第24話 嬉しくない再会


 ふらつく足で立ち上がると、男と目が合った。茶色の瞳、その下にある泣きぼくろ。細くなだらかにカーブを描いた眉。ツバキの花を思わせる赤い唇。すべて、大樹が最後の別れの瞬間に見たものと変わらずそこにある。


 「……久し振り」


 男が動揺を見せたのは、ほんのわずかな間だけだった。次の瞬間には苦笑いをし、照れ臭そうに頬をかいた。


 動揺を簡単に表へ出さないところは、相変わらずだった。


 「お二人は、お知り合いなんですか?」


 露骨に表情を歪めかけるが、第三者の存在を思い出し感情を引っ込める。知らないととぼける方法もあったが、大樹は事実を認めた上で取り繕うことを選んだ。


 「う、うん。ふゆ、じゃなくて……坂下先生は、俺が通ってた高校で先生をしてて、俺はその生徒だった」


 「そうだったんですか」


 「森村くんのクラスの担任を、一年間やってたんだ。あと彼が入ってた部活の顧問もしてた。まあ、部員が少なかったから僕が勧誘したんだけど。それを森村くんは快く引き受けてくれて……、あの時は助かったよ」


 思い出を語る男の表情には、懐かしさが滲み出ていた。


 元生徒とその教師という立場を微塵も崩さない男を見て、大樹は拳を力いっぱい握りしめた。爪が肌に突き刺さり、血が溢れ、肉を抉るほどに容赦なく。


 「よかった、元気そうで」


 「……先生も、お変わりないようで何よりです」


 「おかげさまでね」

 

 「……いつ、町に戻ってきたんですか」


 「今年の春だよ。着任して間もなく、春日井くんのクラスの担任をまかされてね。毎日、目がまわりそうなほどに忙しいけれど、今日になってやっと休みがとれたから家族で祭りを見に来たんだ」


 「……そうなんですか」


 「それにしても、春日井くんのアルバイト先が森村くんの店だなんて、すごいめぐり合わせだね」


 「……」


 「確か、森村くんの家は、おばあさんの代から続くお花屋さんだったね。けど、町の祭りにも参加してるなんて、知らなかったよ」


 上辺だけ取り繕うのにも限度がある。大樹の心は、すでに限界を迎えていた。


 できることなら、平然と笑う顔を殴ってやりたい。


 「知ってたら、アンタは来たのか」


 憎々し気な声が出た。真夏なのに吐息が白く滲む錯覚を起こすほど、気持ちは冷え切っていた。身体の震えを、大樹は寒さに凍えているせいだと思い込もうとした。


 蓋をして押し込めていた想いが、感情が、身体の奥底からほとばしる。


 「来るわけないよな。隠し事がばれた途端、アンタは俺に話しかけもしなくなったんだから。ああ、そっか。先生にとっては、ただの遊びだったから別に俺のことなんてどうでもよかったのか。きっと、相手なんて選り取り見取りだったろうし、その中に本命だっていたんだろ。顔の出来がよくて口の達者なアンタには、みんな騙されてたもんな」


 「森村くん?」


 何を、言っているんだい。眉が困ったように下げられる。


 この期に及んで白を切るつもりか。大樹は男の顔を真正面から睨みつけた。強い怒気に気圧されたのか、そこで初めて男がたじろいだ。


 つかみかかりたい衝動を、大樹は理性で何とか押さえつけた。


 「自分の身が危なくなると、アンタはいつもそうやって誤魔化して、嘘ばっかりついてた。役者ぶって、へらへら笑って。本心は隠したままで、誰にも……俺にだって教えてくれなかった」


 「……大樹さん」


 「馬鹿なのは俺の方だって分かってるよ。アンタを信頼して、言われるがままに行動した俺が間違ってたんだ。でも……好きだったから、嫌われたくなかったから、アンタの気を惹くためだったら何だってできた。だけど、アンタにとっての俺は、ただの人形みたいなもんだったんだろ。都合よくそこにいて、持て余した欲望を処理するだけの人形。俺の代わりなんて、いくらでもいたんだ」


 「……」


 「そうですよね、先生」


 「大樹さん!」


 悲鳴のような声で、はっとする。


 客と店員が口論しているとでも思ったのだろうか、数人の見物客が立ち止まり、大樹たちの方へ視線を向けていた。眼差しのどれもが好奇の色を浮かべているが、その実は皆、他人事だと割り切っている。


 場の空気が妙な緊張感に包まれる。雑踏の中に、一人だけ好奇心とは別の感情を持った人間がいた。陽向だ。彼は憂慮の色に染まった瞳で大樹を見つめている。彼だけが、心から大樹を想い守ろうとしている。


 ああ、もう無理だ。


 虚勢が崩れていく。音も立てず、粉々に砕け散って――。


 次に大樹が選んだのは、最も簡単で、最も意気地のない方法だった。


 「ごめん。俺、」


 不充分な一言だけを残して、逃げ出したのだ。

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