第28話 団欒
「どこ行ってたのよ!」
戻った二人を待ち受けていたのは、仁王立ちをした梢だった。
店を無人にするなんて、とんでもない。言葉にはせずとも、二人には彼女の言いたいことが理解できた。鼻息を荒くする母親の姿に、叱られ慣れている大樹は嘆息し、普段の穏やかな梢しか知らない陽向は意外そうに目を丸くした。
「店を放って、二人で何をしてたのっ」
「ええっと……」
「お手洗いへ行ってました。先に大樹さんが席を立ったんですけど、店番をしている間に僕……お腹が痛くなってきてしまって、どうしても我慢できなかったので仮設トイレへ駆け込みました。帰り道で大樹さんと一緒になったんですけど、途中で園芸部の友だちと出くわして立ち話が弾んで……戻るのが遅れてしまいました」
「そ、そうなんだよ。陽向くんの友だちも植物が大好きで、店のことも忘れてつい話し込んじゃったんだ。ごめん、母さん」
「本当にすみませんでした」
言い訳の内容は、駐車場から店に戻るまでの間に二人で考えたものだった。
「あなたと友花さんが何年間も守った秘密を、僕にも守らせて欲しいんです」
腹をくくって梢たちにも真実を話そうとした大樹を、陽向が止めた。言葉と眼差しに強い意志を感じた大樹は、何も言わずに小指を差し出した。高校生活が終わりかけていた冬に友花としたのと同じ約束を、陽向とも交わす。
絡めた小指を離すと、いたずらを成功させた子供のように陽向は笑った。
「……それで陽向くん、もうお腹の調子は大丈夫なの?」
下げられた二つの頭を前にしてしばらく唸っていた梢は、まず少年の体調を気にして問いかけた。
「はい。すっかり、よくなりました」
鬼の形相の母と対峙して平静を装うだけで精一杯の大樹は、真顔で嘘をつくことができる陽向の度胸を見習いたいと思った。
吐息とともに、梢の肩から力が抜ける。
「……まあ、そういうことならしょうがないわよね。今回は何事もなかったし、ちゃんと戻って来たから大目に見るわ。でも、次からは前もって私たちに連絡してから店を離れるようにしてね」
「分かりました。気をつけます」
「って言っても、祭りはもう終わりだけどね」
祭りの最後に待っているのは、店の撤収作業だ。日が暮れて気温が下がり始めると同時に閉めてしまう屋台も多い。そのため最終日の夜は、見物客の姿もまばらだ。
すっかり油断していた大樹が失態に気がついたのは、解かれた腕が再び組まれる瞬間を目の当たりにしてからだった。何気ない一言が、梢の怒りの炎を再燃させてしまったらしい。
「そうよ、もう店を閉める時間よ。なのに、二人がなかなか戻って来ないから、私たちは心配して」
「その辺にしておけ、梢」
すでに店の片づけを始めていた大樹の父が、梢をなだめた。長年連れ添い、妻には説教を長引かせる癖があると知っている彼は、見るに見兼ねて息子とアルバイトの少年へ助け舟を出したのだ。
「とにかく、全員そろったから撤収作業にとりかかるぞ。二人も手伝ってくれ」
言葉少なに場を制すと、大樹の父は息子たちに指示を出し行動させた。
懸命に働く男たちに対して、これ以上の説教は蛇足でしかない。何も言えなくなった梢は、ため息をつき仕方なく仲間に加わった。
荷物をまとめ、車へ運び終えた頃には全員がくたびれていた。日中よりも暑さが和らいでいるとはいえ、真夏の夜の肉体労働は体力を激しく消耗する。
「お疲れさま」
バンに寄りかかって休んでいる陽向へ、大樹は水の入ったペットボトルを手渡した。
「ありがとうございます。大樹さんも、お疲れさまです」
「四日間も、炎天下でよく頑張ったね。二日目は特に」
「あの日は、一段と暑かったですから……。でも、やっぱり最終日がいちばん堪えますね。しばらく立ち仕事は遠慮したいです」
「俺なんか、明日からも引き続き立ち仕事だよ……。土曜日が今から待ち遠しい」
陽向は鼻を鳴らして笑うと、げんなりと下を向く大樹の前にペットボトルを差し出した。喉が渇いていた大樹は礼を言って受け取った。残った水は、陽向の体温でわずかにぬるくなっていた。
ペットボトルを傾けた大樹の視界に、光の粒が映り込んだ。天を仰ぐと、頭上高くに満天の星空が広がっていた。
「今夜は、星がきれいに見えるね。夕方まで曇ってたのに」
「本当だ。天の川まで、くっきり見えますね」
「何だか、この星空が今日のごほうびみたいだ」
「ごほうびなら、これからでしょ。ダイ」
二人が振り向いた先に立っているのは、梢だ。つい先ほどまで明らかに疲れ果てた様子で休んでいた彼女は、何故だか嬉々とした表情で陽向へ問いかけた。
「ねえ陽向くん、今夜はこれから何か予定はあるかしら?」
少年の首が横に振られる瞬間を見届けると、梢は提案した。
「じゃあ晩ご飯、うちで一緒にどう? 今夜はお寿司なの。この四日間、陽向くんはたくさん頑張ってくれたから、お礼も兼ねてごちそうするわ」
「いいね、それ。ぜひそうしてよ、陽向くん」
「え、ええっと……」
普段から他人と一定の距離を保っている陽向は、期待で輝く眼差しを二人から向けられ、戸惑った。他人の家で食事をごちそうになった経験などなく、どう答えらいいのか分からなかったのだ。
また助けてもらえないものかと、荷物を積み終えて一息ついている大樹の父へ視線で懇願する。だが彼は、夕飯の席をともにする許可を求められていると思ったらしく、陽向に向かって大きくうなずいてみせた。
唯一の味方を失った陽向は、梢たちの誘いを甘んじて受け入れるしかなかった。
帰宅後。四人は出前の寿司をつつきながら、世間話に花を咲かせた。屋台で食べたものの品評や、来店客と交わしたやり取りの様子など祭りに関する話題が大半を占め、日常とは異なる雰囲気が食卓を一層にぎわせた。
「次は、何が食べたい?」
大樹は疲れた様子の陽向を気遣い、世話を焼いた。彼の皿を預かり、寿司桶から料理をよそって渡す。その工程を、まるで子供の面倒を見るような素振りで、甲斐甲斐しく繰り返した。
「いえ、僕はもう……お腹がいっぱいです」
「まだ少ししか食べてないのに?」
「遠慮しないで、たくさん食べていいのよ」
「そうだよ。母さんはともかく、陽向くんはまだ若いんだから」
「ダイ、一言余計よ。だけど高校生の男の子なら、この桶の半分くらい食べても平気でしょうね。うちの子たちがそうだったもの」
「へえ。僕には到底、食べきれない量です」
「お前たち……、本人の意見を尊重してやれ。食べ過ぎて、またお腹を痛めてもいけないだろう」
「あら、そうだったわ。無理はよくないわね」
「でも、お漬物はいただきます。先日は、分けてくれてありがとうございました。このお漬物、とても美味しいのでまた食べられて嬉しいです」
「まあまあ! 陽向くんったら、私のお漬物のファンですって」
「ファンって言葉が好きだね、母さんは」
その夜。森村家は終始、明るい笑い声と和やかな雰囲気に包まれた。
陽向が梢たちとの会話を楽しみ、絶えず微笑みの花を咲かせる様を、大樹は隣りの席でにこやかに眺めていた。
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