第2話 そして、楽園へ

「ようこそ! 楽園エデンへ! わたしは貴方を歓迎します!」

 次に意識が覚醒した瞬間に底抜けて明るい嬌声を浴びせられる。

「ご気分は如何ですか? 直樹八島なおきやしまさん」

 声の主の姿は見えない。

 現在、俺は何もない真白な空間にポツンと立ち尽くしている。

 意識の無い状態でどうして立っていられたのか自分でも不思議だった。

 この意味のさっぱり分からない状況に普段なら取り乱していただろうが、今の俺は驚く程にフラットだった。

 ネガティブな感情もポジティブな感情も綺麗さっぱりなくなっている。

 そんな俺を余所に謎の声は続ける。

「今現在、直樹さんの自分だけの場所パーソナル・スペースは用意できていません。ですので、憩いの場所パブリック・スペースで、他の入植者と交流されてみては如何でしょう?」

 謎の声がそういった刹那には視界が切り替わる。

 そこは、まるでパーティ会場の様相を呈していた。

 バロック調の内装に天井にはシャンデリア。まるで、『最後の晩餐』に描かれている長机が一定の間隔をおいて設置され、そこには様々な料理の数々。

 そして、まわりには人、人、人。

 みんな、長机の上に並んだ豪華な料理には気にも留めず、抱き合ったり、手をつなぎ合ったりしている。

 まるで、再開を喜んでいるかのように。

「―――――」

 今までフラットだった俺の感情が揺らぐのを自覚。

 言葉にならない戦慄が奔る。

 よく見ると、連中は俺が殺戮機械キリング・マシーンから必死こいて逃げている途中で逃げ回っていたり、死にかけていたりしていた連中だった。

 外傷もなく何事もなかったかのように和気あいあいとしている。

 なんだ、この場所は。

 一体、俺はどこに連れてこられたんだ?

「よう、気分はどうだ?」

 突如として声を掛けられる。

 そこへ視線を向けるとスーツを着込んだ黒人の男が佇んでいた。

 年のころは、恐らく20代位で手には様々な料理――サンドイッチにフィッシュ&チップスに鶏のから揚げ――が載せられた皿。

 これは個人的な感想だが、スーツを着た黒人ってかっこいいと思う。

 いや、変な意味じゃなくて。

 彼は皿を差し出し、食うか? と勧めてきたのでサンドイッチをひとつ失礼した。

 レタスのシャキシャキ感とハムのジューシーな味わいとマヨネーズの豊かなコクの風味と隠し味のからしのハーモニーが一体となって華やかな旨味を演出していた。

 味は完璧。だが、食事としては重要な部分が欠落している。

 もしかして、ここは――、いや、今はそれは於くとしよう。

 黒人さんに意識を向ける。

 俺は、どこかでお会いしたことありましたっけ? と訊くと、

「いや、わからないんならいいんだ。つうか、あの状況で分かったらすげえよ、お前」

 朗らかに答え、

「ところで、お前、身内は? 一人身か?」

 ええ、とだけ短く答えると、そっか、と呟き、

「これからは、いままでのことなんてどうでもよくなるくらいの素晴らしい暮らしが送れるぞ。なんたって、ここは楽園だからな」

 それだけ言うと男はその場から立ち去った。 

 それと入れ違いに突如としてアナウンスが響く。

「それでは、直樹さんの自分だけの場所パーソナル・スペースの設置が完了いたしました。お戻りになられますか?」

 突如として俺の目前にYES/NOとホログラムが表示された。

 周囲には何の反応もなく和気藹々としている。

 どうやら、このアナウンスは俺にだけ聞こえているようだった。

 人混みが嫌いな俺には好都合。

 一刻も早くこの場から離れたかった。

 俺はYESにタップした。

「わかりました。それでは、転移します」

 再び、視界が切り替わる。

「――――――」

 心の原初、俺という人間の根幹。つまり、そこはどうしようもなく楽園だった。

 漫画喫茶。

 好きな漫画を好きなだけ読み、アニメも見放題。

 のどが渇けばドリンクバーで好きな飲み物を飲み、腹が減ったらパソコンにて店側に注文し部屋まで持ってきてもらえる。

 引きこもり体質の俺にとっては完膚なきまでに楽園だった

 つまり、パーフェクト。

 俺の望むすべてがここにあった。

「気に入って頂けましたか?」

 謎の声が再び響いた。

「なあ、あんたは一体何者なんだ?」

 俺は意を決して問いかける。

 この意味の分からない怒涛の超展開の仕掛け人の素性を知りたいと思うのは人情だろう。

 先程も軽く名乗ったとは思うのですが、と前置き謎の声は続ける。

「わたしは『EDEN』。プロジェクト・エデンの遂行者です。以後、お見知りおきを」

 フリーズ。

 『EDEN』

 あの、殺戮機械の親玉の『EDEN』か?

 駄目だ。

 思考が絡まった縄のように固着しているのを自覚。

「ところで、直樹さん。割のいいバイトがあるんですけど、やりません?」

 呆然と固まる俺に奴はそう持ち掛けてきたのだった。

 


 

 

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