第17話 秘密
「それで、どうなったの? あの後」
晩飯と入浴を済ませ、いつものように勉学に励んでいると、スマートフォンに着信があった。相手の名前を確認すると、画面上には「友花」の二文字が浮かんでいた。彼女が夜に電話やメールをしてくる理由で最も多いのが、退屈しのぎという自分勝手なものだ。それを知った上で大樹は応答する。いとこの我がままに付き合うのは慣れているが、歳を重ねるにつれ辟易しつつある。
その夜の友花は、やけに陽向のことを話したがった。彼女が口にした陽向についての印象は、大半が褒め言葉だった。もしや彼に気があるのだろうか。それとなく本人にたずねてみたところ、
「まさか。あたしが年下に興味持つわけないじゃない」
と一笑に付された。
「ちゃんと家まで送ってあげた?」
「送ったよ。あの子の家、すごく大きくて裏庭まであったよ」
「あら、そう。ということは、家に上がったんだ」
口が滑った。こうなったら、どう言い訳しようとも友花のペースに持っていかれてしまう。長い付き合いであるいとこの性格を、大樹は誰よりもよく知っていた。
知っていたはずなのに、へまをしてしまった。いくら悔いても後の祭りだった。
「まあ、大樹のことだから手を出すようなことはしなかったと思うけど、あんまり入れ込み過ぎない方がいいわよ。相手、まだ未成年なんだし」
核心を突くような言葉に、思わず指先に力が入った。ノートの上を滑らせていたペン先が、ページにめり込む。できあがってしまった歪な形の穴を見下ろして、大樹は深々とため息をついた。
「いや、おい。入れ込むって、何だよ。陽向くんの家には……、そう、リビングで育ててる観葉植物の調子が悪いみたいだから見て欲しいって言われて、それで少し話をしただけで……」
「嘘つき。アンタさ、何年一緒にいると思ってんの。声聞いただけで嘘だって分かるわよ。本当は何かあったんじゃないの」
「何かって、何」
「大樹、あの子のこと好きなんでしょ」
「は。な、いきなり何」
「誤魔化さないの。見てれば分かるんだから」
そばにいるだけで本心を見抜かれるなんて。親交が深いのも、考えものだと思う。
「……そうだよ。好きだよ」
どう答えるべきか。束の間、逡巡した後、大樹は事実を打ち明けることに決めた。嘘をついたところで、彼女には隠し通せないと思った。
「――へぇ、両想いだったの。よかったじゃない」
陽向に告白し、図らずも彼の想いを聞く流れになった。と、そこまで話し終えると、友花の声が明るいものに変化した。「おめでと」と、結婚する時のように祝福されては、大樹も苦笑するしかない。
「まあ、お前の言う通り陽向くんは未成年だし……、しばらくは慎重に付き合うよ。だから、友花もこのことは誰にも話すなよ。もちろん、母さんにもな」
「分かってるって」
「お前のこと、信用して話したんだからな。裏切ったりするなよ」
「今さらしないわよ、そんなこと。あのことだって、知ってるのは未だにアンタとあたしだけなんだから」
「……」
「もう五年、そろそろ六年かしら。そんなに長い間、誰にも言わなかったんだからすごいよね。大樹もあたしも」
聞き慣れたいとこの声が、やけに遠くから聞こえた。
黙り込み、目を閉じる。
六年。もう、そんなになるのか――。
大樹の言葉を待つように、スマートフォンの向こう側が沈黙する。ほじくり返されたくない話題だと、彼女は知っているはずだ。なのに何故、敢えて傷口を開こうとしてくるのだろう。
「忠告してるつもりか。それとも、俺を動揺させて楽しんでるのか」
絞り出した声に、わずかながら怒気が含まれていたことに、大樹は驚いた。
友花を責めたいわけではなかった。むしろ謝りたいくらいだった。身体の内側ではちきれんばかりに膨らんだ感情を吐き出させ、受け入れ、六年間も秘密を守ってくれている。他でもない大樹が、そうせざるを得ない状況にしてしまった。
感謝と謝罪で頭が上がらないはずの相手に怒りをぶつけるべきではない。昂りかけた己をなだめていると、友花の声が静かに応えた。
「忠告っていうより、確認したかっただけ。前に味わった痛みをちゃんとおぼえてるのかどうか」
おぼえているに決まってる。即答しようとしたが、「いや、ごめん」と遮られた。
「忘れるわけないよね、大樹はそういうやつだもん。あたしがよく知ってるはずなのに、どうでもいいこと聞いちゃったね」
「……ううん。謝るのは、俺の方。友花に今まで散々、背負わせといて恩返しもまだできてないし。自分勝手で、ほんとにごめんな」
「ちょっと、何しおらしくなってんのよ。大樹らしくもない」
「うん。ごめん」
「だから、謝るなってば」
冷めかけていた雰囲気が、友花の言葉と笑い声によって、よくあるいとこ同士の掛け合いに戻されていく。
彼女の明るさに、大樹は何度も救われてきた。きっと友花は人助けをしている自覚など、ないのだろう。大樹の秘密を「一緒に抱えてあげる」と自ら提案した時も、深く考える間など置かなかった。素振りも、幼い頃にした小さないたずらを隠ぺいするような、ごく軽いものだった。彼女は、女であるはずなのに、男らしいと表現したくなるほどに寛容だったのだ。
「ありがとな、友花。こんな……電話で礼を言うだけじゃ足りない。お前には、本当に感謝してるよ」
「分かった分かった。あたし、そろそろ寝るわ。明日は朝から講義だから」
別れのあいさつをし合い、通話を終了させる。口が堅く、心が広くて親切で、そして照れ屋。友花は、そんな性格をした女だ。
開いていたノートと図鑑を閉じる。
勉強する気は、とうに失くしていた。目を背けたい過去を持ち出されると、現実からも逃げたくなる。暗澹たる道を選んでしまった自分が嫌になる。何より、過去を受け入れようとしない自分に、愛想が尽きていく。
陽向くん。心の中で、すがるように名を呼び、別れ際に見た笑顔を思い出す。
その笑顔を見ていると、彼につけられた名前の通り、日向ぼっこをしているように身も心も温かくなる。同じ空間にいて、はにかむような笑顔を見ていられるだけで、大樹は幸せだった。
こんなに幸せなのは、あの人と過ごした一年間以来だ――。
温まりかけた身体が、心が、冷めていく。日向ぼっこは、夜が来れば終わってしまう。そんな単純なことさえ忘れていた。
やがて来る、寒くて孤独な夜の世界。
もう既に、そちら側へ一歩近づいている。そんな嫌な予感が、眠りにつくまで大樹を苛んで離さなかった。
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