセラにも話そうと思っていたのだ。穂乃香は陽斗にとってこの学園で最初の友達だし尊敬する人物なのだから除け者にするような真似はしたくない。

「でもそれまでも沢山の人が助けてくれたし、今はお祖父ちゃんに引き取られて幸せだから……フブッ」

 話し終えて、最後に今は充分幸せだと口にした瞬間、陽斗の顔が柔らかいものに包まれる。

 突然目の前が真っ暗になった陽斗が見る事はできないが、穂乃香が身を屈めて陽斗の頭に腕を伸ばしてその胸に抱きしめたのだ。

 

「わたくしは陽斗さんを尊敬いたしますわ。それほど辛い思いをしていながらこれほど人を思いやることができるなんて、わたくしは自分が恥ずかしくてなりません。わたくしが思い悩んでいた事などなんと些細なことなのでしょう。

 それに、これからはわたくしも陽斗さんの力になります。陽斗さんは幸せになるべきです!」

「四条院さ~ん、ちょ~っと周り見てみよう? それに陽斗くん窒息しちゃうわよ?」

 これっぽっちも周囲の状況が目に入っていなかった穂乃香はセラの言葉にふと顔を上げる。

 ただでさえ注目度の高い四条院家のご令嬢である。

 それがこちらもその外見で注目度の高い少年を胸に抱きしめていれば目を引かないわけもなく、まだオリエンテーション開始直後で周囲には大勢の生徒が居たこともあり、数十人が穂乃香達に視線を注いでいた。

 

「あ、あああ、も、申し訳ありません!」

 慌てて陽斗を解放し、真っ赤になった顔のまま距離をとる穂乃香。

 陽斗の方も茹で蛸のように赤くなりながら頭から湯気を出していた。

 幸いというべきか、口と鼻は谷間にあったらしく窒息はしていないようだがその分羞恥心はもの凄い。

 まぁ、見た目は子供でも立派な青少年である。嫌ということはないだろうが。

「とにかくさっさと移動するぞ。視線が鬱陶しい」

 アウアウ言いながら固まったままの陽斗を小脇に抱え上げて賢弥が歩き出す。

 さすがにこのような形で注目されているのは居心地が悪い。

 壮史朗やセラも後に続き、穂乃香も慌てて追っていった。

 

 

 

「本当に申し訳ありませんでした、陽斗さん」

「い、いえ、大丈夫です! その、僕の方こそごめんなさい」

「謝らないでくださいませ。でも、その、苦しくありませんでしたか?」

「そんな、えっと、ちょっといい匂いがして、あ……」

 地図を見ながら方角を確認している賢弥の後ろで互いに頭を下げ合う穂乃香と陽斗。

 セラと壮史朗はそんな彼等を呆れたように見ている。

「な~んだろね、ラブコメ展開に砂糖が口から出てきそう」

「気を使っていたのが馬鹿馬鹿しくなってくるな。僕も色々と考えすぎてたようだ」

 言葉通り胸焼けしていそうな表情のセラとは裏腹に壮史朗の方はどこか自嘲気味に見える。

 おそらくは陽斗の身の上を聞いて考えるところがあったのだろうが、それを口にするつもりはなさそうだ。

 セラもそんな壮史朗に何か言うことはなく、ひとりだけ真面目にオリエンテーリングを進めている賢弥に向かっていった。

 

 しばらくしてようやく落ち着きを取り戻した陽斗達は改めてチェックポイントを目指す。

 市街地と違い、目印の乏しい自然の中は地図を見ても現在地を把握するのが難しい。

 コンパスはあくまで方角を示すだけなので現在地がわからなければ地図など意味が無いのでこういった場所では常に自分が居る位置を地図で確認していなければならない。

 といってもこれも慣れが必要なスキルのひとつなのだが賢弥は難なくこなしているし、壮史朗も時折賢弥の持っている地図を確認しているところを見るとできているようだ。

 陽斗を含め残りのメンバーはさっぱりで、ただ邪魔をしないように二人の後をくっついて歩いているだけである。

 

「後は真っ直ぐ行けば3つ目のチェックポイントが見えてくるはずだ」

「今度の課題は簡単なものに当たればいいんだけどな」

「あはは、さっきの課題は4チーム合同だったしねぇ」

 まだ序盤とはいえチェックポイントで箱に入れられた課題を選び、運次第で難易度が変わるというどこぞのバラエティ番組でありそうなことをしている。

 1つ前のチェックポイントでは20人で一筆書きの文字を書くという、手間と時間ばかり掛かる課題を選んでしまった。

 もっとも、チーム内やチーム同士のコミュニケーションをとるという意味では趣旨に添っているといえるだろうが。

 

