第29話 虐めと護衛と

 陽斗が黎星学園に入学してはや1週間。

 うららかな春の日差しの降り注ぐ中、陽斗はゴミ袋を片手に校舎の外でゴミ拾いをしていた。

 本来ならば昼休み後の授業時間ではあるが、小さな身体で一生懸命にゴミを探している。

 とはいえ、これは別に罰を受けたわけでも同級生に押し付けられたわけでもなく、周囲には同じようにゴミ袋を持っていたり箒を持っていたりする生徒が幾人もいた。

 

 この学校では月に一度、生徒による校内清掃が行われており今日がその日なのだ。

 資産家の子女が数多く在籍する私立学校であり高額な学費と毎年多額の寄付を受けていることもあって黎星学園の資金は潤沢である。

 当然校内は毎日隅々まで業者によって清潔に保たれ整えられている。

 だから本来は生徒による清掃など必要ではないのだが、『清掃を生徒自身が行うことによりその苦労をの一端をわずかでも知ること』『清掃を通じて様々な事に“気付く”ことのできる視野を身につける』など人材育成の一環として行われているのだ。

 ただ、プロの業者が常に綺麗に清掃を行っているし、在籍している生徒にも校内を汚したり、ゴミをその辺に捨てたりするような“下品な”行動をする者はほとんど居ないため手にしたゴミ袋の中がいっぱいになるようなことは無く、生徒が集めたゴミを全て集めてもスーパーのレジ袋一つ分にもならない。

 なので、清掃しつつ半ば以上交流の時間となっていたりするのだ。

 

 陽斗といえば、そんなことは知るはずもなくほとんど残っていないゴミを探してあちこちをチョロチョロと小動物の如く動き回っていた。

「は、陽斗さん、ご一緒に中庭の清掃に行きません?」

「陽斗さん、校舎内の窓の点検をしなければいけないのですけれど手伝って頂けますか?」

「陽斗君、植え込みの雑草を抜くんだけど一緒にやろうよ」

 そんな彼が近くを通るたびにあちこちから声が掛けられる。

 ほとんどは同じクラスの生徒達だが違うクラスの人も少ないが居る。

 

 入学して1週間、陽斗は最初の決意通り友達を作るため陽斗なりに積極的にクラスメイトと話をした。

 ほとんど初対面の状態でいきなり話しかけることは難しかったが。最初は穂乃香が友人を紹介してくれ、次いでその友人達が別の友人を紹介するという、『友達の友達は皆友達だ』的な形で交流を広げている。

 元々小学生と変わらない見た目で言葉遣いも丁寧な陽斗は男女問わず警戒心を持たれることが少ない。その上恥ずかしいのを堪えて頑張って話しかける様子は見ている者に思わず優しくしなければならないと感じさせるには充分だったようで、今ではそれなりにクラスに溶け込んだ、というか、可愛がられている。

 もっともその扱いはどちらかというとペットショップで仔犬を愛でるのに近いが。

 

 ただ、それでもやはりそれを面白く思わない人物も中には居る。

 ちなみに面白く思っていない人の中には実は穂乃香も含まれている。といってもその理由は一番先に友人になり、一番頼ってくれていると思っていた陽斗がどんどん他の人とも仲良くなっていくのがなんとはなしに不満なだけなのだが。

 そんな穂乃香は置いておくとして、単純に陽斗のことが気に入らないと思っているのが入学初日に陽斗に対して嘲るような言葉を投げかけていた男子達だった。

 彼等は手に箒を持ってはいるものの掃除などする様子はなく、遠目に陽斗を睨み付けながら舌打ちする。

「チッ! 外部進学の貧乏人が調子に乗ってチョロチョロと」

「他の連中はあの小学生みたいな見た目に惑わされてるんだろう」

「今はみんなも物珍しさで近づいてるだけだよ。中等部からこの学園に来れないような貧乏人なんてすぐ飽きられるさ」

 

 中等部から内部進学した彼等は自分達が黎星学園の生徒であることに誇りを持っている。

 もちろんそのこと自体は悪いことではないのだが、それがどういうわけか名家や名士、日本を代表するような実業家や資産家の子女が数多く在籍する黎星学園に入学した自分達は“選ばれた特別な存在”であるという認識にいたり、結果として彼等の基準で『学園に相応しくない』と感じた生徒を見下すようになってしまっているのだった。

 そんな彼等から見たら外部進学者であり良家の子女としての雰囲気を持たない陽斗は考えるまでもなく『相応しくない』生徒である。

 ところがそんな彼等の考えとは裏腹に、彼等基準で『最も黎星学園に相応しい』一人である四条院家の令嬢、穂乃香は最初から友好的に接し、他の生徒も陽斗とすぐに打ち解けて今では親しげに笑いあっている。

