第21話 卒業式
春は出会いと別れの季節である。
そして、多くは別れが先に来る。
典型的なのが卒業と入学だろう。
日本全国、どこでも見られる光景。
九州地方のとある地方都市でもそれは同じである。
3月の半ば過ぎ。
まだまだ朝晩は寒いが昼間は割と暖かい日が多くなってきている。
桜が満開になるにはまだもう少し待たなければならないが、それでも気の早い花がチラホラと咲いているのが見える。
「若菜、おはよぉ!」
「あ、おはよ」
中学校の通学路では生徒達が挨拶を交わす声が響いている。
この時期になると公立高校の入試も終わり、ほとんどの生徒の進路が決まっているので道を行く生徒達の表情も明るい。
そんな中で、少し憂い気味で歩く少女に、ボーイッシュで元気な別の少女がじゃれついている。
「卒業式なのに、若菜元気ないよぉ? やっぱりぃ」
「な、何よ!」
「井上君、結局3学期一度も来なかったよねぇ」
「そ、そうね」
ニヤニヤ顔を向ける友人から顔を背ける若菜と呼ばれた少女。
「でも、卒業式には来るって話じゃん。久しぶりに会えるっしょ」
「うん。そうだと良いけど」
「あ~! やっぱり!」
「ち、違うって! 私はお礼が言いたいだけで」
年頃の少女の会話というのはどこでもそれほど変わりはないようで、やはり色恋沙汰が人気の中心なのであろう。
からかう友人に恥ずかしそうに反論する若菜。
彼女たちの頭にあるのは2学期の終了式の日から学校に来なくなってしまった同級生のことだ。
「まぁそういうことにしときましょ! わっ?! すっごい車! あれってリムジンってやつじゃない? って、え?! わ、若菜! あれ、井上君じゃない?」
「え? えぇ!? うそ!」
中学校の校門前。
“○○年度 卒業式”の看板が飾ってあるド真ん前に真っ白なリムジンが停まり、中から1人の小柄な少年が降りる。
それを見て友人の少女と若菜が思わず声を上げた。
少年もすぐにそれに気付く。
「あ、宮森さん、大林さんも、おはよう!」
「あ、えっと、お、おはよう」
「井上君、だよね? 凄い凄い! 全然イメージ違うじゃん!」
若菜は呆然と、大森は目をキラキラと輝かせながら陽斗に詰め寄っている。
2人が驚いた陽斗はといえば、別に背が高くなったわけでも体格が良くなったわけでもない。
ただ、ボロ布のようだった学生服は綺麗で身体にあったスッキリとしたものになっているし、斬バラだった髪はカットされ、ふんわりとボリュームと軽さを兼ね備えた今風のスタイルになっている。
やせ細っていた身体はほんの少しふっくらとして肌つやも血色も良くなっているし、何よりも、表情が明るく、充実感に満ちているように見える。
だから全体を見たときには見違えるような印象を与えていた。
陽斗は若菜を正面から見据えると、ニッコリと笑みを浮かべて頭を下げた。
「宮森さん、僕ずっと宮森さんにお礼が言いたかったんだ。入学してから3年間、僕を庇ってくれたり、助けてくれたりしてくれて、本当にありがとう。僕はそのおかげで学校を嫌いにならずに通うことが出来た。一杯迷惑も掛けちゃったけど、その、僕は宮森さんと会えて嬉しかった」
「え、あ、あの、わ、わたしのほうこそ、その」
ずっと心配して、気に掛けていた男の子からの真っ直ぐな言葉に、若菜の顔は真っ赤になり、言葉もしどろもどろだ。
言いたいことは沢山あるし、お礼だって言いたいのに言葉が出なくなってしまう。
そんな見ている方からしたら背中がムズムズするような空気を壊したのは無粋なチャイムの音だった。
「ヤバッ、若菜、そろそろ行かなきゃ! 井上君も一緒に行こうよ! 歩きながらだったらもう少し話せるし」
そういって若菜を引っぱりつつ歩き出す大森。
頭がポーッとしてしまっていた若菜もホッとしたような残念だったような複雑な気分で後に続く。
陽斗は歩きながら名前が西蓮寺陽斗に変わったことや高校を受験して合格したこと、一緒に住むことになった祖父のことなどを話していった。
若菜達が教室に入ると、やはり陽斗の変わりように教室が騒然となる。
ただ、若菜達と違い、以前までクラスメイトは陽斗を遠巻きにしてかかわろうとしてこなかった、つまり消極的に虐めに加担していたのでそれを聞くことは出来ないようだった。
