第6話 倫理
「……直樹さんにちょっと見てもらいたいものがあるんです」
『EDEN』がいきなりそう切り出してきた。
なんだろう? 裏モノ? 無修正?
「……何考えてるか顔に出てるわよ、この変態」
うるさい同居人を無視して『EDEN』に見せるように促す。
「これは、ボビィさんのかなり込み入った事情の映像です。そこのところ、頭に入れて観てください」
俺は自然に身構える。
俺たちの目の前にモニターが出現する。
映っているのはボビィが操っている蜘蛛型機械と対峙するように佇む一人のアジア人女性。
音声が流れる。
「やあ、ナディ。ようやく逢えた」
通信用の霞んだ声ではなかった。
どんな裏技を使ったのかは分からないがボビィの声が蜘蛛型マシンから発せられている。
「……ボビィなの?」
少しの沈黙の後、女性が答える。どうやら、彼女がボビィの恋人らしい。
「そうだ。驚いたろう。俺はこうして生きている。しかも、永遠の命だ。これも『EDEN』のおかげさ。あいつのところでは誰もが幸せに暮らすことができる。嘘じゃない。本当だ。だから――」
一緒に来てくれ。今度こそ幸せになろう。
その声は慈愛に満ち溢れていた。
本当に心の底から愛する者に向けられた誠意ある言葉に俺は思えた。
だが――
「ねえ、あなたは本当にボビィなの?」
彼女から発せられた言葉は、これ以上なく冷たく響いた。
「……信じられないかもしれない。けれど、来てくれたらすべてが――」
「――確かに、その声、口調、そのすべてがボビィそのものだと私にはわかる。あなたのことは本当に愛していたから、私にはわかるの。けど、私の言いたいことはそうじゃない」
ボビィの言葉を遮り彼女はいったん言葉を止めまっすぐにボビィを見つめる。
「生命の
ナディは拳銃を口に咥え――
「よせ、やめろ! 頼むから――」
ボビィの静止の声も虚しく響き渡る銃声。
その後、気持ちの悪いほどの静寂が場を支配する。
映像はそこで終わった。
「……ごめん、あたし、ちょっと外すわ」
空気の読めるリオは
「ねえ、どうしたらいいと思います?」
少しの間の後、『EDEN』が困り果てたような声音で訊いてきた。
なにが? なんて野暮なことはもちろん訊かない。
俺は思わずため息を吐いてしまった。
「……そもそも、どうしてボビィを止めなかった? ああなることぐらいお前なら分かったはずだと思うが」
暫くの間の後、
「……少し、期待があったんです。生身の人間で、ひょっとしたら一人くらい理解を示してくれる方がいるんじゃないか、ていう、ね。ほら、あの人たち恋人同士だったみたいですし、けれど、まあ――」
最悪な展開になってしまいましたが、と憂鬱な声音で返す『EDEN』。
今が、こんな感じで満たされているから俺は疑問に思わないが、こればっかりは入植してみないと駄目だろうな、と改めて思う。
俺が、彼女の立場なら間違いなく同じことをしていただろう自信がある。
そこで、俺はふと疑問に思う。
この俺は本当に『俺』そのものだと言えるだろうか?
思考と感情を『EDEN』に――ある程度とはいえ――制御されているこの俺は本当に『俺』そのもとだと定義できるのだろうか?
まあ、まっとうな思考回路の持ち主であれば迷わずにNOと答えるのだろうし、そのこと自体に究極的な嫌悪感を抱くのだろうが当の俺はというとそんなものはさらさらない。
そりゃ、操られているからだと他人は思うかもしれない。
けど、ルネ・デカルトは言っていたじゃないか。
『我思う、故に、我あり』と。
つまり、俺が今現在思考し感じることが全てであり、それ以外のことなんか知ったことではない、ということだ。
だから、『俺』が俺の存在の
ぶっちゃけ、真贋のテーマそのものは面白いと思うが、あのテーマに意味を全く見いだせないし。
なんか、思考が偉い方向にぶれてしまったので、軌道修正しようと思う。
「まあ、そのこと自体を言ったところでどうにもならんから措いておくが、ボビィは今どんな感じだ?」
少しの沈黙の後、
「……今のところは落ち着いていますが、やっぱり、そっとしておいた方が良い状態ですね」
そっか、そうだよな。
少なくとも俺にはボビィを救う言葉を捻りだす自信がない。
いや、それどころか余計に状況を悪くしてしまうかもしれない。
だから、別のアプローチに移行する。
「どうせ、俺以外の奴にも訊いて回っているんだろうけど、他の連中はなんて言ってる?」
面倒見のいい彼のことだから友好関係は――ダメ人間の俺と違って――多いことだろう。
基本的に俺とは人間としての出来が違うのだ。
「皆さん口を揃えて時間が解決してくれるのを待つしかないだろう、とのことで」
時間ねえ。
地獄に居た頃なら確かに通用した手段かもしれないが、『EDEN』の影響化にある今の状態ではそれも期待できないだろう。それが、解っているからコイツもこうして困り果てているんだろうけど。
ん? 時間?
いきなりのインスピレーション。
しかも、突拍子のない発想。
これなら、ボビィを救えるだろうが、果たして実行可能なのだろうか?
「なにか、閃いたんですね?」
『EDEN』が俺の様子から察したのか期待の含んだ声音で聞いてくる。
「まあ、な。だけど、実行できるかわからんし、何より倫理的に――」
「それはいまは措きましょう。話してみてください」
うーん。まあ、いいか。最後に決断するのはボビィだし。
突拍子もない戯言を『EDEN』に披露した。
☆ ☆ ☆
俺は一人の少年に声をかけていた。
外見はジーパンにTシャツというラフな出で立ち。
相変わらず、面倒見はいいようで周囲には多くの少年たちの姿。
「ふーん、であんた誰?」
当然の疑問。
俺は彼を知っているのに彼は俺を知らないという妙なズレ。
仕方がないと自分に言い聞かせて俺は続ける。
「……昔、世話になった奴に君が似ていたんだ。だから、ちょっとしたお礼を、さ」
そんなん、そいつにしてやれよ、と呆れ気味に言い、
「まあ、気が向いたら行くわ。こいつらも一緒に行っていいだろ」
ちょっと勘弁して欲しかったが、俺は勿論、と答えその場を去った。
俺が『EDEN』に提案した救済法。
なんてことはない。
恋人と過ごした記憶の消去だった。
彼女と過ごした経験、体験、思い出。
それに付随する記憶そのすべての消去。
当然、俺のことも綺麗さっぱり忘れていた。
それに伴い、その遡った時点の記憶の頃の姿が再現されてしまっているのは、なんて芸の細かいことか。
『EDEN』に教えてもらわなければ永遠に見つけられなかったかもしれない。
これでよかったのだろうか?
実行するかどうかはボビィの判断に委ねられていたし、彼が望んだ結果があれなら俺は甘んじて受け入れるしかない。
他にもやりようはあったのかもしれない。
多分、答えはない。
ただ一つはっきりしているのは――
忘却とは死と眠りに残酷なほどに近しいモノではないだろうか?
そう仮定するならば、この状況下において記憶の消去とはその存在の死に等しいのではないか。
俺は間接的にとはいえ、彼を殺してしまった。
これから俺はその業を背負って生きていくのだ。
まったく、儘ならない。
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