 当然面白いはずがないし認められるはずがないのだ。

 初日に同じく『相応しい』家柄の天宮壮史朗に言われた言葉は何一つ彼等の心に入っていかなかったということだ。

 

「身の程も弁えずに大きな顔をするような奴には早めに警告しておいたほうが良いと思わないか?」

「……それもそうだな」

「僕も異存はないけど、どうするんだ? アイツの周りにはいつも穂乃香嬢やあの都津葉セラとかいう女がいるし、問題起こしたらさすがにまずいよ」

「何言ってんだよ、ちょうど今アイツは一人だぞ。他に人がいない場所に連れて行けばいいさ」

 そう言って男子達は陽斗に近づいていった。

 

 

「わぁ~、こんな場所もあったんですね。あ、ホントだ結構ゴミがある」

 陽斗を嫌っている男子生徒達に「こっちにゴミが沢山あるから拾うのを手伝ってくれ」と声を掛けられた陽斗は大人しく案内される場所に着いていった。

 陽斗自身、彼等から好かれていないというのは感じてはいたが、中学の同級生だった藤堂達のように所構わずいきなり暴力を振るわれたわけではないので切っ掛けさえあれば仲良くしたいと思っていたのだ。

 だから(一緒に掃除して友達になれたらいいな)などとお気楽に考えながら男子達の誘いを受ける事にした。

 

 場所は陽斗達のクラスが担当していた場所から少し離れたグラウンド倉庫のある一角である。

 高さはそれほど無いが横に広い倉庫の裏手は他の場所のような壁ではなく、幅7~8センチ間隔で格子のはまったフェンスで仕切られていて、その向こう側は川が流れている。

 格子のフェンスであることと風が通りやすい方角のせいか、確かに風で飛ばされてきたと思われるゴミがそこここに散らばっている。

 陽斗は持ち前の生真面目さで早速フェンス近くの地面にしゃがんでゴミを拾い始めた。

 ゴミを前にして当初の目的でもあった『友達に……』が頭からスルッと抜けてしまったのだ。

 

 ただ、そうなると間抜けなのは連れ込んだ男子達である。

 3人で陽斗を囲んで責め立ててやろうとこんな人気の無い場所に連れてきたのに到着した途端、件の少年は彼等をスルーしてお仕事を始めてしまった。

 切っ掛けを失ってしまったために呆然とゴミ拾いをする陽斗の背中を眺めるだけになっている。

 だが何とか我に返った生徒の一人、最初に陽斗にちょっかいをかけようと提案した男子が声を上げる。

 

「おい、貧乏人!」

 いきなり背後から響いた裏返り気味の大声に陽斗が振り返る。

「え? あ、もしかしてゴミ袋持ってないの? それじゃこれを使ってくれる? 僕念のためもう一つ持ってきてるから」

 呼ばれた理由など知るよしもなく、男子達の手にゴミ袋が無いことを見た陽斗は邪気のない笑顔で手に持っていた袋を差し出し、ポケットからくしゃくしゃになったビニール袋を引っ張りだす。

 あまりに自然に渡されたので一人が思わずゴミ袋を受け取ってしまう。

 声を上げた男子はそれを横からむしり取って地面に叩き付けた。

 まぁ中身が大して入っていない上に風で飛ばされてきたような軽いゴミばかりなのでパサッという軽い音しかせず迫力は皆無だ。

 

「ゴミなんてどうでもいいんだ! 貴様ぁ俺達を馬鹿にするのもいいかげんにしろ!」

 その怒鳴り声に陽斗はコテンと首を傾ける。

 言われた意味がまったく分からなかったからだ。

 それは当たり前の事で、陽斗に彼等を馬鹿にする意図などあるわけがないし、そもそも掃除を手伝ってくれと頼まれたのだ。

 とはいえ陽斗は別に馬鹿ではないし鈍いわけでもない。人からの好意に関しては鈍いところはあるが、それはまぁ育ちからして無理もないだろう。

 とにかく男子達が自分に、理由は分からないまでも敵意を持っていることは分かった。

 

 陽斗の脳裏に嫌な記憶が蘇る。

 小学校、中学校と陽斗(当時は達也)の境遇を蔑み幾人もの同級生や上級生が彼を執拗に虐めてきた。

 学校内で味方してくれる人は数少なく、教師ですらほとんど見て見ぬ振りをしていた。

 環境は変わった。憧れていた高校生活も始まり、素敵な友達も出来た。

 それでもやはり自分は虐げられるのか。

 そう思って一瞬にして浮き立った気分が凍りつき、自分の身体を両手で抱くように身を固くする。

 