陽斗の机はそのままになっていたので無事に席に着き、まだまだ話し足りなそうな大森さんと若菜はチラチラと陽斗に視線を投げかけながらも席に着く。
本鈴がなり1分ほどで担任の赤石先生が教室に入ってくる。
そして陽斗の姿を見るなりもの凄い勢いで駆け寄る。
「井上く~ん! ありがと~!!」
勢いのまま赤石先生は陽斗を抱きしめた。それもギュウ~っと。
陽斗の顔は赤石先生のやや控えめな胸に埋まる。当然陽斗の登場を超える大騒ぎだ。臨時とはいえ男女問わず人気のある先生である。当然男子からは嫉妬の混じった、女子からは黄色い悲鳴が響くのだが、少しするとあっさり収まった。
見違えたとはいえ、相変わらず陽斗の外見は小学生にしか見えず、抱きしめられたといってもそこに色気が感じられなかったからである。
もっとも、そうは見えない生徒も中には居るようで、
「せ、先生! 男子生徒に抱きつくのは!」
若菜が席を離れて赤石先生と陽斗を引きはがした。
「あ、あははは、ご、ごめんなさい! つい嬉しくて。井上君、あ、今は西蓮寺、陽斗君、だったわよね? いきなりごめんね。それと、西蓮寺君のおかげで、なんと! 先生も県内の私立中学に本採用が決まったの!」
そんなことをいわれても陽斗としては心当たりがないので反応のしようがない。
ただ、今年度いっぱいで臨時教諭としての期間が終わるというのは聞いていたので、本採用に喜んでいる赤石先生に対して祝福の言葉を届ける。
「あ、あの、おめでとうございます」
「先生、井上のおかげって、どういうことっすか?」
「あ……」
本当は言っちゃいけなかったのだろう、しまったという顔をした赤石先生は、誤魔化すことを選択する。
「あ、あーっ! えっと、そ、その話はまた今度ね! と、とにかく、皆さん卒業おめでとうございます! これから体育館に移動します! 騒がず、走らず、整然と移動してくださいね。そ、それじゃ、先生は先に行ってますから!!」
また今度もなにも、今日でみんな卒業である。
あまりに雑な誤魔化しにそれ以上聞くことも出来ず、教室を飛び出していく赤石先生を見送り、生徒達は顔を見合わせながら仕方なく席を立って体育館に向かっていった。
一方、衝動的に赤石先生と陽斗を引きはがした若菜は盛大に大森にからかわれていた。
彼女自身どうしてそういう行動に出たのかわかっていない。
ただ、陽斗に対して素直にお礼が言えることに対しての嫉妬があるのだけは自覚している。
彼女もまた、陽斗にお礼を言わなければと思っていた。
数週間前、彼女は仕事から帰ってきた父親に突然もの凄く褒められ、感謝されたのだ。
話を聞くと、父親が経営する工場、町工場に毛が生えた程度の、従業員も30人程度の小さな工場だが、そこに大手自動車メーカーから契約の話を持ちかけられたらしい。しかも大口で、継続的なもので、条件も破格の提示があったそうだ。
父親の工場では主に特殊な金属の加工をおこなっていて、確かに自動車部品のメーカーとの取引はこれまでもあった。だが、本体メーカーとは取引していないし、大手自動車メーカーとの直接取引などそう簡単に結べるものではない。
それが、突然の、しかも先方からの『是非に』という契約。
契約を締結するに際して訪問したメーカーの本社で思い切って理由を尋ねたところ、
『社長の娘さんは何の非もなく虐められていた同級生を男子生徒、それも身内に権力者がいるような生徒から幾度となく庇ったと伺いました。
聞けばその娘さんは品行方正で誰にでも優しく、勇気もある素晴らしいお子さんだとか。それほどきちんとした子供を育てられた方が経営する会社ならば、我が社の要求する品質の部品をしっかりと作ってもらえると思ったのです。
それに、実はその虐められていたという生徒は我が社の社長が日頃から大変お世話になっている方のお孫さんだったらしいのですが、その方に直接ご恩を返すチャンスというものがなかなかなかったのです、そこでそのお孫さんが恩を受けた方を通して間接的なご恩返しができれば、という部分もあるのです』
そう言われたのだそうだ。
思ってもみない幸運に自分が関係していて、しかもそんなことを考えていたわけでなく、ただ放っておけなかっただけのことなのに。
