第20話 誕生日

 とある大学。

 その中にある応接室で重斗と彩音の対面で深々と頭を下げているのはこの大学の学長と3人の教授だ。

「皇様にはいつもご支援いただき感謝のしようもありません」

 大学内では最高権力者である学長やベテランの教授陣が、まさに三拝九拝といった様子で米つきバッタのように何度も頭を下げている。

 とはいえこれも無理はないことだ。

 

 大学の運営というのは基本的に学生が支払う入学金や授業料、国や自治体からの補助金が収入の大部分を占める。

 余程の人気大学でもない限り入学試験手数料などで得られる収入は微々たるものだし、運営に四苦八苦している大学がほとんどだ。

 そのためどこの大学でも特定の分野に特化して実績を出したり、スポーツの大会などで知名度を上げるなどの取り組みをおこなっている。

 その他にも民間企業と協力して研究開発をおこなったりして実績を積み上げている場合も少なくない。

 

 ただ、基礎研究や学術研究は費用対効果の数値化が難しく、成果が出るまでにも時間が掛かる上に直接的に利益に繋がるとは限らないことから営利企業の支援はほとんど受ける事ができない。

 それでもその分野を疎かにすれば当然応用研究もいずれは衰退し、技術自体が海外に依存しなければならなくなってしまう。

 そこで重斗は複数の大学の研究に対して篤志家として毎年多額の資金を提供しているのである。

 それも採算も将来的な回収も関係なく、重要と思われる研究に対して惜しみなく寄付を続けているのだ。無論研究成果に関しては弁護士である彩音がぬかりなく正式な契約を結んでいるのだが。

 この大学でも地質理論や植物の遺伝子研究などの分野の研究に資金を提供している。

 

「念のため言っておくが、助手や研究員への手当もしっかりとしておくように。どれだけ優秀でも食えなければ研究どころではなくなるからな。

 これ以上優秀な研究者が海外に流出してしまってはこの国の技術はあっという間に衰退してしまうぞ」

「は、はい。承知しております。研究員の待遇改善も進めておりますし、院生への研究支援手当も行う予定です」

 学長の言葉に満足そうに頷くと、重斗はソファーから立ち上がる。

 

「あ、あの、皇様、もしこの後お時間があれば一緒にお食事でもいかがでしょうか。

 先日院生が教えてくれた居酒屋なのですが、鶏料理がとても美味しいところで」

 教授のひとりがそういって重斗を誘う。

 大学の支援者、特に桁外れの資産家へ紹介するにはあまりに庶民的な店だが、以前別の大学が重斗を接待しようと高級料亭へ誘ったところ『支援を受けようという者が無駄に金をかけるとは何事だ』と逆に怒りを買うこととなった。

 身を削って手弁当で研究に打ち込んでいる研究者のために金を使うわけでもなく、金を引き出すために高価な接待をしようとする心根を叱りつけたのだ。

 内外に多大な影響力を持つ重斗に関する事柄である。その話は瞬く間に広まり、以来重斗を誘うのはそういった誠意を感じさせつつも負担の少ない方法を執るようになっている。以前にはとある大学の研究が実を結んだ時に大学内の食堂で研究員やその家族の手料理を持ち寄っておこなった慰労会に重斗を招待し、大層機嫌良く応じたという事もあったほどだ。

 

「せっかくの気遣いだが、生憎この後は予定があってな。申し訳ないがまたの機会にさせていただこう。

 ……今日は孫の誕生日なのでな」

 自分の影響力を熟知している重斗である。

 断った後に教授が困った立場にならないように一言言い添える。

 死んだと思われていた孫が見つかり保護されたというのはすでに一部で噂として広まっており、重斗もそれを認めるような言動をしている。

 だからそれを聞いて誘った教授も胸をなで下ろしていた。

 かように皇重斗という人物は篤志家として多方面から感謝されると同時に恐れられてもいるのだった。

 

 

 

 

 朝の格闘技訓練(と陽斗は思っている)を終え、メイドの女性に連れられて自室に戻った陽斗は寝室の奥に設置されているシャワーで汗を流した。

 お風呂にすら滅多に入る事ができずに普段は濡らしたタオルで身体を拭いていたので朝にシャワーを浴びるということが途轍もなく贅沢に感じられてならない陽斗であったが、そこはそれ、やはり思春期の少年である。

 若くて綺麗なメイドさんが沢山働いているこの家で汗臭いと思われたくないという気持ちもあって恐る恐るという様子ながら最近では運動の後はシャワーを浴びることにしている。

 

 もちろん屋敷内の浴場は掃除の時間を除いていつでも入る事ができるように準備されているのだが、やはりどこの旅館だとツッコミたくなるような大きな風呂に朝から入るのは平均よりもかなり下の生活が長かった陽斗としては落ち着かないのだ。

 もっとも、体質なのか陽斗は体臭が薄くて、どういうわけかまるで赤ちゃんのように汗をかいてもミルクのような香りがするという。

 なので、むしろそのままの方がメイド達が喜ぶのではあるが、まぁそれは置いておく。

 

 その後は重斗と一緒に朝食を摂り、高校入学に備えて主要学科の復習と高校1年生用の参考書を使った予習をするために午前中は机に向かう。

 多くの学生にとっては苦行のような時間かも知れないが、陽斗にとっては来る高校生活に夢を馳せる時間でもある。

 それが終わると昼食を摂るのだが、重斗がいないときは陽斗の希望で数人のメイドや執事達と一緒に食べる。

 やはり陽斗にとってはメイド達に傅かれながらひとりで食事をするのは落ち着かないからで、重斗と彩音、メイド長の比佐子、執事頭の和田に相談してローテーションが組まれることになった。