「この学園は貴様のような貧乏人が来ていい所じゃないんだ! 身の程を弁えろ!」

「そ、そうだ! 穂乃香嬢と親しくしたからといって調子に乗るんじゃない!」

「さっさとこの学校を辞めろ!」

 陽斗の怯えた様子を見て調子づいた男子達が口々に罵る。

 そして、勢いづいた一人が陽斗を蹴り飛ばそうと足を振り上げる。

 が、次の瞬間、軸足が地面から離れ、ひっくり返った。

「うわっ?! 痛ぁっ!」

「な?!」

「え?!」

 

 驚く3人の男子から遮るように陽斗の前に別の影が立ちふさがる。

 同じく驚いた陽斗の目に映ったのは見上げるような大きな背中だった。

「……何ともないか?」

「え? あ、はい。……武、藤、くん?」

 少しだけ首を回して横目で陽斗を見ながら問いかけたのは入学式の日にセラから紹介された武藤賢弥けんやだ。

「……遅くなった」

 一言だけボソリと言うと、賢弥は3人に向き直る。

 

「何をしていた?」

 賢弥がジロリと睥睨すると気圧されたように3人は一歩後ずさる。

「む、武藤? 何で君が」

「き、君には関係ないだろう」

「僕たちはコイツに話があっただけで……」

 焦ったように口々に言い訳じみたことを口にする。

 だが陽斗に対するようなさっきまでの勢いはどこへやら、その口調はしどろもどろだ。

 

 それもそのはず、3人とも別に背は低いほうではないが高校一年生男子の平均身長をわずかに超える程度で体格も並。

 それに対し賢弥の身長は既に180センチを優に超え、ガッシリと鍛え上げられた体躯の偉丈夫だ。

 一回り以上体格が違うので威圧感が比較にならない。

「話、か? 3人で1人を取り囲んで貧乏人と罵った挙げ句、暴力を振るおうとしてか?」

 低い声で威嚇するかのようにゆっくりと聞き返す賢弥。

 

「そ、それは……」

「うっ……」

「…………」

 返す言葉を失い目を逸らす男子生徒。

「偉そうな口を利く割には、やることは集団で1人を口汚く罵ることか。情けないにもほどがあるな。

 それから、何か勘違いしているようだが、外部からの入学には資産調査も含まれている。在校生との経済格差が大きいと学園に馴染むことが難しいという理由らしいがな。

 だからそもそもお前達の言うような『貧乏人』が外部進学で入学できるわけがない」

 

「…………」

 彼等もそのこと自体は聞いたことがあった。

 だがこの学園に在籍しているという優越感と、学園内には自分達とは比較にならない程の名家の子女が数多く在籍しているという劣等感の狭間で少しでも下の人間を蔑むことで精神の安寧を図っている部分があった。

 だからある意味外部入学者というのは格好のターゲットだったのだろう。

 それを冷徹に指摘され、男子達は悔しげに黙り込む。

「わかったらとっとと失せろ。今度また西蓮寺にちょっかいかけたら今度こそ然るべき対処をする」

 賢弥がそう言って一歩前に出ると、3人は慌てて逃げるように立ち去っていった。

 

「あ、あの、ありがとうございました」

 しばらく逃げ去る男子達の背中を睨み付けていた賢弥が陽斗を振り返ると、陽斗はピョコリと頭を下げてお礼を言う。

「いや、連中が西蓮寺をここに連れてきたのを見かけたがどうするつもりなのか分からなかったから様子を見ていた。助けるのが遅くなって悪かった」

 初対面の時から変わらぬ仏頂面のまま言う賢弥に、陽斗はブンブンと首を振る。

「いえ、助かりました。えっと武藤くん…」

「賢弥でいい」

「あ、はい、賢弥くん、僕のことも陽斗で良いです。えっと、どうして僕を?」

 

「……うちの父親は陽斗の爺さんの知り合いでな。この学校に入学が決まったときに、学校内で何かあったら陽斗を助けるように頼まれた。護衛の人間は校内に入れないからな。護衛代わりってことらしい。

 ただ、言っておくがだからといって助けたのは別に頼まれたからじゃない。いくら親父に言われたからって気に入らない奴を助けるほどお人好しじゃないからな。今回もたまたま目に入っただけだ。いつでも助けてもらえると思ってもらったら困る」

 ぶっきらぼうで突き放したような言い方だが、どこか情を感じさせるものが含まれているように陽斗は感じていた。

 

 陽斗の心が虐げられる悲しみから再び温かさに満たされるのを余所に、賢弥はその大きな身体を屈めて男子達が叩き付けたことで散らばってしまったゴミを集め始める。

「あ、ありがとう!」

 陽斗も慌ててしゃがんでゴミを袋に戻し始めた。

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