それに叔父や姉がマスコミ関係に居ることで脅されてもなんとかなるだろうと楽観できたのが大きいのだ。そうでなければ若菜も他のクラスメイト達と同じように傍観するしかなかったかもしれない。
おかげで高校生になってからの大幅なお小遣いアップも約束してくれたし、新しい服も買ってもらえた。おこぼれに与ることができた高校生の兄も一層優しくなった。
陽斗の祖父という人がそこまでの影響力がある人だったのは驚きだが、それはそれとして、陽斗にもう一度会うことがあれば絶対にお礼を言おうと思っていたのだ。
そうしてようやくそのチャンスが巡ってきたら、少し見ないうちに表情は生き生きとして笑顔は輝くほどだった。
若菜は不意に胸がドキドキして正面から顔も見られなくなってしまったのである。
体育館前では学年主任と数人の教師が生徒達を整列させる。
準備が整うと一組から順に入場していく、在校生の拍手に迎えられながら決められた席に着くと、卒業式の始まりだ。
ひとりずつ名前を呼ばれ卒業証書を受け取っていく。
「西蓮寺 陽斗」
「はい!」
とうとう陽斗の名前が呼ばれると、卒業生の間でざわめきが起こる。
一年生の女子よりも小さな身体の生徒は3年生にひとりしか居ない。
そのことは誰でも知っている事なのだが、呼ばれた名前は聞いたことのないもので、見た目もそれまで見知っていた姿とは違っている。
今の陽斗を見てみすぼらしいと思う者は誰もいないだろう。
壇上に登った陽斗に校長が「おめでとう」と言いながら証書を手渡す。
だが、校長の顔に笑顔はない。いや、校長だけでなく教頭も学年主任も、他にも数人の教師の表情は硬く、どことなくぎこちない雰囲気だった。
それが陽斗の時に一層強くなる。
実は硬い表情をした教師達は全員、年度が終わった時点で全員別の学校に異動になることが決定している。
公立学校では珍しいことではないが、今回の移動は職位の降格を伴うものである。
というのも、陽斗の件で3人の生徒が私立高校の合格が取り消しになり、ひとりの教師が実質的に罷免された。
だが、陽斗のことに限らず、父親が国会議員だという生徒に適切な指導を行わず、むしろ増長させたということで、学校の責任者である校長と教師の指導に当たる教頭、それから実際に生徒を野放しにしていた数人の教師が責任を問われたのである。
特に教頭と学年主任は陽斗への虐めを把握していながらなんの対策もしていなかったとして減給と降格が申し渡されている。
他にもそういった事態を把握していなかった教育委員会の担当者や、虐待の通報を受けていながら適切な対処を怠っていた児童相談所の所員も降格や減給、罷免などの処分を受けることになった。
陽斗はといえば、校長や他の教師から睨むような目を向けられても、もともと赤石先生以外に陽斗を思いやってくれる教師がいなかったために気にしていない。というよりも気付いていなかった。
「ふざけんな!!」
礼をして演台を降りようとした陽斗に、いきなり怒鳴りつけた声が会場に響く。
「なんでテメェがいるんだよ! テメェのせいで!」
驚いて動きが止まった陽斗になおも怒声を浴びせながらひとりの生徒が通路に飛び出してくる。
「藤堂止めろ! 何をしてるんだ!!」
「は、放せ! アイツはぜってぇ許さねぇ!」
数人の教師が慌てて走り寄り、生徒を取り押さえた。
「え? 藤堂、君?」
陽斗はその名前を聞いて目を疑う。
その生徒は髪はボサボサで目が落ちくぼみ、学生服もボロボロだった。
いつも自信満々で傲慢に校内を歩いていた姿からは想像もできない変わりようだ。まるで陽斗と英治の格好が入れ替わったかのようにも思える。
やがて英治は教師によって体育館から連れ出され、式は再開される。
会場内のざわめきが収まらないのを利用して、陽斗はすぐ前の列にいたクラスメイトに英治に何があったのか聞いてみた。
すると、英治は推薦合格を取り消されたので公立高校を受験したものの、受験は終わったとばかりに勉強していなかったためそれほど偏差値の高くない高校だったにもかかわらず不合格。父親の逮捕で家の中も荒れているために2次募集、いや進学すら危ないらしい。