 余談だが厨房担当と警備担当、施設担当の使用人達からは『差別だ!』と改善を求める声が上がっているらしいがメイド達は譲歩する姿勢を頑として見せないらしい。

 

 午後になると庭を散策したり本を読んだりして過ごす。

 ただ、仕事や家事をすることが当たり前の生活が長かったため、そのようにのんびりと過ごすのが落ち着かず、メイド達の仕事を手伝おうとしたり、メイド達の目を盗んで掃除を始めたりして騒動になったりする。

 そんな日々の中で、この日はどことなく屋敷内がソワソワしている感じがして陽斗は首を捻った。

 別に慌ただしいというわけではないのだが、いつもよりもメイドや執事の人達の動きが忙しなく感じられて、気になって聞いてみても明確な答えは返ってこなかった。

 奇妙な感じは受けたものの陽斗が不安に感じるような事があったわけでもなく、メイド達の態度もいつも通り優しいものであったので、結局気にしない事にして書斎でシリーズもののライトノベルを読んで過ごす事にした。

 

 そして、すっかり暗くなった午後7時。

 いつもの時間に食事に呼ばれた陽斗は、専属メイドの湊に促されて食堂に向かう。

 食堂の扉を開け、中を見た途端、陽斗は驚いて固まってしまった。

 

 まず目に飛び込んできたのは壁に大きく描かれた『誕生日おめでとう!』の文字。

 そして10人が優にかけられるほどのテーブルの真ん中に置かれたウエディングケーキか? と言いたくなるほど巨大なケーキ。

 クリスマスパーティーの時を上回るほどの多種多様な料理やデザートの数々。

 どう考えてもやり過ぎである。

「え? あの、え?」

 陽斗の顔に浮かぶのは喜びよりも困惑、である。

 ただその理由はしっかりと皆が理解していた。

 

「陽斗、まだあまりピンと来ていないかもしれんが、今日はお前の誕生日だ。

 まぁ、これから先毎年祝うのだが、最初くらいは賑やかにと思ってな。驚いただろう?」

 重斗が陽斗に歩み寄って背中を押しながら席へと誘いつつ簡単に説明する。

 陽斗はつい3ヶ月前まで“井上達也”と名乗り、当然誕生日も別の日だと思っていた。

 この屋敷に来て本当の名前や誕生日を知ることになったのだが、日頃から呼ばれる名前はともかく誕生日は幾度か書類を記入する際に書いたりしてはいるものの今ひとつ自分のものだという実感が無く、今日がその日だということも頭に残っていなかったのである。

 これまで誕生日(だと思っていた日)は職場の大人達が当時の親(と思っていた)にバレないように気をつけながら食事に連れて行ってくれたり、隠せるようなほんの小さなプレゼントをくれたりしたが、こうして憚ることなく盛大に祝われることなど初めてだった。

 

 そのことを思い出し、改めてケーキや料理、壁に飾られた祝いの言葉を見た陽斗は喜びと気恥ずかしさで複雑な表情をしながら文字通りお誕生日席に座る。

 

『Happy Birthday to you♪

 Happy Birthday to you♪

 Happy Birthday dear 陽斗~♪

 Happy Birthday to you♪』

 

 直後、重斗とその場に居た使用人達全員の大合唱。

 そのあいだ呆気にとられたかのようにポカンとした顔でキョロキョロした陽斗だが、歌の後に響いた拍手が止むとその目が見る見る潤みポロポロと涙がこぼれ落ちた。

「! …………ぐぇ?!」

 突然泣き出した陽斗に驚いて駆け寄ろうとした重斗を、涙の理由を察していた彩音が襟の後ろを引っ掴んで止める。

 雇用主に対して使用人がすることとは思えない暴挙に、首が絞まった重斗が奇妙な呻き声を上げ、直後に彩音を睨み付ける。

 が、彩音はそっぽ向いてそしらぬ顔を決め込む。とはいえさすがにヤバイと思ってはいるのか頬を冷や汗が伝っていたりするが。

 

「あ、あり、がと、ござい……」

 掠れた声で途切れ途切れに言う陽斗。

 この家に来てから何度こうして嬉しさと感激の涙を流しただろうか。

 この先どんな辛いことがあったとしても、この3ヶ月間の喜びがあれば大丈夫だとすら思えた。

 もっとも、当然の事ながら重斗や使用人達はこの先もずっと陽斗に辛い思いを絶対にさせてなるものかと考えているのだが。

 

 しばらく時間を置いてようやく落ち着いた陽斗が輝くような笑顔を見せ、幾人かの使用人がちょっと人に見せられないような顔をしていたが、それは割愛する。

 それから陽斗はケーキに立てられた蝋燭を吹き消したり、使用人達から誕生日プレゼントを貰ったりしつつ存分に料理を満喫した。

 そして、終始夢を見ているかのようなフワフワとした気持ちのまま眠りについたのだった。

 

 ちなみに、重斗の用意しようとしたプレゼントは全て和田と比佐子と彩音に却下され、今回もなにも贈ることができなかったことを大層愚痴っていたとか。

 

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