「ん?」

 不意に賢弥が右手の茂みに目をやった直後、そこからジャージ姿の男子生徒が一人飛び出してきた。

 だがその様子は勢いよくというよりもっと切羽詰まった雰囲気で、その生徒は賢弥達の顔を見るや悲痛な叫び声を上げる。

「た、大変なんだ! こ、浩二が地面の割れ目に落ちて!」

 賢弥と壮史朗が顔を見合わせる。

「割れ目? どういうことだ?」

「知らないよ! 茂みを突っ切って歩いてたら急に浩二の姿が見えなくなって、地面に割れ目があって、動けなくて……」

 

「場所は? 近いですか?」

 咄嗟に理解できなかった賢弥と壮史朗よりも早く陽斗がへたり込んだ生徒に向かって尋ねる。

「あ、あっちの方で、た、多分500メートルくらい離れてる。今は伸一達がいるはずで、その……」

「賢弥くん、地図でわかる?」

「ちょっと待て、この辺だな。セラ! チェックポイントに行って生徒会の連中に伝えてくれ」

「わかった!」

「わ、わたくしは電話で救助要請を出しますわ」

「僕らは状況を確認しよう。多田宮、案内しろ!」

「う、うん」

 方向性の切っ掛けさえあれば彼等は並の高校生ではない。

 すぐにするべき役割分担をして動き出す。

 

 多田宮という生徒の先導で走り出した陽斗達。

 この生徒が来るまでに余程慌てていたのか下生えや茂みが踏み荒らされているので場所は間違えようもなく、ほどなく地面に向かって呼びかけている男子生徒と青い顔で立ち尽くしている3人の女子生徒の姿が見えた。

 到着すると賢弥がすぐさま数メートル離れた下生えのない剥き出しの地面に無公害発煙筒を置いて点火する。救助の場所を教えるためだ。

 その間に壮史朗がしゃがみ込んで呼びかけしている生徒のところに行く。

 そこにあったのは幅30センチ長さが1メートル程の割れ目であり、周囲に膝丈くらいの草が茂っていてパッと見ただけでは割れ目に気付かないだろう。

 壮史朗がスマートフォンのライトを点灯させて覗き込むと、地表から10数センチ下で少し幅が広くなっていて深さはそれなりにありそうに見える。

 そしてそこに落ちた浩二と呼ばれている生徒は地表から2メートルほどの深さにバンザイする姿勢で挟まれているようだ。

 

「おい! 大丈夫か!」

 壮史朗が呼びかけても反応はない。だが時折動く手と呻くような声が聞こえることから完全に意識を失っているわけではないようだ。

 ただ、上から手を伸ばしても到底届きそうにないし、ロープを垂らしてもこの様子では掴むことは無理だろう。

「周りを掘ることはできそうか?」

「……無理だ。土じゃなくて岩の割れ目みたいだ。僕たちじゃどうしようもない。幅が狭すぎて入ることもできない」

 賢弥と壮史朗が難しい顔をする。

 だがこの状態ではたとえレスキュー隊が来たとしても難しいだろう。

 人が挟まれている以上重機を使うわけにはいかず、周囲の岩を砕きながら地道に掘るしか方法がない。

 

「賢弥くん、ロープあるよね?」

「あ? ああ、それぞれのチームに配られた分があるが」

「西蓮寺、どうするつもりだ? まさか」

「この幅だと賢弥くん達は無理でも僕なら多分潜れるよ。その、ちっちゃいから」

 同じように割れ目を覗き込んでいた陽斗の言葉に眉を寄せる賢弥と壮史朗。

 確かに30センチ程度の幅しかなくても陽斗くらい小柄で厚みが薄ければ入れそうではある。

「き、危険ですわ!」

「でも血も出てるみたいだし、時間が掛かったらもしかしたら間に合わなくなっちゃうかもしれない。それに僕は1年生の責任者なんだから僕ができることはしたいんだ。

 僕が潜って彼の腕にロープを巻き付けるから引っ張りあげてくれる?」

 

「……危険すぎる。それに入る時も逆さまにならなきゃいけない。そんな状態でロープを結べるのか?」

「多分大丈夫。前に何度か1時間くらい逆さまに吊されたことあるけど30分くらいなら意識もちゃんとしてたし」

「基準がおかしすぎるだろ!」

「お願い! 挟まれてる人がどんな状態かわからないし、もしかしたら頭を打ってたり怪我してるかもしれない。無理はしないから!」

「陽斗さん……」

 真剣な目で見つめる陽斗に険しい目を向けていた賢弥だったが、しばらく睨み合った末に溜息と舌打ちで応じることになった。

 

「一回だけ、それも10分以内だ。失敗したらレスキューが到着するのを待つ」

「おい、武藤!」

「武藤さん!!」

 忌々しげに妥協案を出す賢弥に壮史朗と穂乃香が詰め寄る。

「こんなナリでも頑固だぞ、陽斗は。何とかして助けたいのは俺も同じだ。だったら一回だけ試すしかないだろう。

 だが2次災害は御免だからな。腰と左右の足それぞれにロープを縛り付ける。危ないと思ったらすぐに引き上げるからな」

「うんっ!!」


 

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