ただ、そのことがどうして自分に敵意を向けることになったのか、陽斗自身に分からないのでただただ不思議に思うだけだった。
ちなみにだが、教師の青山は卒業式に来ていない。
一時的に混乱しつつも卒業式は続けられ、無事に終了した。
そして教室で最後のホームルームが行われる。
赤石先生に、朝の出来事が追及されるかと思いきや、生徒達が待つ教室に入ってきた時点で既に涙で顔をグシャグシャにしており、とてもそんな雰囲気ではない。
壇上で話す内容も嗚咽混じりで、ほとんど何を言っているのか分からないような状態だった。
けれど、赤石先生が生徒一人ひとりのために一生懸命やってくれていたのは全員が分かっていたのでそのことに文句を言う生徒は誰もいなかった。
ホームルームが終わり、赤石先生が見送る中生徒が教室を出ていく。
生徒達も赤石先生と一言二言言葉を交わしたり、最後の記念に一緒に写真を撮ったりしていく。
陽斗も、しっかりとお礼を言いたくて、最後まで残り赤石先生の前に立った。
「先生、先生のおかげで無事に卒業できました。それに、高校にも行く事ができるようになりました。本当にありがとうございました!」
そう言って深く頭を下げる陽斗に、赤石先生はちょっと困った顔をしながら、
「お礼を言わなきゃいけないのは私の方なんだけどな」
と呟くと、素早くメモに電話番号を書き込んで陽斗の制服のポケットにねじ込んだ。そして、「後でゆっくり話したいから電話ください」と言って、陽斗を教室から押し出した。
赤石先生の態度を疑問に思いながらも、言われたとおり後で電話したときに聞こうと意識を切り替え、廊下をゆっくりと歩いていく。
それほど良い思い出のない学校生活だったが、それでも若菜や赤石先生、その他にもごく少数ながら親しくしてくれた同級生や先輩がいた。
給食のおかげで飢えずにも済んだ。
今の幸せな生活は、それがあったからだと感じている。
「あの、井上君」
感慨に浸りながら校舎を出たところで陽斗は呼び止められた。
「あ、宮森さん。えっと、卒業おめでとう」
「え、あ、井上君、あ、今は違うんだっけ、えっと、西蓮寺、君?」
「あはは、まだ名字は呼ばれ馴れてないから、良かったら陽斗って呼んでくれる?」
「え? えっと、陽斗、君」
まさかの名前呼びに一気に顔が赤くなる若菜。
けれど、なんとか本題を思い出して頭を下げた。
「陽斗君、陽斗君のおかげでお父さんの工場が自動車メーカーと取引できました。本当にありがとう!」
「え? えぇ?」
驚く陽斗に若菜は事情を説明する。
「そっか。えっと、別に僕が何かしたわけじゃないし、僕のお祖父ちゃんがしたわけじゃないと思うよ。それに、僕が宮森さんに助けられてたのは本当のことだし、だからやっぱり宮森さんがしたことの結果がたまたまお父さんに向いたってことじゃないのかな?
だから、その」
「ううん。やっぱり陽斗君のおかげだよ。だから、ありがとう。
それから、えっと、陽斗君、やっぱりこの街じゃなくて遠いところに住むんだよね? そ、その、手紙、とか、書いてもいい?」
赤い顔で俯きながらそんなことを言う少女。
「え?あ、うん。えっと、住所…」
「こちらに住所を書いてあります。それから陽斗様のスマホの電話番号とSNSのIDも」
「きゃぁ!」
「わぁっ?! あ、彩音さん?」
突然背後から掛けられた声に飛び上がるふたり。
ニンマリと笑ったところを見ると完全にわざとだろう。
ちょっと不満そうに唇を尖らせながらも、彩音からメモを受け取り若菜に手渡す。
「あ、後で電話とかもらえたら僕も登録するから、その、手紙も書くね。
それと、僕は色々な人にお世話になったから、今日は無理だけど改めてお爺ちゃんと一緒にお礼に回るつもり。だからまたこの街には来るよ」
「う、うん、その、ま、またね!」
そう言ってメモを大事そうにポケットに入れて若菜が走り去っていった。
その向かう先で大林が待っているようだ。
「よろしかったんですか? あれで」
「え? どういう意味?」
いまいち分かってなさそうな陽斗の様子に、彩音は去っていく若菜に気の毒そうな視線を向けた。
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